2018年 04月 20日 ( 1 )
アフリカ女性雑誌のパイオニア『AWA』
先日、ダカールのアンリエット・バティリ女性博物館を訪れた際、仏語圏のアフリカ女性雑誌のパイオニア『AWA』についての特別展が開催されていた。
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アフリカでも19世紀から民間の雑誌が発行され始めた。リベリア、シエラレオネ、ナイジェリアなどでは早くから植民地主義に対抗する民間雑誌が存在していたらしい。仏語圏アフリカでは、植民地時代はフランス人たちとフランスで教育を受けた一部のアフリカ人エリートが幅を利かせていたため、民間雑誌の発展は少し遅れて始まったようだ。

独立前後は、パンアフリカの議論やその他様々な議論の場を提供するための雑誌が増え、イラストや写真が多くなり、アフリカ以外の流行も取り入れたものが多くなってきた。『Bingo』『l’illustré africain』は、1953年にフランスの投資家Charles de Breteuilの支援を得て発行された雑誌で、アフリカで名声を得ていった。『Drum』はその少し前の1951年に南アフリカで発行が始まり、ルイ・アームストロングやモハメド・アリなど多くの有名人を起用したり、文章を短くするなどして一般大衆の目をひく流行雑誌となっていった。同時に、より知識層向けの『Présence Africaine(1947)』や、ナイジェリアの『Black Orpheus(1957)』、ウガンダの『Transition(1961)』なども発行部数が多くなっていった。
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この流れの中で、1964年に初の女性雑誌『AWA』の発行が始まった
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創設者のAnnette Mbaye d’Erneville(下の写真)は、パリでジャーナリズムを勉強し、セネガルで最初の女性ジャーナリストといわれている。セネガル・テレビラジオ局(ORTS)のディレクターになり、ラジオで女性向けの番組「Jigeen ni degluleen(女性たちよ、聞いて!)」というウォロフ語の番組を始め、「Tata Annette(アネットおばさん)」という愛称で人気を博した。AWAを発行する前には、Présence AfricaineやBingoで記事や詩を書いていたことがあった。90年代にはセネガル女性組合の連合会長となり、前回の記事で紹介したアンリエット・バティリ女性博物館の創設者でもある。
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AWAの前に発行が始まった多くの雑誌が外国資本だったのに対し、AWAは完全にセネガル資本だった。第1号の発行はセネガルの資本家がサポートしてくれたようだが、その後は購読料、会費、雑誌の売り上げから全てやりくりしていた。しかし、発行開始2年後に資金難に陥り、6年間発行が中断する。Bingoの支援をしていたフランスの投資家Breteuil氏が、AWAの救済を申し出たが実現せず、彼自身は今現在も人気の女性雑誌『Amina』を発行することになる。AWAは1972年に発行が再開されるが、翌年73年に再度発行が停止する。


AWAは多くの作家や詩人を起用しており文学的にも価値のある雑誌と評されており、2017年に全ての雑誌がデータ化された。それを以下のサイトで無料で見ることができる。

https://www.awamagazine.org/

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by iihanashi-africa | 2018-04-20 07:16 | セネガル | Trackback | Comments(0)