カテゴリ:カーボベルデ( 4 )
カーボベルデ旅行4日目:ミンデロからプライアへ
4日目:ミンデロからプライアへ(ほぼ最終日)


カーボベルデ旅行1日目:シダーデ・ヴェーリャ
カーボベルデ旅行2日目:ミンデロとセザリア・エヴォラ
カーボベルデ旅行3日目:サント・アンタン島のトレッキング


この日はお昼頃のフライトでミンデロへ移動だったので、午前中はミンデロの街がよく見える高いところに行こうと思って宿泊先のマダムに相談したら、車で連れて行ってあげるよと提案してくれた。
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ミンデロはこういう給水タンクが屋上にある家が結構ある。やはり水の確保が厳しい島の特徴。
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港の近くの高台に1852年に建設された要塞がある。1930年には刑務所になり、その後廃墟となっている。イギリスの会社が土地を購入しホテル建設の話があるようだが、まだ始まっていないそうだ。ここからの見る街並みも素晴らしい。
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ミンデロからプライアへ。
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ミンデロの港にも座礁した船が二隻放置されていたが、この辺りは座礁船が多い。
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プライアのあるサンティアゴ島も相当乾燥している。ただ、7月か8月から雨期が始まると一面が緑になるらしい。そういう景色も見てみたいかもなあ。
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プライアのホテルに到着したのが15時半過ぎ。そこからプライアの街を観光し始めた。プライアは半日あれば十分に観光できると書いてあったが、確かにそうかも。大統領府も、裁判所も財務省も、なにからなにまでとってもこじんまりしており、人口50万人の国はこういう感じなのか。
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プライアにいくつかある博物館のうち、考古学博物館に行ってみた。考古学という名前だが展示物は15世紀から18世紀の間のヨーロッパからの船やアフリカ、アジアからの沈没船から発見されたもの。スペイン王国の硬貨や貴重な羅針盤やラム酒などが展示されており、ここに展示されているものは、この博物館に隣接される研究所と協力して発見されたものらしい。しかし、発見されたものがオランダのオークションで高値で買い取られる映像もあり、お宝発見を試みる民間のダイバーもいるようだ。
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スーパーに立ち寄ったらトウモロコシや豆のコーナー発見。カーボベルデの伝統料理カチューパCachupaの具材。ブラジルにも似たような料理があるらしく、まさにミックス文化の賜物。肉や野菜も加えたごった煮だ。これが結構時間がかかる料理らしい。朝食で食べることが多い。ホテルの朝食でも出てきた。
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最初にカーボベルデを発見したと言われるポルトガル人のディオゴ・ゴメス。銅像には何の説明書きもないため、ガイドブックをみないと誰なのか分からない。大統領府の裏手にあり分かりにくく、知らないとここまでたどりつかないかも。
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カーボベルデ旅行最後を締めくくるビール。ポルトガルのビールらしい。
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5日目はセネガルに戻るために朝から空港へ向かったので、旅行記はこれで終わり。

今回の唯一の心残りはカーボベルデ音楽をライブで聞けなかったこと。ミンデロでもプライアでもライブを聞きながら夕食をとれるレストランがあったのに、この時期はハイシーズンではないのか、ミンデロは金曜と土曜しかやっておらず、ほぼ毎日ライブがあるはずのプライアのレストランQuintal da Musicaも、残念ながら1か月のバカンス。それだけは心残りだが、ダカールの自宅で哀愁のあるカーボベルデ音楽をYouTubeで聴きながらワインでも飲むことにしよう。


カーボベルデのお土産たち。
実は今回行けなかった火山の島フォゴ島はブドウ栽培が盛んで、ワインを作っている。ものは試しでハーフボトルを購入。そしてムッシュの同僚にはラムの小瓶。赤い缶はカーボベルデのツナ缶。そしてピンクペッパーとピンクペッパー風味のオリーブオイル。
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いい旅だった。


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by iihanashi-africa | 2018-07-09 03:45 | カーボベルデ | Trackback | Comments(2)
カーボベルデ旅行3日目:サント・アンタン島のトレッキング
3日目:ミンデロからサント・アンタン島へ日帰り旅行


カーボベルデ旅行1日目:シダーデ・ヴェーリャ
カーボベルデ旅行2日目:ミンデロとセザリア・エヴォラ


カーボベルデ旅行で最も楽しみにしていたのがサント・アンタン島のトレッキング。旅行したことのある方から、サント・アンタン島はミンデロから日帰りで行けると聞いていたので、ホテルを変えるのも面倒だし日帰りで行くことにしたのだが、やはりホテルを変えてでもサント・アンタン島に泊まった方がよかったかも。フェリーの時間を気にしながら観光するのはせわしないし、もう少し滞在時間が長ければ、あと一ヶ所くらいはトレッキングできたかもしれない。ヨーロッパからは6日間のトレッキングに来る方もいるようで、それだけの見どころはあるようだ。

サント・アンタン島は、カーボベルデの島の中でサンティアゴ島に次いで大きい島。といっても南北24km、東西43kmほどだが、この小さい島に標高1500~2000mの山が7つもあり、どれも険しい。興味深いことに、島の北部は湿気があり緑も多く、水も豊富なのだが、南部はサン・ヴィンセンテ島と同じように乾燥しており全く緑がない。ちょうど東西に標高の高い山脈があり、それを境に北と南で自然環境が違うのかもしれない。

サント・アンタン島は、13世紀にはポルトガル人に発見されていたものの、人が住み始めたのは16世紀に入ってから。お隣のサン・ヴィンセンテ島と異なり水は豊富にあるのだが、平坦な土地が全くなく渓谷から次の渓谷に移動するのが大変だっただろう。19世紀になってから道路建設が始まったそうだが、よくもまあ斜面を削って石畳の道路を作ったものだ。島の南のポルト・ノボに港建設が始まったのは1960年になってからだそうだ。北部の街ポンタ・ド・ソルには小さな空港も建設されたのだが、2012年に安全性の問題で飛行機が飛ばなくなり、島にたどり着く唯一の手段はフェリーとなった。だたし、新空港建設も計画中らしい。

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ミンデロの港までホテルから歩いて数分だった。30分前に到着してチケットを購入。フェリーは朝に2本(8時と9時)、夕方に2本(4時と5時)しかない。私たちは9時のフェリーで向かい、5時のフェリーで戻ってくることにした。

真剣に港の方を見る女の子がかわいらしかった。
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ミンデロからサント・アンタン島のポルト・ノボまでは、フェリーで1時間。事前に友人から酔い止めを飲んだ方がいいと聞いており、持参した薬を飲んでおいたので問題なかったが、やはりこの辺りは風が強く、船が揺れる。こうしてビニール袋も配られ、具合が悪くなる方も結構いるみたいだ。


1時間後にポルト・ノボに到着。ポルト・ノボ側の山は緩やかな斜面ではあるが、それでも海からすぐに山になるのが良く分かる。
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サント・アンタン島では、時間も限られるので、ミンデロのホテルで紹介してもらったドライバーと英語のガイドをお願いした。しっかり連絡がされており、皆との出口で待っていてくれた。そこから早速こういう石畳の道をひたすら車で上り続ける。
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ここまで上るとポルト・ノボの街とお隣サン・ヴィンセンテ島がよく見える。こうしてみると、サン・ヴィンセンテ島も山がちだなあ。
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突然山の上に緑が見えてくる。これは植林かな?
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急斜面の段々畑で畑仕事をしている方がいた。
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山の上から眺めたポールという町。写真だと感動が伝わらないが、この景色が突然現れた時は感動なのだが、同時に足がすくみそうになる。
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これからこの山の反対側に回ってあそこを歩いて下りるよと指さしたのが、斜面に見えるジグザグの山道。まさか、、、これは転がり落ちるのか??!!
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コバCovaというクレーターに到着し、トレッキングはここから出発する。
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水を汲みに来ていた給水車。水が豊富な証拠。
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このトレッキングコースは、上りはほんの少しで、あとはひたすら下る。だから初心者でも全く問題ない。ただ、下りだから楽というわけではなく、これが半端なく急なので、途中から膝が笑ってくる。それも乾燥していて砂地は滑るため、石の上を慎重に歩かなければならない。翌日には膝から太ももにかけてが筋肉痛になり、やはり相当踏ん張って歩いていたみたいだ。
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これでどれだけ急斜面なのかが分かるかな。
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写真を撮っていいか聞いたらポーズを取ってくれた農家さん。絵になる。
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段々畑はサトウキビばかり。
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日陰でドライパパイヤとコーヒーを売る女性。ここで購入したドライパパイヤは、その後の空腹を助けてくれることになる。
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サント・アンタン島は、Grogueと呼ばれるローカルラム酒の製造で有名である。トレッキングで下りきったポールという町に、ラム酒製造所があると聞き立ち寄らせてもらった。こうしてサトウキビを絞る。
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これは一昔前の手作業の絞り機。
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それを数日間寝かす。
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そしてこうして熱し、蒸気を冷やして蒸留ラムが出来上がる。
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15分くらいでこの容器が一杯になるそうだ。
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もちろん味見して、小さなラムを購入。ムッシュは日本に持ち帰って一人で家でちびちびと飲んでいるようだ。この日、ガイドをしてくれたカーボベルデ人の男性は、実は数年前までアルコール依存だったそうだ。折角英語の習ったのに、その後数年間は飲み屋で昼間からアルコールを浴びる生活をし、仕事もしていなかった。しかし数年前に人生の伴侶となる女性に出会って一念発起し、家族のために英語を活かして仕事をすることにしたそう。カーボベルデはGrogueというこの40度以上あるラム酒の製造所が点在しており、安く手に入るようで、こうしてアルコールにはまってしまう人が結構いるようだ。昨日のセザリア・エヴォラもそうだった。こういう環境はリスクが高いなあ。。。
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トレッキングの終点のポールという町が岩山とカラフルな家々のコントラストの素敵な場所だった。
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北部のポンタ・ド・ソルに到着。
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ここで、カーボベルデで有名な伊勢海老を食す。これまで二度食べた赤ハタには負けるが、これも味付けが美味しい。


リベイラグランデ近くの渓谷。
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水が豊富なサント・アンタン島。湧き水の出る箇所がいくつかあり、汲みに来る人もいるらしい。
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島は海からいきなりこのような岩がとびだしている。港町ポルト・ノボから島の反対側のポンタ・ド・ソルまで行くには、これまで朝通った石畳の山道しかなかった。標高0メートルから1200mくらいまで一気に登るため大きく蛇行しており、もちろんスピードは出せない。そのため90年代から海側を周回するアスファルト道を建設するプロジェクトが始まった。建設に10年近くかかったらしい。ニューロードと呼ばれるこの道路には二つのトンネルがあるが、それを見ると時間がかかったのが良く分かる。
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フェリー出発の15分前にギリギリ到着し、ミンデロに帰ってきた。
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夜はビールとこれ。Moreiaという魚のフライ。隣のテーブルの方が食べていておいしそうだったので、何かわからず注文した。柔らかくて竜田揚げみたいでとても美味しかったのだが、ブログを書くにあたり、Moreiaを調べたらウツボだったことが判明。ウツボって私食べたことあったかな。

さて、明日はお昼頃に首都プライアへ移動する。


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by iihanashi-africa | 2018-07-08 06:20 | カーボベルデ | Trackback | Comments(4)
カーボベルデ旅行2日目:ミンデロとセザリア・エヴォラ
2日目:プライアからミンデロへ


午前中にBinterというカーボベルデの国内線で、プライアからサン・ヴィンセンテ島のミンデロMindeloへ移動する。
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ちょっとだけ残念な日本語シリーズ。お・し・い!



1時間もかからずにサン・ヴィンセンテ島のセザリア・エヴォラ国際空港に到着。
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そして空港の前で、セザリア・エヴォラの銅像がお出迎え。セザリア・エヴォラはカーボベルデの国民的歌手で、グラミー賞も受賞している。サン・ヴィンセンテ島に行ったらセザリア・エヴォラ博物館だけは行きたい!と決めていたが、この日は偶然にも他の博物館でもセザリア・エヴォラ展示会が行われており、図らずもセザリア・エヴォラな一日になる。
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サン・ヴィンセンテ島は、東西25km、南北17kmの小さな島。耕作できる土地は全体の2%しかないというカーボベルデの中でも特に乾燥している島である。山がちではあるものの、これだけ乾燥していると水の確保に苦労するもので、海水淡水化プラントが建設されるまでは、隣のサント・アンタン島からタンカーで水を運んでいたらしい。
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水の確保はサン・ヴィンセンテ島だけの問題でもなく、首都プライアのあるサンティアゴ島も同じ。カーボベルデ産のミネラル?ウォーターBonAquaも淡水化された水らしい。これが意外と普通に飲めて美味しい。


ミンデロの魚市場。ダカールで見る魚よりもずっと新鮮に見える。
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ミンデロの街から見える岩山。男性が上を向いているように見える岩らしい。そう言われると、額の傾き加減といい、まつ毛といい、目のくぼみといい、鼻のまるみといい、喉仏といい、男性の顔にしか見えなくなる。
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ミンデロでは、B&Bタイプのホテルに宿泊した。多くのホテルは街中で景色があまりよくなさそうだったのだが、ここはBooking.comでもロケーションと景色の評価がとても高かった。ミンデロはビーチと街並みが素敵と聞いていたので、綺麗なビーチが見えるホテルにしてみた。
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午後にミンデロの街を散歩する前に、ビーチの近くにあるレストランCaravela Mindeloで、また赤ハタを食す。カーボベルデでは魚を食べるに限る。ほんと美味しい。


カーボベルデの数ある島の中でも、サンティアゴ島はアフリカ色が強く、サン・ヴィンセンテ島はヨーロッパ色が強いと言われている。サンティアゴ島は16世紀の奴隷貿易の中心地として長く栄え、その間に多くの奴隷が逃げ出し、彼らが作った村もある。その後、奴隷を中心にサンティアゴ島の人種が形成されていったため、アフリカ色が強いらしい。一方、サン・ヴィンセンテ島は、水の確保の問題もあり19世紀半ばまでほとんど人が住んでいなかった。その後、サント・アンタン島から水を運ぶことで住める土地になり、また大きな船舶が寄港するのに十分な水深があることから、一躍大西洋航路の補給港として栄えることになった。これがヨーロッパ色の強い混血文化の街となった所以だ。

この混血文化が、サン・ヴィンセンテ島に音楽、ダンス、絵画、文学などの多くアーティストを生み出すことになる。毎年2月にはカーニバルも開催され、リオのカーニバルに劣らない華やかさらしく、写真を見るととても行ってみたくなる。

ミンデロの街は、夫に言わせると地中海を思わせるらしい。こぢんまりとした港に小さなヨットが沢山停泊していて、海沿いの通りにはカラフルな家が立ち並び、その奥には岩山がそびえる。The 地中海のイメージにピッタリはまったみたい。それに加えて、ちょっとだけレトロな感じがあり、何とも言えない魅力が心を躍らせる。
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下の写真のパステルピンクの建物は、かつてのポルトガル総督の宮殿。19世紀半ばに建設され、独立後は裁判所として使われた時期もあったが、2015年にミンデロ市に移管さされ、現在は文化イベント会場として使われている。私たちが訪問したこの日は、西アフリカ芸術展とセザリア・エヴォラ展が開催されており、両方見学したらお腹一杯になってしまった。西アフリカ芸術コレクションも素晴らしかったが、やはりセザリア・エヴォラという人を深く知ることができたことがミンデロ散歩の大きな収穫。
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セザリア・エヴォラという人


セザリア・エヴォラCesaria Evoraは、1941年にミンデロで生まれる。父はギタリスト、母は白人宅の料理人をしていたが、兄弟も多く裕福な家ではなかった。子どもの頃に教会の孤児院で過ごした時期に、エヴォラはコーラスを習い、日曜日になるとサックス奏者の兄と街の広場で歌を歌っていたそうだ。

16歳の時、船乗りでギタリストのEduardoに出会い、彼からモルナMornaなどのカーボベルデ音楽の伝統スタイルを学び、ホテルやバーで歌い始め、その頃から「モルナの女王」と呼ばれるようになっていった。20歳ころには、カーボベルデ全土で有名になっていたが、海外での認知度はまだ低かった。

1975年、カーボベルデはポルトガルから独立する。この頃すでに彼女の名声は高かったが、依然として財政的には厳しく、独立後のカーボベルデの政治的・経済的困難も相まって、歌っても家族を養えなくなり、その後10年間歌うことをやめてしまう。この間、アルコール依存になってしまい、依存症と戦うことになる。

そしてカーボベルデの独立10周年記念の折に、説得されてポルトガルでアルバムを収録し、それから少しずつ歌を再開し、アルコールからも脱却していく。

その更に7年後、リスボンで彼女の歌を聞いたフランス人Jose da Silva(母親がミンデロ出身)が、彼女を説得してパリでアルバムを収録した。そのファーストアルバムが『La Diva aux pieds nus(裸足の女神)』である。昔から裸足で歌うのが彼女のスタイルで、そこからタイトルが付けられている。その後も何枚かアルバムをリリースしているが、1992年のアルバムに含まれる『Sodade』という曲が世界的にヒットする。1999年には『Vos D’Amor』でグラミー賞のワールドミュージック最優秀アルバム賞を受賞した。

『Sodade』の動画






2011年、健康上の都合で引退を発表したが、その数か月後の2011年12月17日にミンデロのホテルで生涯を閉じた。カーボベルデ政府は、3日間の追悼を発表し、国葬が行われている。そして2012年には、ミンデロの空港が、セザリア・エヴォラ国際空港と命名された。セザリア・エヴォラの自宅も政府が買い取り、セザリア・エヴォラ博物館となっている。小さいけれど、説明書きが詳細で、彼女の音楽も聴けるし、昔の映像も見られる。私たちが行ったときはのんきに玄関を掃除中で、しばらくのどかにその掃除を眺めることになる。
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セザリア・エヴォラは、動画や写真を見ると、垂れ目で声も柔らかく、動作もゆったりしているので、とても穏やかそうに見える。でも彼女の人生を深く知ると、一時はアルコール依存になり、ヘビースモーカーで、さらに金のアクセサリーが好きなど、意外と豪快で荒れた人生だったのかもしれない。偏見かもしれないけれど、魅力的なミュージシャンには結構こういうやさぐれ感を持った人が多く、こういう方が年を重ねると達観した落ち着きがあり、さらに魅力的になる気がする。

下の写真は、ポルトガル総督の宮殿で行われていたセザリア・エヴォラ展の写真。これはセザリア・エヴォラの親しい友人だった方のコレクションらしいのだが、プライベート写真が多く、博物館とは異なる面白さがある。
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この日は終わってみれば、セザリア・エヴォラがメインの一日だったかも。芸術の島サン・ヴィンチェンテ島ならではの楽しみ方で、充実感たっぷり。

そして最後はビールを一杯。
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明日は、楽しみにしていたサント・アンタン島のトレッキングへ。



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by iihanashi-africa | 2018-07-04 08:02 | カーボベルデ | Trackback | Comments(2)
カーボベルデ旅行1日目:シダーデ・ヴェーリャ
世間はワールドカップ一色で、しかもセネガルと日本が同じグループでヒートアップしているというのに、セネガルにいる私は、この日、海外旅行に出かけた。もちろん結果は気になるので、旅行中も携帯で経過を確認していたが、サッカーはライブで見ていると心臓に悪いし、携帯で確認するくらいが私にとってはちょうどいい。で、あとから得点シーンだけ見て楽しむ。ということで、サムライブルーをおいて、旅行を楽しんできた。

セネガルに滞在している間に一度行きたかった国、カーボベルデ。日本からわざわざこの国を目指して旅行するには遠すぎるが、セネガルからだったら飛行機で1時間だし、行ったことがある方は誰もが口を揃えてよかったと語るので、どうしても行ってみたかった。日本から相棒もやってきた先週、4泊5日で旅行してきた。

カーボベルデを旅行するにあたり、ガイドブックを探したが日本語のものは存在しない。英語と仏語のガイドブックも購入したが、文字ばかりで読むのが疲れてしまう。あとからこれらのガイドブックもかなり役に立ったのだが、最初にカーボベルデのイメージをざっくりとつかむのに、様々な日本人旅行者のブログがとても参考になった。なので、私もこれから旅行する方々の参考になるように少し旅行記っぽく書いてみようと思う。

アフリカ大陸の最西端はセネガルなのだが、その更に西にカーボベルデという島国がある。アフリカ諸国の中でもっとも西に位置する国である。
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カーボベルデの国旗に黄色い星が10個描かれているが、カーボベルデが10の島からなる列島であることを意味する。興味深いことに、それぞれ自然環境が異なり、住む人々や島の文化も変化に富んでおり、島を移動するたびに新しい発見をする。
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今回は、3つの島を訪れることした。首都プライアのあるサンティアゴ島芸術の島サン・ヴィンセンテ島緑豊かで岩山のような島サント・アンタン島。この他にも火山とワインの島フォゴ島や、美しいビーチに囲まれた島サル島など時間があれば行ってみたいところは多かったのだが、今回はサント・アンタン島のトレッキングとフォゴ島火山の登山とを天秤にかけて、トレッキングを選んだ。最初に書いておくと、私にとってのカーボベルデの最大の魅力は、海からにょきっと出た岩山と、深い谷間と、急斜面に作られた砂糖キビやトウモロコシの段々畑と、その自然の色の中に映えるカラフルな家々のコントラストかなあ。それを楽しむにはやっぱりトレッキングがいいと思った。時間があったらもう少しサント・アンタン島にいたかったかも。
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1日目:ダカールからプライアへ

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セネガルの首都ダカールとカーボベルデの首都プライアは、週に3便直行便が飛んでいる。TransAirというセネガルの航空会社。チェックインする際に窓側の席をお願いしたら、「このフライトはFree sittingです」という。アフリカでも15年くらい前は自由席のフライトはまだ結構存在したが、最近はなかなか見かけない。それも国際線で自由席などこの時代なかなかない。と、こんな会話を夫としながら搭乗券を受け取ったらシートナンバーが書いてあるではないか。自由席と言いながら良く分からない。私たちは結局シートナンバー通りに座ったが、そうでない人もいたようでやっぱり自由席というのは正しかったみたい。


ダカールからプライアまでは1時間ほどのフライト。
着陸直前に首都プライアの街がちょうど綺麗に見えた。
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プライアの中心街プラトー地区は高台にあると書いてあったが、それがとてもよく分かる写真が撮れた。
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空港に着いた瞬間から、普段サブサハラアフリカ諸国で感じるなんというか騒々しいガヤガヤした雰囲気がなく、建物や機材がキレイでタクシーもキレイで、なんか「アフリカ」ではないと感じる。

実はこの旅行の2日前、友人とカーボベルデのビザの話題になり、もしかしたらカーボベルデ出発前に大使館でビザを取得しなければならないのではないかという不安にかられた。帰宅後もう一度ネットで調べ、やはりon arrivalでも取得できることは確認しながらも、ちょっとだけ不安は残っていたが、到着後、空港で一人25ユーロを支払い、全く問題なくon arrivalでサクサクっと取得できた。ほっ。

あと空港のパスポートコントロール後に、黄熱病のイエローカードも確認された。最近セネガルでも空港でイエローカードを確認するようになり、夫に黄熱病の予防接種を受けてきてもらったのだが、セネガル入国時には結局チェックされず、やっぱりいらないんじゃないみたいな話をしていたところに、まさかのカーボベルデ入国時にチェックされるというサプライズ。ここで必要だったかー。受けてきてもらってよかった。おそらくヨーロッパから直接来る人は必要ないのだろうけれど。。

この日は日曜日。市内は開いている店などなく閑散としているということだったので、ホテルで少し休んで、昼からプライアから車で30分ほどのシダーデ・ヴェーリャCidade Velhaに行くことにした。
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到着後、まずは腹ごしらえ。
プライアのホテルのレセプションで教えてもらった魚が美味しいレストランTereru di Kulturaの店頭でまずは魚を選ぶのだか、どれが美味しいか分からないため、お勧めと言われた赤ハタ(Garoupa)とタコを注文した。
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そして料理されたハタが出てきて驚き。ものすごくふんわり柔らかく、みずみずしい。こんなに美味しい魚はセネガルで食べたことがない。ダカールも同じように魚がとれるはずなのに、この新鮮さの違いはどこからくるのだろう。
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料理が出てくる前に、女の子が売っていたトウモロコシの揚げパンのようなものも食べたのだが、これも噛むとトウモロコシの甘い味がしみだして結構おいしかった。なんという食べ物なのだろう。。。


さて、シダーデ・ヴェーリャを観光する前に、カーボベルデの歴史を少し知っておく必要がある。多くの歴史的書物には、カーボベルデは1444年にポルトガルの冒険家が発見したと記述されている。それまでは無人島だったらしい。しかし、アラブ人の冒険家がその前に来ているとも、アフリカ大陸のウォロフ族やレブ族が来ているともいわれ、本当のところは良く分かっていないようだ。

1462年、ポルトガル人がサンティアゴ島に到達し、リベイラ・グランデという都市を創設した。現在のシダーデ・ヴェーリャである。16世紀には黒檀、綿生地、砂糖キビの商業が発展しだし、加えて奴隷貿易の中継地として栄えることとなる。ヨーロッパとアフリカとブラジルの三角貿易がこの頃発展するのだが、この歴史を知ると、カーボベルデにラテンの雰囲気を感じる理由が分かる。アフリカでもないけれどヨーロッパでもないこの雰囲気は何だろうと不思議に思っていたのだが、様々な混血の人々やカラフルな建物やサルサに近い音楽など見聞きすると、様々な面でラテンを感じることに気付く。無人島だったところに3つの大陸の文化が混ざるとこうなるのかと、新たな発見だった。

さて、少し脱線したので話を戻すと、1770年に首都がプライアに移されるまで中心地だったリベイラ・グランデ(現シダーデ・ヴェーリャ)は言ってみればカーボベルデ最古の都市である。海賊に何度も攻撃された経緯もあり、城塞跡や大聖堂、奴隷マーケット跡は、当時ほとんど破壊されてしまったが、ユネスコの世界遺産に登録されたことで、城塞の再建や教会の修繕などが行われている。

Nossa Senhora do Rosario教会
シダーデ・ヴェーリャで最も古い現存建築物。1495年に建設されている。サブサハラアフリカでは珍しいゴシック様式なのだそうだ。
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ペルリノPelourinho広場のさらし台
16世紀の奴隷貿易が盛んだったころ、この広場は奴隷マーケットとなり、命令に背いた奴隷をさらし刑に処す場所でもあった。知らないと見過ごしてしまいそうな小さな大理石の塔なのだが、シダーデ・ヴェーリャを語る上でとても重要な建造物で、最初に修復されたのだそう。
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大聖堂跡
西アフリカ最初の大聖堂として1556年に建設が始まったが、教権支持派と王制側の関係悪化で建設が滞り、完成したのは1700年になってかららしい。しかし、完成したのもつかの間、度重なる海賊の攻撃ですぐに衰退してしまった。
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シダーデ・ヴェーリャの街から見上げると、崖のすぐ上にレアル・デ・サン・フィリペ要塞が見える。
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この要塞は、1585年のイギリス人海賊の攻撃を受けて、街を守るために建設が始まった。水を溜めるタンクや階級分けされた兵士の部屋の跡、奴隷の部屋などが今でも分かる。この要塞にはきれいな英語を話せるガイドがおり、この説明がとてもいい。説明がないとなんのこっちゃ分からないドームも、とても貴重なものに見えてくる。
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奴隷の部屋の跡。
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要塞のすぐ下はシダーデ・ヴェーリャの街。こうしてみると、海からの攻撃を発見しやすい環境にあったのがよく分かる。大砲も当時のもの。
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当時要塞は、海側にしか壁がなかった。海賊は皆、海から攻撃をしてくるのが常だったから。しかし、その裏をかいたのが、フランスの海賊ジャック・カサールだった。彼らは陸地に入り込み、要塞を裏から攻撃し、要塞はもちろんのこと街全体が崩壊した。この裏側の壁は修繕工事で新たに建設されたのだそう。
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シダーデ・ヴェーリャの当時の名前リベイラ・グランデは、ポルトガル語で大河という意味。これがその名前が付けられた所以。相当大きな河だったのだろう。
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崖をよく見るとこうして横に線が入っている。これは浸食防止のためアロエベラが植えられているそう。
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これが植えられたアロエベラ。
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反対側の高台に大きなヤシの木が一本立っていた。これ、携帯の電波塔らしい。景観を乱さないようユネスコの提案でヤシの木を模した形になった。他にも、中学校が高台に建設されたり、ホテルは街中から少し離れたところに建設されたりと、世界遺産となった街が当時のまま残される形になっている。

シダーデ・ヴェーリャの街中は、道路も家も石がベースで、とても風情がある。歩いて散歩するだけで気持ちがいい。特にバナナ通りと呼ばれる小道があり、かわいらしい。
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人々の生活ものどかだ。
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ほんの3時間程度の外出だったのだが、見どころ盛り沢山だったなあ。

夜は夕食ともとらずにホテルで爆睡。
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明日はサン・ヴィンセンテ島へ移動する。



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by iihanashi-africa | 2018-07-03 08:21 | カーボベルデ | Trackback | Comments(0)