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チュニス旧市街にあるフサイン朝の霊廟Tourbet el Bey
チュニジア出張中のある日、チュニス旧市街(メディナ)の地図を眺めていたとき、「Royal Mausoleum of Tourbet el Bey」という表記に目が留まった。王朝の霊廟というだけで、私の好奇心のアンテナは勢いよく反応。フサイン朝の歴代の王や王妃が眠る場所だという。これは、ぜひとも自分の目で見ておきたい。

ところが初訪問は、完全な下調べ不足だった。
出張の最終日、午後4時ごろに訪ねてみたら、門はすでに閉ざされている。門の斜向かいの家の前を箒ではいていた女性が、「もう閉まっているよ」と、声をかけてくれた。入口の案内板にも、開館時間は8時半から15時半とある。Google Mapにもちゃんと開館時間が書いてあった。折角このためにわざわざホテルからタクシーで来たのに。。。ガックシ。次は必ずこの時間内に来ようと、外観の写真だけ撮った。

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2度目は、その次の出張。到着したその日の午後3時ごろに訪問した。今度こそ、と思ったのだが...またしても閉まっている。あれ?3時半までのはずでは?人の気配はなく、どうやら早仕舞いだったらしい。20分かけて来たのに、再び引き返す羽目になった。

そして3度目の正直。出張の最終日の土曜日、朝8時45分ごろ到着した。すると前回同様、扉は閉まっており、一瞬顔が青ざめたが、ほどなくして一人の男性が現れ、鍵を開けてくれた。どうやら「時間通りに開き、時間通りに閉まる」という概念はないらしい笑。ほっと胸をなでおろした。

少し準備があるから待つように言われ、ようやく入場。入場料は5ディナール(約300円)。30分ほどかけてゆっくりと見学したが、その間、他の来訪者は一人も現れなかった。これでは、早く閉めたくなる気持ちも分からなくはない。

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フサイン朝=「会津藩」という説明

さて、フサイン朝とはどのような王朝なのか。出張同行者の一人が、実に分かりやすい表現をしてくれた。フサイン朝とは「会津藩」だと。

フサイン朝は18世紀初頭から20世紀半ばまで、チュニジアを統治した王朝である。ただしそれは独立王国ではなく、オスマン帝国の宗主権下で地方を治めた存在だった。構造としては、オスマン帝国が江戸幕府、フサイン朝が藩に相当する。スルタンを頂点とする帝国のもと、各地にベイ(地方統治者)が置かれ、彼らは軍隊を持ち、税を徴収し、行政や司法を運営するなど、相当な自治権を有していた。それは、日本の藩制と重なる。

なかでも会津藩は、幕府への忠誠心がとりわけ強く、中央秩序を支える重鎮として振る舞ってきた藩である。同様にフサイン朝も、オスマン帝国の西端でヨーロッパと向き合う最前線に立ち、帝国に忠実であり続けた存在だったという。結果として、いずれも旧秩序への忠誠ゆえに、近代国家形成の過程で「敗者」の側に位置づけられてしまう。その歴史的な立ち位置まで似通っている。とても腑に落ちる説明で、強く印象に残った。

ちなみに、オスマン帝国の中にも、薩摩藩や長州藩のように中央と距離を取り、独自の近代化を進めた地域、たとえばエジプトのムハンマド・アリー朝のような存在はあった。ただし、それらがあまりに力を持ちすぎる前に、帝国側が巧みに管理・牽制していた点は、日本の幕末とは少し異なる。


Tourbet el Bey

今回訪れたTourbet el Beyは、宗主権のもとで事実上世襲化した地方王権、すなわちフサイン朝の歴代君主たちの墓所である。

フサイン朝は1705年に成立し、1957年に王制が廃止されるまで、およそ250年にわたってチュニジアを統治した。Tourbet el Beyは、その王朝の公式霊廟として18世紀に整備され、以後、歴代のベイ(君主)をはじめ、王子・王女、王妃、さらには宰相や大臣といった国家中枢を担った人物たちが葬られてきた。

霊廟は中庭を中心に構成され、時代や身分ごとに異なる埋葬室が配置されている。
•歴代ベイが眠る「王の間」
•王子・王女のための部屋
•王妃たちの部屋
•宰相・大臣クラスの墓室

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墓碑や霊廟には碑文が刻まれてある。
碑文は単なる没年月日の記録ではなく、宗教的・詩的表現を通じて死を語るものらしく、アラビア語による葬送哀歌が刻まれているらしい。

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各棺には、このような円柱の飾りがついているのだが、1829年以前はターバン型、1829年以降はシェシアというフェズ帽型(下の写真の左)となっているそう。

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ベイが亡くなると、遺体は夜間に宮殿から運び出され、白布で覆われ、香料で清められる。その後、カスバ広場で宗教儀礼が執り行われ、宗教指導者、高官、王族、軍が列をなし、壮大な公共儀礼が展開されたという。葬儀ののち、棺はこのTourbet el Beyへと運ばれ、安置される。

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そういえば、入口にこんな謎解きのような記号があった。

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よくよく考えてもよく分からず、受付の男性に聞いたところ、「タイルの数」だという。ん?で?なぜタイルの数?という疑問が残りつつ、それ以上は教えてくれなかったので、帰国後にAIさんに問うと、こんな回答が返ってきた(正解かどうかは分かりませんがもっともらしい答え)。

上部に
 LEFT side(左)=45
 RIGHT side(キブラ側)=40+14=54
 と書かれています。
 これは、入口左右の壁に並ぶ円形タイル(鳥の絵皿)を左右それぞれ数えると45枚と54枚ある、という意味です。

下にある 45+54=99 が核心で、
 合計99 になることを示しています。

イスラーム文化では 99は「アッラーの99の美名」を象徴する特別な数で、
 右側(Qibla=メッカ方向)を強調している点も宗教的文脈と一致します。

鳥の絵や点の図は、
 「左右を合わせて一つの意味になる」「分割されたものが合算されて完成する」
 ということを言葉ではなく視覚で示すための補助記号です。

つまりこれは
 「この入口空間全体が、左右を合わせて“99”という聖なる数を構成している」
という、建築+装飾+数による象徴的メッセージで、
解けたから何かが分かる、というより
「気づいた人がニヤッとするタイプの知的仕掛け」です。


これほど歴史的に重要で、物語性に富んだ場所が、ほとんど注目されていないのは不思議である。個人的には、チュニスを訪れる人に強く勧めたい場所の一つである。まあ、贅沢を言えば、有料でもよいのでガイドをしてくれる方がいると有難いが。


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by iihanashi-africa | 2026-01-24 21:22 | チュニジア | Trackback | Comments(0)
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