カテゴリ:日本( 166 )
パスポートを更新して思ったこと。「署名」と「サイン」の違い。
先日、パスポート更新で市役所に行った。

申請書類の署名欄にいつものように自分のサインを書く。私のサインは自分の氏名の漢字を崩したもの。崩しすぎてファーストネームは読めないくらいになってしまっているが、これがいつも私が使っているサイン。このサインを書いたところ、受け付けてくれた方に「これはご本人のお名前が書いてあるということでよいでしょうか。。。」と聞かれ、そうですと答えると、「通常、署名はこのように漢字かひらがな、ローマ字で書くことになっていまして(事例を見せながら説明)、、、、これ以外の読めない署名を書かれる場合は、海外で簡単に署名が真似されて犯罪に巻き込まれる可能性がありますが、ご了承いただけますでしょうか」とのことだった。

ん???
その説明、おかしくないですか???
楷書の漢字できれいに書いたら、アジア系の方々には真似しやすいだろうし、複雑に崩した方が真似されにくいと思うのですが。。。

と、心の中では思ったのだが、「問題ありません」と答えて、そのまま申請した。

この署名問題、以前も国際免許証取得の際に疑問に思ったことがあり記事にしたが、世間には同じように疑問に思っている方が多いらしく、今や私のブログ記事の中でアクセス数トップを走っている。

国際免許証の署名がローマ字筆記体の理由


今回パスポートを申請して思ったのだが、「署名」を「サイン」と訳していることがこの問題を複雑にしている要因かもしれない。例えば海外の銀行で「サインしてください」と言われたら、「名前を書いてください」という意味ではなく、「あなたが本人であることを証明するための記号を書いてください」という意味。だからとてもシンプルな記号のようなサインの人も多い。

でも日本語の「署名」は「自分の名前を書き記すこと」であって、記号ではない。「署名活動」の署名はまさに名前を書くことであり、読めない署名は意味がないかもしれないが、私にとってパスポートの署名と署名活動の署名は異なる。パスポートの署名は、自分のアイデンティティを示すものであればどういう形でもよく、名前である必要はない。

日本における「署名xサイン」問題は、パスポートや国際免許証だけでなく、様々な場面で発生する。携帯の契約書の署名欄に「サインしてください」と言われたので、いつものようにサインを書いたら、二重線を引かれ楷書で書き直させられたこともある。外国人が契約したらどうしているんだろう。記号みたいなサインでもOKとしているのだろうか、それとも自分の名前のローマ字表記に書きかえさせているのだろうか。。。

日本人も海外で生活する方が増えてきているので、ここに疑問を持つ方が多くなっているのだと思う。でも、日本で生活している分には「署名=記号」などという認識が生まれることはなく、ここにギャップが生じてくる。

「署名≒サイン」問題は、言葉と認識の問題なので、今後も続きそうだなあ。。。
郷に入っては郷に従えかしら。。。


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by iihanashi-africa | 2019-03-21 12:43 | 日本 | Trackback | Comments(0)
『静かなる叫び』
この映画をブログに書くか迷った。けど、とりあえず備忘録として。。

すごく重い映画で、是非見てくださいとは言えない。私はいつも映画の登場人物に感情移入してしまって、嬉しみや悲しみや恐怖を人一倍感じているような気がするのだが、この映画は重かった。銃撃の映像が脳裏に後まで残りちょっと怖くて、私が生き残った一人だったらどう考えるのだろうとか、、、考えてしまった。

私は映画評論家ではないので、自分の感じるままに記述しているが、多分映画の芸術性としては素晴らしいのだと思う。これだけ脳裏に残る印象深い映像だったから。白黒だったので「過去の出来事」と脳が自動的に認識していたと思うけど、、、でも重かった。


『静かなる叫び』
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
2009年、カナダ
77分


1989年12月6日、モントリオールの理工科大学で銃乱射事件が起きた。この事件をベースに架空の登場人物の事件前と事件の日、そして事件後の様子を少ないセリフで映像化している。架空の人物とはいうものの、おそらく実際に事件に遭遇した方々は、事件後にこういう抱えきれない思いを感じながら過ごしているのかも。




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by iihanashi-africa | 2019-03-19 18:32 | 日本 | Trackback | Comments(0)
『判決、ふたつの希望』水漏れ事件から始まったレバノンの法廷劇
前回の記事で書いた韓国映画『1987、ある闘いの真実』と同期間に上映されていた映画を見た。昨年とても話題になった映画。

『判決、ふたつの希望』
監督:ジアド・ドゥエイリ
2017年、レバノン、フランス
113分

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(劇場に掲載されていたストーリーより)
レバノンの首都ベイルートのある一角で、小さな諍い起こった。建設会社に雇われ違法建築の補修工事の現場監督をしていたパレスチナ人のヤーセルが、アパートのバルコニーからの水漏れを防ぐ工事を進めたところ、その部屋に住むレバノン人男性トニーが憤慨。せっかく取り付けた新しい排水管を破壊されたヤーセルは「クズ野郎」と吐き捨てる。

キリスト教系政党の熱心な支持者で、かねてからパレスチナ人に反感を抱いていたトニーは、ヤーセルの悪態を断じて許せず、建設会社に乗り込んで社長に本人の謝罪を要求する。ヤーセルの実直な人柄と有能さを高く評価しながらも事を丸く収めたい所長に説得され、仕方なくトニーの経営する自動車修理工場に赴いたヤーセルだが、敵意むき出しのトニーから「お前らはろくでなしだ」と罵倒され、「シャロンに抹殺されていればよかった!」とまで言われる。パレスチナ人にとって最大の侮辱だったその言葉を聞いて、激高したヤーセルは謝罪どころか強烈なパンチを食らわせ、トニーに肋骨2本折る重傷を負わせてしまう。

怒りが頂点に達したトニーは告訴に踏み切った。
この些細ともいえる諍いが、二人のコントロールできる範囲を越えた国中の大論争へと発展していってしまう。


この裁判を通して、二人が過去に体験した出来事が徐々に明るみになり、お互いのことを全く知らなかったことが分かり、なかなか素直になれない二人の心が歩み寄る様子が映像から読み取れてじ~んとくる。

最初実話かと思って映画を見ていたのだが違うらしい。良く作られた映画だと思う。

監督のインタビュー記事を見つけた。数年前に監督がベイルートのマンションで暮らしていた頃、ベランダでサボテンに水をやっていたら、下で道路工事の作業をしていた方に水がかかってしまい、少し口論になったらしい。その時はすぐに謝りに行き、大ごとにならずに済んだのだが、もしあの時、状況が悪化して雪だるま式に膨れ上がっていたら、どうなっていたのだろうと思ったのが物語のきっかけとなったようだ。
https://www.huffingtonpost.jp/foresight/movie-201808315_a_23513430/

この諍いのきっかけとなった「シャロンに抹殺されていればよかった!」という言葉。どこまで重みのある言葉なのか私には分からなくて、この記事を書きながらいろいろ調べて読んだが、やっぱり逆上して暴力をふるってしまうほどの言葉なのか当事者じゃないと分からないことが沢山あるのかも。

この裁判の焦点は、言論の自由はどこまで認められるのか、相手を過度に傷つける言葉は暴力か、その言葉の暴力に対して身体的暴力で返すことは正当防衛と認められるのか。



ほんと考えさせられるし、いい映画だった。


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by iihanashi-africa | 2019-03-16 18:44 | 日本 | Trackback | Comments(2)
二つの映画『タクシー運転手』と『ペパーミント・キャンディー』
アフリカとは関係ないのだが、昨日2本の韓国映画を見てきた。

『タクシー運転手~約束は海を越えて~』『ペパーミント・キャンディー』

早稲田松竹で、「1980年5月、映画が描くふたつの光州事件」と題して、この2本を今週一週間上映している。

『タクシー運転手~約束は海を越えて~』
監督:チャン・フン
2017年 韓国
137分

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『ペパーミント・キャンディー』
監督:イ・チャンドン
1999年 韓国・日本
129分

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実は私、この映画で光州事件を知った。
あまり事前情報を集めずに映画を見たので、映画を見ながら光州事件を学ぶことになる。偶然にも『タクシー運転手』を先に見て、『ペパーミント・キャンディー』をその後に見たのがよかった。ペパーミント・キャンディーを先に見ていたら、この映画の意味が深く理解できなかったからもしれない。

1979年末、当時の朴正煕元大統領が暗殺され、軍事クーデターが発生。その後「ソウルの春」と呼ばれる民主化ムードが続いていた。1980年5月には全国に戒厳令を布告し、軍事政権は野党指導者の金泳三や金大中を逮捕・軟禁した。5月中旬にソウルで学生を中心とした大規模なデモが発生。その数日後には、光州で大規模デモが発生する。金大中は、光州市のある韓国南西部の出身で、光州市では人気があったことが事件発生の大きな原因だったらしい。このデモ隊と軍の衝突で、多数の市民が犠牲になったが、当時韓国政府はメディアをコントロールし、暴徒により軍に死傷者が出たとしか報道しておらず、また光州市は四方八方を封鎖されていたため、情報が外に漏れてこなかった。しかし、この状況を報道すべく外国メディアの特派員が決死の覚悟で包囲網をすり抜け、世界に発信した。その一人がドイツ公共放送(ARD)東京在住特派員であったドイツ人記者ユルゲン・ヒンツペーターである。

『タクシー運転手』は、このドイツ人記者とたまたま彼をソウルで乗せたタクシー運転手の話だ。実際に起きた話を元に作られた映画である。当初、記者はソウルから光州まで日帰りで行く予定だったが、光州で発生する出来事に直面し、数日間滞在することになる。その間に、二人の信頼関係が築かれていく。

映画のタイトルである『タクシー運転手』はこのソウルで記者を乗せたタクシー運転手を指すだけでなく、光州のタクシー部隊も意図している。実際にも、200台余りのタクシーが光州事件で戦っている。市民が軍に無残な殺され方をされる中、積極的に怪我人を病院に運んだり、衝突の前線で盾となって抗争したらしい。

この映画は一人で見たのだが、一人で号泣。映画館を出るときは恥ずかしくてうつむき加減でトイレへ直行した。

その少し後に『ペパーミント・キャンディー』を見たのだが、この映画を通して、残虐だった軍側の前線で戦った軍人も、その時たまたま兵役中で何も知らずにたまたま光州事件に関与したのかもしれないと考えるに至った。

『ペパーミント・キャンディー』は、光州事件を直接的に描いた映画ではなく、光州事件にたまたま兵役について人生が変わってしまった主人公の男性の半生を20年にわたって描いたものである。1999年のシーンから始まり、3日前、5年前...と遡っていく。あとからあとからじわじわとその良さを感じる。『タクシー運転手』がストーリーで感動する映画なら、『ペパーミント・キャンディー』は映画構成と人間の内面の変化の描き方に感動する映画である。主人公を演じたソル・ギョングの演技力もすごいが、その他の出演者もリアルな演技をする方々だった。リアリティと深さを映画に求める私にとっては個人的にとても満足感の高い映画だった。


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by iihanashi-africa | 2018-08-24 17:45 | 日本 | Trackback | Comments(2)
毎日新聞「女の気持ち」:オウムの子たち
7月上旬、母が毎日新聞に投稿し、全国紙に掲載されることになったと連絡がきた。そして昨日、掲載された記事の写真が送られてきた。なるほどこのことについてだったか。

当時、上九一色村を管轄する保健所で働いていた母は、何度も足を運んで話をしようとしていたとも聞いていた。人一倍正義感の強い母は、いろんな思いが巡り、どうしても子どもたちに幸せになってもらいたいという思いが強かったのだと思う。

https://mainichi.jp/articles/20180714/ddm/013/070/013000c

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by iihanashi-africa | 2018-07-16 06:06 | 日本 | Trackback | Comments(0)
祖母の生涯
祖母が静かに息をひきとったと連絡がありました。

1ヶ月くらい前から入院しており、数日前に会話が難しくなったと連絡が入っていたので、もう長くはないかもしれないと覚悟はしていたのですが、やはり息をひきとったと聞くと、胸が熱くなります。

何が悲しいって、こういう時にすぐに帰れる国で働いていないこと。入院していた時も会いに行けないし、葬儀にも出席できない。悲しいというよりも悔しいという思いで涙が出てきます。


祖母は98歳でした。

1か月前に入院するまで、週3回デイサービスに通っていました。昔から足腰は強く、シルバーカーを押しながらゆっくりと転ばないように気を付けながら自分の足で歩いていました。最後の最後まで寝たきりにならず、そしてしっかり会話をもでき、私と同じくらいの食事の量をしっかりととり、本当に元気な祖母でした。

さっきから過去に遡って祖母の写真を眺めているのですが、とても印象的な写真がありました。2014年の写真で、祖母は当時94歳。算数や漢字の問題を解いていました。デイサービスのアクティビティらしいのですが、祖母はそれにはまり、私が夏に帰省した時も冬に帰省したときも熱中していました。祖母のすごいところは、ボケないように、歩けなくならないように、自ら自分に課題を課すところ。こういう演習問題もそうですが、毎日1回必ずシルバーカーを押しながら駐車場を何周するとか、はあはあ言いながらも実行していました。尊敬に値する意志の強さでした。
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祖母が93歳の時、昔の話を詳細に聞き、簡単な自叙伝をブログにアップしました。ほぼ全て祖母の言葉をそのまま使って書いたのですが、今読み返すと93歳がここまで語れるってすごいなあと改めて感動です。
祖母の自叙伝1:誕生~蚕業学校
祖母の自叙伝2:教員時代~青年学校時代
祖母の自叙伝3:満州~父誕生


祖母は、料理が上手な人でした。
祖母のきゅうちゃん漬けは、一人暮らしの時にいつも持って帰っており、レシピを母が書いてくれていたので、それを見ながら2、3回作ったのですが、祖母のような味にはならず、まだまだ今後も修行が必要です。

祖母は、慎重な人でした。
私が東京へ戻る時、必ず「忘れ物はない?」と聞いてくれました。車に乗るときは、ほんの1kmの距離の運転でも、必ず「大丈夫?気を付けてね」と、やめた方がいいよくらいの勢いで言ってくれました。慎重すぎて若い頃は鬱陶しく思ってしまうこともあったのですが、最近はそれが愛情だと思えるようになっていました。


家族に長生きという希望を残してくれた祖母。
小さい頃からこれまで本当にありがとう。
祖母の魂はセネガルまで会いに来てくれるかな。



by iihanashi-africa | 2018-06-17 10:20 | 日本 | Trackback | Comments(2)
誕生日に贈られた母からの手紙
前回の記事に続き、ナイジェリアの記事をアップしようと思ったのだが、今日ちょうど弟に頼んでいたものがメールで送られてきたので、まずはこの記事をアップしようと思う。

5月13日は双子の弟と妹の誕生日だった。二人の誕生日になるといつも思い出す記事がある。2008年の二人の誕生日に母から送られた手紙。この手紙を、当時弟が自分のブログでアップした。弟のブログは既に閉鎖されてしまったため今は読むことができないが、どうしてもこの記事は私のブログでも掲載しておきたいと思い、弟に探してもらった。

弟のブログに掲載されたものをそのままアップすることにしよう。

***********************

2008・05・16(金)

母からの手紙

5 月 13 日はぼくたちの誕生日でした。 ぼくたちと書いたのは、ぼくは双子だから。
男と女の双子。十数分早く生まれたので、一応、ぼくが兄とい うことになっています。
そんなぼくたちに、母親が誕生日に送ってくれたメールに、親 のすごさを感じました。

メールはそのまま載せます。
光秀がぼく、さつきは妹、久美子は姉です。

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今日は2人のお誕生日です。
無事28歳まで成長しました。おめでとう!
22歳以降はすべて自分の力で成長している2人に感服です。
充実した毎日ですか。
自分の選んだ道を歩んでいることが一番うれしいし、安心しています。

1980 年5月13日15分差で生まれてきました。 光秀が勢い良く生まれた後の15分は長く、
帝王切開も覚悟し ましたが、
助産師さんたちがガンバレガンバレとしぼり出してくれました。
仮死状態で泣かないさつき、泣くまでの3分くらいの医者のあ
わてる様子が今も鮮明に思い出されます。「ふぎゃーーー」と小さく泣いたとき
は大泣きしました。
そのとき部屋にいた実習生も一緒に泣きじゃくってくれま した。

2か月で職場復帰、その後はお母さん1人で奮闘しました。職員宿舎にいたので
お昼は帰って掃除洗濯、夕方迎えに行き、光秀は動くのでおぶり、さつきは抱いて、
久美子は大型のショッピングカーに入れて買い物、お風呂は全部鍵かけて1人ずつ、
脱がして洗って着せてを3回。食事もみんなつばめのように口あけて待ってるので
ほ乳瓶は座布団で固定して。

少し大きくなるといたずらも半端じゃなくて。今考えるとみんなよく考えたなあと
いういたずらばかり。お姉ちゃんの指示なのか「調味料を部屋中にふりかけ」
「お風呂の栓をぱっくんぱっくん水がなくなっちゃった」「口 紅を体中に塗ってお化粧」
いろいろと楽しい毎日でした。

一度しかない人生、今を大切に。体だけは自分で守って充実した毎日を。



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さっちゃんから「初めて聞いた」と好評をいただいたので、
第2弾をつれづれなるままに書いてみます。

保育園がまだ9時から4時の保育時間で、3歳未満児はまだ預からない時代でした。
個人の家を職場の方に教えてもらい、韮崎のおばあさんにお姉ちゃんを預かっても
らっていました。2か月の小さな小さな赤ちゃんを預けるのは不安で不安で泣きながら
職場に向かいました。

「やめようか」と何度考えたことか。
そのたびに職場の先輩から「この時期誰もが経験すること、絶対にやめちゃだめだよ」
と励まされてきました。先輩の、特に、看護婦さんたちにはいろいろ
教えてもらい本当に感謝感謝です。

双子が生まれるとわかったのは4か月の時でした。
強烈な腹痛とともにかなり出血したので「もうだめか」と泣きながら医者に言ったら
当時はまだ先進的だった超音波でおなかを診てくれ
「おお!ふたついる、大丈夫心臓が動いてるよ」
と映像を見せてくれました。
ぴくぴく動く二つの物体に目が点になって見入ってしまいま した。
お陰で早くから注意をすることが出来ました。

預かってくれているおばあさんに相談したら、3人は無理ということになって
それから保育時間の延長を市(当時は町)にお願いしに通いました。

職場の人にお願いし署名も集めました。
県の担当にもお願いし保育大会にも参加してお願いしました。
1年かかって8:30~17:00になりました。
久美子を保育所に預けて2人はおばあさんにお願いしました。
そしてまた1年かかって1歳児の保育が実現し、11かげつのふたりは
特例で OK され、3人が保育園へ。5時に間に合うように迎えに行き
病院につれてきて残業しました。
だから病院の人は3人をよく 知っています。

車の中で寝ていたり、2人が2歳過ぎたころは
庭で3人で遊んでいて、皆さんにかわいがってもらいました。



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「上手いから載せた」の言葉に気をよくして第3弾


子育てで目指したのは『自立』
明日私がいなくなっても何とか迷惑をかけずに『生きていく力』
幼稚園で掃除、小学生で食事洗濯、中学生ですべてをマスターすること。

朝忙しいから3人に分担してもらいました。
お姉ちゃんは掃除機、光秀は玄関周りと外掃き、さつきは食事の運搬係と決めたのですが、
掃除機のお姉ちゃんがなんと、1週間ごとのローテーションを組んで、
いつの間にか当番が変わっていました。さすが年長組さん。
毎朝外をはいているので、近所の方から『偉いね』とほめられて気分よく続いたみたいです。
掃除機は光秀が上手でした。やっぱり男の子は器械が好きなのかなと思いました。

小学校では炊飯器をすぐに覚えてくれて、
私が外から「3合炊いておいてね」と電話をしても「オッケイ」なのでとても助かりました。
高校では「自分のお弁当は自分で」と願ったのですが・・守れたのはお姉ちゃんでした。
お姉ちゃんは料理が好きで、高校ではみんなのお弁当を手伝ってくれました。
あまりに盛りつけがきれいなので朝お弁当の写真を撮ったこともありました。

3人がそれぞれにスポーツ少年団に入ったので
洗濯機を回しておいてくれるのは助かりました。
スポ少の役員を引き受けて、父も母も本当に楽しい時間を過ごせました。
子どもがばらばらになった今、おばさんグループは「大親友」となり
食事や旅行先からそれどれの子どもに電話して「ママだよ」と
ふざけています。

職場の先輩ママさんが「手伝ってくれるのは小学校までだよ」と言っていたので、
小学校卒業までに一人前にしたいと焦ったのですが
確かに中学、高校では、朝練、課外、遠征など、
こちらがみんなの時間に合わせざるを得ないほど3人とも忙しく、
今になると先輩の助言に本当に感謝しています。

手抜き母の子育ては「自分でやらなければやってくれない」と
子どもが悟った結果かもしれないね。
「自立」と「力」は付いた、ので
早く子育てを体験して欲しいな・・・と願う母より。


*************************


やっぱり母は強い。

兄弟の中で、私は一番母に似ていると自分でも思うのだが、これほどの行動力とエネルギーは受け継いだだろうか。




by iihanashi-africa | 2018-05-18 06:23 | 日本 | Trackback | Comments(2)
ユージン・スミスの写真展
一時帰国中に、ユージン・スミス写真展に行ってきた。
生誕100年らしく、東京都写真美術館で1月28日まで開催されている。
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ユージン・スミスは、1936年にアメリカで刊行されたグラフ雑誌『ライフ』で数多くのフォロエッセイを発表した。単純な写真による解説の域を超え、対象やテーマへの深い理解と解釈を持ちながら、それを表現するための一つの方法として編み出されたフォトエッセイ。複数の写真を組み合わせてストーリーを持たせ、視覚的なもの以上に内面的な真実へ迫ろうとする。スージン・スミスの写真は、いつも何かを物語っている。

ユージン・スミスは、『ライフ』の仕事でガボンのランバレネにも滞在し、シュバイツァー博士をカメラに収めている。アフリカの聖人と言われた偉大な方だが、医療活動の現場は非常に厳しいもので、博士の偉大さをおさめるのではなく、現場の厳しさを伝える写真を撮り続けたそうだ。

写真展は、ユージン・スミスの人生に沿って、『ライフ』の時代から「水俣」の写真を撮るまで、時系列で飾られており興味深い。


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by iihanashi-africa | 2018-01-15 15:53 | 日本 | Trackback | Comments(0)
国際免許証の署名がローマ字筆記体の理由
つい先日、国際免許証を更新した。アフリカも国際免許証が使える国が多く、わざわざ現地の免許を取得せずとも運転が可能である。
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久しぶりに国際免許証を取得しに行き、かねがね疑問に思っていたことをまた思い出した。

それは、「国際免許証の署名がローマ字の筆記体でなければならないのはなぜか?」ということ。

海外で生活していると、自分の署名(サイン)を求められるケースが多い。署名は大抵パスポートの署名と照合されるため、パスポートと同じ署名を使う。私の場合、漢字を少し崩したようなもの。契約書から銀行からその他諸々の署名はパスポートと同じ署名を使っている。基本、パスポートのサインが私の唯一のサインであり、それ以外のサインなどありえない。

国際免許証は、取得する際に「自分のサインを書いてください」と言われるのだが、必ずローマ字の筆記体で書くように言われるのだ。私は、今まで自分の署名をローマ字の筆記体で書いたことなどなく、所謂私のサインではないサインを署名欄に書くことにいつも抵抗を覚える。書きなれていない筆記体で自分のフルネームを書き、う~~~~ん、これは私のサインではないと毎回のように感じる。

同じ疑問を持っている方は世間に沢山いるらしく、検索すると多くのサイトがヒットするのだが、その中に内閣府のサイトがある。

「規制改革ホットライン検討要請項目の現状と措置概要」
http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/hotline/siryou2/keisatu.pdf

2014年に「国外運転免許証の署名に漢字をつかえるようにすべき」という提案事項が出ている。

「国外運転免許証の署名を筆記体のアルファベットで記入するように求める規制は、漢字での署名も可としているパスポートの署名と一貫性がなく、早急に見直すべきである。 署名はパスポートやクレジットカードと同一のものを使用するのが面前での本人確認に使用する観点から も適切と考えます」という内容だった。

それに対する警察庁の回答は、「条約附属書10において、国際運転免許証の記入事項はラテン文字又はいわゆる英国風の筆記体文字で記載することとされていることを踏まえ、道路交通法施行規則別記様式第22の7においても、我が国において発給される国際運転免許証(道路交通法上の国外運転免許証)についてロー マ字つづり又は英語で記載することとしているものです。そのため、国外運転免許証に日本語で署名を記載した場合、国際運転免許証としての要件を満 たさなくなり、条約締約国で自動車等の運転ができなくなることから、対応は困難です」というものだった。

なんとも奇妙な条項だが、まあ今のところトラブルが起きたことはないし、条約で決まっているというなら、そういうことにしておこう。でも、よくよく読むと筆記体文字の記載が義務づけられているだけで、直筆サインじゃなきゃいけないって言ってないし、これってもともと筆記体でどこかに機械的に記載してくれればいい話じゃないのかしら??そしてサインは自分の好きなようにサインすればいいのでは?とも思ってしまう。

海外でも国際免許を取得するときはローマ字の筆記体なのだろうか。。。それこそ海外の方が印鑑ではなくサインの文化のため、疑問に思う人がさらに多そうだが。それに、日本では筆記体を学校で習うけれど、欧米で筆記体を書ける人ってそんなに多くない気がする。筆記体の直筆署名というのを義務付けているのは実は日本だけ、なんてことはないだろうか。。。

あと、いつか見直すことがあったら、この大きさもどうにかしてほしいなあ。パスポートよりも大きいし、財布に入らないし、持ち歩くのが大変。お財布に入る大きさじゃないと、たまに忘れてしまう。

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ちなみに、国際免許証の最後のページはフランス語で記述されている。これも条約の中で免許証の体裁が定められており、最終ページはフランス語で書くと決められているかららしい。


by iihanashi-africa | 2018-01-12 15:39 | 日本 | Trackback | Comments(0)
2018年あけましておめでとうございます
年が明けて早12日。新年早々風邪をひき、声をからしながら1週間を過ごし、今の今まで咳が止まらず、日本の乾燥は馬鹿にできないなあと実感。

昨年は、大きな変化のあった年でした。いろんなことがトントン拍子で進み、年末の結婚式まであっという間で、もう遠い昔の話のよう。今年は新たなスタートの年となります。「思いやり」の心を持ちながら、一歩一歩進んでいきたいと思います。

私生活で大きな変化があり、仕事の影が薄くなりましたが、仕事も充実していました。最初の半年は様子見でしたが、徐々に活動の幅が広がり、自分の進むべき方向が定まってきたような気がします。

肝心の?ブログはというと、ここ数年の中で最もアップした記事が多く、毎年立てている毎月最低5本の記事をアップする!という目標を数年越しに達成しました。またぼちぼちと、私の独断と偏見で関心を持った記事をアップしていきたいと思います。

皆さま、今年もどうぞiihanashi-africaを宜しくお願いいたします。

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by iihanashi-africa | 2018-01-12 14:03 | 日本 | Trackback | Comments(2)