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忠僕元助が供養に建立した安中市の赤穂義士四十七士石像
チュニジアの題材はまだまだ溜まっているのだが、少し疲れてきたので、日本の話題を挟むことにする。

先日、群馬県安中市にある忠僕元助が供養に建立した「赤穂義士四十七士石像」を訪れた。と言っても、おそらくピンとこない方も多いと思う。私もついこの間までは知らなかった。

元助について知ったのは、2025年2月、Youtubeの神田伯山ティービーで公開された講談「赤穂義士外伝 忠僕元助」からだった。2024年12月の新宿末廣亭の中席での伯山の口演をアップしてくれている。
【講談】神田伯山「赤穂義士外伝 忠僕元助」in新宿末廣亭(2024年12月15日口演)

元助とは、忠臣蔵の赤穂浪士・片岡源五右衛門に仕えたある忠義深い下僕のことである。討ち入り前夜、源五右衛門は討ち入りすることは元助に伝えられないので、嘘の理由を並べ立てて元助に暇を出そうとする。しかし、元助は、自分に落ち度があるのなら教えてほしい、旦那様なしには生きていけないという。そのためやむなく元助に本当の理由を話し、やっと真意を理解し、討ち入り後まで義士たちを支え忠義を貫いたという話である。私の数行の説明よりも、動画を見ていただいた方が数倍引き込まれるし面白いので、是非どうぞ。

この動画の最後で、神田伯山が千葉県の上総に元助の忠義塚があると話しており、早速google mapで元助の忠義塚を調べると、なぜか千葉県ではなく群馬県安中市の元助出生之地の史跡がヒットする。あれ、上総って言ったよなと更に調べると、確かに忠義塚は南房総市の長香寺にあることが分かり、まずはmap上にお気に入り保存した。いつかこの辺りに行くときに立ち寄ろうと。で、念のため、安中市の方も調べてみたら、元助は安中市の生まれで、赤穂義士の処刑後は仏門へ入り、一度この安中市へ帰郷し、供養の石像を彫り、その後各地を行脚し最終的に南房総の長光寺で生涯を終えたということが分かった。そして安中市に元助が彫った石像があることを知る。こちらは家から2時間以上かかる場所だし、草津や軽井沢方面にでも行かない限り訪れる機会はないだろうが、念のためと思いmapにお気に入り保存した。これが3か月前のことである。

それとほぼ同時期、たまたま義母と万座温泉に行く話が持ち上がり、3か月後の5月の宿を予約する。

温泉旅行直前になってから、折角だからどこか観光できるところがあれば立ち寄ってから行こうと、google map上を探していると、あれ、ルート上にお気に入りマークがある。何だったかなと拡大すると、赤穂義士四十七士石像だった。千葉より先に、こんなにも早く安中市に立ち寄る機会が訪れるとは思ってもみなかった。

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ただ、問題は石像がどうも山の中にありそうで、道の様子が分からない。義母が歩けるような道なのか、とにかく行ってみるしかない。


安中市の御殿山(岩戸山)の石像入口までは車で行ける。最後はすれ違えるかギリギリの細い道を入っていくのだが、100mほど先に車の駐車スペースがあり、石像の道しるべがある。うん、これは義母は登れない。。車で待っているから大丈夫とのことで、私は夫と二人、急ぎ足で石像まで向かった。前日が大雨だったので、落ち葉が少し滑る。

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アクセスの情報が少なかったので、参考までに動画を撮ってみた(2倍速)。これは戻る時に撮影したので下っている。こんな感じの山道を片道200mほど歩く。


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まず、入口から階段を100mほど上ると、岩戸観音堂跡がある。岩の形状に屋根の跡が残っている。

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そしてそこから更に狭い山道を100m進むと四十七士の石像がある。結構きれいに保存されているし、情報がしっかりあるので、分かりやすい。よくよく読むと、元助は赤穂浪士処刑後、安中市に帰郷し、20余年この地に留まっていたようだ。その間に浅野内匠頭夫妻以下四十七士の石像を岩戸山に祀り、供養塔を建立したそう。その後、向西坊と名を改め諸国を巡歴して、53歳の時に外房州和田浦、黒滝不動の岩窟に入定。そして講談によると92歳に生涯を閉じている。

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当初この四十七義士像は、どれが誰の石像か分からなかったようだが、明治25年に「麻野内匠頭殿並びに義士墓」として石像の配置が記されていることがわかったそうだ。それが下の写真。

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いや~、ほんと図らずも行けてよかった。
次回は南房総の長香寺だな。


余談だが、石像を見に行く前に富岡製糸場に立ち寄り、浪曲師・玉川太福の音声ガイドにほのかに興奮。

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by iihanashi-africa | 2025-05-18 22:15 | 日本 | Trackback | Comments(0)
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