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黄熱病注射の有効期間が10年ではなく一生涯になった件
今更だと思われるかもしれないけど、私は、この件、つい数日前に友人から聞いて初めて知った。

野口英世が研究していたことでも知られる黄熱病
アフリカの特に中西部アフリカ諸国は、現在も黄熱病に感染する危険があるとされている国が多い。入国の際にイエローカードという黄熱病予防接種証明書がないと入国できないことが多い。持っていないと、その場で注射を打たれる国もある。以前は、アフリカの大半の国でイエローカードがないと入国できなかったが、セネガルのように不要とする国も出てきた。一方で、これまで必要ないと言っていたのに、やっぱり方針を変えた国もあり、気にしていないとアップデートが追いつかない。

これまで黄熱病予防接種の有効期限は10年とされてきた。

私がアフリカに関わり始めたのは2002年。その年に黄熱病の予防接種を受け、2012年に2回目を受けた。次の接種は2022年...とずっと思っていた。なが~くアフリカに関わっている方と話すと、「もう4回も黄熱病を打ったよ」という会話があったりし、黄熱病を何回打ったというのが、長期間アフリカで勤務することの代名詞だった。

しかし、この会話がそのうちできなくなるようだ。2016年7月11日から、これまで10年とされていた有効期限が、「生涯有効」に変更されていたらしい。1年以上も前の話なのに、私は知らなかった。過去に接種して記載されている有効期限が経過したイエローカードも、生涯有効なものとして取り扱われるそう。そういえば最近は空港でイエローカードを提示しても、中をしっかり確認しなくなったかも。

厚生労働省のサイト
http://www.forth.go.jp/news/2016/06210854.html

実は、この一生涯有効になることは、2013年には決まっていたようだ。
1930年に黄熱病の予防接種が始まって以来、世界で6億人が予防接種を受けているが、予防接種後に黄熱病を発症した例は12例しかない。この12例はすべて予防接種後5年以内に発症しており、免疫が時間と共に落ちていないことが分かったそうだ。

WHO(世界保健機関)のサイト
http://www.who.int/mediacentre/news/releases/2013/yellow_fever_20130517/en/

黄熱病は、未だに毎年20万人ほどが発症している。そのうち15%は深刻な病状に発展し、その半分が亡くなってしまう。予防接種を一回打てば一生涯安心なのであれば、これまで使っていた予算でなんとか受益者を拡大できないものか。



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by iihanashi-africa | 2017-11-28 06:57 | アフリカ全体 | Trackback | Comments(0)
落花生の脱穀 in Senegal
セネガルは、アフリカの中で、ナイジェリア、スーダンに次ぐ落花生の生産量を誇る。今年の生産量は推定141万トン。過去5年で60%も生産量が増加している。農家さんに話を聞くと、落花生は売れ残ることがなくそれも高値で販売できるので極めて儲かる作物だという。こういう声は、少し前までは聞かれなかった。

セネガルにおける落花生栽培の歴史は古く、セネガルの経済を支える作物となったのはフランスの植民地時代まで遡る。良いか悪いかは別として、フランスが、植民地時代に輸出用の落花生栽培と加工(油と搾りかす)を推進し、セネガル経済を落花生で潤わせた。独立後、経済が多様化してもなお、長期にわたり、外貨の稼ぎ頭としてセネガル経済の中心に位置づけられていた。輸出の80%を落花生が占めていた時期もある。しかし、1990年代から陰りが見え始め、農業政策の変更や気候の変化に伴う生産量の減少、不安定な国際市場、種子確保の問題などから、2011年頃に輸出に占める割合が4%にまで落ちた。それが、ここ5年でなんとか盛り返している。一つは中国の影響。中国は最大の落花生生産国でもあるが、最大の消費国でもある。自国の生産量だけでは消費を賄えず、現在セネガルの落花生も大量に中国に輸出されている。中国の業者が農家の圃場まで集荷にやってきて、通常の販売ルートに少し悪影響を及ぼしているとも聞いた。兎にも角にも、今セネガルの落花生は売れている。

11月は落花生の脱穀、風選作業の時期である。

カオラックやジュルベル辺りを車で走ると、こういうこんもりとした山が畑のあちこちに積みあがっている。
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こういう山に積み上げる前は、こうして小さな山にして乾燥させる。
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先日の出張中にちょうど脱穀作業に出くわしたので、動画を撮らしてもらった。風選作業も見かけたのだが、残念ながら写真に収めることはできず。。



落花生の収穫時期に圃場に行くと、こういう光景をよく目にするらしい。とれたての落花生をミレットの残渣と一緒に燃やし、こんがり焼けた落花生を、手を黒くしながら食べる。もちろんこれが販売されることはないが、市内のマーケットで購入する落花生よりも格段に美味しいという。こうして焼いた落花生のことを示す現地の呼び名があるのだが、忘れてしまった。。。なんだっけなあ。
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by iihanashi-africa | 2017-11-27 02:35 | セネガル | Trackback | Comments(0)
ビサップの畑
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西アフリカの国々でレストランに行くと、ビサップBissapというジュースが出てくることがある。ハイビスカスのジュースのことである。写真は、ビサップジュースとバオバブジュースを混ぜたもので、下の濃い赤紫の部分がビサップジュースである。



ここセネガルは、西アフリカでもとりわけビサップの生産量が多い。セネガル全土で栽培されているが、特に、カオラック、ジュルベル、ティエス、ルガ、サンルイで大量に生産されている。かつて、ビサップは女性たちが自分の畑で自家消費用に栽培する作物だった。特にビジネスとしてのビサップ販売が浸透する前は、目印のために畑と畑の境に植えたり、畑の囲いとして植えたりしていた。しかし、今やセネガル国内で15,000トンが生産されるまでになり、近年では加工されたビサップが欧米へも輸出されている。ただし、女性が栽培する作物という考えは今でも変わらないらしい。ビサップを栽培する男性に今のところ出会ったことがない。

先日、カオラックとジュルベル周辺へ出張したのだが、ミレット(稗)やトウモロコシ、落花生などの主要作物が全て収穫されているこの時期(11月中旬)に、ビサップの畑だけが、赤く残っており一際目立っていた。この辺りでは、雨期が始まる直前にミレットを播種し、その後最初の雨が降ったら落花生やササゲを播種する。播種の優先順位があり、ビサップはほぼ最後。10月から11月上旬には穀物や豆の収穫をほとんど終え、11月中旬に残っている作物は、ビサップ、ソルガム、スイカである。
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これだけ目立つ色をしているのであれば、畑の囲いや境界線にするには最適だと実物を見て納得した。下の写真は境界線にしたビサップ。
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下の写真はピントが合っていないが、畑の囲いに使ったビサップ。
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ビサップには、赤と白がある。
赤いビサップはジュース等の飲み物やジャムに使われることが多く、白いビサップはタマリンドなどと一緒に酸味の効いたソースにしてセネガルの国民的料理チェブジェン(炊き込みご飯)にかけて食べたりする。白いビサップのジュースもあるそうだが、私はまだ飲んだことがない。

赤いビサップ
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白いビサップ
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収穫したビサップはこうして数日乾燥させ、がくと中の丸い実を分ける。
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これは乾燥していないビサップ。

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丸い実の中には種が入っており、これを乾燥させて、翌年播種する。自家採種である。

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この時期になると、道路沿いでビサップを販売する女性たちを見かける。

私も購入しようと立ち止まって販売しているビサップを見比べると、微妙に色が異なるビサップが販売されていた。袋の中のビサップの方が色が明るいのが分かるだろうか。色の濃いビサップはVimtoという改良品種らしい。色の薄い方の品種名は分からないが、伝統的に栽培されている品種だという。Vimtoは濃い色からも分かるように、ジュースを作る際にすぐに色がつくため、ビサップジュース製造業者には好まれるらしい。また生産性も高く、伝統品種より高値で販売できるため、最近はVimtoの栽培が広まっている。一方で、伝統品種はとても香りがよく、時間をかけてゆっくりと煮出しするととても綺麗な色のジュースに仕上がるようで、こちらを好んで購入する人もいる。ということで、私もじっくり煮出しするタイプを購入。どんなジュースになるだろうか。


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by iihanashi-africa | 2017-11-23 08:14 | セネガル | Trackback | Comments(0)
整理整頓された市役所
先日、ある市役所に立ち寄る用事があったのだが、そこの市役所の棚が素晴らしく整理整頓されており、感動したので写真を撮らせてもらった。

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これを見て綺麗と思うかどうかは、途上国の資料整理の不慣れさを把握しているかどうかで違うと思うが、すぐに取り出せるように、冊子の底に年代と番号がふられており、さらに棚にも年代が書かれている。この男性が昔から整理しているそうだが、本当に美しい整理整頓である。机の上も整理されていてうっとりしてしまった。私の物差しは標準的ではないかな?


整理整頓されていない部屋の写真を撮ったことがないので、比較対象がないのだが、一つ見つけた棚の写真。汚いわけではないのだが、どこに何の資料が入っているのか全く分からない。こういう棚が一般的だと思うと、上の写真の棚が本当に美しく見えるだろうか。
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by iihanashi-africa | 2017-11-22 07:29 | セネガル | Trackback | Comments(0)
セネガルの水泳教室
ある日の夕方、セネガルのカオラックのホテルからサルーム川を眺めていたら、子どもたちが川で遊んでいた。
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と、よく見ると手前にいる子どもたちは、ビート板を持っている。

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20メートルほど距離を置いてさした2本の長い木の棒の間を、立たずに泳ぐ練習。

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日本のように学校にプールがある国は先進国を含めても少数だが、アフリカも例外ではなく学校では水泳を習わない。そのため、泳げない人は多い。私も水泳は得意ではないが、それでも何とか25mは泳げ、足が届かないところでも浮いていることはできる。アフリカで、溺れて亡くなる方のニュースをたまに見かけるが、やはりスポーツとしてではなく、自分の身を守るすべとして重要だなあと思う。




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by iihanashi-africa | 2017-11-20 04:32 | セネガル | Trackback | Comments(0)
サバクトビバッタを食す
前回サバクトビバッタ(サバクワタリバッタ)のおすすめ本を紹介したが、そういえばニジェールではサバクトビバッタを美味しく味付けして食べる。バッタに限らず、昆虫は概して良質のプロテインを摂取でき、鉄や亜鉛などのミネラルも豊富と言われている。ニジェールで売られているサバクトビバッタやその他のバッタは、プロテインの含有率50%らしい。

以前、バッタシロアリイモムシの記事を書いたことがある。

ニジェールのバッタ揚げ
シロアリを食べたことありますか?
乾燥イモムシ

ニジェールのバッタの捕獲は、朝7時から9時の間に行われる。寒いとバッタの動きが鈍いため、捕まえやすいらしい。バッタの捕獲は1日150匹から多い時で1000匹を超えることもある。重さだと1~2.3kg。それでも、1日の収入は1800~2900fcfa(4~6.4USD)。
https://www.ajol.info/index.php/jab/article/download/120734/110178

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捕まえたバッタは、一旦塩を入れた熱湯で湯がき、天日干しする。そして乾燥されたバッタがマーケットで売られる。今回のニジェール出張でもバッタを買い慣れた方に買ってきてもらって食べたのだが、これがとても美味しかった。とてもカリカリしていて、ピリ辛味が絶妙(上の写真)。以前の記事で、ブルキナファソで食べたニジェールのバッタ(下の写真)はとても淡白で味があまりなかったと書いたが、なるほどこうして少し味付けをしてから食べた方がよかったのかと納得。

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次回はちゃんとマーケットで売られている写真を撮ってこよう!



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by iihanashi-africa | 2017-11-17 02:54 | ニジェール | Trackback | Comments(6)
サバクトビバッタのおすすめ本
アフリカのサヘル地域では、バッタが大発生することがある。サバクワタリバッタあるいはサバクトビバッタと呼ばれる。FAOが毎年バッタ予報を出しているのだが、大発生すると人間の手に負えなくなる。

サヘル地域の農業省出先機関の重要な任務の一つがサバクトビバッタの退治である。殺虫剤が大量にストックされており、バッタの発生情報があるといち早く現場に駆け付け対応する。バッタはほぼ毎年発生しており、毎年職員はバッタ退治で各地を駆け巡るのだが、いつもどこかの穀物畑が被害に遭う。バッタの大群に襲われた畑は壊滅的被害を受ける。とくに大発生した年の被害は甚大である。ブルキナファソにいた時は、発生時期に北部の農業省出先機関にアポをとっても、バッタ退治でみんな出払っていると言われることがあった。

1988年に大発生した際には、大西洋を渡り、カリブ海まで飛んでいったそう。これには学者も驚き、当初は誰も信じなかったらしい。それもそのはず、あんなに小さな体で1週間何も食べず4000kmも移動するとは到底考えられないのだから。もちろん多くは途中で力尽きたようだが、たどり着いたバッタたちは、空中の微生物などを食べながら、上手く風に乗れたと考えられている。

このサバクトビバッタの研究者が日本にいるらしい。

そのことを知ったのは、友人からとても面白い本があると教えてもらったことに始まる。それが、前野ウルド浩太郎さんの『孤独なバッタが群れるとき』という本。9月に休暇で帰国する前に、Amazonの買い物かごに入れておいたのだが、購入する前にふと訪れた新宿のブックファーストで、「おすすめ本」として紹介されていたのが、同じ著者の『バッタを倒しにアフリカへ』という本。西アフリカの農業に関わるものとして、サバクトビバッタは最大の関心事項の一つで、私もいろいろ知りたいと思い、両方購入することにした。

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この2冊の本、本当におすすめである。

『孤独なバッタが群れるとき』は、著者の処女作。東海大学出版のフィールドの生物学シリーズなのでかなり学術的なのだが、これが素人の私が読んでもとても面白く読める。この本を紹介してくれた友人が、「学術的なのに読み物としてもとても面白い」と言っていたのがとても良く分かる。そして、著者の人柄が伝わってくる好感の持てる文章で読み進めるのが楽しくなる。

著者はサバクトビバッタの相変異の研究をされている。相変異とは何か。

「世界各地で起こるバッタの大発生には共通の謎があった。それは、大発生の時に覆い掛かってくる黒いバッタは、この時にしか見られないのだ。平和な時には忽然と姿を消しており、草根をかき分けてもいっこうに見つからない。奇襲をかけようにも敵のアジトを誰も見つけることができなかった。黒い悪魔と呼ばれた所以がそれである。バッタはまばらに生息している低密度下で発育した個体は孤独相とよばれ、一般的に緑色をしておりおとなしい。一方、辺りにたくさんの仲間がいる高密度下では、群れを成して活発に動き回り、幼虫は黄色や黒の目立つバッタになる。これらは群生相と呼ばれる。

長年にわたって、孤独相群生相はそれぞれ別種のバッタだと考えられてきた。その後、1921年にロシアの昆虫学者ウバロフ卿が、普段は孤独相のバッタが混み合うと群生相に変身することを突き止め、この現象は「相変異」と名付けられた。

大発生時には、全ての個体が群生相になって害虫化する。そのため群生相になることを阻止できれば、大発生そのものを未然に防ぐことができると考えられた。相変異のメカニズムの解明がバッタ問題解決のカギを握っているとされているのだ。」


著者はこの相変異メカニズムについて研究をしている。
ファーブルに憧れて昆虫の研究をしたいと夢見た少年が、今や多くの発見をして次々に論文を発表するようになるまでに通った道と成長の過程が、物語を読んでいるようで面白い。


『バッタを倒しにアフリカへ』は、光文社新書から出ている。著者は、研究室の中の研究後、モーリタニア国立サバクトビバッタ研究所でフィールドワークを3年間行うのだが、このフィールドワークの様子とモーリタニアの研究環境や生活環境も含めた読み物になっている。エッセイと言った方が適切かもしれないが、もともと文章が面白い方なので、学術的ではなくても楽しんで読み進めることができる。

是非ご一読を。

次回の記事は、「サバクトビバッタを食す」。



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by iihanashi-africa | 2017-11-14 06:37 | ニジェール | Trackback | Comments(4)
トゥアレグ族の21個のシンボル
ニジェールのお土産屋さんで、このようなペンダントのコレクションをよく見かける。Croix de Touaregs(トゥアレグ族の十字架)と呼ばれるペンダントで、トゥアレグ族の中でも特にKel Aïr族やKel Geresse族、あるいはアガデスに住む遊牧民、そしてプル族やハウサ族の中にもペンダントとして使う人もいるようだ。各十字架は、それぞれの都市のシンボルで、身につけている人の出身地を示すものでもある。最も有名なペンダントはアガデスのもの(写真の左上)で、イヤリングやネックレス、髪飾りとして民芸品店で売られている。蝋で型を作り、そこに銀を流し入れる方法で作っている。

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これまでの研究によると、このような十字架は古代エジプトから存在したという説もあるようだが、イスラム教が南下する以前のキリスト教の影響が強かった時代に、それぞれの民族が十字架をかたどったシンボルを作ったとも言われている。

このように十字架をも思わせるペンダントだが、トゥアレグ族の中では、「東西南北」を示すと言い伝えられている。通常、このペンダントは父から息子へ受け継がれるのだが、その際に、「息子よ、今後おまえは世界のどこで死ぬのか分からない。だから、おまえに世界の四方向(東西南北)を示しておく」と言って、道しるべとなるように手渡すのだそうだ。



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by iihanashi-africa | 2017-11-10 06:31 | ニジェール | Trackback | Comments(0)
ニジェールの恐竜
サハラ砂漠は、恐竜の化石の宝庫である。

そういえば、そうだった。先日、ニアメ市内のブブ・ハマ国立博物館に行って、恐竜の化石の展示を見て思い出した。アフリカの他国にはなかなかない展示物で、とても新鮮だった。折角の恐竜の化石が砂埃にまみれて茶色くなっているのが残念だが、こうして砂にまみれて発見されたと思えば、なかなかリアリティがあるし、先進国の綺麗な博物館に展示されていると全く異次元のものにしか見えない恐竜の化石が、ニジェールの乾燥した環境の中で見るとついこの間までこの地で生きていたかのように少し命が吹き込まれて見える。

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サハラ砂漠では、モロッコからエジプト、チュニジアからニジェールと、広範囲で様々な化石が発見されている。大半の発掘場所は、アクセス困難なところにあり、最近は昨今の治安情勢不安のために、残念ながら発掘は進んでいない。しかし、これまで肉食恐竜、草食恐竜、水中の恐竜など、すでに様々な化石が発見されている。


1820年代、古生物学者はヨーロッパの恐竜についてある程度の知識を積み上げ、1870年代からはアメリカ西部やアルゼンチン等で様々な恐竜の化石を発掘しだした。1900年代に入るまで、それ以外の大陸にはほとんど目もむけられていなかったのだ。唯一、オーストラリアやインド、南アフリカで多少の化石が発見されていた程度であった。

1906年になって初めて、サハラ砂漠の恐竜探索が開始する。口火を切ったのが、地質学者Emile Haugが記述した書物と、Foureau氏とLamy司令官の探検隊が記述した書物である。フランスの植民地時代だった当時、大変貴重な書物として有名になっている。

1906年以降、アガデスAgadezの近くのアイールAïrという町の周辺で、多数の恐竜の化石が発見される。この時に活躍した古生物学者に、フランス人のPhilippe Taquet氏シカゴ大学のアメリカ人Paul Sereno氏がおり、ニジェールで発見された恐竜のほとんどは、この2名のグループによって発見されている。Aïr地域の発掘サイトGadoufawa、In Gall、Tiguidit、Tawachi等は、恐竜の化石の代名詞となった。

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これまでにニジェールで発見された恐竜は6種類
私は恐竜に詳しくないため、それぞれを丁寧に説明できないのだが、このフランス語のサイトに詳しく記述されている。
http://www.ingall-niger.org/index.php/la-prehistoire/les-dinosaures

現在、治安悪化に加え、財政難で発掘サイトは十分に保護されておらず、密売人がはびこるようになっており、2005年、2006年と立て続けに恐竜の化石を含むニジェールの考古学品がフランスに大量に密輸入されようとして、税関で没収されている。恐竜の発掘サイトは今、ほとんどが土で覆われているようだ。

2007年の時点では、ニジェールの化石サイトをユネスコの世界遺産に登録しようとする動きもあったようだが、治安が悪化した今、この動きはどうなっているのだろうか。当時は、スペインの支援を得て、Tadibèneに博物館も建設されるとのことだった。
http://lactualite.com/monde/2007/05/10/des-dinos-a-la-tonne/

発掘が本格的に再開するまでには、まだまだ時間がかかるだろうが、しばらくは恐竜も身を潜めてゆっくり眠っていた方がいい。



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by iihanashi-africa | 2017-11-06 18:44 | ニジェール | Trackback | Comments(0)
ほら貝のような角をもつクーリー牛
先日訪問したニアメのブブ・ハマ国立博物館で、クーリー牛(Vache Kouri)の存在を初めて知った。博物館の中に、巨大なほら貝のようなクーリー牛の角が展示されていた。残念ながら写真撮影が禁止だったので、別のサイトで見つけた写真を拝借。

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出典:http://unhcrniger.tumblr.com/post/152071119719/quel-avenir-pour-la-vache-kouri-du-lac-tchad

下の写真はブブ・ハマ国立博物館の動物園にいたクーリー牛。角がタケノコみたいだ。
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クーリー牛はチャド湖の周辺に多く見られるそうだ。チャド、カメルーン、ニジェール、ナイジェリアに生息と書かれているが、ニジェールでもやはりチャド湖の近くでないと見られないらしい。クーリー牛は水の中の移動を得意とするため、チャド湖の中で多くの時間を過ごすが、チャド湖の縮小により、生息数に影響が出ている。また、干ばつや灼熱、病気にも弱いため、現在絶滅の危機にあるそうだ。今やアフリカ各地に広まっているセブ牛(Zebu)が取って代わろうとしている。加えて、クーリー牛泥棒も後を絶たず、度重なる泥棒被害に牛を手放す人も増えている。2016年、ニジェールのDiffa州でコミュニティー間の緊張が高まったことから、UNHCRがアンケート調査を行ったところ、実に81%の人が家畜泥棒が原因と回答したそうだ。(http://unhcrniger.tumblr.com/post/152071119719/quel-avenir-pour-la-vache-kouri-du-lac-tchad



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by iihanashi-africa | 2017-11-04 22:33 | ニジェール | Trackback | Comments(0)