パスポートを更新して思ったこと。「署名」と「サイン」の違い。
先日、パスポート更新で市役所に行った。

申請書類の署名欄にいつものように自分のサインを書く。私のサインは自分の氏名の漢字を崩したもの。崩しすぎてファーストネームは読めないくらいになってしまっているが、これがいつも私が使っているサイン。このサインを書いたところ、受け付けてくれた方に「これはご本人のお名前が書いてあるということでよいでしょうか。。。」と聞かれ、そうですと答えると、「通常、署名はこのように漢字かひらがな、ローマ字で書くことになっていまして(事例を見せながら説明)、、、、これ以外の読めない署名を書かれる場合は、海外で簡単に署名が真似されて犯罪に巻き込まれる可能性がありますが、ご了承いただけますでしょうか」とのことだった。

ん???
その説明、おかしくないですか???
楷書の漢字できれいに書いたら、アジア系の方々には真似しやすいだろうし、複雑に崩した方が真似されにくいと思うのですが。。。

と、心の中では思ったのだが、「問題ありません」と答えて、そのまま申請した。

この署名問題、以前も国際免許証取得の際に疑問に思ったことがあり記事にしたが、世間には同じように疑問に思っている方が多いらしく、今や私のブログ記事の中でアクセス数トップを走っている。

国際免許証の署名がローマ字筆記体の理由


今回パスポートを申請して思ったのだが、「署名」を「サイン」と訳していることがこの問題を複雑にしている要因かもしれない。例えば海外の銀行で「サインしてください」と言われたら、「名前を書いてください」という意味ではなく、「あなたが本人であることを証明するための記号を書いてください」という意味。だからとてもシンプルな記号のようなサインの人も多い。

でも日本語の「署名」は「自分の名前を書き記すこと」であって、記号ではない。「署名活動」の署名はまさに名前を書くことであり、読めない署名は意味がないかもしれないが、私にとってパスポートの署名と署名活動の署名は異なる。パスポートの署名は、自分のアイデンティティを示すものであればどういう形でもよく、名前である必要はない。

日本における「署名xサイン」問題は、パスポートや国際免許証だけでなく、様々な場面で発生する。携帯の契約書の署名欄に「サインしてください」と言われたので、いつものようにサインを書いたら、二重線を引かれ楷書で書き直させられたこともある。外国人が契約したらどうしているんだろう。記号みたいなサインでもOKとしているのだろうか、それとも自分の名前のローマ字表記に書きかえさせているのだろうか。。。

日本人も海外で生活する方が増えてきているので、ここに疑問を持つ方が多くなっているのだと思う。でも、日本で生活している分には「署名=記号」などという認識が生まれることはなく、ここにギャップが生じてくる。

「署名≒サイン」問題は、言葉と認識の問題なので、今後も続きそうだなあ。。。
郷に入っては郷に従えかしら。。。


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# by iihanashi-africa | 2019-03-21 12:43 | 日本 | Trackback | Comments(0)
『静かなる叫び』
この映画をブログに書くか迷った。けど、とりあえず備忘録として。。

すごく重い映画で、是非見てくださいとは言えない。私はいつも映画の登場人物に感情移入してしまって、嬉しみや悲しみや恐怖を人一倍感じているような気がするのだが、この映画は重かった。銃撃の映像が脳裏に後まで残りちょっと怖くて、私が生き残った一人だったらどう考えるのだろうとか、、、考えてしまった。

私は映画評論家ではないので、自分の感じるままに記述しているが、多分映画の芸術性としては素晴らしいのだと思う。これだけ脳裏に残る印象深い映像だったから。白黒だったので「過去の出来事」と脳が自動的に認識していたと思うけど、、、でも重かった。


『静かなる叫び』
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
2009年、カナダ
77分


1989年12月6日、モントリオールの理工科大学で銃乱射事件が起きた。この事件をベースに架空の登場人物の事件前と事件の日、そして事件後の様子を少ないセリフで映像化している。架空の人物とはいうものの、おそらく実際に事件に遭遇した方々は、事件後にこういう抱えきれない思いを感じながら過ごしているのかも。




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# by iihanashi-africa | 2019-03-19 18:32 | 日本 | Trackback | Comments(0)
『判決、ふたつの希望』水漏れ事件から始まったレバノンの法廷劇
前回の記事で書いた韓国映画『1987、ある闘いの真実』と同期間に上映されていた映画を見た。昨年とても話題になった映画。

『判決、ふたつの希望』
監督:ジアド・ドゥエイリ
2017年、レバノン、フランス
113分

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(劇場に掲載されていたストーリーより)
レバノンの首都ベイルートのある一角で、小さな諍い起こった。建設会社に雇われ違法建築の補修工事の現場監督をしていたパレスチナ人のヤーセルが、アパートのバルコニーからの水漏れを防ぐ工事を進めたところ、その部屋に住むレバノン人男性トニーが憤慨。せっかく取り付けた新しい排水管を破壊されたヤーセルは「クズ野郎」と吐き捨てる。

キリスト教系政党の熱心な支持者で、かねてからパレスチナ人に反感を抱いていたトニーは、ヤーセルの悪態を断じて許せず、建設会社に乗り込んで社長に本人の謝罪を要求する。ヤーセルの実直な人柄と有能さを高く評価しながらも事を丸く収めたい所長に説得され、仕方なくトニーの経営する自動車修理工場に赴いたヤーセルだが、敵意むき出しのトニーから「お前らはろくでなしだ」と罵倒され、「シャロンに抹殺されていればよかった!」とまで言われる。パレスチナ人にとって最大の侮辱だったその言葉を聞いて、激高したヤーセルは謝罪どころか強烈なパンチを食らわせ、トニーに肋骨2本折る重傷を負わせてしまう。

怒りが頂点に達したトニーは告訴に踏み切った。
この些細ともいえる諍いが、二人のコントロールできる範囲を越えた国中の大論争へと発展していってしまう。


この裁判を通して、二人が過去に体験した出来事が徐々に明るみになり、お互いのことを全く知らなかったことが分かり、なかなか素直になれない二人の心が歩み寄る様子が映像から読み取れてじ~んとくる。

最初実話かと思って映画を見ていたのだが違うらしい。良く作られた映画だと思う。

監督のインタビュー記事を見つけた。数年前に監督がベイルートのマンションで暮らしていた頃、ベランダでサボテンに水をやっていたら、下で道路工事の作業をしていた方に水がかかってしまい、少し口論になったらしい。その時はすぐに謝りに行き、大ごとにならずに済んだのだが、もしあの時、状況が悪化して雪だるま式に膨れ上がっていたら、どうなっていたのだろうと思ったのが物語のきっかけとなったようだ。
https://www.huffingtonpost.jp/foresight/movie-201808315_a_23513430/

この諍いのきっかけとなった「シャロンに抹殺されていればよかった!」という言葉。どこまで重みのある言葉なのか私には分からなくて、この記事を書きながらいろいろ調べて読んだが、やっぱり逆上して暴力をふるってしまうほどの言葉なのか当事者じゃないと分からないことが沢山あるのかも。

この裁判の焦点は、言論の自由はどこまで認められるのか、相手を過度に傷つける言葉は暴力か、その言葉の暴力に対して身体的暴力で返すことは正当防衛と認められるのか。



ほんと考えさせられるし、いい映画だった。


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# by iihanashi-africa | 2019-03-16 18:44 | 日本 | Trackback | Comments(2)
『1987、ある闘いの真実』、31年前の韓国民主化運動
早稲田松竹は、いつもテーマの異なる面白い映画を揃えてくれる。テーマが多様で一辺倒じゃないし、プログラムを見ているだけで飽きない。それに1300円でいい映画を2本見られるんだからとってもお得。

今週のテーマは「その歴史は今も続いている」
韓国の歴史のある真実、レバノンのささいな事件から発生した政治・民族の緊張、歴史から学び今も引き受けるべき教えを映し出してくれる作品を見られた。

まずは、韓国映画。
とても緊張感のある映画で、実話に基づいたストーリーという以上に映画として面白かった。

『1987、ある闘いの真実』
監督:チャン・ジュナン
2017年、韓国
129分


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半年前に、『タクシー運転手』と『ペパーミント・キャンディー』という二つの韓国映画を見た。1980年に民主化ムードの中で発生した光州の大規模デモとその情報を隠ぺいしようとした韓国政府の動きを背景に進むストーリー。この二つの映画で初めて光州事件を知ったのだが、今日見た映画は、その7年後の1987年の話。光州事件から続いていた民主化運動が爆発した年ともいえる。

(以下、劇場に掲載されていたストーリーより)
1987年1月、ソウル大学の学生、パク・ジョンチョルが警察の尋問中に死亡する。彼は学生による反政権デモのリーダーとの関係を疑われ、南営洞警察で取り調べを受けていた。

報せを聞いた南営洞警察のパク所長は、部下に火葬を命令する。「22歳が心臓麻痺?」と、警察からの申請書類を見て、ソウル地検公安部長のチェ検事が眉をひそめた。状況から見て拷問による死だと睨んだチェ検事は、法律通り解剖で死因を解明してから火葬するよう命じる。

そして、チェ検事を慕う後輩検事が、中央日報の記者にソウル大生の死をリークし、「取り調べ中の大学生ショック死」というスクープが流れる。


ここから、どんな手を使ってでも事件を握りつぶそうとする南営洞警察側と、なんとしても真実を明らかにすべきという正義感にかられた人々との闘いが始まる。記者、検事だけでなく、医師、看守も守秘義務と正義感との狭間で葛藤がありながらも、自分が正しいと思うことをする。

警察による拷問致死で亡くなった学生を最初に診断した医師のインタビューを発見。




この映画で、この時代の出来事以外に学んだことが一つ。
民主化運動へのキリスト教の影響
1987年の事件でも、真実を明るみにすることに教会が大きく関わっている。社会の不平等やら人間の本質的に守られるべきものが脅かされていたということなのかな。


とにかく俳優の演技力も構成も素晴らしいし、引き込まれる映画なのでお勧め。



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# by iihanashi-africa | 2019-03-15 18:18 | 韓国 | Trackback | Comments(0)
ガーナ初代大統領のミュージアム
前回の記事、アクラの野口英世ミュージアムに続き、ガーナのミュージアムをもう一つ。ここにもどうしても行ってみたかった。

Kwame Nkrumah Mausoleum
クワメ・ンクルマ廟とメモリアルパーク

http://kwamenkrumahmemorialpark.ghana-net.net/home

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クワメ・ンクルマはガーナの初代大統領。ただし、アフリカのある一国の初代大統領というだけでない。アフリカ独立運動の父として、1960年前後に独立するアフリカ諸国の原動力となった人である。ブルキナファソの首都ワガドゥグ中心街のメイン道路は「クワメ・ンクルマ通り」と呼ばれていた。それだけ他国にも影響を与えた人である。1960年10月の国連総会でアフリカの自由とアパルトヘイトの不当を訴えたことは有名で、同年12月14日に国連総会は植民地独立付与宣言を採択し、全人類が自己決定権を持っており、植民地支配は人権の侵害であると宣言している。

しかし、ンクルマが初代大統領となってからの一党独裁や彼の推進する工業化や巨大プロジェクト、集団農場はあまり評価されていない。大多数の小規模農家をなおざりにしていたため、不満が徐々に蓄積されていった。そしてカカオ流通公社にも見られるように急速に社会主義思想が強くなり、1966年に資本主義国のアメリカ等に支援された反乱軍によりクーデタが起き、ギニアへの亡命を余儀なくされている。

その後、ンクルマが再評価されるまでかなりの時間を要したが、90年代になってやっとガーナの紙幣のデザインに採用されるなどして、アフリカ諸国の独立に対する彼の貢献が再度認められ始めた。私がクワメ・ンクルマの名前を初めて知った時、既にクワメ・ンクルマの評価は高かったのだが、歴史を知れば知るほど人は完璧ではないのだと感じる。特に経済政策は完璧な政策を立てられる人などいないのかも。何が正しいかも分からないメカニズムを「正しい」政策で「正しく」機能させるのは難しい。。。

まあそれはさておき、ンクルマはクーデタ後、ギニアに亡命したわけだが、当時のギニア大統領はンクルマの同志セク・トゥーレだった。ガーナとギニア独立後に同盟を結ぶなど、国家統治方針が非常に似ており、友人同士でもあった。ンクルマはギニアに貴賓扱いで迎え入れられ、トゥーレ大統領からは共同大統領にならないかとも提案されている(断っているが)。

そして体調を崩していた1972年にブカレストで亡くなった。

遺体はギニアに埋葬されたが、1992年にンクルマ路線復帰を掲げる政権の支持者の呼びかけで、遺体がガーナに戻されることになった。その際にアクラ市内に建てられたのがクワメ・ンクルマ廟とメモリアルパークである。

公園は約2ヘクタールほど。クワメ・ンクルマが1957年3月6日に独立宣言をした場所として知られている(最近になって、あれは独立宣言ではなく、独立宣言はその数時間後に国会で行われたスピーチだという説も出てきているが・・・)。それほど大きな公園ではないが、しっかりと整備されていて安心して散歩できる。独立宣言の日の映像は以下の動画をどうぞ。







公園の中央にはクワメ・ンクルマ大統領の銅像が建てられている。
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その奥のモニュメントが、クワメ・ンクルマ廟。アカン族のシンボル(アディンクラ)で「平和」を意味するらしい。
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モニュメントの中央にクワメ・ンクルマが眠っている。
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公園の中に、クワメ・ンクルマ博物館がある。内部は撮影禁止だったので写真がないが、とても貴重な写真や家具等の数々が展示されており、ガイドが詳しい説明をしてくれるので、満足度は上々。特に私生活の写真やギニア亡命後の写真など、興味深いものが沢山。
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博物館の隣に首が落とされたンクルマの銅像がある。クーデタで失脚した時に首が落とされた。今は隣に首が戻されているが、落とされた当時、一人の市民が首を持ち帰り、家でずっと保管していたものを、メモリアルパーク設置にあたり再び世に出したのだそう。
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すぐにブログを書かなかったので、展示物の詳細を忘れてしまった。。。
もう一度行ってみたいなあ。


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# by iihanashi-africa | 2019-03-13 22:27 | ガーナ | Trackback | Comments(0)
アクラの野口英世ミュージアム
折角何度もガーナに行く機会はあったのに、出張だと散歩する時間などない。しかし、昨年11月の出張は図らずも仕事が早めに終わり、少しだけ外にでる時間があった。この機会を逃すと次回ガーナにいつ来られるかも分からないため、急いでタクシーに乗り、これまで行ってみたかった二つの博物館を駆け足で訪問した。

まずは「野口英世ミュージアム」

現在の1000円札の肖像となっている野口英世は、ガーナの首都アクラで生涯を閉じている

私にとって「黄熱病」といえば野口英世なので、勝手に野口英世はガーナに長期滞在して黄熱病の研究をしていたと思いこんでいたのだが、実は6カ月ほどしか滞在していないことを初めて知った。1927年10月に初めてアフリカ(当時はまだ独立前なのでイギリス領ゴールドコーストだったが、現在のガーナ)に出張し、その後ナイジェリアとガーナを行き来しながら、400匹ものサルを使った実験を繰り返し、当初予定の3ヶ月を6ヶ月に伸ばして研究に没頭し、6か月後の1928年5月21日に本人も黄熱病にかかってしまい亡くなられた。実質半年の研究機関で黄熱病の解明に貢献する研究が行われたらしい。野口英世と一緒にガーナで研究していたヤング博士が、英世の死後、その血液をサルに接種したところ発症し、英世の死因が黄熱病であることが判明。そしてそのヤング博士自身も数日後の5月29日に黄熱病で亡くなった。

野口英世はアメリカを拠点に世界各地を渡り歩いている。この地図を見るとほとんどの大陸へ行っていることが分かる。
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ガーナでは、首都アクラのコレブ病院(Korle Bu Hospital)のラボで実験をしていたらしく、今でもそのラボが残っている。そのラボをメモリアルとして保存しようとガーナの日本人会が支援して2010年に「野口英世ミュージアム」と「日本庭園」がオープンした。

コレブ病院は想像していたよりも広大で、まずラボがある建物を探すのに一苦労。でも関係者は誰でも知っているので聞けば迷わず教えてくれる。

まずはこの建物に到着。
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 ここで入場料5セディ(約150円)を支払ってチケットをもらう。


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 ガイドさんが裏の建物へ案内してくれた。現在は、保健省の施設として改修中の建物だが、その中の一つのラボが野口英世が使っていたラボ。

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ここがラボ。ほぼ当時のまま残っているらしい。しっかり埃もかぶっているせいか古めかしく見え、掃除をしていない感じが当時を彷彿とさせてちょうどいい(笑)。
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下の写真の中央のイラストで、野口英世がサルを解体している絵があるのだが、「こうして解体していたのがこの机だ」とガイドさんが教えてくれて、生々しく想像してしまった。。
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ラボの奥の小さな一室が展示室になっている。
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アクラにいる野口英世が妻メアリーに送ったレター。亡くなる1か月半前に書いている。とても愛情たっぷりの文面。
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 母シカ。

野口英世の母シカが送った手紙。原本は福島県の野口英世博物館にあるらしく、これはレプリカ。実は、この博物館を訪問する前に、日本の野口英世博物館に行ったことがある方と話をし、母シカの話を聞いていた。シカは教育を受けておらず、文字を書けなかった。しかし英世に手紙を書くために文字を覚え、覚えたての文字で「早く帰ってきてほしい」という手紙を書いたらしい。この話を聞いていたため、展示物の中でもこの手紙が特に印象深いものとなった。全て平仮名で時折読めない字もあるのだが、「はやくきてくたされ、はやくきてくたされ、はやくきてくたされ」を続けて書いてあり、母の思いがひしひしと伝わる。
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建物の脇に作られた日本庭園。
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最後に記帳をしたら、こんなに小さなミュージアムでもほぼ毎日1組は訪問者があることが分かった。もちろんほとんどが日本人。ガーナに来たらやっぱり訪れてみたくなる場所の一つかな。展示物が豊富なわけではないが、野口英世が実験を行っていたラボに立つだけでも貴重な体験。



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# by iihanashi-africa | 2019-03-05 18:37 | ガーナ | Trackback | Comments(2)
ブルキナファソ映画『La Forêt de Niolo(ニョーロの森)』と環境汚染
今週、ブルキナファソではFESPACO(Festival Panafricain du Cinéma et de la Télévision de Ouagadougou、ワガドゥグ汎アフリカ映画祭)が開催されている。
https://www.fespaco.bf/fr/

このブログでも何度も登場したのでもはや全てをリンクさせるのは手間になってきたが、ちょうど2年前にFESPACOの携帯アプリの記事でアップしていたので、どうぞ。2年ぶりに携帯アプリをダウンロードしたら、前回より更にパワーアップしている。ワガドゥグで映画を見られないのが本当に残念。
FESPACOの携帯アプリ

FESPACOといえばという訳ではないが、ちょうどアップのタイミングなので、ブルキナファソ映画を一つご紹介。

2017年のFESPACOでシナリオ賞を受賞した映画


『La Forêt de Niolo(ニョーロの森)』
監督:Adama Roamba
2017年、ブルキナファソ
87分




アフリカのハリウッド映画といっていいのか、芸術性というよりは娯楽性を重視していて、最後までドキドキ感が止まらず、感動するという意味でいい映画。やはりシナリオがいい。

タイトルの通りニョーロの森が舞台。もちろん架空の森だが、セネガルにNioroという地域があり、実際にある場所かな?と思いGoogle mapで探してしまった。でもやはりなかった笑。
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NGO代表のアイシャジャーナリストの夫ナタナエルは、ニョーロの森の周辺住民をそそのかして実施されたガス・石油開発の事案を追っていた。元鉱山大臣のおひざ元である漁師の村カリは美しいニョーロの森に守られていたが、ある時、湖の水を飲んだ女性や漁師が亡くなり、多くの魚が死んでしまった。この事件とニョーロの森の地下にあたるガス・石油開発との関連性を調査していたナタナエルが、殺害された。アイシャは夫の無念をはらすため、事件の調査をすすめる。

監督がブルキナファソ人なのでブルキナファソ映画ということにはなっているが、出演者はセネガル、カメルーン、ブルキナファソ、マリなど多様な国籍で、監督曰く多国籍映画。まずは、どうしても出演してもらいたかったカメルーン人俳優のGerard Essombaを説得し、出演が決定してからセネガル人女優のRokhaya Niangに話を持ちかけたらしい。私が見に行った上映会では、監督と主演女優のRokhayaが来ていたが、Rokhayaは「シナリオも魅力だったが、Gerard Essombaと共演できるのはこの上ない機会と思った」と話していた。左が主演女優Rokhayaで、右が監督。
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監督の話では、撮影が開始されてから、当初前向きだったスポンサーの多くが、政治色が強いと判断して支援をやめ、途中で予算不足となったらしい。最終的に当初予算の5分の1でなんとか撮り終えた。この映画を政治色が強いと判断するということは、つまり未だにこういうことが行われており、そういう政治家の気持ちを忖度した結果かな。。。でもしっかりと公開されて映画祭で評価されてよかった。


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# by iihanashi-africa | 2019-02-27 18:26 | ブルキナファソ | Trackback | Comments(0)
チゴズィエ・オビオマの『ぼくらが漁師だったころ』という本
セネガルから帰国して1カ月、その後も国内出張やらケニア出張やらが続き、やっと落ち着いた、、、と思ったのもつかの間、一息もつかないうちに、先週後半から歯が急激に痛くなり眠れない日が2日続いた。セネガルで抜髄した歯の根が化膿しているらしい。一旦抗生物質で落ち着かせて来週から根管治療。やはり途上国での歯の治療はリスクが伴うらしい。。。

さて、以前からずっとアップしようと思っていた記事の一つをアップしよう。

いつ読み終わったかももはや記憶にないのだが、去年9月か10月あたりだったか『ぼくらが漁師だったころ』という本を読んだ。


『The Fishermen/ぼくらが漁師だったころ』
Chigozie Obioma チゴズィエ・オビオマ


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もう半年も前に読み終わった本の内容は細かく記憶していないのだが、今でも覚えている第一印象は、「アフリカ文学の父、アチェベの『崩れゆく絆』と似ている」ということだった。舞台や話の展開が強烈で、でも神秘的で、それに文体がまさに純文学。読み始めてすぐに、アチェベだ~、と感じたのを覚えている。でも、訳者のあとがきによると、周囲からはアチェベの後継者と言われているが、本人は『やし酒飲み』のエイモス・トゥトゥオラやその他のナイジェリアやギニアの作家の影響を受けていると話しているらしい。

舞台は1990年代のナイジェリア。著者が生まれ育った南西部の町アクレで、アグウ家の物語が展開する。イケンナ、ボジャ、オベンベ、ベンジャミンの4人兄弟の固い絆がある時をきっかけに崩壊へと向かっていく。「邪悪な」川で魚釣りをするなどもってのほか。「汚いどぶ川の漁師ではなく精神の漁師になれ。お前たちは良きものを釣り上げる漁師になるのだ」と父親に言われて兄弟たちは改心したと思われたが、イケンナは違った。魚釣りの帰りに出くわした狂人の予言が自分の運命であるかのように人が変わっていった。

とても重い小説だが、とても読み応えのある小説だった。

オビオマは、『アメリカ―ナ』のアディーチェと同じナイジェリア人作家。まだ33歳と若い。初めて書いた小説がこのクオリティとはすごい。ナイジェリア文学、奥深し。


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# by iihanashi-africa | 2019-02-25 17:07 | ナイジェリア | Trackback | Comments(5)
エミレーツ航空の機内のお祈り
先月乗ったエミレーツ航空で私の隣の席が空いていたのだが、飛行中、頻繁にCAが隣の席へ来ては画面を操作してフライトマップを確認していた。そして地図上の飛行機の位置を見ながら自分の体を左右にくるくるっと回し、右斜め後ろにひねったあたりで止まり、電車の運転手の出発進行合図のような手つきでこっちだなという確認をし、後ろに立っていた乗客に、「こっちです」と伝えていた。
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イスラム教圏では、機内に限らす地上でもこういう光景はよく見ており、すぐにピンときたのだが、メッカの方向を探していたのだ。

エミレーツのCAをしている友人にその話をしたら、飛行機の中でのお祈りはよくあることだという。以前エコノミーの最前列の座席の前の少し空いたスペースでお祈りをした乗客がいたのだが、偶然にもメッカの方向が飛行機の後方で、最前列の乗客を目の前にお祈りをしたらしい。座っていたヨーロッパ系の乗客は驚いて固まっていたそうだ。そりゃそうだ、なんせ自分に向かってお祈りしているのだから。

今カタールのドーハでトランジット中。
カタール航空には初めて乗ったのだが、エミレーツ同様フライトマップでこういう印が定期的に出てくる。メッカの方向を教えてくれる画面。
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それにしてもカタール航空は機体が小さいせいか結構揺れる。
でも食事は結構いい。

さてこれからナイロビに向かいます。


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# by iihanashi-africa | 2019-02-10 13:11 | UAE | Trackback | Comments(0)
Africa Eco Raceと篠塚健次郎さんの挑戦
セネガルという国も、ワールドカップを通して日本でも有名になったが、以前はセネガルか国であることすら知られておらず、首都ダカールの名前の方が知られていた。最近は「セネガル」も「ダカール」も両方聞いたことがあるという方も増えてきたが、ダカールがセネガルの首都であることを知っている人はまだ少ない。

「ダカール」の名前が日本で有名になったのは、パリ=ダカールラリー(正式名称はダカールラリー、通称パリダカ)がきっかけなのだと思う。以前ラックローズの記事を書いた時にちらっと記述したが(パリダカのゴール、ラックローズと外国人労働者)、1978年に始まってから2007年にモーリタニア周辺の情勢が不安定になって南米での開催を余儀なくされるまで、毎年広大なサハラ砂漠を走る酔狂レースが開催され、挑戦者の興奮を掻き立てていた。毎年コースが異なり、アルジェリア、チュニジア、リビア、モロッコ、マリなど、一度として同じコースはなかった。

南米開催となったパリダカは、サハラを経験している人たちにとっては少々物足りないらしい。やはり元のコースへ戻りたいという思いは少なからずあるという。パリダカが安全を考慮して中止となった2008年、過去の優勝者も含めた有志の間でAfrica Eco Raceプロジェクトが立ち上がり、2009年からパリ=ダカールラリーと同じようなレースが始まった。それほど大々的には宣伝されていないが、ユーロスポーツでは毎日のようにその日のレース結果が放映されているし、それなりに注目されているのだと思う。

Africa Eco Raceのサイト



今年2019年のAfrica Eco Raceに篠塚健次郎が参加した。

1986年に俳優の夏木陽介と共に初出場してから毎年参加し続け、12年目の1997年に48歳にして日本人初の総合優勝を成し遂げた。パリダカ世代ではない私も、篠塚健次郎の名前はもちろん知っていたし、まさかあの篠塚健次郎にラックローズでお会いできるとは思いもよらなかった。

このサイトの記事は篠塚健次郎の歴史がとても分かりやすい。

「第40回:砂漠の覇者Mitsubishi 「パリダカ」を制したパジェロの苦闘」
https://www.webcg.net/articles/-/40117

今年70歳になる篠塚さんはやはりサハラ砂漠を走りたいという思いが強くなり、12年ぶりに出場を決めたそうだ。篠塚さんは清里に住んでおり、山梨県内ニュースでも紹介されたらしく、1月初めにセネガルに来た両親も番組をみて知っていた。6500kmを駆け抜けるレース。今年はモーリタニア国内をぐるっと回る形になっていて厳しいコースだったと思う。
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Africa Eco Raceのゴールは2019年1月13日(日)のラックローズ。帰国直前ではあったが、こんな機会は二度とないかもしれないので、当日に友人とやっぱり行こう!と決めた。

前日までAfrica Eco RaceのサイトやFacebookのアップ記事を追っていたが、最終日に何時にラックローズに到着するのかが分からない。ただ唯一判断できる情報は、サンルイを日の出前に出発するという記述。サンルイを日の出前に出れば、遅くともお昼前にはラックローズに着くかもしれない。その情報をもとに、お昼くらいにダカールを出発してラックローズに向かうことにした。

Africa Eco Raceのサイトでは、ライブでどの車両がどこを走っているか分かるようになっている。13日も朝からライブ配信を確認しており、篠塚さんの車両は中盤後方を走っているのを見ていたが、全体では36中、34位。ということは、お昼過ぎに行ってもおそらくゴールは余裕で見られるだろうということだった。
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パリダカの時もそうだったが、最終日はレース区間が短く、最後の21kmはラックローズまでの海岸を列になって走行する。この時点ですでに順位は決まっており、21kmはファイナルラン。それは圧巻らしい。今回は海岸までは見に行けなかったが、空撮映像が配信されており、とても見応えがある。



ラックローズはお祭り騒ぎだった。
こんなに華やかなラックローズなどもちろん見たことがない。パリダカ全盛期を良く知る友人は、当時に比べると規模も人数も半減だそうだ。それでも私にとっては初めて見る光景で気分が高揚した。
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篠塚さんのレース番号は分かっていたので「217番」を探し回ってやっと車を発見。ほとんどの車は戦から帰ってきた兵士のようにボロボロの車体なのだが、篠塚さんの車はとても綺麗。ただ、前方はかなり修理したらしい。よくよく車体を見ると、「古希から喜寿へ」と書かれている。古希の70歳の今年から77歳の喜寿まで、継続して出場する予定らしい。77歳のレーサーかあ。格好いい。
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ゴール地点は、順位の通りに車がゲートをくぐり、それぞれのインタビューが行われる。一台に15分くらいは時間をかけているためとっても時間がかかる。

# by iihanashi-africa | 2019-01-30 00:23 | セネガル | Trackback | Comments(2)
携帯紛失時のLineとWhatsAppのアカウント引継ぎ
最近珍しく自分の生活をさらけ出しているが、もう一つだけ小話を。

先週日本に帰国したが、セネガルを発つ2日前に私用携帯を紛失し、結局見つからないまま帰国した。携帯をなくした時の痛手はやはりデータ。ただ不幸中の幸い、写真データの大半はパソコンに取り込んでいたし、多くの方とのやり取りはfacebookメッセンジャーなのでパソコン上でもやりとりしており、唯一完全になくしてしまったものと言えば、友人たちの電話番号。でも思ったより落ち込んでいない。自分でも不思議なほどに。

最近友人と電話をすることがほとんどなくなった。必要な電話番号は家族くらい。連絡手段は電話番号のみという友人ももはや少ない。大抵メールなりSNSなりでも繋がっている。電話番号しか繋がっていなくても必要な場合は誰かに聞けばどうにか分かる。

帰国後、私は新たに携帯端末を購入し日本の携帯番号を入手した。以前のアカウントを引き継げないか苦心したのはラインWhatsApp

まずはラインについて私と同じような状況でアカウントを復活させた例がないか調べたが、これが意外と少ない。通常、携帯を紛失した場合はまず番号を止め、同じ番号を別の端末で復活させる。しかし、私の場合、携帯番号も端末も異なるため、あまり事例がない。唯一の救いはラインにメールアドレスを登録していたこと。問い合わせ窓口と何度かやり取りがあり、かなり詳細に情報を伝えたことで、幸いにもアカウントが復活した。大切な人たちとの過去のトークは全て消えてしまったが、それは仕方ない。

さて、WhatsAppだが、日本で主流のラインにかわり海外ではWhatsAppが主流。私も外国人の友人たちとはWhatsAppで繋がっている。WhatsAppは日本語の問い合わせ窓口が見つからず、英語でのやりとりとなった。ラインと同じように説明し、対応自体も悪くはなかったものの、最終的な返事は以下の通りで結局「引継ぎ不可能」というもの。

Unfortunately, we can't help you change your account phone number or transfer account information due to security reasons. The verification process needs to be completed individually by each user.

•If you are still using WhatsApp with your previous phone number verified:
Please use our Change Number feature to migrate your old account information and group participation to the new number.

•If you don’t have access to your previous WhatsApp account:
It's not possible to migrate your account information to the new phone number. You may, however, create a brand new account. In this case, you will have to set up your new profile information and ask your contacts to add you back to the groups you used to belong to.

残念無念。

これらの教訓を経て、電話番号は全てgoogle連絡先に保存することにし、クラウドに頻繁にバックアップをとっておくことを肝に銘じた。

でも、もちろん携帯を紛失しないことが第一だけどね。


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# by iihanashi-africa | 2019-01-22 22:42 | セネガル | Trackback | Comments(2)
電気を止めるまでの複雑なやりとり
一昨日ダカールを出発し、長いドバイのトランジットを経て帰国した。
しばらくご無沙汰していたブログを再開。

********************

セネガル離任前、私用車を売り、購入した家具を売り、電気を止め、インターネットを切り、アパートを引き払うという作業があった。以前赴任していたマダガスカルでもブルキナファソでは、後任やちょうどタイミングよく赴任された方がアパートや車をそのまま引き継いでくれたため、こういう手続きがなかったのだが、毎回そんなにうまくいくものでもない。日本とは異なり、全てがすんなりと事が運ばない最後の閉めを記録しておこう。

電気の解約

アパートの退去予定日一週間前に、電気会社Senelecへ解約について問い合わせに行った。担当者によると、解約申請した翌日に電気会社の調査員がメーター確認に行き、その場で電気を止め、私が残額を支払いに電気会社へ再度足を運ぶというものだった。つまり2日かかる。それに週末対応は不可。土曜日にアパートを退去する予定の私は、仕方なく金曜に電気を切り、金曜の夜は懐中電灯で過ごすことを決める。

木曜の朝、電気会社へ行き解約申請をすると、「自宅のメーターの写真を撮ってくれば、今日中に支払えて明日来る必要がなくなるわよ」と親切にも教えてくれた。そのため一旦帰宅し、建物の警備員に聞いて私のメーターの場所を教えてもらい、写真を撮ってから電気会社へ戻った。計算してもらったら最終的に私が支払うべき金額は約3万セーファー(6千円)。しかし、私は電気の契約時に12万セーファーの保証金を支払っていたので、むしろ私が電気会社から9万セーファーを返金してもらうことになる。そして今度は払い戻し申請をしなければならない。

払い戻し申請には電気契約時の書類が必要だという。私、そんなものもらった記憶なし。ありませんけど、、、と伝えると、それがないと申請できないという。どうしたらよいのか問うと、警察で紛失届を書いてもらってきなさいとのこと。おそらく、ここで諦めてしまう人もいるだろうが、私はできる限り最後まで突き進むことを選択。すぐに警察署に行き、契約書の紛失届を申請する。申請自体は簡単にできたが(むしろ簡単すぎてどんな偽造も可能だと思ったがそれはさておき)、署名した書類を引き取れるのは半日後。こういうことに時間がかかる。。。それでも昼過ぎに紛失届を引き取れ、その足で再度電気会社へ向かい、とりあえず申請は終了。

金曜午後か月曜の朝には返金されるということで、月曜の朝一で出向くと、まだ準備できていない。「もう私明日帰国するのですが・・・」というと担当者は「もう私の手を離れているから私の責任じゃないわ」という。はあ、こういうやりとりに疲れてしまう。とにかく、明日の朝一までは時間があるから、準備ができたら電話してほしいと言い残してまずは職場へ向かった。その2時間後、なんと準備ができたと連絡があった。

返金受け取り完了。
離任前に受け取れたレアなケースだと思う。

銀行口座解約

私は在外勤務手当なるものをセネガルの口座に送金してもらっていた。塵も積もればで、離任時にはある程度の金額になり、銀行口座を閉鎖するにあたってまずは日本への送金手続きを行った。しかし、金額が大きいので送金許可が下りない可能性があるから給料明細をもってこいという。所属先からは離任証明を出してもらっているが、それだけではだめらしい。

所属先からは毎月同じ日に一定額が入金されるので、怪しいお金ではないことくらい銀行が調べれば分かるだろうにと不満に思いながらも、仕方なく日本語の給料明細を家に取りに帰り提出。ちょっとだけ仏語翻訳を書き込んだが、もちろん手書き。だって時間がないですもの。。。なんとか口座担当とも話ができ、申請の二日後に送金完了。

そして一週間たった本日無事に日本の銀行口座に入金。
なくなることはないだろうとは思っていたが、確認するまではやはり心配であった。


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# by iihanashi-africa | 2019-01-18 06:21 | セネガル | Trackback | Comments(0)
セネガルのクリスマスと年末
今年は久しぶりに年末をアフリカで過ごした。

年末年始に一時帰国しなかった年は数少なく、海外での年越しはマダガスカルの2012年以来かも。今年はクリスマスも年越しもダカールで、それはそれでなかなかない経験だった。昨年を振り返った記事の後にクリスマスの話というのもちぐはぐだが、空港で両親を出迎える前の時間が少しあるので、記録のために書いておこうかな。

昨年のクリスマスの時期、こういう記事を書いた。イスラム教圏のセネガルでもクリスマスが若者たちや子どもたちの重要イベントとなっている話。
イスラム教徒の若者最大のイベント、クリスマス?

残念ながらサンタクロースがメッカの方向を向いてお祈りをしている姿は見られなかったが(笑)、十分にダカールでクリスマスの気分を味わった。イスラム教徒の家でも子どもたちにとってクリスマスはプレゼントをもらえる日であり、親たちも仕方なくプレゼントを買う。世界各国同じ。

家の近くのスーパーに行ったらクリスマスツリーの横に大きなサンタクロースの人形が、、、と思ったら動いた。中に人がいた。全然分からなかった笑
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ダカールでは12月31日の夜12時に花火が打ちあがると聞いていた。それを今年初めて見た。この花火、実は一般の方々がプライベートで購入しているらしい(もしかしたら企業も含まれるかな?)。360度四方八方で花火が打ちあがり結構見ごたえがある。もちろん一つ一つの花火は日本の花火に比べたら大したことはないが、個人が購入して打ち上げていると聞くと凄さが増す。ただ、数年前まではもっと豪快に花火が上がっていたようなのだが、テロなど安全上の問題が出てきたころから花火が自粛されつつあるらしい。



この日、夜中1時に友人宅から帰宅したら、もう大渋滞。
ダカール市内のこんな賑わいは見たことがない。でも、外にいるのは皆若者。こういう雰囲気はヨーロッパの流れを受け継いでいるかも。

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# by iihanashi-africa | 2019-01-02 10:56 | セネガル | Trackback | Comments(0)
2019年もどうぞ宜しくお願いいたします
年が明けてしまいました。

ブログを確認したら、最後の更新は昨年12月5日。
またもや読者から「更新されてないよ~」と連絡があり、体調を心配する声まで。。。
元気にしておりますとせめて一声発しなければと、急いで書いています。

2017年1月からセネガルに赴任しておりますが、ちょうど2年経つ2019年1月、あと2週間後に離任して日本に戻ります。離任前の4か月は怒涛の日々で、12月半ばに最後の出張を終え、それから日本語と仏語の最終報告書にとりかかり、昨日12月31日になんとかまとめ終わりました。

この2年間は本当にやりがいのある充実した仕事内容を任せていただきました。ここまで本心からやりたいと思う仕事をさせていただく機会はなかなかないと思います。このポストに応募してみたらと誘ってくださった方、その後農業普及の基本理念を教えてくださった方、人のモチベーションの高め方を教えてくださった方、西アフリカ各国の現場で農家の自立のために同じ方向を向いて活動をした各国農業省の方々。多くの方々のお力添えいただいたおかげで、これから目指すべきアフリカの農業普及の道の第一歩を踏み出すサポートをさせていただけたと思っています。

そして自分自身も大きく成長した2年でした。
この年齢になって「成長」なんて言っていられないのかもしれませんが、やはりいつになっても学ぶことは多く、いつまで経っても自分は未熟だと感じてしまい、ほんといつになったら成熟したと感じるようになるのだろう。今年もみなさまのサポートを得ながら成長できるかな。

2019年は日本でゆったりと過ごす年になると思います。
セネガルを離任するまではブログの更新が途絶えるかもしれませんが、その後はまたぼちぼちとアップしますので、今年もどうぞ『アフリカに思いやり by iihanashi-africa』を宜しくお願いいたします。

***************

さて、実は、あと4時間後に両親と叔母がセネガルに到着します。

Flight Radarアプリによると、今ギニアの上空。ギニアの首都コナクリを経由してダカールに到着します。

母は、私がマダガスカル赴任中に、旅行に来てくれたことがあります。でも、アフリカ大陸は初めて。父と叔母はアフリカ初旅行。父は私がブルキナファソにいた頃にブルキナファソに行ってみたいと話していましたが、まだ当時は現役で働いていたのでその願いは叶わず。私自身も今後いつアフリカで生活することがあるかも分からないし、この機会を逃したら両親もアフリカ大陸に来る機会がなくなってしまうかもしれないと思ったら、離任前の忙しい時期ではあるけれど、もうこれは来てもらうしかないでしょう。両親を受け入れるために報告書を急ピッチで終え、気分すっきり、とてもゆったりとした気持ちで一緒に旅行ができそうです。

夫もそうだったのですが、私の両親もアフリカに来ることには全く抵抗なく行きたいと言ってくれ、アフリカで生活する私にとってはこんなことが感極まるほど嬉しいのです。そして両親の誘いにすんなり乗ってくれた叔母にも感謝。6日間の短い滞在を楽しんでもらえるといいな。

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少し前、ブルキナファソ上空を飛んでいました。行きたかったブルキナファソを空から眺められたかな。



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# by iihanashi-africa | 2019-01-01 22:32 | セネガル | Trackback | Comments(2)
つっ込みどころ満載のセネガル国際マラソン
毎年11月に開催されているサリーのセネガル国際マラソン。去年も参加し、今年も友人たちと参加してきた。

http://www.marathondusenegal.com/

相変わらず忙しくて全然練習が追いつかなかったし、ハーフマラソンへ登録するつもりなど毛頭なく、10キロの部に登録。それも直前までガーナとブルキナファソ出張で、土曜日の昼12時頃にブルキナファソから飛行機でセネガルに戻り、そのまま家に帰らずに大きなスーツケースを持ったままサリーのホテルへ向かうというハードスケジュール。そして翌朝にマラソン。このスケジュールでよく走ろうと思ったなあ。

なんて自分をほめたたえていたら、JICAの協力隊員さんで、一週間前に誘われてフルマラソンに登録したという女性を発見。さすが、若いっていいわね~、こういう時自分の限界以上のこともやろうと思ってしまうもんね~、私も昔だったら練習してなくてもフルマラソン登録しちゃってたけど、限界を知ってしまった今は無理だわ~、なんて友人たちとおばさんトークを繰り広げていたのだが、実はこの協力隊員の女性がフルマラソンの女性の部で1位になっていたことが後から判明。なんと元々の蓄積があったのね。すごい。

マラソン大会は、ネット登録が可能だったので、私たちはまず各自がネット登録。前日まで登録可というおおらかな大会(笑)。ゼッケンは前日の17時までにマラソン大会のスタート地点にある「マラソン村」というところに取りに行くことになっていたので、最初に着いた私が全員分を受け取りに行ったら、登録用紙を渡され、これに記入しろという。記入をし始めてから、あれ?これってネット登録した情報と同じなんですけど~~。「これ、もう一度書かなきゃならないんですか?ネット登録したのに??」と聞き直したら、「じゃあ、名前だけ書いてください」と言われ、これネット登録と全く連動していないんじゃないかと疑問を抱く。

*******************

さて翌朝8時に出発だと言うので、しっかり8時前に到着したのだが、スタート地点が去年と異なり、どこか分からない。とりあえずみんなが集まっているところに歩いていく。で、あれ、なんか私たちゼッケンの数字が大きすぎない???と不安になる。みんな0051と0129とか、大体0で始まっており、かろうじて1100番台の人を1人発見したが、1500番台は私たちだけ。。。この違いは何だろう。

8時過ぎてから、こうして諸々の資機材が運び込まれ、スタート地点がやっと設置された。
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そして、8時過ぎても登録しにくる人が沢山。登録は昨日までじゃなかったんかい。
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8時15分頃、やっとフルマラソンとハーフマラソンが同時に出発。
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その後、子どもたちの2キロの部が出発。
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そして子どもたちがゴールしてから、10キロと5キロが出発。出発は8時とか言っていたが結局1時間後の9時。それも9時9分という微妙な時間。
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大半はアスファルトだが、途中一部砂地になる。これが結構な砂の層で足がもつれる。砂地の写真はないが、途中で写真を撮ってくれた方が送ってくれたのがこれ。こんな感じのところをひたすら走る。写真には道路脇に集まっていた子たちが写っていないが、給水所のペットボトル目当ての子どもたちが集まっており、ワイワイと盛り上がっているので、応援してくれているわけではないが、なんとか孤独感を味うことなく走ることができる。
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途中の給水所では600mgのミネラルウォーターのペットボトルが配られる。これが、重い。ほんの少しだけ水を飲みたいだけだから紙コップくらいがちょうどいいのだが。それに走っている途中の疲れているときに、新しいペットボトルのキャップを力を入れてあけるのって結構しんどい。。。この重たいペットボトルの水を少しだけ飲んで、また蓋をして、子どもたちにあげる。まあ、捨てるわけではなく子どもたちがもらってくれるならまだいいか。

私たちが走っている間に、ゴール地点ではこういうモードコレクションが行われていたらしい。
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今年はゴール地点が去年と違った。そのため、残り数百メートルでラストスパートしようと思って最後の角を曲がったら、ゴールはもう目と鼻の先だった。。。折角なので残り100mくらいで猛烈スパート。結果はおそらく1時間7分か8分くらい。練習不足でこれならまあまあでしょう。
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優勝すると、こういう格好をさせられるらしい笑(セネガルマラソンのfacebookサイトより)。
いやいや笑い事ではなく、王様と女王様の格好。私も着てみたいわと友人に話したら、「え~、私は顔に落書きされるの嫌だわ~」と笑
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***************

さて、本日、セネガルマラソンのサイトの結果が掲載されたのだが、わたしのタイム、1時間59分になっている。。。ありえない。。。まあ数分の誤差なら分かるけど、どうやってタイムを導いているのだろうか。私、この時間にはホテルに戻って優雅に朝食を食べてましたが。。。

最後の最後まで期待を裏切らない。



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# by iihanashi-africa | 2018-12-05 09:07 | セネガル | Trackback | Comments(0)
アブラヤシの木とパームオイルの原料
ガーナはアブラヤシの生産量も世界第8位。アフリカでは、ナイジェリア、カメルーンに次いで第3位。ガーナのイースタン州を訪問した際は、カカオの木に匹敵するほどアブラヤシの木がそこかしこに見られた。

あまり間近で実を見たことがなかったので、野菜畑へ行くまでに何度も立ち止まってアブラヤシの写真を撮ってしまった。
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これを搾油すると真っ赤なパームオイルが出来上がる。
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パームオイルは安価なため、アフリカではおそらく最も調理に使われている油ではないだろうか。
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日本では、赤い色や独特の風味が好まれず、また健康にも実はよくないとも言われており、パーム油をそのまま調理に使うことはほとんどない。しかし、実は見えないところで私たちの口に大量に入っていることはご存知だろうか。最も知られているのはチョコレート、そしてスナック菓子、カップ麺、クッキー、マーガリンなどなど。私は、職場にいるときほぼ毎日セネガル料理のランチなので、私の体はパームオイルで一杯かも。。


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# by iihanashi-africa | 2018-12-04 07:53 | ガーナ | Trackback | Comments(0)