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『マラリアビジネス』という映画とスキャンダラスな抗マラリア薬事情
(映画の内容は下の方にあります)

私が9月頃に得ていた情報では、Cine Droit Libre映画祭という映画祭が11月27日から始まる予定だった。Cine Droit Libre大ファンの私は、スケジュール帳に早くから記入しており、ちょうど出張もない時期だし、すごく楽しみにしていた。

しかし、開始するはずの11月27日になっても一向にプログラムがアップされない。いつもなら遅くとも数日前にはアップされるのに、今回は当日になってもアップされないということは、映画祭がキャンセルになったのかと思い、11月28日に、映画祭とは関係ないところで、前回記事にしたドキュメンタリー(アブデラマン・シサコ監督に魅了された映画監督が作ったドキュメンタリー映画)を見に行った。

そしたら、映画の最後に監督が「今日はCine Droit Libreと上映が重なったにも関わらず来てくださってありがとうございます」と発言されて、かなり焦った。え、うそ、映画祭が始まってるの???プログラムがアップされてなかったのに。監督の話を聞きながら、携帯をごそごそいじって、Cine Droit Libreのfacebookページを見たら、なんと!!!数時間前にプログラムがアップされている。え~、映画祭が始まってからプログラムがアップされるなんて、そんな~。結局今年は5日間のうち2日間の上映映画を逃してしまった。

それに加えて、去年までは上映会場がフランス文化センターやらドイツ文化センターやら外国人にとっては行きやすい場所だったのに、今年から大学構内やゲジャワイという郊外の野外会場に変更になり、非常に行きにくくなった。プログラムを見る限り、今回の映画祭では一つしか鑑賞できなさそうだ。残念無念。
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************************

ただ、唯一見た映画が衝撃的だった。
『マラリアビジネス』というタイトルからして面白そうだったが、ストーリーが進むにつれ、前のめりになって釘付けになった。

『マラリアビジネス(Malaria Business)』
監督:Bernard Crutzen
2017年、ベルギー
70分


ナレーション:ジュリエット・ビノシュ(Juliette Binoche)



2015年6月、ベルギーが世界に誇る歌手ストロマエStromaeが、コンサートを行うはずだったルワンダで体調を崩し、コンサートを急遽キャンセルしてブリュッセルに緊急輸送されたというニュースが報道された。原因はマラリア予防で飲んでいた抗マラリア剤メフロキン(Mefloquin、仏語でLariam)の副作用だった。メフロキンで副作用が出た人は私も何人か知っている。常に不安になったり悪夢をみたりするそうだ。ストロマエの症状はかなり深刻で、幻覚症状や機能障害まで起き、薬をやめても回復せず、うつ症状で自殺を考えたこともあったそうだ。「兄弟がいなければ私はここにいなかったかもしれない」と本人が映画の中で語っている。2年経っても完治しなかった。

この出来事をきっかけに、メフロキンに疑問を持つ人が出てきた。その中の一人の医師が友人の映画監督Crutzen氏に話を持ち掛け、出来上がった映画が『マラリアビジネス』。調べれば調べるほど、WHO(World Health Organization世界保健機構)と製薬会社の密な関係が明らかになってくる。

2016年、ビルゲイツ氏は彼の資産の半分をマラリア撲滅のために使うと発表し、ワクチンも開発中とのことで、世界から賞賛された。しかし、もう100年近く前からアルテミジア・アニュアArtemisia Annua(日本語ではクソニンジンというらしい(wiki))という自然の薬草の効果が分かっていたのだ。すでにアルテミジア・アニュアから分離させたアルテミシニンと他の抗マラリア剤を併用する複合薬剤(ACT)は存在し、最も推奨される薬として販売されているが、実は、わざわざ効果なACTを服用せずとも、アルテミジア・アニュアを煎じたお茶を大量に飲むとすぐに治るそうだ。一般の抗マラリア剤に比べ、ずっと安価で、しかも驚異的とも言える効果があると言われている。しかし、WHOは15年以上にもわたり、その単独効果を否定し続け、他方で副作用の大きい薬や、既に薬剤耐性が頻繁に見られていた薬を推奨し続けた。なぜなのか。


WHOの資金はかつては公的組織からの支援が半分をしめていたが、現在は公的支援は15%程度にとどまり、代わりにビルゲイツ財団や製薬会社からの支援が大半を占めるようになっている。国際機関もファンドレイジングをしないと機能しない。民間会社みたいだなあ。大株主の意見が活動の方向性を作用するみたいな。。こういう仕組みだと仕方ないことなのかなあ。。



マラリアの研究で支援を得ていたコンゴ人医師がアルテミジアの効果の研究をしていると分かった瞬間、支援が打ち切られたり、研究結果の成果をどの雑誌でも紹介してもらえなかったり。不可思議なこと(いや、原因は分かっていたのだが)が起こっていた。

この映画の製作の段階から、WHOが動き出した。アフリカのWHOオフィスがコンゴ人医師の研究を支持し始めた。そして、2017年後半に映画が公開されてから、WHOは更に動く。あれだけ伝統医学を過小評価していたWHOが、伝統医療の認定へと立場を変えたのだ。ネット検索したらこういう記事があった。

「漢方薬や鍼灸など「伝統医療」WHOが認定へ」
https://www.sankei.com/life/news/180109/lif1801090004-n1.html


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アルテミジア・アニュアの単独効果が絶大であることは分かり、今後おそらく急速に広まっていく治療法だろうが、あまりはやし立てすぎるのは少々危険な気がする。アルテミジアの栽培については、マダガスカルでもセネガルでもかなり大規模に行われ始めているが、需要が高まれば生産ももっと増やさなければならない。今度は『アルテミジア・ビジネス』と言われないよう、農家のこともしっかりと考えた生産を行わなければならない。

会場では、セネガルでアルテミジア・アニュアを販売するNGOも来ており、アルテミジアのお茶を試飲させてくれた。苦みの強い薬草茶という感じ。もちろんこんな少量では治療効果はない。会場のセネガル人は、「これは砂糖を入れても効力は薄れないか?」と聞いており、ちょっとほっこり。

これが、その製品。
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セネガルでは、アルテミジアの販売が許可されており、既に市場で見つけることができる。

この映画は、2019年1月に「France 24」という24時間の国際ニュース専門チャンネルが取り上げてくれることになっているらしい。英語版も存在するがまだ公開されていない。予算的な問題もあるらしいが、そのほかにも越えなければならない壁もあるのかも。


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by iihanashi-africa | 2018-12-01 12:05 | アフリカ全体 | Trackback | Comments(3)
アブデラマン・シサコ監督に魅了された映画監督が作ったドキュメンタリー映画
先日、アブデラマン・シサコ(Abderrahmane Sissako)監督についてのドキュメンタリー映画を見た。監督の映画は見たことはあったが、監督ご本人についてはあまりよく知らなかったし、ドキュメンタリー映画が面白い視点で描かれていたので、帰宅後に気になって色々調べてしまい、平日なのにかなり夜更かししてしまった。

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アブデラマン・シサコは、モーリタニア出身の映画監督。1961年生まれなので、現在57歳。父はマリ人、母はモーリタニア人。生まれはモーリタニアだが、すぐに家族とともにマリへ移住し、高校までマリで生活することになる。そしてその間に学生運動に参加し、脅威を感じた当時のムサ・トラオレ政権は学生運動のデモを禁止した。シサコ自身かなりの活動家だったらしい。

1980年、19歳の時にシサコの母が住むモーリタニアに戻り、ソビエト文化センターに通いつめ、ロシア文学も学び、21歳で当時のソ連へ留学し、7年間滞在している。当初はモスクワ大学に入学し、その後モスクワ映画学院で学び、映画への情熱は高まるばかりだったが、当時は、この後モーリタニアに戻ってテレビ局にでも就職するのだろうと思っていたようだ。ただ、その前にどうしても映画を作りたいという思いがあり、ロシア滞在の最後に彼の最初の作品となる短編映画「le Jeu(遊び)」を卒業作品として製作し、この作品がブルキナファソで2年に1回開催されるFESPACO映画祭で上映され、Canal+が映画を購入した。そのお金で、次の短編映画「Octobre(10月)」を製作し、1993年にカンヌ国際映画祭で評価され、ミラノアフリカ映画祭の短編映画の部で最優秀賞を受賞している。ここから彼の映画監督としての人生が始まり、この映画を評価したフランス人の誘いで、フランスへと拠点を移すことになる。

1998年に製作した長編映画「La vie sur terre」はマリの父を思って作られ、2002年の「En attendant le bonheur(Heremakono)」はモーリタニアの母のことを思って作られたらしい。

そして、かの有名な長編映画「バマコ(2006)」「ティンブクトゥ(2014)」であるが、この2作品は日本でも何度か上映されたし、私が語るまでもないほど評価されている映画で、受賞した賞を上げたらきりがない。なので、ここではこのくらいにとどめておこう。ただ、強いメッセージ性のあるこれらの映画を作った後で、あなたはアフリカの代弁者かと聞かれた時、彼はこう答えている。私にとって映画は表現のツールだ。この可能性のある表現ツールを使わせてもらえるのだから、今自分が気になっていること、問題になっていることを取り上げたいと思っている。

ティンブクトゥは実はまだ見ていない。
なかなか見る機会がないのだが、日本に帰国する前にセネガルで上映されないかなあ。。。


「バマコ」はYoutubeで発見。



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『Abderrahmane Sissoko : Par-delà les Territoires(アブデラマン・シサコ:国境を越えて)』
監督:バレリー・オスフ(Valérie Osouf)
2017年、70分

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私が見たこのドキュメンタリー映画は、アブデラマン・シサコ監督に魅了された映画監督バレリー・オスフ(Valérie Osouf)(写真の左の女性)が製作した。映画上映の最後にオスフ監督との討論会があったのだが、監督の話によると、当初、製作費を支援してくれたテレビ局からは、「アブデラマン・シサコ監督の伝記のような映画を作ってほしい」、「貧しい家出身のアフリカ人の男性が様々な人に出会い、そのおかげで才能を開花させる場を与えられたことで今の成功に至っているというようなストーリーにしてほしい」と言われたらしい。

ただ、オスフ監督は、アブデラマン・シサコを所謂「アフリカ人」としては捉えておらず、マリ、モーリタニア、ロシア、フランスなど様々な社会の影響を受けた「世界人」と見ており、どうしてもテレビ局の意向には沿いたくなかったと話す。

加えて、アブデラマン・シサコの映画を撮影するときの姿勢と彼の考え方に感銘を受けてこの映画を撮影するのだから、自分が感銘を受けた部分をクローズアップしようと思ったそうだ。だから、映画を見ただけでは、アブデラマン・シサコの通ってきた道全ては分からない。ただ、シサコの思いは十分に伝わってくる。

アブデラマン・シサコ監督は、映画製作でシナリオを書かない。もちろん大枠のストーリーはあるものの、役者が発する言葉は、役者が考える。そしてキャスティングも現場で偶然出会った人であることも頻繁にある。この点は製作会社泣かせではあるものの、彼にとって映画は「Le hasard(偶然)」の産物だそうだ。シナリオを一語一句読んでしまうと、時に役者が引き立たないことがある。そのため、魅力を感じる役者を抜擢し、その人が本来持っているものを引き出すことに注力する。そして、魅力的な役者全員が引き立つように、うまく編集する天才だとオスフ監督は話す。

シサコ監督は、「偶然」の産物と話すが、誰もが「偶然」を撮っていれば映画になるわけではなく、そこには監督の思いと感性がやはりなくてはいいものは作れない。

https://vimeo.com/242381909



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by iihanashi-africa | 2018-11-30 10:43 | アフリカ全体 | Trackback | Comments(0)
『KANIAMA SHOW』という短編映画と80年代の政治プロパガンダ番組
先週、すごく面白い短編映画を見た。

『KANIAMA SHOW』
監督:Baloji Fiction
2018年、ベルギー、コンゴ民主共和国
26分


80年代から90年代によく見られたアフリカの国営テレビの政治プロパガンダの番組を皮肉ってコメディタッチで描いたもの。衣装や髪型、番組のロゴ、プレゼンターの振る舞いなど80年代を思わせるよう、とても凝っている。

この当時の国営テレビの番組では、ゲストが来ては決まりきった表面上の会話だけし、政府の威厳を保つためにゲストが使われていた。今の時代にこういう番組を見ると喜劇でしかない。様々なゲストが登場するが、その合間合間にあまり品の良くない音楽のライブがある。カメラマンも集中しておらず、映像がぶれたりタイミングが合わなかったりする。監督はそこまで笑わせるつもりで作っていないかもしれないが、皮肉的な演出がかなり笑える。

そして番組の途中でふと映像が途切れ、どっかの国で見たことあるような光景が現れる。

私は、監督のボロジBolojiという方を知らなかったのだが、よくよく調べたら実は歌手であることが分かった。それも結構いい曲を作っている。もともと自分の曲のミュージックビデオを自分で製作しており、2018年春に発売されるニューアルバム『Avenue Kaniama』に合わせて、Kaniama Showというミュージックビデオならぬショートムービーを作ることになったようだ。

ミュージックビデオを作っていた方がこの映画を作ったと聞くと、すごく納得する。26分間、全く飽きずに映像が流れるのだ。




現在、ボロジ監督は長編映画も撮影中で、2019年公開に向けて動いているらしい。


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by iihanashi-africa | 2018-10-16 04:34 | コンゴ民 | Trackback | Comments(0)
『Maki’La』というストリートチルドレンの生きる力を描いた映画
最近アップする記事といえば、映画、フルーツ、料理、時々小話で、かなり偏りが出てきてしまったが、どうぞご勘弁を。最近アフリカ映画を鑑賞する機会が多いので、今後もしばらく続くかも。

少し前に『Maki’La(マキーラ)』という映画を見た。久しぶりに、ほとんどの登場人物の演技がとても自然体なアフリカ映画だった。コンゴ民主共和国のストリートチルドレンの日常を描いているのだが、まさにドキュメンタリーを見ているかのようだった。俳優全員が素人で、「この人!」と思う俳優に出会うまで何度もテストしたらしい。

『Maki’La』
監督:Macherie Ekwa Bahango
2018年、コンゴ民主共和国
78分


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映画は、コンゴ民主共和国の首都キンシャサでその日暮らしの路上生活を送る19歳の主人公マキMakiの話である。男勝りの女の子で、どちらかというと小悪党というか気性が荒く、振る舞いも乱暴なツッパリ少女である。マキは、同じく悪ガキのビンガゾールと結婚しており、彼の影響もあり薬物や売春や盗みをするようになる。ビンガゾールも相変わらず、マキに構わず薬物や悪さが優先で、ビンガゾールを相手にしなくなった頃に、その後マキを慕うようになるアシャという自分より若い路上生活の女の子に出会う。そしてこの小さな女の子に対してビンガゾールの嫉妬が生まれてくる。

映画自体は路上生活の厳しさを映し出すと同時に、小さい頃から路上生活をせざるを得ない環境に置かれた子こどもたちの生き延びる力を見せていると思う。こういう環境では強くならざるを得ない。


映画予告編をこのサイトで見られる。


監督はなんと25歳。シナリオも全て書いており、すごい感性を持った方かも。



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by iihanashi-africa | 2018-10-09 05:39 | コンゴ民 | Trackback | Comments(0)
イドリッサ・ウエドラオゴ監督の映画
やっと一時的な激務を終えブログをアップする余裕が出てきた。

半年ほど前のことだが、2018年2月18日に、ブルキナファソの映画監督Idrissa Ouedraogo氏が亡くなられた。セネガルのフランス文化センターでは、今年5月から6月にかけて、4週連続でウエドラオゴ監督の映画を上映しており、4週目の短編映画集だけは見られなかったものの、3本の代表的な映画は見に行き、それをアップしようとずっと思いながら更に5ヶ月が過ぎてしまった。久しぶりに見た映画もあったが、かなり前に見たので内容もすっかり忘れてしまっており、「ブルキナ映画の巨匠」の社会の描き方を改めてじっくりと味わいながら見た。少し年齢を重ねてから再び見ると見方が変わる映画ってやっぱりいい。

イドリッサ・ウエドラオゴ氏は、ブルキナファソの北西部の都市ワイグヤに近い村で生まれ、ワガドゥグ大学で英語学を学んだ後、ワガドゥグの映画専門学校に入学する。卒業映画として取り組んだ短編映画「Poko」は、1981年にFESPACO(Festival Panafricain du Cinéma et de la Télévision de Ouagadougou、ワガドゥグ汎アフリカ映画祭)で最優秀短編映画賞を受賞している。その後、モスクワ、キエフ、パリで映画製作を学び、1986年には最初の長編映画「Yam daabo(選択)」を、そして2年後には「Yaaba(祖母)」を製作した。

1990年、アフリカの現代社会における伝統崇拝の悲劇を描いた映画「Tilaï(掟)」がカンヌ国際映画祭のコンペティション部門で審査員特別グランプリを受賞し、FESPACOでも最優秀賞を受賞している。

その後も2008年まで短編・長編映画を作り続けた。
ウエドラオゴ監督は村でよくある日常を描いた映画が多いのだが、本当にシンプルな人々の日常の一場面をこうして映画にするって結構難しいと思う。早くから世界各国で評価されたのもうなずける。ウエドラオゴ監督はワガドゥグの映画専門学校の第1期生で、1期生が早くから世界で認められた映画を作っていることは学生たちに希望を持たせたらしい。90年代後半に入ってからは映画製作費を出してくれるスポンサーが少なくなり、同時に世界のモダンな映画撮影の潮流に抵抗して時代に合わないと若い監督に言われることもあった。しかし、ブルキナファソの映画界の発展に大きな影響を与えた人であることは言を俟たない。

私自身、実は2007年にウエドラオゴ監督に会ったことがある。当時、ブルキナファソで仕事をしており、フランス人の友人にランチに招待され、その席にウエドラオゴ監督が同席していたのだ。友人と監督が知り合いだった。ただ、恥ずかしながら、この時私は監督のことを全く存じ上げず、友人が耳元で「彼はブルキナファソで最も有名な映画監督」と囁いてくれて初めて知ったというありさま。この時の昼食では、ウエドラオゴ監督が私の関わっている活動に関心を持ってくださり、農業支援の話題に花が咲いたため、私のアフリカ映画に対する無知さが露見せずに済んだのだが、帰宅後すぐに監督の映画を調べたことを覚えている。

今考えれば、アフリカ映画に関心を持ち始めたのは、この出来事がきっかけだったかもしれない。

Youtubeで見られる主な作品をいくつかご紹介。現代映画を見慣れてしまうと、この時期の映画のテンポが遅く感じてしまうので、YouTubeでは1.5倍速で見てしまった(ごめんなさい、監督)。。。80年代の映画だということをお忘れなく。


『POKO(ポコ)』
監督:Idrissa Ouedraogo
1981年、ブルキナファソ
22分


※モレ語で字幕なし。映像からストーリーを想像するしかないが、ドキュメンタリーのように村の生活の一端を描いており、映像を見ているだけで大体理解できる。ただ、ご参考までにざっくり書いておくと、ある村でクドゥグとポコという若い夫婦がおり、妻ポコの第一子出産を待ち望んでいたが、妻の体調が崩れ、村の伝統治療もうまくいかず、最終的に街へ連れて行くという話。




『Yam Daabo(選択)』
監督:Idrissa Ouedraogo
1986年、ブルキナファソ
75分




『Yaaba(祖母)』

監督:Idrissa Ouedraogo
1989年、ブルキナファソ
90分

※ある村の10歳の男の子ビラとその従妹ノポコは、ある時、村から離れたところで老婆サナに出会う。魔術師として恐れられて村から排除された老婆だった。ビラとノポコは徐々に老婆サナとの友情を築いていく。



『Tilaï(掟)』
監督:Idrissa Ouedraogo
1990年、ブルキナファソ

81分

※やっぱりお勧めはこの映画かな。2年ぶりにサガが村に戻ってきたが、弟のクグリから、サガのいい名づけのノグマがサガの父親の第2夫人になったことを聞く。村の伝統とノグマへの感情の間でジレンマを感じながら最終的にノグマと駆け落ちする決断を下すが、それが不幸な結末へと導いてしまう。




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by iihanashi-africa | 2018-10-03 07:53 | ブルキナファソ | Trackback | Comments(2)
『Freedom for the wolf』という映画とilliberal democracy
最近、猛烈に忙しくて、ちょっと無理して働いたら体調を崩し、来週から4日間のワークショップだというのに、声が出なくなってしまった。私は開催者で、講師はセネガルの農業省の方々なのでまだ大丈夫だが、やはり体は正直なもので、意識的に自己制御しないとだめだなあ。

ということで、ブログも10日ぶり。休暇中の8月後半にほぼ毎日更新していたのが嘘のような静けさである。

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さて、前回の記事に書いたCine Droit Libreのプレリュードで上映された映画をご紹介しよう。

『Freedom for the wolf』
監督:Rupert Russell
2017年、ドイツ・アメリカ
89分


https://www.freedomforthewolf.com/

広辞苑によると、民主主義とは「demos(人民)とkratia(権力)とを結合したもの。すなわち人民が権力を所有し、権力を自ら行使する立場を言う。基本的人権・自由権・平等権あるいは多数決原理・法治主義などがその主たる属性であり、また、その実現が要請される」という意味らしい。

一国の中で、民主主義の第一歩は多数決原理の選挙なのだろう。しかし今、「民主的な」選挙で選ばれたリーダーたちが、自由や民主主義を排除する傾向にある。香港の反政府デモ、チュニジアの「アラブの春」後に選挙で選ばれたリーダーたちのラッパー弾圧、インドにおけるコメディアンの表現の自由、アメリカ人たちに選ばれたトランプ政権、他にも世界各地でこのような状況が発生している。人権、マイノリティ、反政府団体を踏みにじる選ばれたリーダーたち。

映画では、選挙に参加することで民主主義が保障されるわけではなく、フェイク民主主義を生み出すねじ曲げられた選挙であることが描かれている。

映画を見終わると、あれ、民主主義ってなんだっけ?と頭が混乱する。おそらく映画の目的はそこで、本当にあなたがいる社会って民主主義社会ですか?と問いかけ考えさせるのだろう。



映画の中で頻繁に出てくる言葉がある。

「illiberal democracy」という言葉。私は初めて聞いた表現なのだが、日本語では「非自由主義的民主主義」と訳すそうだ。

wiki先生によると、「制度的には民主制だが、実質的には自由が制限されている政治体制」のことだそうだ。「そこでは選挙は実施されるが、市民は自由権の不足によって実際の権力者の活動に関する知識から切り離されており、「開かれた社会」ではなく、実質的には権威主義的政治体制の一つともされる。この状態は、制度上は政治権力を制限しているが、言論の自由や集会の自由、知る権利など市民の政府への自由は無視されており、自由主義の適切な法的な構築された枠組みはほぼ存在せず、法治主義はあっても法の支配がない状況となっている。

なんか考えてみれば、大小さまざまだがそんな社会沢山ある気がする。野党が当選しないように裏工作されている選挙、政権にのし上がったらマジョリティの声だとかいってマイノリティを排除する政府。映画のタイトルにもあるように、「狼」に完全な自由を与えると社会はどうなるか、それを深く考えさせられる映画だった。


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by iihanashi-africa | 2018-09-23 05:21 | セネガル | Trackback | Comments(0)
Cine Droit Libre映画祭の誕生秘話とノルベール・ゾンゴの映画
ブルキナファソにいた時から、Cine droit libreという映画祭の大ファンで、セネガルで開催されていると知った昨年も、毎日映画館をはしごして見た。そして今年も始まった!と思ったら、本番のCine droit libreのプレリュードだった。がくっ。11月末に映画祭が開催されるようなので、もうスケジュールに記入!

昨年の映画祭の記事。
Cine Droit Libre Dakar 1:ブルキナ映画「Frontières」
Cine Droit Libre Dakar 4:セネガルにおける薬物依存
Cine Droit Libre Dakar 5:ブルキナのBalai CitoyenからトーゴのTogo deboutへ


昨年の記事にも書いたのだが、映画祭の名の通り、人権保護を訴えると同時に、映画を通した表現の自由を推進する目的で実施されており、自国で上映禁止になったような映画も上映している。大半がドキュメンタリー映画で説得力があり、とても貴重な映画祭なのだ。

先日、Cine Droit Libreプレリュードの映画上映の前にモデレーターが、実はこの映画祭はNobert Zongo事件がきっかけであることを話してくれた。

ブルキナファソにいたことのある方なら、ノルベール・ゾンゴといえばピンとくるだろうが、ブルキナファソのジャーナリストで週刊誌「l’independent」の創設者でもあり、表現の自由を勝ちえるべく闘い若者たちにとってのカリスマ的存在だった。1998年、当時のコンパオレ大統領の弟の運転手が不可解な死に方をし、真相を調べていた時に、暗殺された。首謀者は容易に想像できるのだが、20年経った現在も未解決の事件である。暗殺された12月13日には、現在でも毎年デモ行進が行われている。

当時、ノルベール・ゾンゴに誘われてジャーナリストになったのがAbdoullaye Diallo氏である。ノルベール・ゾンゴ暗殺後、友人たちとノルベール・ゾンゴ事件のドキュメンタリー映画『Borry Bana ou le destin fatal de Norbert Zongo(ボリーバナ、ノルベール・ゾンゴの悲劇的生涯)』を製作し始めた。そして2003年、そのドキュメンタリー映画が完成したが、ブルキナファソでは検閲にひっかかり上映禁止になった。一般大衆に見てもらいと思い、海賊版を作ってマーケットに流してほしいと業者に依頼したが、それもリスクが大きいとして断られた。どのテレビ局も映画館も上映を許可してくれず、フランス文化センターでも断られている。

2005年のFESPACO(Festival Panafricain du Cinéma et de la Télévision de Ouagadougou、ワガドゥグ汎アフリカ映画祭)でも上映を禁止されたが、Abdoullaye Diallo氏が中心となって設立したノルベール・ゾンゴ・メディアセンターで、「FESPACO Off」と称して上映することにした。FESPACOに招待されていたジャーナリストの大半がセンターに来てくれ、立ち見が出るほどの人数だったそうだ。この企画が大成功に終わったこともあり、2005年6月に、FESPACOで上映が許可されなかった映画を集めて最初の映画祭を開催した。ここにCine Droit Libreが誕生した。

なるほどこういう経緯があるから、上映映画もかなりセンセーショナルなものが多いし、政治批判も多いし、討論会も面白いのね。本当に映画祭の開催が、表現の自由そのものかも。

早速ドキュメンタリー映画『Borry Bana ou le destin fatal de Norbert Zongo』を探したら、YouTubeで発見した。フランス語の分かる方は是非どうぞ。




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by iihanashi-africa | 2018-09-14 08:21 | セネガル | Trackback | Comments(0)
ドキュメンタリー映画『ワガ・ガールズ』
エールフランス航空の機内で、面白い映画を見た。『Ouaga Girls』というブルキナファソが舞台の映画。最初はドキュメンタリー映画だとは知らずに見ており、アフリカ映画にしてはすごく演技が自然だなと新鮮に感じたので、帰国後、ムッシュにその演技の自然さを語ったら、それってドキュメンタリーじゃないの?と言われ、えっもしや、と思い調べたら、やっぱりドキュメンタリーだった。。。

『Ouaga Girls』
監督:Theresa Traore Dahlberg
2017年、スウェーデン、ブルキナファソ、フランス、カタール

80分
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ブルキナファソの首都ワガドゥグに、女性向けの職業訓練所がある。そこで自動車整備を学ぶ女子生徒たちにスポットを当てた映画である。「男性の仕事」と思われてきた職業も女性ができる!ということを見せるのが目的の映画ではない。女子生徒が自動車整備を選ぶことになった背景はそれぞれ全く異なり、子どもを一人で育てなければならない生徒、生活費を稼がなければならない生徒、実は自動車整備ではなく歌手になることを夢見る生徒、授業中に先生の目を盗んで遊びの話もしたり。見る人に希望を持たせるのではなく、現実を見せている。ブルキナファソではどこにでもいるような女子生徒を見せているのが、とても好感を持った点。

批評家によっては希望がないと評価されてもいるが、私は映画にリアリティを求めるので、意外と難しい「ごく普通」を見せているのが結構よかった。



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by iihanashi-africa | 2018-08-25 22:43 | ブルキナファソ | Trackback | Comments(0)
セネガル独立に貢献した母たちを描く映画
先日、ダカールにある女性博物館に行ったのだが、そこでとても興味深いドキュメンタリー映画が上映されており、チラ見するだけのはずが、その場でずっと見続けてしまった。途中から見たので全ては見られなかったが、こうやって歴史から女性たちの活躍は消されていくのかと知って愕然とした。

セネガルの歴史、特に植民地から独立する際に、活躍した女性たちがいる。彼女たちは、「男性たちが記述した」歴史の教科書から忘れ去られ、今日まで脚光を浴びることはなかった。脚光を浴びないだけならまだしも、独立後にセネガルを率いた政治家たちから無下にされ、不当な扱いを受けてきた過去がある。この映画は、17名の闘った女性たちを紹介し、本人たちの証言をつなぎ合わせながら物語が進む。



『Les mamans de l’indépendance(独立に貢献した母たち)』
監督:Diabou Bessane
2012年、53分、セネガル


(この動画は途中から止まってしまいます・・)




1950年代、女性たちは、女性と子どもの人権尊重と地位向上のためにUnion des Femmes du Sénégal(UFS:セネガル女性連合)を設立する。当時各地で行われていた独立運動では、最前線でプラカードを掲げながら「即独立!」を訴えており、治安部隊に催涙弾を投げられて、逃げ回ったこともあった。当時のフランスのドゴール大統領がセネガルを訪問した際にも、大統領の目の前で「平等!」を訴えるプラカードを振りかざした。

1958年にベナンで西アフリカのエリート政治家たちが集まって会議が開催されているのだが、この会議のことを調べると、その後各国の大統領など政治の中枢を担うことになる「男性」政治家の参加者しか記述されておらず、参加者の中に勇敢な女性がいたことなど、どこにも記されていない。この会議にセネガルの政治家と共に参加したUFSの代表Rose Basseは、エリート政治家たちが「独立」に向かうことに尻込みしている中、「あなたたちが独立に向かうことに怯えているなら、私たち女性が向かいます!」と男性たちに喝を入れるように発言したそうだ。UFSは、彼女をベナンの会議へ送るための費用を自分たちでなんとか集めて工面している。

かつて存在したセネガルの政党Le Parti africain de l'indépendance(PAI)も、Majmout Diopが作ったかのように歴史には記載されているが、実際は、女性活動家Arame Thioumbé Sambが投獄されることも覚悟で、政党立ち上げのために闘っている。

しかし、独立後、政治家は彼女たちを共産主義者と呼び、平等を訴えることを禁止し、違反したものは投獄するとした。3月8日の女性デーを祝うことを禁止した。政治家は、女性活動家たちが世論を動かすことを危惧し、早い段階での火消しを行った。

これまでこうして人の手によって歴史から消されていた女性たちの活躍を、この映画がしっかり描いてくれている。


以下のサイトから一部引用。
https://www.xibar.net/JOURNEE-INTERNATIONALE-DE-LA-FEMME-LES-MAMANS-DE-L-INDEPENDANCE-DE-DIABOU-BESSANE-Dix-sept-passionarias-sur-une-longue_a47916.html


by iihanashi-africa | 2018-04-14 07:42 | セネガル | Trackback | Comments(0)
ナイジェリアがエボラと戦った93日を描いた映画
2014年から西アフリカのシエラレオネ、リベリア、ギニアエボラ出血熱が流行し、2015年11月に終息が宣言されたが、総感染者数は3万人弱、死亡者数は1万人を超えた。

エボラ出血熱は致死率50~90%と言われており、一旦感染すると死に至る確率が高い。エボラ患者の血液や体液に直接接触すると、感染してしまう。

エボラはいつ終息するのか

上記の3か国で多くの患者が出たエボラ出血熱だが、他国でもこれらの国から来たという方の中から感染者が見つかっている国もあった。その一つがナイジェリアである。

2014年7月20日、リベリアの外交官Patrick Sawyer氏(アメリカ国籍も持つ)がナイジェリア最大の都市ラゴスの空港に到着した。飛行機を降りた時から体調が悪く、高熱だった。ラゴス市内の病院、First Consultant Hospitalに入院し、当初はマラリアが疑われたが、深刻なウイルス感染の症状であることからエボラウイルスの検査を行ったところ陽性と判明した。Sawyer氏は5日後に亡くなられたが、その後しばらくしてSawyer氏が入院していた病院のスタッフに次々にエボラの症状が現れ、20人と言われる感染者のうち7名が亡くなった。

Sawyer氏が入国した日から、ナイジェリアでの緊急事態宣言が解かれるまでの93日間の病院スタッフたちの戦いを事実に基づいて映像化しているのが、この映画である。

『93 days』
監督:Steve Gukas
2016年、124分、イジェリア




死を間近に息子と電話で最後の言葉を交わす母、隔離病棟のなかから不安を電話で彼にもらす女性、同じ病室の感染者がなくなる度に、次は自分だと漏らしてしまう女性。患者を精神的にも支えるアメリカ人医師のDr Benjamin Ohiaeri。これが事実に基づいていると分かっているからこそ、余計に胸を打つし、涙が出てくる。

これを見ながら、ナイジェリアでこんな状況なのだから、ギニア、シエラレオネ、リベリアの病院では想像もできない戦場だったのだろうと思う。

歴史を語る貴重な映画である。



by iihanashi-africa | 2018-01-22 01:14 | ナイジェリア | Trackback | Comments(0)