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セネガルのクリスマスと年末
今年は久しぶりに年末をアフリカで過ごした。

年末年始に一時帰国しなかった年は数少なく、海外での年越しはマダガスカルの2012年以来かも。今年はクリスマスも年越しもダカールで、それはそれでなかなかない経験だった。昨年を振り返った記事の後にクリスマスの話というのもちぐはぐだが、空港で両親を出迎える前の時間が少しあるので、記録のために書いておこうかな。

昨年のクリスマスの時期、こういう記事を書いた。イスラム教圏のセネガルでもクリスマスが若者たちや子どもたちの重要イベントとなっている話。
イスラム教徒の若者最大のイベント、クリスマス?

残念ながらサンタクロースがメッカの方向を向いてお祈りをしている姿は見られなかったが(笑)、十分にダカールでクリスマスの気分を味わった。イスラム教徒の家でも子どもたちにとってクリスマスはプレゼントをもらえる日であり、親たちも仕方なくプレゼントを買う。世界各国同じ。

家の近くのスーパーに行ったらクリスマスツリーの横に大きなサンタクロースの人形が、、、と思ったら動いた。中に人がいた。全然分からなかった笑
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ダカールでは12月31日の夜12時に花火が打ちあがると聞いていた。それを今年初めて見た。この花火、実は一般の方々がプライベートで購入しているらしい(もしかしたら企業も含まれるかな?)。360度四方八方で花火が打ちあがり結構見ごたえがある。もちろん一つ一つの花火は日本の花火に比べたら大したことはないが、個人が購入して打ち上げていると聞くと凄さが増す。ただ、数年前まではもっと豪快に花火が上がっていたようなのだが、テロなど安全上の問題が出てきたころから花火が自粛されつつあるらしい。



この日、夜中1時に友人宅から帰宅したら、もう大渋滞。
ダカール市内のこんな賑わいは見たことがない。でも、外にいるのは皆若者。こういう雰囲気はヨーロッパの流れを受け継いでいるかも。

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by iihanashi-africa | 2019-01-02 10:56 | セネガル | Trackback | Comments(0)
『マラリアビジネス』という映画とスキャンダラスな抗マラリア薬事情
(映画の内容は下の方にあります)

私が9月頃に得ていた情報では、Cine Droit Libre映画祭という映画祭が11月27日から始まる予定だった。Cine Droit Libre大ファンの私は、スケジュール帳に早くから記入しており、ちょうど出張もない時期だし、すごく楽しみにしていた。

しかし、開始するはずの11月27日になっても一向にプログラムがアップされない。いつもなら遅くとも数日前にはアップされるのに、今回は当日になってもアップされないということは、映画祭がキャンセルになったのかと思い、11月28日に、映画祭とは関係ないところで、前回記事にしたドキュメンタリー(アブデラマン・シサコ監督に魅了された映画監督が作ったドキュメンタリー映画)を見に行った。

そしたら、映画の最後に監督が「今日はCine Droit Libreと上映が重なったにも関わらず来てくださってありがとうございます」と発言されて、かなり焦った。え、うそ、映画祭が始まってるの???プログラムがアップされてなかったのに。監督の話を聞きながら、携帯をごそごそいじって、Cine Droit Libreのfacebookページを見たら、なんと!!!数時間前にプログラムがアップされている。え~、映画祭が始まってからプログラムがアップされるなんて、そんな~。結局今年は5日間のうち2日間の上映映画を逃してしまった。

それに加えて、去年までは上映会場がフランス文化センターやらドイツ文化センターやら外国人にとっては行きやすい場所だったのに、今年から大学構内やゲジャワイという郊外の野外会場に変更になり、非常に行きにくくなった。プログラムを見る限り、今回の映画祭では一つしか鑑賞できなさそうだ。残念無念。
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************************

ただ、唯一見た映画が衝撃的だった。
『マラリアビジネス』というタイトルからして面白そうだったが、ストーリーが進むにつれ、前のめりになって釘付けになった。

『マラリアビジネス(Malaria Business)』
監督:Bernard Crutzen
2017年、ベルギー
70分


ナレーション:ジュリエット・ビノシュ(Juliette Binoche)



2015年6月、ベルギーが世界に誇る歌手ストロマエStromaeが、コンサートを行うはずだったルワンダで体調を崩し、コンサートを急遽キャンセルしてブリュッセルに緊急輸送されたというニュースが報道された。原因はマラリア予防で飲んでいた抗マラリア剤メフロキン(Mefloquin、仏語でLariam)の副作用だった。メフロキンで副作用が出た人は私も何人か知っている。常に不安になったり悪夢をみたりするそうだ。ストロマエの症状はかなり深刻で、幻覚症状や機能障害まで起き、薬をやめても回復せず、うつ症状で自殺を考えたこともあったそうだ。「兄弟がいなければ私はここにいなかったかもしれない」と本人が映画の中で語っている。2年経っても完治しなかった。

この出来事をきっかけに、メフロキンに疑問を持つ人が出てきた。その中の一人の医師が友人の映画監督Crutzen氏に話を持ち掛け、出来上がった映画が『マラリアビジネス』。調べれば調べるほど、WHO(World Health Organization世界保健機構)と製薬会社の密な関係が明らかになってくる。

2016年、ビルゲイツ氏は彼の資産の半分をマラリア撲滅のために使うと発表し、ワクチンも開発中とのことで、世界から賞賛された。しかし、もう100年近く前からアルテミジア・アニュアArtemisia Annua(日本語ではクソニンジンというらしい(wiki))という自然の薬草の効果が分かっていたのだ。すでにアルテミジア・アニュアから分離させたアルテミシニンと他の抗マラリア剤を併用する複合薬剤(ACT)は存在し、最も推奨される薬として販売されているが、実は、わざわざ効果なACTを服用せずとも、アルテミジア・アニュアを煎じたお茶を大量に飲むとすぐに治るそうだ。一般の抗マラリア剤に比べ、ずっと安価で、しかも驚異的とも言える効果があると言われている。しかし、WHOは15年以上にもわたり、その単独効果を否定し続け、他方で副作用の大きい薬や、既に薬剤耐性が頻繁に見られていた薬を推奨し続けた。なぜなのか。


WHOの資金はかつては公的組織からの支援が半分をしめていたが、現在は公的支援は15%程度にとどまり、代わりにビルゲイツ財団や製薬会社からの支援が大半を占めるようになっている。国際機関もファンドレイジングをしないと機能しない。民間会社みたいだなあ。大株主の意見が活動の方向性を作用するみたいな。。こういう仕組みだと仕方ないことなのかなあ。。



マラリアの研究で支援を得ていたコンゴ人医師がアルテミジアの効果の研究をしていると分かった瞬間、支援が打ち切られたり、研究結果の成果をどの雑誌でも紹介してもらえなかったり。不可思議なこと(いや、原因は分かっていたのだが)が起こっていた。

この映画の製作の段階から、WHOが動き出した。アフリカのWHOオフィスがコンゴ人医師の研究を支持し始めた。そして、2017年後半に映画が公開されてから、WHOは更に動く。あれだけ伝統医学を過小評価していたWHOが、伝統医療の認定へと立場を変えたのだ。ネット検索したらこういう記事があった。

「漢方薬や鍼灸など「伝統医療」WHOが認定へ」
https://www.sankei.com/life/news/180109/lif1801090004-n1.html


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アルテミジア・アニュアの単独効果が絶大であることは分かり、今後おそらく急速に広まっていく治療法だろうが、あまりはやし立てすぎるのは少々危険な気がする。アルテミジアの栽培については、マダガスカルでもセネガルでもかなり大規模に行われ始めているが、需要が高まれば生産ももっと増やさなければならない。今度は『アルテミジア・ビジネス』と言われないよう、農家のこともしっかりと考えた生産を行わなければならない。

会場では、セネガルでアルテミジア・アニュアを販売するNGOも来ており、アルテミジアのお茶を試飲させてくれた。苦みの強い薬草茶という感じ。もちろんこんな少量では治療効果はない。会場のセネガル人は、「これは砂糖を入れても効力は薄れないか?」と聞いており、ちょっとほっこり。

これが、その製品。
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セネガルでは、アルテミジアの販売が許可されており、既に市場で見つけることができる。

この映画は、2019年1月に「France 24」という24時間の国際ニュース専門チャンネルが取り上げてくれることになっているらしい。英語版も存在するがまだ公開されていない。予算的な問題もあるらしいが、そのほかにも越えなければならない壁もあるのかも。


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by iihanashi-africa | 2018-12-01 12:05 | アフリカ全体 | Trackback | Comments(3)
セネガル最大のダーラの家畜マーケット
セネガルから265kmのところにダーラDahraというコミューンがあるのだが、ここで毎週日曜日に開催される家畜マーケットはセネガル最大だという。西アフリカでも最大級と言われる。1日の取引額が10億セーファー(2億円)に達することもあるそうだ。セネガル国内だけでなく、モーリタニアやマリ、ガンビアなどからも家畜が集結する。

ダーラはルガ州の東側に位置するが、ダーラやそこから更に東のリンゲールという街は畜産で有名である。この地域を車で走ると見事に畑がなく、雨期後の10月は草が青々と地面を覆って家畜の餌の宝庫となる。特にリンゲールの牛は質が高いことで有名だ。
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毎週日曜日のマーケット(ルマLoumaと呼ばれる)の日、ダーラには近隣の村から多くの方々がやってきて、一週間で最も活気のある日となる。そのため、銀行も郵便局も市役所も、日曜日は営業・開館している。この街は、金曜日と土曜日が休みらしい。セネガルでは珍しい。

この日、落ちるんじゃないかと心配してしまうほど大勢の人が乗った車や馬車がダーラの街に向かっていた。
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家畜マーケットは、かなり広く、歩いて見るには時間がかかる。そんな事前情報も何もないままに到着した私たちの近くに、偶然にも馬車を持っているというお兄さんが危険だから案内するよと話しかけてくれたのだが、この馬車での案内が本当によかった。今までに経験したこともない光景を見られ、こういう案内がなければ絶対に入ることもできなかった牛のマーケットもぐるっと一周できた。本当にすごい迫力なのだ。

家畜マーケットは、牛、羊、馬と場所が異なる。特に牛は体が大きい上に、気性が荒い牛もおり、一般客が入るのは危険なため、高い塀で囲われている。
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こんな状態だとどれが誰の牛なのかも分からなくなりそうだが、この雑踏の中で取り引きされているのだからすごい。

赤毛の茶色い牛は、モーリタニアから来た牛で、白い牛はセネガルのルガ州の牛だという。大きくて立派な牛は300万セーファー(60万円)で取り引きされることもあるが、平均的な牛は、10万~30万セーファー(2万~6万円)程度。馬車で案内してくれたお兄さんは、この日、17万セーファー(3.5万円)で牛を1頭購入したらしい。やはりダカールと比べると格段に安い。
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バイヤーは、トゥバ、ルーガ、サンルイ、ダカール、ケベメール、ジュルベルなど、様々な街からやってくる。売られた牛は、一旦行き先ごとに別の区画に入れられて、トラックが来るのを待つ。




購入した牛を車に積む人々。
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こっちは羊のマーケット。
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そして、こちらは馬のマーケット。
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牛乳やヨーグルトを販売する人もいる。
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マーケットの方々用に食堂もあり、こうして調理された肉も売られている。
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最終的にこういう大きなトラックで、ダカールやトゥバまで家畜を運ぶ。
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案内してくれたお兄さんと相棒の馬。ベッキーという名前らしい。
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偶然にもダーラに行った日曜日がマーケットの日だと知り、偶然にもセネガル最大の家畜マーケットだと教えてもらい、偶然にもベッキーに出会えたおかげで、週末プチ旅行が更に充実したものになった。いや~、本当に見ごたえがあったなあ。


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by iihanashi-africa | 2018-10-22 09:21 | セネガル | Trackback | Comments(3)
ジンという幽精
昨日アップした信仰の話旅行先を事前に言わないアフリカの文化)をアシスタントとしていた時に、ジンという精霊の話になった。英語ではJinn、フランス語ではDjinnと書く。私は初めて聞いた言葉で、セネガル独特の精霊かと思ったら、イスラム以前からアラブ人に信じられてきた精霊らしく、様々な情報がネット検索で出てきた。

日本イスラム協会は「幽精」と訳すらしいが、それがイメージ的にぴったりくる。「ジンは天使よりは地位が低く、天に登って神の話を直接聞くことはできないが、悪魔のように全くの性悪でもない」そうだ。天使も悪魔もジンと同類ではあるが、「一般的には、ジンは天使・悪魔より一段下の存在で、位階的には人間と同等と考えられている」というのがまた興味深い。「悪魔が常に悪であるのとは違って、ジンの中には良いジンもいる。しかし悪いジンは人間に物理的危害を加えるとも信じられている」。ジンは蛇、犬、猫などの姿で人間に目撃されることもあり、人間に取り憑くこともある。
参照:http://www.jccme.or.jp/japanese/11/pdf/11-05/11-05-10.pdf


で、なぜ昨日の記事からジンの話になったかというと、旅行先を事前に周囲に伝えると、ジンが悪さをすると信じている人もいるというのである。

セネガルでジンの話を聞くと、もう少し魔術sorcellerieという意味合いが出てくるような気がする。ある人に不幸を起こさせたい人が魔術師に依頼し、ジンを呼び出し、意図的に悪さをしてもらうのだ。この他にも、原因の分からない病気を治すためにジンをよぶ儀式を行ったり、選挙に勝つためにジンを使ったりという話もある。ネットでよく見られるのは、ジンに取り憑かれて奇声を発する人の動画や外見が変わってしまった人の写真やら。日本でいうところの「霊に取り憑かれた」状況なのだろう。

私の周囲のセネガル人は、イスラム教はジンを否定していると話しているが、アラブ世界ではイスラム以前からの崇拝を無視できず、ある程度認めているらしく、いまやどこまでがイスラムでどこからが非イスラムなのか分けるのは難しくなっているらしい。

この種の話題は突き詰めるとよく分からなくなるのでお手上げ。

ただ、今でもセネガルの特にレブ族ではジンに関する様々な儀式があり、神頼みならぬジン頼みする人も多いことはよくわかった。


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by iihanashi-africa | 2018-10-13 06:16 | セネガル | Trackback | Comments(1)
旅行先を事前に言わないアフリカの文化
最近映画の記事ばかりで、この後も2つ映画を紹介しようと思っているのだが、その前にプチブレイクで、私の知っているアフリカの国々でよく聞く信仰の話をご紹介。

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先日、私が仕事で関係しているセネガルの方が、知らない間に日本へ出張していたことを、その方が日本に到着してから知った。この方とは出張の4日前に面会したのに、その時には何も言っていなかった。むしろ、それではまた来週会いましょうくらいの対応で、その数日後に出張に行っちゃうのだから。。。こういう時、私って出張先を言えないほど信頼関係が築けていなかったかしらとちょっとだけ落ち込んでしまう。今回の出張目的が私との仕事とは関係なかったとはいえ、折角日本に出張するであれば、日本にいる関係者とも会ってもらいたいし、事前に教えてくれればもっと余裕をもってアポを調整できたのに。。。

こういう体験は他の国でもあり、マダガスカルでもプロジェクトを進める上で非常に重要な農業省の方が、3ヶ月の海外研修に行ってしまうことを研修出発の数日に知って、バタバタと引き継ぎをしたことがあった。ブルキナファソでも知らない間に、じゃあまた明日協議しよう!と言って別れた関係者が、翌日から出張に出かけていたことがあった。

これらの前もって旅行先を言わない件について、今日、セネガル人アシスタントに理由を聞いてみたら、他の国でも耳にしたことのある説明をしてくれた。

セネガルでは、旅行先を皆に知られると出発前あるいは目的地に到着するまでの間に不幸が起こると言われている。特に、出発前に何かしらの不幸が起きて出張に行けなくなると信じる方が多い。そのため、旅行することは両親などの本当に近しい人にしか事前に伝えず、兄弟ですら知らないことがある。大抵、目的地に到着してから「Je suis bien arrivé en France.(フランスに無事に着いたよ)」などと周囲に伝える。それは国内旅行でも同じだそうで、とりわけ農村地域の人々はこの言い伝えを信じる傾向がある。

あるセネガル人の友人は、フランス留学の試験が受かり(フランス大使館が開催する試験で上位3名が留学できるコンクールに、友人は3位で試験を通った)、あとはフランスへ入学登録をしに行くだけとなり、誇らしく思った両親が周囲の人々に受かったことを話したそうなのだが、直前になってフランス大使館から3位の友人ではなく4位の方が合格することになったと連絡があったそうだ。全くもって何が起きたか分からずかなり落胆し、やはり両親が早い段階で周囲に話してしまったことが原因なのではないかと思ったという。

この友人は、その後アメリカ留学の奨学金を得たのだが、その時は両親にも口止めし、出発前日まで数人しかしらなかったらしい。

様々な方々が話す内容から推測するに、近しい人ほど旅行の邪魔をするようだ。おそらく嫉妬からくる邪魔で、それを警戒して誰にも話さなくなる。何か不吉なことが起こると、それは誰かが魔術を使って意図的に企てたに違いないと考える。

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この話からもう一つだけ思い出した話がある。

それは、セネガル人女性は妊娠したことも周囲に伝えないということ。セネガルに長く住む日本人の方が話していたのだが、どう見ても臨月で今にも生まれそうなお腹をしていた女性に、「あら、妊娠しているのね、おめでとう!」と伝えたら、「いえ、妊娠なんかしてません」と頑なに否定されたらしい。最近はさすがにお腹が目立ってきたら否定することは少なくなってきたようだが、それでもなるべく気付かれないようにゆったりとした服を着るそうだ。

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やはりいろんな考え方があるもので、こういう中で日本の基準を押し付けたら亀裂を生むだけ。だから、まずは相手を理解し、その上で自分としてはこうしてほしかったと言えればいいのだが、それもなかなか思うようにうまく言えないもので、日々のやり取りを通して暗黙知として身につけていくしかないなあ。


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by iihanashi-africa | 2018-10-12 04:49 | セネガル | Trackback | Comments(6)
アタイヤというセネガルのお茶の文化
セネガルだけでなく、イスラムの影響が強い国ではお茶の文化がある。アラブの国々でもミントティーを飲む習慣があり、モロッコに旅行した時も毎日1回は飲んでいた。セネガルでも、セネガル人と一日過ごすとアタイヤAtayaと呼ばれるお茶を何度も飲むことになる。中国緑茶を使う人が多いのだが、それに砂糖をたっぷり入れて、じっくり沸騰させ、ミントも加えてさっぱり感を出して飲むのが一般的。普段デザートを食べる習慣がないセネガル人にとっては、食後のデザート替わりにも思える。

アタイヤはアラビア語が語源。単なる飲み物というだけでなく、家族やコミュニティー、仕事の同僚などとの親睦を深める日常のひとときでもあるような気がする。アタイヤ専用の炭火を使ってお茶を作っている間、その周囲には人々が集まり、世間話をする。こうして深いネットワークが生まれる。勤務時間中にお茶を飲むために1時間くらいオフィスをあける人もいるが、非効率的なようで意外とここで作られたネットワークが効率的な仕事につながるのだ。

アタイヤは、お湯を入れれば完成というシンプルなものではない。親から子へと作り方が引き継がれる伝統的な無形アートとも言えるかもしれない。

まずアタイヤ専用のティーポットに水をいれ、緑茶を入れる。そして沸騰してきたら、一旦これまたアタイヤ専用グラスに煮立ったお茶を出したりポットに戻したりして、均等に煮立つようにする。その後、しばらく煮立たせてから、砂糖を入れ、さらに煮立たせる。途中水分が少なくなってきたら水を加えたりもする。
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そして、ある程度煮立ったら、再度グラスに注ぎ、別のグラスに高いところから注ぎ返し、それを何度も何度も繰り返して、グラスの底にきめ細やかな綺麗な泡ができるまで続ける。友人のセネガル人は、泡のないアタイヤは美味しくないと常に言っている。ビールも泡がないと美味しくないのと同じかな。この泡の作り方が芸術的なので、動画をどうぞ(音量にご注意を(笑))。





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最終的にこういう泡がグラスの底にできる。ちなみに、泡にこだわるセネガル人にとっては、この泡はまだまだらしい。もっときめが細かい泡を出せる人もいる。
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そして、アタイヤを注いで周囲の方々に提供する。
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アタイヤを飲むとき、よく「Eweul(あるいは仏語でpremier)」、「Niarel(仏語でdeuxième)」、「Tarhis(仏語でtroisième)」という言葉を耳にする。

Eweulは1番目のお茶、Niarelは2番目のお茶、Tarhisは3番目のお茶という意味。日本で言う一番茶、二番茶とは意味合いが異なり、同じお茶っ葉で、1回目に入れたお茶、その後水を加えて2回目に入れたお茶、そして3回目に入れたお茶をさす。1回目のお茶はとても濃く、苦みが強い。2回目、3回目になると、徐々に苦みが薄れ、逆に甘味の強いお茶になる。セネガルでは、1回目のお茶は「死」のように苦く、2回目のお茶は「生命」のように優しい味で、3回目のお茶は「愛」のように甘いと言われている。私は、1杯目の濃いお茶が好きかな。ただ、これを夜飲むと眠れなくなる。コーヒーに匹敵する覚醒効果があるような気がする。私は一度、夜10時頃に飲んで、全く眠れないという痛い目にあったので、夜は飲まないようにしている。

もう一つ、アタイヤを作るのは伝統的に男性の役割とされている。料理をしないセネガル人男性も、アタイヤだけは自分たちの仕事だと感じていると思う。上の写真や動画では女性が作っているが、これはレストランだから。家では男性や男の子が担うのだ。


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by iihanashi-africa | 2018-09-01 23:08 | セネガル | Trackback | Comments(0)
セネガル女性の結婚祝い、チュライとビンビンとベーチョ。
最近「女性」をテーマにした記事を続けて書いたので、もう一つだけセネガル女性の秘密をご紹介。

先日、久しぶりに会ったセネガル人の同僚の肝っ玉母さんのような女性が、第一声で「もう結婚したんでしょ?」と話しかけてくれた。結婚してからもう数か月経ち、あれ?そんなに会っていなかったかなと一瞬思い返しながらも、そうですよと答えようとしたら、その返事をする間もなく間髪入れずに「じゃあ、チュライとビンビンとベーチョを買ってあげるわ」と続けた。姪っ子でも結婚したかのようにルンルンとテンション高めで、自分のオフィスからチュライの瓶を持ってきて私に香りをかがせてくれた。

チュライビンビンベーチョ

この3つは、パートナーを喜ばせるグッズとして結婚する女性にプレゼントされるらしい。この話を聞いて、ふと思い出したのが、女性博物館で上映されていた映画『Dial Diali(ジャルジャリ)』。一つ前の記事で紹介したAnnette Mbaye d’Ernevilleの息子で映画監督のOusmane William Mbayeが、1992年に作成した短編映画。少し時代を感じる映像だが、これからパートナーとの夜を迎える女性が、周囲の女性たちのアドバイスを聞きながら準備する様子は、おそらく今も変わっていないと思う。

(映画はR-15指定になっています)


3つのグッズのうち、チュライThiourayeは以前ご紹介した。寝室に男性を喜ばせる香りを充満させるためのお香である。
セネガル人女性の魅惑の小道具チュライ


ベーチョBéthioとは、スカートの下につけるペチコートのようなセクシーな布。上の映画でも、7分30秒あたりからベーチョが出てくる。


そしてビンビンBine bineは、腰の周りに身につけるビーズの飾り。別名ジャルジャリDial Diali。上の映画のタイトルである。ビーズにも大きな玉と小さい玉とあり、大きいものはフェールferr小さいものをビンビンと呼ぶ。小さいものはプラスチックのビーズだが、大きいものはチュライのお香などを練りこんだ粘土で作ったものもある。またジャルジャリにはお守りとしての効果もあり、映画の中でも10分あたりから登場する女性がジャルジャリの意味を説明している。ビーズの色によっても効用が異なるようだ。生まれたばかりの子どもにも魔除けとしてつけることもあり、若い年ごろの女性もおしゃれの一つとして身につけている。
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映画の中では、この3つのグッズ以外にヘナも登場する。ヘナという植物を使った染料で、髪のカラーリングなどにも使用し、アラブ系の国々では手足にヘナタトゥーをする女性も多い。私も昔、モロッコに旅行した時に、ヘナタトゥーをしてもらったことがある。タトゥーといっても肌に色を染み込ませるだけのものなので2~3週間で消えてしまう。以前は西アフリカでも、上の映画の最初でも出てくるように、ヘナで足を染色する女性を見かけたが、最近はあまり見ない気がする。


さて、同僚からチュライとビンビンとベーチョを買ってあげると言われてから2週間が経ち、未だプレゼントはもらっていないのだが、使うかどうかは別として、滅多にもらうことのない代物なので、ちょっと期待して待っている。




by iihanashi-africa | 2018-04-24 07:46 | セネガル | Trackback | Comments(0)
魅惑の小道具チュライの記事を更新しました
以前書いた「セネガル人女性の魅惑の小道具チュライ」という記事に、チュライのお香の原料の写真を加えました。



by iihanashi-africa | 2018-04-24 07:22 | セネガル | Trackback | Comments(0)
アフリカ女性雑誌のパイオニア『AWA』
先日、ダカールのアンリエット・バティリ女性博物館を訪れた際、仏語圏のアフリカ女性雑誌のパイオニア『AWA』についての特別展が開催されていた。
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アフリカでも19世紀から民間の雑誌が発行され始めた。リベリア、シエラレオネ、ナイジェリアなどでは早くから植民地主義に対抗する民間雑誌が存在していたらしい。仏語圏アフリカでは、植民地時代はフランス人たちとフランスで教育を受けた一部のアフリカ人エリートが幅を利かせていたため、民間雑誌の発展は少し遅れて始まったようだ。

独立前後は、パンアフリカの議論やその他様々な議論の場を提供するための雑誌が増え、イラストや写真が多くなり、アフリカ以外の流行も取り入れたものが多くなってきた。『Bingo』『l’illustré africain』は、1953年にフランスの投資家Charles de Breteuilの支援を得て発行された雑誌で、アフリカで名声を得ていった。『Drum』はその少し前の1951年に南アフリカで発行が始まり、ルイ・アームストロングやモハメド・アリなど多くの有名人を起用したり、文章を短くするなどして一般大衆の目をひく流行雑誌となっていった。同時に、より知識層向けの『Présence Africaine(1947)』や、ナイジェリアの『Black Orpheus(1957)』、ウガンダの『Transition(1961)』なども発行部数が多くなっていった。
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この流れの中で、1964年に初の女性雑誌『AWA』の発行が始まった
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創設者のAnnette Mbaye d’Erneville(下の写真)は、パリでジャーナリズムを勉強し、セネガルで最初の女性ジャーナリストといわれている。セネガル・テレビラジオ局(ORTS)のディレクターになり、ラジオで女性向けの番組「Jigeen ni degluleen(女性たちよ、聞いて!)」というウォロフ語の番組を始め、「Tata Annette(アネットおばさん)」という愛称で人気を博した。AWAを発行する前には、Présence AfricaineやBingoで記事や詩を書いていたことがあった。90年代にはセネガル女性組合の連合会長となり、前回の記事で紹介したアンリエット・バティリ女性博物館の創設者でもある。
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AWAの前に発行が始まった多くの雑誌が外国資本だったのに対し、AWAは完全にセネガル資本だった。第1号の発行はセネガルの資本家がサポートしてくれたようだが、その後は購読料、会費、雑誌の売り上げから全てやりくりしていた。しかし、発行開始2年後に資金難に陥り、6年間発行が中断する。Bingoの支援をしていたフランスの投資家Breteuil氏が、AWAの救済を申し出たが実現せず、彼自身は今現在も人気の女性雑誌『Amina』を発行することになる。AWAは1972年に発行が再開されるが、翌年73年に再度発行が停止する。


AWAは多くの作家や詩人を起用しており文学的にも価値のある雑誌と評されており、2017年に全ての雑誌がデータ化された。それを以下のサイトで無料で見ることができる。

https://www.awamagazine.org/

by iihanashi-africa | 2018-04-20 07:16 | セネガル | Trackback | Comments(0)
アンリエット・バティリ女性博物館
ダカールの海沿いのコルニッシュ大通りに、アフリカ・メモリアル広場(Place de souvenir africain)というイベント広場があるのだが、そこに知る人ぞ知るアンリエット・バティリ女性博物館(Musée de la Femme Henriette Bathily)がある。
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建物は二階建てで、1階は特別展、2階は常設展となっており、常設展では、セネガルでこれまでに活躍した女性たちの紹介、セネガル社会におけるかつての女性の捉え方、女性の服装、仕事道具、宗教行事、等々の展示がされている。2階の一角にはシークレットゾーンもあり、女性たちが服の下に身につけるアクセサリー類なども飾られている。受付の方が一つ一つしっかりガイドしてくれ、とても分かりやすい。また、3月に訪れた時は、特別展でAWAというアフリカ初の女性雑誌の変遷が紹介されており、これがまたとても興味を引いた。
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アンリエット・バティリ女性博物館のサイト
mufem.org/

アフリカ・メモリアル広場のサイト
http://www.placedusouvenirafricain.sn/


女性博物館は、1994年にゴレ島に建設され、2015年に現在のメモリアル広場に移築された。博物館は、作家でもありセネガル初の女性ジャーナリストでもあるAnnette Mbaye D’Enervilleの構想で、博物館の名前にもなっているアンリエット・バティリは、生涯を通じて女性の地位向上に貢献する活動をした女性として人々の信頼を得ていた方なのだそう。彼女が亡くなった1984年4月4日は、通常であれば独立記念日の式典が行われるナショナルデーなのだが、国民が喪に服す日として式典は中止となったらしい。最大の国家行事が中止になるくらいセネガルにとって重要な人物だったことが分かる。もともとはフランスで保育士の勉強をし、帰国後にラジオ・マリの局長に就任、その後ラジオ・セネガルの局長に就任した。ソラノ国立劇場の発展にも貢献したほか、1964年から1984年に亡くなるまでフランス文化センター長でもあり、当時開催した「セネガル女性の地位と役割」というテーマの展示会が、この女性博物館の前身ともいわれている。

一つ前の記事で紹介したドキュメンタリー映画はこの博物館で上映されていた映画。
セネガル独立に貢献した母たちを描く映画

次回の記事では、とても面白かった特別展についても書いてみよう。

そうそう入場料は1000fcfa(約200円)。
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by iihanashi-africa | 2018-04-18 04:10 | セネガル | Trackback | Comments(0)