世間はワールドカップ一色で、しかもセネガルと日本が同じグループでヒートアップしているというのに、セネガルにいる私は、この日、海外旅行に出かけた。もちろん結果は気になるので、旅行中も携帯で経過を確認していたが、サッカーはライブで見ていると心臓に悪いし、携帯で確認するくらいが私にとってはちょうどいい。で、あとから得点シーンだけ見て楽しむ。ということで、サムライブルーをおいて、旅行を楽しんできた。 セネガルに滞在している間に一度行きたかった国、カーボベルデ。日本からわざわざこの国を目指して旅行するには遠すぎるが、セネガルからだったら飛行機で1時間だし、行ったことがある方は誰もが口を揃えてよかったと語るので、どうしても行ってみたかった。日本から相棒もやってきた先週、4泊5日で旅行してきた。 カーボベルデを旅行するにあたり、ガイドブックを探したが日本語のものは存在しない。英語と仏語のガイドブックも購入したが、文字ばかりで読むのが疲れてしまう。あとからこれらのガイドブックもかなり役に立ったのだが、最初にカーボベルデのイメージをざっくりとつかむのに、様々な日本人旅行者のブログがとても参考になった。なので、私もこれから旅行する方々の参考になるように少し旅行記っぽく書いてみようと思う。 アフリカ大陸の最西端はセネガルなのだが、その更に西にカーボベルデという島国がある。アフリカ諸国の中でもっとも西に位置する国である。 今回は、3つの島を訪れることした。首都プライアのあるサンティアゴ島、芸術の島サン・ヴィンセンテ島、緑豊かで岩山のような島サント・アンタン島。この他にも火山とワインの島フォゴ島や、美しいビーチに囲まれた島サル島など時間があれば行ってみたいところは多かったのだが、今回はサント・アンタン島のトレッキングとフォゴ島火山の登山とを天秤にかけて、トレッキングを選んだ。最初に書いておくと、私にとってのカーボベルデの最大の魅力は、海からにょきっと出た岩山と、深い谷間と、急斜面に作られた砂糖キビやトウモロコシの段々畑と、その自然の色の中に映えるカラフルな家々のコントラストかなあ。それを楽しむにはやっぱりトレッキングがいいと思った。時間があったらもう少しサント・アンタン島にいたかったかも。 セネガルの首都ダカールとカーボベルデの首都プライアは、週に3便直行便が飛んでいる。TransAirというセネガルの航空会社。チェックインする際に窓側の席をお願いしたら、「このフライトはFree sittingです」という。アフリカでも15年くらい前は自由席のフライトはまだ結構存在したが、最近はなかなか見かけない。それも国際線で自由席などこの時代なかなかない。と、こんな会話を夫としながら搭乗券を受け取ったらシートナンバーが書いてあるではないか。自由席と言いながら良く分からない。私たちは結局シートナンバー通りに座ったが、そうでない人もいたようでやっぱり自由席というのは正しかったみたい。 ダカールからプライアまでは1時間ほどのフライト。 着陸直前に首都プライアの街がちょうど綺麗に見えた。 プライアの中心街プラトー地区は高台にあると書いてあったが、それがとてもよく分かる写真が撮れた。 空港に着いた瞬間から、普段サブサハラアフリカ諸国で感じるなんというか騒々しいガヤガヤした雰囲気がなく、建物や機材がキレイでタクシーもキレイで、なんか「アフリカ」ではないと感じる。 実はこの旅行の2日前、友人とカーボベルデのビザの話題になり、もしかしたらカーボベルデ出発前に大使館でビザを取得しなければならないのではないかという不安にかられた。帰宅後もう一度ネットで調べ、やはりon arrivalでも取得できることは確認しながらも、ちょっとだけ不安は残っていたが、到着後、空港で一人25ユーロを支払い、全く問題なくon arrivalでサクサクっと取得できた。ほっ。 あと空港のパスポートコントロール後に、黄熱病のイエローカードも確認された。最近セネガルでも空港でイエローカードを確認するようになり、夫に黄熱病の予防接種を受けてきてもらったのだが、セネガル入国時には結局チェックされず、やっぱりいらないんじゃないみたいな話をしていたところに、まさかのカーボベルデ入国時にチェックされるというサプライズ。ここで必要だったかー。受けてきてもらってよかった。おそらくヨーロッパから直接来る人は必要ないのだろうけれど。。 この日は日曜日。市内は開いている店などなく閑散としているということだったので、ホテルで少し休んで、昼からプライアから車で30分ほどのシダーデ・ヴェーリャCidade Velhaに行くことにした。 到着後、まずは腹ごしらえ。 プライアのホテルのレセプションで教えてもらった魚が美味しいレストランTereru di Kulturaの店頭でまずは魚を選ぶのだか、どれが美味しいか分からないため、お勧めと言われた赤ハタ(Garoupa)とタコを注文した。 そして料理されたハタが出てきて驚き。ものすごくふんわり柔らかく、みずみずしい。こんなに美味しい魚はセネガルで食べたことがない。ダカールも同じように魚がとれるはずなのに、この新鮮さの違いはどこからくるのだろう。 料理が出てくる前に、女の子が売っていたトウモロコシの揚げパンのようなものも食べたのだが、これも噛むとトウモロコシの甘い味がしみだして結構おいしかった。なんという食べ物なのだろう。。。 さて、シダーデ・ヴェーリャを観光する前に、カーボベルデの歴史を少し知っておく必要がある。多くの歴史的書物には、カーボベルデは1444年にポルトガルの冒険家が発見したと記述されている。それまでは無人島だったらしい。しかし、アラブ人の冒険家がその前に来ているとも、アフリカ大陸のウォロフ族やレブ族が来ているともいわれ、本当のところは良く分かっていないようだ。 1462年、ポルトガル人がサンティアゴ島に到達し、リベイラ・グランデという都市を創設した。現在のシダーデ・ヴェーリャである。16世紀には黒檀、綿生地、砂糖キビの商業が発展しだし、加えて奴隷貿易の中継地として栄えることとなる。ヨーロッパとアフリカとブラジルの三角貿易がこの頃発展するのだが、この歴史を知ると、カーボベルデにラテンの雰囲気を感じる理由が分かる。アフリカでもないけれどヨーロッパでもないこの雰囲気は何だろうと不思議に思っていたのだが、様々な混血の人々やカラフルな建物やサルサに近い音楽など見聞きすると、様々な面でラテンを感じることに気付く。無人島だったところに3つの大陸の文化が混ざるとこうなるのかと、新たな発見だった。 さて、少し脱線したので話を戻すと、1770年に首都がプライアに移されるまで中心地だったリベイラ・グランデ(現シダーデ・ヴェーリャ)は言ってみればカーボベルデ最古の都市である。海賊に何度も攻撃された経緯もあり、城塞跡や大聖堂、奴隷マーケット跡は、当時ほとんど破壊されてしまったが、ユネスコの世界遺産に登録されたことで、城塞の再建や教会の修繕などが行われている。 Nossa Senhora do Rosario教会。 シダーデ・ヴェーリャで最も古い現存建築物。1495年に建設されている。サブサハラアフリカでは珍しいゴシック様式なのだそうだ。 ペルリノPelourinho広場のさらし台。 16世紀の奴隷貿易が盛んだったころ、この広場は奴隷マーケットとなり、命令に背いた奴隷をさらし刑に処す場所でもあった。知らないと見過ごしてしまいそうな小さな大理石の塔なのだが、シダーデ・ヴェーリャを語る上でとても重要な建造物で、最初に修復されたのだそう。 大聖堂跡。 西アフリカ最初の大聖堂として1556年に建設が始まったが、教権支持派と王制側の関係悪化で建設が滞り、完成したのは1700年になってかららしい。しかし、完成したのもつかの間、度重なる海賊の攻撃ですぐに衰退してしまった。 この要塞は、1585年のイギリス人海賊の攻撃を受けて、街を守るために建設が始まった。水を溜めるタンクや階級分けされた兵士の部屋の跡、奴隷の部屋などが今でも分かる。この要塞にはきれいな英語を話せるガイドがおり、この説明がとてもいい。説明がないとなんのこっちゃ分からないドームも、とても貴重なものに見えてくる。 奴隷の部屋の跡。 要塞のすぐ下はシダーデ・ヴェーリャの街。こうしてみると、海からの攻撃を発見しやすい環境にあったのがよく分かる。大砲も当時のもの。 当時要塞は、海側にしか壁がなかった。海賊は皆、海から攻撃をしてくるのが常だったから。しかし、その裏をかいたのが、フランスの海賊ジャック・カサールだった。彼らは陸地に入り込み、要塞を裏から攻撃し、要塞はもちろんのこと街全体が崩壊した。この裏側の壁は修繕工事で新たに建設されたのだそう。 シダーデ・ヴェーリャの当時の名前リベイラ・グランデは、ポルトガル語で大河という意味。これがその名前が付けられた所以。相当大きな河だったのだろう。 崖をよく見るとこうして横に線が入っている。これは浸食防止のためアロエベラが植えられているそう。 これが植えられたアロエベラ。 反対側の高台に大きなヤシの木が一本立っていた。これ、携帯の電波塔らしい。景観を乱さないようユネスコの提案でヤシの木を模した形になった。他にも、中学校が高台に建設されたり、ホテルは街中から少し離れたところに建設されたりと、世界遺産となった街が当時のまま残される形になっている。 シダーデ・ヴェーリャの街中は、道路も家も石がベースで、とても風情がある。歩いて散歩するだけで気持ちがいい。特にバナナ通りと呼ばれる小道があり、かわいらしい。 人々の生活ものどかだ。 ほんの3時間程度の外出だったのだが、見どころ盛り沢山だったなあ。 夜は夕食ともとらずにホテルで爆睡。 明日はサン・ヴィンセンテ島へ移動する。 にほんブログ村 アフリカランキング
by iihanashi-africa
| 2018-07-03 08:21
| カーボベルデ
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Comments(9)
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石田
at 2019-11-20 15:41
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お久しぶりです!お元気ですか?
私は今、西アフリカの染織について調べています。 カーボベルデでは、その昔、ポルトガル人が訪れて綿を育ててwolofに輸出したり、現地でも奴隷が手織りをしていた過去があると聞くのですが、現在も手織りをしている人がいたり、布が売られていたりするのが見受けられましたか?? セネガルとは民族衣装も違うのかな、と色々と気になることがあるのですが、もし気づかれたことがあれば教えていただけると嬉しいです!
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iihanashi-africa at 2019-11-20 20:40
お、あおいさん、ご無沙汰です!!!お元気ですか??
綿をwolofに輸出していた話、私も聞いたことあります。でも、旅行中は手織りは見なかったです。旅行だったからかもしれないけど。でもそういえば、空港でもアルコールとかコショウとかがメインだったような。。。あまりお役に立てず。。 今どちらに?
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石田
at 2019-11-20 23:25
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お返事をありがとうございます!
そうでしたか、やっぱり現在はあまり手織りの文化は残っていないのかもしれませんね。 ダカールだって、織っている人はたま〜に見かけるぐらいですものね。 去年も読ませてもらいましたが、カーボベルデの旅日記、楽しそうで読んでいてワクワクしました♩ ポルトガルに旅行したことありますが、食事がとても美味しかったですから、カーボベルデ料理が美味しいのもうなずけますね! 私は元気で日本にいますよ〜! 西アフリカの染織の歴史を調べていて、すごく興味深くて。 宗教も深く関係していますし、専門用語が多くて難しいのですけれど。趣味ですけれど、深く知っていきたいと思います。
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iihanashi-africa at 2019-11-21 14:26
あおいさん、染織に関心があるっておっしゃってましたもんね。私はそれほど詳しくないので、いろいろ教えていただきたいです。
私がブルキナファソで勤務していた時、何度か織物をしている女性を見かけました。伝統的な布製造を守っているNGOのアトリエとかでしたが、マリやブルキナファソでは手織りの文化が残っている印象です。当時ブルキナファソで働いていた遠藤聡子さんが西アフリカのパーニュの研究をされていて、『パーニュの文化誌ー現代西アフリカ女性のファッションが語る独自性』という本を出版されていました。私は、まだ読んでおらず、今のところネットに掲載されている書評だけ読んで、読んだ気になってます。。。もう読まれました?
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石田
at 2019-11-21 22:30
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マリやブルキナファソ、いつか行ってみたいなぁと思います!
でも早く行かないと手織りの文化もあっという間に激減してしまいますね。 今、アマゾンで遠藤聡子さんの本を見ました! 私はまだ読んでないので、今度蔦屋に行った時に探してみます。 私もセネガルにいた時に、年配の同僚に過去のセネガルの民族衣装について聞いてみたのですが、「ネットで調べて」と言われました〜(苦笑)。 洋裁系の学校なのに、みんなあまり過去には興味がないのか、まともな返事がもらえませんでしたよ。 今はネットで昔のwolofの絵葉書を見るのがとても楽しくて! 自分で勝手にあれこれ検証しています。 海のそばだけあって、民族衣装にジャケットを合わせていたり、編み上げの革靴を履いていたり。 オシャレなのは今も昔も変わりませんね!
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石田
at 2019-11-21 22:48
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同じ西アフリカでも、内陸の国と沿岸部だと、外国から入ってくる来ないで、着るものも文化も随分と違っていて当たり前ですよね。
でもセネガルの染織って、マンジャックがありますが、マリやガーナやナイジェリア程、有名ではないですよね。 有名ではないけれど、マンジャック織りの幾何学模様がとても好きなんです! 長くなってしまいました。またお会いする機会があったら、いろいろお喋りするのを楽しみにしています!
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iihanashi-africa at 2019-11-22 18:15
マンジャック織りってどういうのでしたっけ?綴りが分からず調べても出てこなかった==
上京する機会があれば、是非ご連絡を!!
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石田
at 2019-11-22 21:04
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見たことあるはずですよ!!manjakで見てみてください!
刺し子の模様と似ているので、親近感感じるのかもしれません。 あと、セネガルの手刺繍も刺し子と同じですよね。 東京に行く際はご連絡します!!
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iihanashi-africa at 2019-11-23 23:50
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