アフリカ文学の父、アチェベの『崩れゆく絆』
以前、チママンダ・アディーチェの『アメリカーナ』という本を紹介した。アディーチェはナイジェリア出身。この記事の中で、英語アフリカ文学の父、チヌア・アチェベについてちらっと触れたが、ナイジェリア出張するにあたり、またナイジェリア気分になろうと、アチェベの本『崩れゆく絆』を本棚から取り出した。以前も読んだのだが、少し経つと内容をすぐに忘れてしまう私。ナイジェリアの知識が少しだけついた今、もう一度読んでみようとカバンに入れ、出張の往復の飛行機で読み終わった。

ものすごく素朴で簡潔な文章なので、すんなりと読み切ることができ、とても読みやすい。シンプルなのだが奥深い小説である。主人公オコンクウォは努力家で野心家で責任感があり、皆から一目置かれる存在。しかし口下手で家族にも思いをうまく伝えられず、時に怒りがコミュニケーションのツールになってしまう。それが威厳を保つ手段ともなるのだが、家族は主人の気持ちを察して行動する。昔の日本の俺の背中をみて育て的なまっすぐなおやじとちょっと重ねてしまったが、置かれている社会が違うとこの実直さと野心が悲劇を呼ぶ。
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訳者でもあるアフリカ文学者の粟飯原文子さんの前書きと解説も興味深いので、引用しながらご紹介。

チヌア・アチェベは『アフリカ文学の父』と呼ばれ、彼の小説『崩れゆく絆(Things Fall Apart, 1958)』はしばしばアフリカ近代文学の原点、あるいは起源として位置づけられてきた。むろん、アチェベが文字通りの意味でのアフリカ文学の創始者ということではない。アチェベ以前や同時代には、重要な作家や詩人が多く存在した。[・・・] ではなぜ、1958年のアチェベの小説がアフリカ文学の「誕生」と結び付けられるのか。

 たしかに、世界の至るところでこれほど読まれ、論じられ、影響力をもち、名声を勝ちえたアフリカ文学作品は『崩れゆく絆』をおいてほかにないため、このことは当然のようにうけとめられがちである。しかし実のところ、ここにこそアフリカ文学を語る際に立ち返るべき根本的な問いがある。すなわち、「いかにアフリカを書くのか」、「アフリカの文学はどうあるべきか」という文体や形式、主題にかかわる問題であるが、アチェベが「アフリカ文学の父」たるゆえんは、まさしく彼こそがそれまでの揺らぎと迷いに対して決定的とも言える方向性を示しえたからだと言える。小説と言う西洋近代の表現形態、いわばアフリカにとって外来のジャンルを用いてどのようにアフリカの歴史過程に応えるか、というひとつの道筋を創り出し、アフリカ人作家による文学を「アフリカ文学」たらしめる礎を築いたのが、ほかでもないアチェベであったのだ。」

「アチェベが大きな情熱と怒りをもって取り組んだのは、作られた「暗黒大陸」というイメージに対する文学での批判的応答、言い換えるなら、小説という手段をつうじて、暴力的にはく奪されてきた歴史と人間性をアフリカに取り戻すことだった。と同時に、植民地支配のもとで、アフリカ人自らが忘却し、喪失してしまった「過去」を、ふたたびアフリカ人に呼び覚まそうとする試み―アチェベ自身の言葉で言えば「再教育」と「再生」―でもあった。

 しかしそれは、単に古き良き時代の社会と文化を賛美して、失われた過去と理想郷を哀悼する態度ではない。たとえばオコンクウォは悲劇の主人公ではあっても、多くの欠点をもつ人間であり、同じく、ウムオフィア社会もあらゆる問題を抱えている。[・・・] それは過去への挽歌である以上に、アフリカ独立の時代の前夜に、きたるべき未来を見つめる新たなアフリカの想像力となったのだ。」

アチェベは、1960年代のビアフラ戦争の際に、ビアフラ側のスポークスマンだった。この中央政府からの分離を掲げた戦争を契機として、アチェベの信念が大きく揺らぎ、その後20年間小説を書かなかったらしい。「再度小説に取り組むにはーナイジェリアとは、国家とはなにか、という重い問いにもう一度正面切って向き合うにはーかなりの時間を要したのだろう」







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by iihanashi-africa | 2018-06-02 05:53 | ナイジェリア | Trackback | Comments(0)
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