2018年 04月 11日 ( 1 )
セネガルの王国シリーズ:シン王国2
前回の続き。


②イスラム教との闘い

12世紀頃からセネガルでもイスラム教が台頭してきた。北部のワロ王国、カヨール王国、フタ・トロ王国は早くにイスラムに改宗したが、南部、とりわけセレール族は伝統宗教を重んじ、イスラム教改宗に最後まで抵抗した歴史がある

1443年、シン王国は23代王Diogo Gnilane Dioufの時代に、イスラム教のマラブMamadou Koungoの軍と戦争になったが勝利し、1867年には48代王Coumba Ndoffene Fa Maak Dioufの時代に、かの有名な(という修飾語をつけていたが私ももちろん知らず)ソンブの戦いで、マラブMaba Diakhou Baの軍を破っている。余談だが、この戦いでは、伝統信仰の占いで雨を降らせたことで勝利に導かれたとされており、この占いの儀式は現在も続いているそうだ。特に農期が始まる前に豊作を祈って行われるこの儀式は、現在セネガル国内の文化遺産となっている。

19世紀は、イスラム教への抵抗、キリスト教への抵抗、そしてフランスの植民地化へ抵抗が重なり、各地でレジスタンス運動が繰り広げられていた。帰宅後にこの時代の歴史を調べながら、セネガル人の映画巨匠ウスマン・センベーヌの『Ceddo』という映画を思い出した。この時代の社会を描いたフィクションで非常に興味深い映画なのだ。これは後々紹介しよう。


③階級社会の始まり

王国が形作られてから、これまで全員平等だった社会に階級が導入された。鍛冶屋、グリオ(口誦詩人)、織物師など、それぞれ居住区も分けられていった。下の写真はかつての王宮の図で、丸く囲われた部分が王宮で、王や妻たち、長老などの住まいがあるが、王宮の外に書かれている地区の名前は、それぞれの階級が住む地区を表しているのだそうだ。
c0116370_19452932.jpg


④王や女王のお墓

王宮やチウパン女王宮の敷地内に、王や女王のお墓がある。全てのお墓が現存しているわけではないが、誰のお墓か判別できるものは修復されて名前が書かれている。

これはシン王国最後の王Mahécor Dioufのお墓。1924年に先代の王を継ぎ、1969年に亡くなられるまで君臨した。
c0116370_19441120.jpg

奥にある太鼓はDjoundjoungと呼ばれる。王が関わる場面でしか使われない太鼓で、現在もこうして王を見守っている。
c0116370_19443458.jpg

下の写真の左の方が、シン王国最後の王Mahécor Diouf。右のDjoundjoungを持っている男性は、王専属のグリオ。
c0116370_19453835.jpg

2代前の王のお墓。1897年~1924年まで統治したCoumba Ndoffene Diouf王
c0116370_19444582.jpg


バオバブの木の下にある四角いお墓が、王宮の敷地内に点々としている。お墓の形はないが、このバオバブの下にも数名の王が眠っているらしい。
c0116370_19445743.jpg


女王宮の敷地内のお墓。
c0116370_19451083.jpg


⑤王国の終焉

フランスの植民地化が進んだことが、王制の廃止に大きな影響を及ぼした。フランスはセネガル側に共和制の導入を義務化し、その間に当時存在した王国と協議の場を設け、王族の特権の廃止に向け動いた。シン王国の最後の王Mahecor Dioufとの協議はカオラックで行われ、王族特権を放棄するかわりに、ジャハオ州の州知事になることを提案し、合意された。しかし、セネガル独立後も、1969年にMahecor王が亡くなるまでは、象徴としてシン王国の王として存在し続けた。


*********************

一か月も訪問者がいなければ博物館を管理する方も予算を付けられないのだろうが、展示物は埃が被っており、周囲の金網は一部が壊れており、このままでは日の目を見ないまま葬られてしまいそうだ。ものすごく貴重な歴史を伝える博物館なだけに、もう少し広報すればせめて外国人は集まる気がする。おそらく、こういう歴史は全て口承で伝えられてきたもので、文字に起こすのは大変な作業だったと思う。微力だが、こうしてブログで広報することで訪問者が増えるといいなあ。関心のある方はご連絡をいただければ、鍵の所有者の連絡先をお教えします。





[PR]
by iihanashi-africa | 2018-04-11 03:57 | セネガル | Trackback | Comments(0)