カテゴリ:ナイジェリア( 10 )
アブジャのナショナルモスク
ナイジェリアの首都アブジャは計画都市である。1976年に、首都を南部のラゴスから中部のアブジャに移動する決議がくだされ、その後からアブジャの都市開発が始まり、最終的に1991年に正式にアブジャが首都として機能し始めた。

アブジャは地図を見るとナイジェリアのちょうど中心に位置するのだが、かつては広い意味で「北部」と捉えられていたらしい。そのため、首都の移動は、キリスト教徒の多い南部とイスラム教徒の多い北部の調和を促すどころか、ムスリム色を強めて亀裂を深めてしまう恐れがあった。現に、新しく建設された国会議事堂はモスクのようなドーム型の形をしており、当時は多少なりイスラム色を強めてしまったと表現されている。

政府はなんとかイスラムとキリストの融和を都市計画に反映すべく、意図的に中心部にナショナルモスクとナショナル教会を建設している。モスクと教会は、アブジャ市内を南北に走る大通りを挟んで、モスクが北側に教会が南側に位置するように建設されている。モスクのミナレットと教会の鐘楼はほぼ同じ高さになっているらしい。

前回のナイジェリア出張中は、モスクしか訪問できなかったので、とりあえずモスクの写真のみ。サウジアラビアのファイナンスで建設されたらしいが、かなり大きい。人が写っている写真だとその大きさが分かるだろうか。

女一人で訪問したので、入場拒否されないかちょっとドキドキしたが、しっかりスカーフを巻き、イスラム女性になりきって管理人に話しかけたら、快く案内してくれた。もともとイスラム教徒でなくても入場可能という情報は入手していたが、やはり入るまではドキドキする。
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教会は、週末にイベントが多く、見学は不可ということで、遠くからの写真のみ撮影できた。平日なら見学できるみたい。次回は行ってみたいな。
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by iihanashi-africa | 2018-06-22 07:57 | ナイジェリア | Trackback | Comments(0)
ナイジェリアの現代アート
ラゴス市内は人工的に作られた都市のため、観光できるような場所は少ない。5月の出張では、飛行機の関係で土曜日が1日空いたので、どこかに行こうと思い、様々なワードを組み合わせてネット検索し、唯一興味を持てたのがThought Pyramid Art Centreというミュージアム。2017年11月にオープンしたばかりの新しいミュージアムだそうだ。
http://thoughtpyramidart.com/
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全ての作品にアーティストの名前が書かれていなかったのが残念なのだが、とても素敵な絵画が多々あった。
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帰り際、入口近くの本棚をあさっていたら、たまたま手にした『Zaria Art Society』というタイトルの画集に釘付けになった。買おうか迷ったが、さすがに重すぎると断念。後で調べて、ナイジェリア現代アートに大きな影響を与えたアーティストグループであったことが分かった。ナイジェリア北部のザリアという都市の大学の学生16人により、1955年に形成されたザリア・アート・ソサイエティ。これよりもずっと前からナイジェリアアートの歴史は始まるが、このグループにより、西洋美術に影響されないナイジェリアアートのイデオロギーが確立されたと言われているらしい。このグループは数年後に、ナイジェリア各地のアーティストと協議の場を持ち、全国組織となるThe Society of Nigerian Artists(SNA)が設立された段階で解散している。

ナイジェリアアートは本当に奥深い。私自身は、ナイジェリアのマスクから関心を持ち始めたが、絵画も底知れない奥深さである。

宿泊したホテルにも素敵な絵画が飾られていた。写真だと大きさが分からないが、かなりの大きさなので、実際はとても迫力がある。
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by iihanashi-africa | 2018-06-21 06:17 | ナイジェリア | Trackback | Comments(0)
アフリカ文学の父、アチェベの『崩れゆく絆』
以前、チママンダ・アディーチェの『アメリカーナ』という本を紹介した。アディーチェはナイジェリア出身。この記事の中で、英語アフリカ文学の父、チヌア・アチェベについてちらっと触れたが、ナイジェリア出張するにあたり、またナイジェリア気分になろうと、アチェベの本『崩れゆく絆』を本棚から取り出した。以前も読んだのだが、少し経つと内容をすぐに忘れてしまう私。ナイジェリアの知識が少しだけついた今、もう一度読んでみようとカバンに入れ、出張の往復の飛行機で読み終わった。

ものすごく素朴で簡潔な文章なので、すんなりと読み切ることができ、とても読みやすい。シンプルなのだが奥深い小説である。主人公オコンクウォは努力家で野心家で責任感があり、皆から一目置かれる存在。しかし口下手で家族にも思いをうまく伝えられず、時に怒りがコミュニケーションのツールになってしまう。それが威厳を保つ手段ともなるのだが、家族は主人の気持ちを察して行動する。昔の日本の俺の背中をみて育て的なまっすぐなおやじとちょっと重ねてしまったが、置かれている社会が違うとこの実直さと野心が悲劇を呼ぶ。
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訳者でもあるアフリカ文学者の粟飯原文子さんの前書きと解説も興味深いので、引用しながらご紹介。

チヌア・アチェベは『アフリカ文学の父』と呼ばれ、彼の小説『崩れゆく絆(Things Fall Apart, 1958)』はしばしばアフリカ近代文学の原点、あるいは起源として位置づけられてきた。むろん、アチェベが文字通りの意味でのアフリカ文学の創始者ということではない。アチェベ以前や同時代には、重要な作家や詩人が多く存在した。[・・・] ではなぜ、1958年のアチェベの小説がアフリカ文学の「誕生」と結び付けられるのか。

 たしかに、世界の至るところでこれほど読まれ、論じられ、影響力をもち、名声を勝ちえたアフリカ文学作品は『崩れゆく絆』をおいてほかにないため、このことは当然のようにうけとめられがちである。しかし実のところ、ここにこそアフリカ文学を語る際に立ち返るべき根本的な問いがある。すなわち、「いかにアフリカを書くのか」、「アフリカの文学はどうあるべきか」という文体や形式、主題にかかわる問題であるが、アチェベが「アフリカ文学の父」たるゆえんは、まさしく彼こそがそれまでの揺らぎと迷いに対して決定的とも言える方向性を示しえたからだと言える。小説と言う西洋近代の表現形態、いわばアフリカにとって外来のジャンルを用いてどのようにアフリカの歴史過程に応えるか、というひとつの道筋を創り出し、アフリカ人作家による文学を「アフリカ文学」たらしめる礎を築いたのが、ほかでもないアチェベであったのだ。」

「アチェベが大きな情熱と怒りをもって取り組んだのは、作られた「暗黒大陸」というイメージに対する文学での批判的応答、言い換えるなら、小説という手段をつうじて、暴力的にはく奪されてきた歴史と人間性をアフリカに取り戻すことだった。と同時に、植民地支配のもとで、アフリカ人自らが忘却し、喪失してしまった「過去」を、ふたたびアフリカ人に呼び覚まそうとする試み―アチェベ自身の言葉で言えば「再教育」と「再生」―でもあった。

 しかしそれは、単に古き良き時代の社会と文化を賛美して、失われた過去と理想郷を哀悼する態度ではない。たとえばオコンクウォは悲劇の主人公ではあっても、多くの欠点をもつ人間であり、同じく、ウムオフィア社会もあらゆる問題を抱えている。[・・・] それは過去への挽歌である以上に、アフリカ独立の時代の前夜に、きたるべき未来を見つめる新たなアフリカの想像力となったのだ。」

アチェベは、1960年代のビアフラ戦争の際に、ビアフラ側のスポークスマンだった。この中央政府からの分離を掲げた戦争を契機として、アチェベの信念が大きく揺らぎ、その後20年間小説を書かなかったらしい。「再度小説に取り組むにはーナイジェリアとは、国家とはなにか、という重い問いにもう一度正面切って向き合うにはーかなりの時間を要したのだろう」







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by iihanashi-africa | 2018-06-02 05:53 | ナイジェリア | Trackback | Comments(0)
エグシメロンの畑
5月初めにナイジェリアの農家さんの畑を訪問した際、ちょうど雨期が始まったばかりのこの時期に、播種したばかりの畑を見かけた。
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こういう光景を見て、まず思い浮かぶ作物は、トウモロコシソルガム(モロコシ)ミレット(稗)の畑。これはサヘル地域の畑ばかり見ている私の感覚。
ソルガムの写真:穀物の収穫時期(男性の仕事)
ミレットの写真:穀物の収穫時期(女性の仕事)

サヘル地域は、最初の雨が降るとこうして穀物を播種する。これはブルキナファソ北部の写真。
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       偉大な伝統農法


ナイジェリアの畑もトウモロコシか何か穀物だろうと思っていたら、実はエグシメロンの畑だった。


前回、ナイジェリア料理一覧の記事でエグシスープを紹介したが、そのエ・グ・シである。エグシも穀物と同じような間隔で播種するらしい。

これがエグシメロンの実。昨年の7月に撮った写真。
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どう見てもメロンにしか見えない。色も形もメロンで、違いと言えば少し小さいくらいだろうか。中身は、白くて乾燥している。メロンのようにみずみずしく甘い果肉はない。このエグシメロンは、中の種を食べるために栽培されるのだ。種はメロンよりもずっと大きいく、どことなくカボチャの種に似ている。
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この種をつぶして、ペースト状になったものを様々な味付けをしてスープにする。とてももったりしていてお腹にずしっと溜まるが、とても美味しい。スナック感覚でポリポリと食べることもあるらしい。ナイジェリア以外に、ベナンやガーナ、カメルーン、トーゴでも食べられるらしいのだが、カメルーンでは食べた記憶がないなあ。
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ナイジェリアはエグシメロンを40万トン弱生産している。ナイジェリアの人口からしたらそれほど多いとはいえないが、重要な家庭の食材の一つとなっている。

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by iihanashi-africa | 2018-06-01 06:24 | ナイジェリア | Trackback | Comments(7)
ナイジェリア料理一覧
これまでのナイジェリア出張で出会ったローカルフードをまとめてみることにする。私のナイジェリア知識は全て短期間の出張から得られてものなので、実際はもっとずっと奥深いと思うのだが、とりあえず私の知る範囲でリストアップしておこう。

今までの各国料理記事。
ブルキナ料理一覧
ニジェール料理一覧

ナイジェリア料理は、基本的に「辛い」
ライスもソースも何もかもが基本ピリ辛。セネガル、ブルキナ、ニジェールの料理は、もともとのベースはほとんど辛くなく、横にトウガラシがついている。みなさん意外と辛さが苦手だったり、健康のためにトウガラシを食べていないという方もいる。しかし、ナイジェリア料理はベースから辛いため、ちょっとの辛さも苦手な方には拷問かも。ただ、ベースは激辛ではなく「ピリ辛」なので、プラスアルファでトウガラシを入れない限り、十分に美味しく食べられる。

ナイジェリアで最も多く食されるベースの食材はイモ類とコメ、それとプランテンバナナ。特にイモ類の豊富だ。ナイジェリアのカウンターパートと食事をした際に、「あなたもスワロを食べるか?」と聞かれた。何のことかと思ったら、英語のSwallow、つまりたやすく飲み込めるものということで、全てのPounded thingsを総称してスワロと呼ぶらしい。正確にはPoundedしたものではないアマラやガリも含めるのだが、餅みたいに喉越しよく飲み込めるものは「スワロ」らしい。スワロの大半はイモ類とプランテンバナナである。

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「フフ Fufu」
蒸かしたヤムイモやキャッサバ、プランテンバナナを餅のようについたもの。様々なソースと共に食べる。これは西アフリカ諸国で広く食べられており、ブルキナではフトゥと呼ばれていた。


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「アマラ Amala」

見た目はフフと似ているが大きな違いは、フフは餅のようについて出来上がり、アマラはドライヤムあるいはドライキャッサバ、ドライプランテンバナナから作るということ。ドライしたものに熱湯を加えて練り込む。乾燥させると黒く変色するため、見た目も黒っぽい色になる。写真はキャッサバのアマラ。ヤムイモやプランテンバナナよりも粘り気が強く、発酵しているため酸味がある。もちろん、様々なソースと共に食べる。



「ガリ Garri」
キャッサバを乾燥させ粉状にし、2、3日かけて発酵させた後、大きな鍋で傷める。その後お湯と混ぜてもちもちっとしたペースト状のガリが出来上がる。


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「モイモイ Moi-Moi」
私がナイジェリアで食べた料理の中でベスト1に近いローカルフード。蒸かした豆の皮を取り除いてペースト状にし、タマネギやパームオイル、スパイスを混ぜて、バナナの葉に包み(左下の写真)、それを蒸かす。細かく刻んだドライフィッシュやゆで卵が入っていることもある(右下の写真)。オレンジ色をしているのはパームオイルの赤い色。様々なソースと共に食す。


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「ジョロフライス Jolof Rice」
ガーナからナイジェリアにかけて食べられている炊き込みご飯。イモ類に匹敵するくらい、よく食べられる。どちらかというとチャーハンのような食感。セネガルのジョロフ王国の料理、つまりセネガルの国民食チェブジェンがルーツと言われている。ナイジェリアでは、パーボイル米を食べる習慣があり、ジョロフライスもほとんどパーボイル米。白米より料理に時間がかかるが、こういうしっかりとした食感も悪くない。多くの場合、ジョロフライスは肉や魚や野菜と共に食べる。



「ペペスープ Pepper soup」
牛肉やヤギ肉、魚、トウガラシ、ナツメグなどを煮込んだスープ。同僚がPepper soupを綺麗な英語発音で注文したら、paperが出てきたのを思い出す(笑)。レストランでコピー用紙注文する人ってなかなかいないでしょうに。ここではペペと発音するのがベストらしい。


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「エグシスープ Egusi Soup」
ナイジェリア料理で最も有名な料理の一つ。他国ではみられない特有料理だと思う。エグシメロンという小型のメロンの種をつぶして料理のベースとする。エグシメロンは、所謂フルーツとしての果実の甘いメロンではなく、種を食べるために栽培するメロン。私はとても好きな味である。この料理は別途記事を書いたので、こちらをどうぞ。
エグシメロンの畑


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「アフォンスープ Afang Soup」
ナイジェリア南部のイビオビオ族のオリジナル料理だが、現在ナイジェリア代表するスープの一つとなった。アフォンの葉やwaterleavesという葉がベースで、それに肉や野菜、ドライフィッシュなどを加えたスープ。


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「オクラスープ Okra soup」
写真はジョロフライスと共に食すオクラスープ。これは西アフリカ全般で食され、ナイジェリアも例外ではない。とろっとしたまろやかなピリ辛味はやはり食べやすくで安心する味。


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「エフォリロ Efo Riro」
ヨルバ族の伝統料理。ほうれん草のようなEfinrinという葉とEfo sokoという葉を、トマトやスパイス、肉、魚などと共に炒めたもの。他のソース同様、スワロやライスと共に食す。


「プランテン煮込み Plaintain Porridge」
プランテンバナナと豆の煮込み。プランテンバナナの代わりにヤムイモのこともある。パームオイルたっぷりだけれど、とても美味しい煮込み。



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「ドド Dodo」
揚げたプランテンバナナ。熟したプランテンバナナなので甘くておいしい。様々な料理の付けあわせで選ぶナイジェリア人が多い。


「アカラ Akara」
朝食や小腹がすいた時にスナック感覚で食べる豆の揚げパン。タマネギやスパイスも加えられて、やっぱりピリ辛。南部ではアカラと呼び、北部ではコサイKosaiと呼ばれることが多いらしい。


「スヤ Suya」
ハウサ族の料理なので、ナイジェリア北部やニジェールがオリジナルだが、今や全国各地で食べられるらしい。カメルーンの北部に旅行した時も食べたような気がする。通常は羊肉のグリルで、ナイジェリアの特徴は、やはりトウガラシやピーナッツパウダー、ショウガなどを混ぜたピリ辛スパイスをつけてグリルすること。


写真がない料理は、まだ食べていないが食べたいと思っている料理。次の出張で、もう少し充実させられるかな。


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by iihanashi-africa | 2018-05-29 09:16 | ナイジェリア | Trackback | Comments(0)
ナイジェリアのイスラム帽子のかぶり方
ナイジェリアの南部はキリスト教徒が多く、北部はイスラム教徒が多い。首都アブジャはナイジェリアのちょうど中央部に位置するが、感覚的にイスラム教徒の方が多そうである。街中を走ると多くのナイジェリア人イスラム教徒は、イスラムの帽子を被っていることに気付く。セネガルでもニジェールでもブルキナでも、もちろんイスラムの帽子を被っている方は見かけるが、こんなに多くの一般人が帽子をかぶっているのは見たことない。帽子をかぶっている人々を眺めながら気付いたことがある。それは、帽子の片側を折っている人が多いということ。

通常はこういう帽子。
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そして帽子の片側を折るとこうなる。
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出張中に出会った方もこうして片側を折っていたので、まじまじと帽子を見ていたら、「帽子に興味があるのか?」と取ってくれた。
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当初は、もともと片側が折られた帽子を売っているのかと思ったが、普通の帽子の片側をこうして折っているらしい。
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出張に同行してくれたナイジェリア人に何か意味があるのか聞いたが、これは単なるオシャレの一つらしい。ナイジェリアではこれが格好いいと思われるのかもしれない。キャップのツバにも曲げ方が色々あるのと同じかな。ただ、こういう折り方は他国ではなかなか見ない、ナイジェリアならではのモードかも。

ちなみに、最近療養に入ったナイジェリアの現ブハリ大統領も片側折りが多い。
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でも珍しくブハリ大統領のこんな折り方も発見した。アブジャでも、片側を折る場合両側を折って真ん中を立たせる場合と二通りの被り方を見かけた。片側を折るケースの方が多いが、両側折もちらほら見かける。イギリスの男性のハットもこんな感じに凹ませることもあったような。
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そういえば、オバサンジョ元大統領も特徴的な帽子を被っていて印象的だったので写真を探してみた。オバサンジョ元大統領はキリスト教徒なので、これはイスラムの帽子ではない。ナイジェリアのヨルバ族の伝統的な帽子らしい。オバサンジョが退任してから10年が経つが、ナイジェリアの帽子に関心を持った今、初めて知った事実。今まで、オバサンジョの帽子についてなんて調べたこともなかった。
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オバサンジョ元大統領の帽子は余談だったが、ナイジェリア人のささやかなオシャレを垣間見て、なんかものすごく面白い発見をした気分になった。

帽子にこだわるナイジェリア人、1万円近くする結構高級な帽子も発見した。
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by iihanashi-africa | 2018-05-26 04:24 | ナイジェリア | Trackback | Comments(7)
ナイジェリアのポップコーン
今の仕事は西アフリカ諸国への出張が多く、毎回出張するたびにセネガル人の同僚にお土産を買ってくる。ニジェールはキリシという干し肉(ニジェール料理一覧)、ガーナはチョコレートかシトという魚粉ベースのトウガラシペースト、ブルキナファソはゴマのお菓子(ゴマの売り子)かドライマンゴーが私にとっての定番土産。私の同僚のリアクションからみて、これまでのヒット土産はニジェールのキリシかな。

でも、ことナイジェリアに関しては昨年の出張中とても悩み、結局何も買って帰らなかった。ピーナッツやカシューナッツ、シアバター製品は西アフリカどこにいってもあるため、あまり特別感がない。

今回こそはナイジェリア土産を買って帰ろうと思い、ナイジェリアに住んでいる日本人の方に聞いたところ、幾つか出てきた候補の中にポップコーンがあった。アメリカに行くとポップコーンがお土産になることがあるが、西アフリカでポップコーンはあまり聞かない。

そういえば、滞在ホテルでグラスワインを頼んだら、つまみがポップコーンだった。他国だとピーナッツが多いのだが、アメリカナイズされてるのかしら?そういえばナイジェリア音楽も最近アメリカのR&Bっぽくなっていたような。。
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それはさておき、早速スーパーに行ったら、あったあった。ポップコーンの陳列棚は結構広い。アメリカっぽいカラフルなポップコーンもあるが、私はキャラメル味とココナッツキャラメル味を購入。
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これが今回のナイジェリア土産。ポップコーンの他に、ナイジェリア版キリシとドライマンゴーも買ってみた。やっぱりキリシはニジェール、ドライマンゴーはブルキナにはかなわないかなあ。
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by iihanashi-africa | 2018-05-23 02:08 | ナイジェリア | Trackback | Comments(0)
アブジャの街並み
2回目のナイジェリア出張から帰ってきた。
ナイジェリアといっても行き先は巨大都市ラゴスではなく首都のアブジャ

ラゴスには行ったことがないのだが、都市圏内の人口は3千万人と言われており、アフリカ最大の都市なので、きっと混沌としていて、殺伐ともしているのだと思う。15年前にカメルーンにいた時、ラゴス経由でカメルーンに来られた出張者が、空港を降りた瞬間から雰囲気が違い怖くて緊張したと話していたのを思い出す。また、セネガル人の同僚はナイジェリアにだけは出張したくないという。イメージが先行しているかもしれないが、実際に犯罪被害にあった方もやはり多く、このネガティブイメージはなかなか払拭されない。

私が初めてナイジェリア人とゆっくり話す機会を得たのは、2015年の秋。研修で来日していたナイジェリア人公務員3名の農家支援活動計画の作成をサポートした。この研修では、ナイジェリアを含むアフリカ7、8ヵ国から公務員が参加していたのだが、20名近い研修員の中で、ナイジェリアの3名が最も癒し系だった。私の中でも、犯罪の多いナイジェリア、気性が激しいナイジェリア人、ずる賢いナイジェリア人というイメージしかなかったため、最初に出会ったナイジェリア人が皆、笑顔で愛嬌があり、おっとりと話す方々で、ナイジェリアのイメージが大きく変わった。この癒し系ナイジェリア人と最初に出会っていたことで、1年前の初めてのナイジェリア出張もそれほど身構えずに済んだ。

そして、今回、2回目の出張。

2億人近い人口がいれば、様々な方がおり、癒し系の男性もいれば、バリバリ働く頭の切れる女性もいれば、偉そうな態度をとる人もいれば、ユーモアのある人もいる。それはきっとどの国も同じ。だからナイジェリアもそれほど特別な国には感じない。ただ、他のアフリカ諸国と少し違うのは、車の運転が強烈に荒いこと。日本と比較したら、アフリカはどこへいっても運転が荒いが、私が知っているアフリカの国々の中でナイジェリアの運転は格段に荒い。怖いと思うことが1日に何度もある。でも、滞在中に一度も交通事故を見たことがなく、接触事故は頻繁にありそうなのにそれが起こらない彼らの運転技術にあっぱれである。

さて、今回から少しナイジェリアの話題をアップしようと思うが、まずはアブジャ市内の写真から。
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こちらは建設中の新空港ターミナル。中国企業が建設しているみたい。1年前も建設中だったが、今もなお開港しておらず。
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こちらが現在の空港。
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人工的に作られた都市アブジャの中心部は、とても整然としている。が、もちろんそうでないところも。
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大きなナショナルモスク。モスクの記事はまた別途。
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今回宿泊したシェラトンホテル。セキュリティーはしっかりしている。
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by iihanashi-africa | 2018-05-16 02:49 | ナイジェリア | Trackback | Comments(0)
チママンダ・アディーチェの『アメリカーナ』という本
ものすごく面白い本を読み終わった。

ナイジェリア人作家チママンダ・ンゴズィ・アディーチェChimamanda Ngozi Adichie『アメリカーナAmericanah』という本。

半年ほど前に、義姉から「最近読み始めた小説に、たまたまセネガルやブルキナファソが出てきて、急に身近な土地のような気持ちになってます」とメッセージが入り、本のタイトルを聞くと『アメリカーナ』だという。早速ネット検索したら、2013年の刊行以来、世界中で高く評価されている小説で、様々な賞も獲得し、アフリカ人として初めて全米批評家協会賞も受賞した作家ということが分かり、早く読んでみたくなった。英語アフリカ文学の父チヌア・アチェベもナイジェリア人だが、映画、音楽、文学とさすが2億人の国のポテンシャルは大きい。この本を次の休暇で持って帰ってくるために、忘れないうちにAmazonの買い物かごに入れた。買い物かごに入れる前に一瞬躊躇ったのは、5千円近くする本だったこと。やけに高いと感じながらも、やはり読んでみたいという思いが強く、ポチっと押した。

その後休暇で戻った時に、家に本が届いた。そして本を手にしてやっと、5千円という値段の意味が分かった。538ページの分厚さに加え、なんとあまり見ない二段組み。こりゃ、5千円するわ。
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物語は、ナイジェリアからアメリカへ渡って13年目の主人公の女性イフェメルが、ナイジェリアに戻るための一つの準備としてヘアサロンに髪を結いに行くところから始まる。「ナイジェリアからアメリカへ渡ったイフェメルは、初めて自分が『黒人』なのだと知り、『人種』を発見する。それをテーマに『人種の歯、あるいは非アメリカ黒人によるアメリカ黒人についてのさまざまな考察』というブログを立ちあげて、人気ブロガーになる。」アフリカを身近に感じている私にとって、彼女のブログ記事の容赦なく鋭く時にコミカルな皮肉的表現が、まさにこれまでモヤモヤと感じていたけれどうまく言葉に表せなかったことを代弁してくれている気持ちになった。アフリカには『ブラック』は存在しない。まさにそうだ。

この本、人種問題について深く考えさせられるのだが、実はラブストーリー主人公イフェメルと高校時代の同級生オビンゼは、当時恋人同士で永遠の愛を誓った仲。しかし、イフェメルはアメリカへ留学し、その後オビンゼも一時期イギリスへ行く。お互いに知らないところで辛い時期を過ごし、連絡が途絶えていく。13年も経つと、人は変わる。そして国も変わる。自分が変わったことをどう受け止め、どういう決断を下すのが最適なのか、お互いに悩みに悩む様子がもどかしくも、とても理解できて、私自身も深みにはまっていった。

とにかく描写が細かく、各登場人物の心理が手に取るように分かり、本当に美しい小説だと思った。そして読み終わった後のこの満足感はなんなのだろう。

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アディーチェという人をもう少し知りたくなり、インタビュー動画などを探していたら、TEDトークにたどり着いた。訳者もあとがきで書いていたが、「シングルストーリーの危険性」という一世を風靡したスピーチで、世界各国の教育現場で引用され続けているらしい。とても興味深いので是非どうぞ。英語も分かりやすい。



こちらのTEDトーク「We should all be feminists」も面白い。フェミニストという言葉に抵抗があったら、なおさら見ると興味深い。


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by iihanashi-africa | 2018-03-17 07:54 | ナイジェリア | Trackback | Comments(4)
ナイジェリアがエボラと戦った93日を描いた映画
2014年から西アフリカのシエラレオネ、リベリア、ギニアエボラ出血熱が流行し、2015年11月に終息が宣言されたが、総感染者数は3万人弱、死亡者数は1万人を超えた。

エボラ出血熱は致死率50~90%と言われており、一旦感染すると死に至る確率が高い。エボラ患者の血液や体液に直接接触すると、感染してしまう。

エボラはいつ終息するのか

上記の3か国で多くの患者が出たエボラ出血熱だが、他国でもこれらの国から来たという方の中から感染者が見つかっている国もあった。その一つがナイジェリアである。

2014年7月20日、リベリアの外交官Patrick Sawyer氏(アメリカ国籍も持つ)がナイジェリア最大の都市ラゴスの空港に到着した。飛行機を降りた時から体調が悪く、高熱だった。ラゴス市内の病院、First Consultant Hospitalに入院し、当初はマラリアが疑われたが、深刻なウイルス感染の症状であることからエボラウイルスの検査を行ったところ陽性と判明した。Sawyer氏は5日後に亡くなられたが、その後しばらくしてSawyer氏が入院していた病院のスタッフに次々にエボラの症状が現れ、20人と言われる感染者のうち7名が亡くなった。

Sawyer氏が入国した日から、ナイジェリアでの緊急事態宣言が解かれるまでの93日間の病院スタッフたちの戦いを事実に基づいて映像化しているのが、この映画である。

『93 days』
監督:Steve Gukas
2016年、124分、イジェリア




死を間近に息子と電話で最後の言葉を交わす母、隔離病棟のなかから不安を電話で彼にもらす女性、同じ病室の感染者がなくなる度に、次は自分だと漏らしてしまう女性。患者を精神的にも支えるアメリカ人医師のDr Benjamin Ohiaeri。これが事実に基づいていると分かっているからこそ、余計に胸を打つし、涙が出てくる。

これを見ながら、ナイジェリアでこんな状況なのだから、ギニア、シエラレオネ、リベリアの病院では想像もできない戦場だったのだろうと思う。

歴史を語る貴重な映画である。



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by iihanashi-africa | 2018-01-22 01:14 | ナイジェリア | Trackback | Comments(0)