カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕2/2
カンボジア旅行前の気分を高めるために
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕1/2

2日目 午後

キリング・フィールド

プノンペンから15kmのキリング・フィールドは「チュンエク大量虐殺センター」とも呼ぶ。前回の記事にも記述した通り、343の処刑所(キリング・フィールド)の一つである。ここも音声ガイドがあり、とても丁寧な説明がある。

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入口からは、犠牲者の遺骨が保存されている慰霊塔が正面に見える。


c0116370_0561579.jpg慰霊塔のすぐ横に大きなタマリンドの木があるが、嘗てはここに写真のような小屋があり、トゥールスレンからトラックで運ばれてきた人々が押し込められていたらしい。当初は週に2~3回だったのが、ポルポト政権最後の頃は毎日のようにトラックがやってきた。


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殺戮には、化学薬品が使われることもあった。土壌から化学薬品の反応があり、その一部がこうして囲われている。


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遺骨が発見された場所の一部を囲ってあり、お祈りの場所となっている。


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カンボジアの方々に限らず、上座仏教の国ではミサンガのお守りを手首に巻いているのを見かけるが、こうして捧げることもあるようだ。


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亡くなった方々の衣類。
実は、センター内を歩いていると、まだ拾われていない衣類がや遺骨が土から顔を出しているのを見かける。まだ全ての遺骨は拾い切れておらず、雨で表層土壌が流れて一部が見えると、センターの関係者が拾い、追悼するのだそう。


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キリング・ツリーと呼ばれる木。
その名の通りここで特に子供たちが処刑された。


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この地はもともと中国人の墓地だったため、墓碑も残されている。


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最初に正面から見た慰霊碑だが、中に入ることもできる。


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中には無数の遺骨が保存されており、頭部の遺骨の傷からどのように殺害されたかが分かるようになっている。想像もしたくないが、何万人もの人々を処刑した刑執行者はどのような思いだったのだろうか。洗脳されているとここまでしてしまうのだろうか。あるいは執行しないと自分も殺されてしまうという恐怖だったのか。



この時、国際社会はカンボジアをどのように見ていたのだろう

当初からポルポト派を支援していた中国は別として、日本はいち早くポルポト政権を認めた国だった。1976年のこと。1979年にベトナム軍がプノンペンを陥落し、親ベトナムの政権が確立すると、これを認めないアメリカなどの働きかけで、ポルポト派が国連の代表権を得ている。当時はこれだけの虐殺があったことを把握できていなかったのだろうか。

ポルポト派は徹底した秘密主義を貫いた。その秘密主義が結局仲間すら信頼できない状況を生み出し、最終的に内部分裂を引き起こすことになるのだが、「最高指導者ポルポトとは一体、誰でどういう経歴を持つのか、国内ではいったいどういう政策が実行され、何が行われているのか。西側メディアの取材にはほとんど応じず、ポルポト派の実態は西側には伝わらなかった。」
~『人はなぜ殺したのか』より~

1999年、当時のアメリカのクリントン大統領の提唱で、国連の専門家グループが国際法廷の設置を勧告。しかし、カンボジア政府と国連の交渉は難航し、そのうちアメリカも手を引き、日本が引き継ぐことになった。2003年にやっと合意し、5人のポルポト派元幹部が裁かれることになった。元ポルポト派ナンバー2のヌオン・チア、元外交担当副首相のイエン・サリ(2013年に死去)、元国家幹部幹事長のキュー・サムファン、イエン・サリの妻でクメール・ルージュ指導員だったイエン・チリト(2015年に死去、姉はポルポトの最初の妻)、そして、トゥールスレンセンター長だったドッツィ同志
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ポルポトは、1998年に仲間だったタ・モク元参謀総長に人民裁判にかけられて終身刑を宣告され、軟禁されたまま亡くなっている。

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最も早く刑が確定したトゥールスレンのセンター長だったドッツィ同志。


裁判では、直接的あるいは間接的に悲劇に加担した欧米、日本、中国の責任は問われない。「元幹部を法廷で裁くことで「正義が実現された」として歴史のページを無理やり閉じようとしている。私にはそう見えた。歴史を3年8カ月だけ切り取り、その範囲の中だけで断罪する裁判がもたらす正義とは何なのだろうか。約1億8千ドルを費やすそのような裁判の歴史的意義はどこにあるのだろう。」~『人はなぜ殺したのか』より~


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早くもカンボジア到着2日目にして、学ぶことの多い日となった。

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キリング・フィールドまでは、郊外の穏やかな風景を見られるので、トゥクトゥクで行くのがいい。


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夜は、少しオシャレなクメール料理店へ。


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そしてプノンペンのナイトマーケットに立ち寄った。


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去年の台湾旅行を思い出す。
台湾もこういう屋台を回るのが楽しかった。


c0116370_1124729.jpg食事の屋台はそれほど多くないため選択肢は少ないが、味は美味しい。でも、全体的に濃い味だと旅行を通して感じた。なんだろう、ご飯と混ぜ合わせて味を調整して食べるからだろうか。


c0116370_1131315.jpg結構掘り出し物がある。




3日目に続く。


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by iihanashi-africa | 2016-09-05 01:14 | カンボジア | Trackback | Comments(0)
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