トマ・サンカラの死から29年(その1)
トマ・サンカラ元大統領が暗殺されてから2016年10月15日で29年が経った。10月15日前にアップしようと意気込んでいたのに、全然間に合わなかった。。。来年は30年の節目で、20年目同様に大きなセレモニーが行われるかもしれない。

トマ・サンカラ(Thomas Sankara)は、1983年~1987年までの4年間しか大統領のポストにいなかったにも関わらず、今もなお多くの国民から敬意を表されており、30年経った今でも毎年10月15日はサンカラに関する多くの新聞記事が掲載され、ミュージシャンはサンカラの歌を歌うし、サンカラの演劇も上映されるし、ドキュメンタリーや映画も作られる。私のブルキナファソの友人は、サンカラの時代は本当に社会に活気があったと語る。完全なる社会主義だったが、男も女も老人も子供も、みんな平等に働く。国民が全員外に出て、人海戦術で線路を造ったり、みんなで一斉に植林をしたりと、楽しかったという。サンカラ自身も贅沢をせず、庶民の目線に立つことが出来ていた人だったようだ。一方で、やはり富裕層からは好かれない存在だったのだとは思う。

私自身は特にサンカラの信奉者ではないけれど、私が尊敬する友人たちがサンカラを尊敬しており、やはり気になる存在である。以前、出張でブルキナファソに来たマダガスカル人やカメルーン人が、「サンカラの墓に行きたい」と言ったことを思い出す。現にサンカラは、ブルキナファソ国内だけでなく、全アフリカ諸国の国民から一目置かれる存在だった。サンカラ政権当時に、あるブルキナファソ人がセネガルへ出張に行ったとき、空港の税関職員がブルキナファソのパスポートを見るなり「おお!!!マイブラザー、ブルキナファソ!!!」と握手してきたそうだ。アフリカ大陸に限らず、スイスでもワシントンでもブルキナファソ人というと一目置かれたという。サンカラが亡くなった時は、遠く離れたカメルーンの首都ヤウンデでも市民が路上で泣いて悲しんだそうだ。それだけの人気があった。


ちなみにサンカラのお墓はワガドゥグの街中にある。写真撮影は禁止で、いつも警備の方が監視しており、自分が撮った写真はないので、下に紹介したドキュメンタリーから映像を拝借。
c0116370_21285948.jpg



最近、友人からトマ・サンカラの興味深いドキュメンタリーがあると教えてもらい、夜中に見始めたら、本当に面白くて、翌日も仕事なのに1時間半を一気に見てしまった。サンカラの話は有名で様々な伝説を聞いていたが、ここまで貴重な映像がまとめられたドキュメンタリーはあまり見たことがない。この映像がいつまでアップされているか分からないが、関心のある方は是非見てほしい(あああ、、、こうしているうちにアクセスできなくなってしまった)。

http://www.lcp.fr/emissions/277352-capitaine-thomas-sankara

もう一つ興味深いドキュメンタリーがあるのだが、これは、サンカラに近かった方々のインタビューをまとめたもので、映像としては面白くないかもしれないが、フランス語が分かる方には興味深いかも。ただし、これもサンカラを賛辞するものばかりかな。



こちらは、英語版のドキュメンタリー。個人的には、こちらの方が面白い。様々な角度から現実を描いていて、サンカラ政権も最後には少し歪が生まれていたことも客観的に描いている。



<生誕~軍士官学校でマルクス主義に出会うまで>
トマ・サンカラは、1949年12月21日、ワガドゥグから北西約100kmに位置するヤコ市で生まれ、幼少期から高校まではブルキナファソ南部のガウアで過ごした。子供の頃からカリスマ性がありリーダー的存在だったが、弱い者を守るという正義感は昔からあったようだ。その後、ボボ・ディウラソの高校に通うことになったが、1年目は奨学金をもらえず財政的にも非常に苦しく、知り合いの家族のところに居候していた。2年目からはなんとか奨学金をもらって寮に入ることが出来た。とても成績が良く、医者になることを目指していたが、医学部の奨学金を得るためには太い人脈が必要だったようで、それがなかったサンカラは医学の道を諦めざるを得なかった。その後、軍の士官学校に入ったのだが、ここでも成績は良かったようだ。軍では、今とは異なり、道路整備等のインフラ工事や農業などを行うこともあったらしい。そしてここで、歴史学者アダマ・トゥレAdama Touréを通して、サンカラの運命を変えるマルクス主義に出会う

<マダガスカルの国民デモから得たもの>
1970年~1972年、マダガスカルのアンチラベ士官学校で研修を受けることになる。社会主義の考え方を確固たるものにしたのが、この時期である。フランスの新植民地主義の推進者のチラナナ政権に反対する農民や学生のデモがまさに起きている瞬間に出くわした。その後、マダガスカルは、1975年に、反・新植民地主義のラチラカ大統領に政権が変わった。サンカラと同じように軍出身で新植民地主義に反対するラチラカがトップに立ったことで、軍の役割は広いことを感じることになる。軍が守るべき「セキュリティー」とは身体的なものだけでなく、経済的セキュリティー、文化的セキュリティー、精神的セキュリティーなど様々なものがあり、それら全ての保護は軍の役割に入ると考えた。余談だが、マダガスカル滞在中に、サンカラは稲作大国の田んぼへ出かけては技術や農機具を観察していたという。

<マダガスカルから帰国後、共産グループを結成するまで>
マダガスカルから帰国後、オートボルタ(現ブルキナファソ)とマリの国境紛争の地へ派遣され、そこで名声を挙げて有名になる。1976年、ポーの軍訓練校の指揮官になる。同年に、モロッコでの研修の際に、後に右腕となるブレーズ・コンパオレと出会う。そして、ブレーズ・コンパオレも含む複数の将校と共にROC(Regroupement des Officiers Communistes:共産主義将校グループ)を結成する。

<ゼルボ政権下の国務大臣ポスト>
1980年11月25日、セイ・ゼルボSaye Zerboによるオートボルタ初の軍によるクーデターが起き、ゼルボ政権下でサンカラは情報国務大臣に任命される。このポストはいやいや引き受けており、着任する時から長くはいないと発言していたが、その言葉通り、着任翌年の1982年4月に国際会議のスピーチで「国民を力ずくで黙らせる者に災いあれ «Malheur, à ceux qui bâillonnent le peuple!»」と言い残して突然辞任した。今では非常に有名になったセンテンスである。

<首相の座~逮捕>
これをきっかけにもともと国民には人気のなかった政府に対し、内部の人々も疑問を持ち始めるようになり、1982年11月には再びクーデターが起きる。トップに立ったのは若い将校のジョン・バティスト・ウエドラオゴJean-Baptiste Ouedraogo。その政権下で、サンカラは首相に任命される。しかし、大統領は新植民地主義を継続させたため、革命を目指すサンカラとは、当然のことながらうまくいくはずがなかった。2ヵ月後、サンカラは、ボボ・ディウラソで反政府ミーティングを行い、大多数の国民の支持を得ている。しかし、反政府ミーティングを行った罪で、他の軍関係者と合わせて逮捕された。ブレーズ・コンパオレも逮捕者リストにあったものの、うまくかわして逮捕を逃れ、サンカラが設立した野党勢力のあったポーに戻った。

<サンカラ逮捕に抗議する人民蜂起>
サンカラの逮捕後から、ワガドゥグ市内は「Liberez Sankara !(サンカラを解放しろ!)」と訴える国民がデモを起こした。デモ隊と警備隊との衝突は非常に激しく、デモ隊を拡散させるために催涙弾が使われたりもしたが、それでもデモは続き、大統領はこの国民の圧力に対抗することは出来ずにサンカラと仲間たちを解放することとなった。
c0116370_2137847.png


1983年8月4日、ブレーズ・コンパオレ率いるポーの勢力がワガドゥグにあがり、クーデターを起こすのだが、この時国民の大半が一緒にワガドゥグへ向かい、一緒になって電気を止めたり、電話を止めたりとクーデターを支援した。国民も武器を持って戦ったそう。クーデターと言っているが、「民衆蜂起」あるいは「革命」の様相が強かったという。

『民衆蜂起(Insurrection populaire)』

人民蜂起と言えば、2014年に国民の政府への反対デモが拡大して当時のブレーズ・コンパオレ大統領を追い出した出来事も、クーデターではなく「民衆蜂起」あるいは「革命(révolution)」と呼んでいる。この議論、2014年にも書いたなあ(クーデター or 革命?)。当時の私にとっては、かなり目新しい議論だったが、ブルキナファソにとっては同じような状況を既に経験していたのだ。なるほどね。だから、あの時もさくっと「革命」という言葉が躊躇なく出てきたのかも。ただ、この時は軍が前面に出ているという意味で、やはりクーデターである。

こうして1983年、サンカラは35歳の若さで大統領になる

いやあ、、、長い記事を書きすぎたので、やっぱり二つに分けよう。

次回に続く。


にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-10-25 21:47 | ブルキナファソ | Trackback | Comments(0)
「女を修理する男」:コンゴ民主共和国で横行するレイプ
c0116370_3323473.jpg



今年の難民映画祭でサブサハラアフリカが舞台となっていた唯一の映画を見に行った。


ノーベル平和賞候補に過去2回名前が挙がっているコンゴ民主共和国の産婦人科医ムクウェゲ医師(Denis Mukwege)のドキュメンタリー。30年間、ルワンダとブルンジとの国境に接するコンゴ民主共和国東部の南キブ州のブカブBukavuの病院に勤めている。

コンゴ民主共和国の特に東部では、2000年以降、約50万人の女性がレイプの被害に遭ったと言われている。ムクウェゲ医師はこれまでに4万人の女性の手術をしてきた。

映画の紹介映像


つい先日までご本人が来日しており、様々な大学で講演を行っていた。

映画は、衝撃的だった。

尿と便が同じところから出てくるようになってしまったり、8歳の少女が内臓が傷つくほどのレイプをされたり。もう一生女性としての大事な機能が使えない状況になる。自分に置き換えると寒気が止まらないし、おぞましさと共に怒りしか込み上げない。

「レイプは最も効果的な武器」という表現があった。レイプというのは、男性の欲求を満たすためにすることだと思っていたため、私には「武器」の意味がよく理解できなかった。しかし、下にリンクを貼った別の番組やムクウェゲ医師のインタビューを聞いてやっと理解できた。村を崩壊させるために手っ取り早い方法だというのだ。村の全ての女性をレイプする。子供や夫や隣人の目の前でレイプするのだ。夫は守れなかった嘆き、女性はそのトラウマから立ち直れない。その村の中で生きていけなくなる。村は崩壊する、そういう意味で、「武器」なのだ。

映画を見る前は、レイプは兵士によるものだけかと思っていた。1994年から始まったルワンダの紛争に伴い、コンゴ民主共和国東部で反政府活動を始めた勢力による横行から始まり、そこからコンゴの兵士たちも同じように「武器」を使い始めた、という問題だけだと思っていた。しかし、ドキュメンタリーを見たら、問題はもっと複雑であることを知った。

鉱山資源が豊富な地域。その資源を求めて村を襲う隣国の兵士たち。またそれとは別に、コンゴ民主共和国では、今、女児の性器や子宮を奪って祈ると長生きしたり富を得られるというような思想もあり、伝統的な呪術師が助長しているという。

タンザニアをはじめとしたアルビノ狩りの話を思い出した。アルビノの体の一部が健康や権力、幸福をもたらすと主張する呪術医を信じてアルビノ狩りが起こっているのだ。
タンザニア映画「White Shadow」:アルビノ狩りの現実

**********************

ムクウェゲ氏は当初は、フランスの大学で小児科を専攻していたそう。しかし、コンゴの病院でインターンをしたときに、出産の時に亡くなる女性の数の多さにショックを受け、産婦人科になることを決めたそう。それから30年間ブカブの病院でレイプされた女性の手術を続けるが、レイプ後の女性を治すだけではなく、レイプそのものを減らす活動をしなければならないと、立ち上がって声をあげるようになった。

しかし、その活動は危険と隣り合わせの活動だった。

2012年に国連でスピーチをするはずだったが、当時のコンゴ民主共和国の保健大臣に呼び出されて、スピーチを中止するよう圧力がかかり、更に家族にも身の危険が及ぶかもしれないと脅されたため中止せざるをえなかったという。

その後、ある日自宅に戻ったところを5人の武装した集団に囲われ、自分の命は何とか助かったものの、家の警備員をしていた息子の友人を殺された。この事件以降、身の安全のため家族を連れてフランスへ亡命した。しかし、フランスやアルジェリアの病院で産婦人科の同僚医師30人と働きながら、ここでは産婦人科医がこんなにいるが、故郷のブカブでは私がいない今、一人もいないと思うと、私の居場所はここではないと思ったそうだ。

同時に、ブカブの女性たちがムクウェゲ医師の帰国を望んで立ち上がった。まず、コンゴ民主共和国の大統領にレターを書いた。しかし、返事がなかったため、国連事務総長宛にレターを書いた。それにも返事がなかったため、自分たちでムクウェゲ医師の飛行機代を集めようと、パイナップルなどの農作物を売って収入を集めて、運動を起こした。その動きはもちろんムクウェテ医師の耳にも入る。そして、今度は国連平和維持軍の警備を受けて帰国する。

これらの動きを受けて、たぶん司法も動かざるを得なかったのかもしれないが、形ばかりの裁判も始まった。まだまだ、先は長いかもしれない。

2014年11月にEUで表彰された際のスピーチで、「1週間前に北キブ州の村で50名以上の住民が殺戮に遭った。1カ月で200人の住民が残虐な殺され方をした」と話していた。ほんのつい最近の話である。こういうことが起きていることを日本では知られていない。


印象的だった言葉がある。ムクウェゲ医師が、男性たちに向かって訴えた。
「あなた方の妻、母、娘が強姦される中、あなた方男性はどこにいたのですか。女性が立ち上がって声を上げているのに、男性は何をしているのですか。私は先日、涙を流しながら2カ月の女児の手術をしました」
この呼びかけから、男性たちも声をあげるようになった。

この問題は、コンゴ民主共和国だけの問題ではない。被害の拡大を防ぐためには、世界が問題を認識して、動いていかなければならない。


コンゴ民主共和国東部の問題を理解するための参考となる、いくつか日本語の映像を見つけた。

コンゴの聞き ~知られざる真実~ 2011年


レアメタル争奪戦の犠牲者(1) 2009年


レアメタル争奪戦の犠牲者(2) 2009年



にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-10-17 03:36 | 日本 | Trackback | Comments(0)
「売るために作る農業」をゲームで学ぶ
前回の記事(国際協力の心理学)でSHEPアプローチ(Smallholder Horticulture Empowerment and Promotion)について記述したが、この「売るために作る農業」アプローチをパソコンや携帯で疑似体験するゲームをJICAが開発した。

これまで様々な途上国支援プロジェクトで、普及のための教本やビデオ教材などは沢山作られてきたが、ゲームを作ることはほとんどなかったと思う。少なくともJICAでゲーム教材を作ったのは初めてのことだ。エンターテインメント性のみを目的とせず、教育・医療用途(学習要素、体験、関心度醸成・喚起など)といった社会問題の解決を主目的とするコンピュータゲームをシリアスゲームというらしい。

マーケット調査を行って、自分たちで栽培する作物を選んで、栽培できる。進み方によってはマーケット調査も行わず、あまり情報を入手しないまま栽培すると、収入に影響してくる。
c0116370_21582361.png


当時に、適切なステップを踏むと自分のモチベーションも高くなっていき、最終的なポイントも高くなる。私はまだ2万ポイントが最大なのだが、2万5千ポイントを獲得した人もいると聞いた。
c0116370_21584373.png



こんなゲームを作ってもアフリカの人々が使えるのかと思うかもしれないが、近年の携帯普及率は劇的にアップしており、さらにiPhoneやスマートフォンの普及率もかなり高くなってきていると思う。ブルキナファソでは、同僚が私のスマートフォンよりもずっと性能の良いものを持っていた。

2008年のアフリカの携帯普及率30%
アフリカの携帯普及率30%
2014年のブルキナの携帯普及率65%
ブルキナファソの携帯電話事情

3か月前、セネガルに出張した際、その地区の農業普及員は全員スマートフォンを支給されていた。農業普及員や農業研究者の少ないセネガルでは、ある畑で病害虫の被害に遭っても、すぐに専門家が駆けつけてくれる体制にない。そのため、被害を写真に撮り、その写真を所轄の農業州局に携帯からメールで送付し、そこから研究所に繋ぐ。まだ試用期間中ではあったが、ITについてはアフリカもそれほど遅れはとっていない。

一方、行政の予算が不足しているのはいつものことで、農業州局や県局にパソコンはあっても、それが常時インターネットに繋がっているかというと、そうでもない。また、出張に行く予算もないことがしばしばで、事務所のパソコンの前で、ソリティアなどのトランプゲームをしている職員も多い。

こういう状況下で、スマートフォンでも気軽に学べ、またパソコンでトランプゲームの代わりに楽しみながら学んでもらうゲームとして、開発されたのがこのゲーム。

ご関心のある方は、無料でダウンロードできるのでお試しあれ。

★iPhoneあるいはスマートフォンでご利用の方(英語と仏語のみ)
App StoreあるいはGoogle Playで、「JICA」、「SHEP」、「Fun Fun Farming」などのキーワードで検索して、ダウンロード可。

★パソコンでご利用の方(日本語、英語、仏語を選択可)
以下のサイトからファイルをダウンロード。ファイルの中に「shep」というアプリケーションがあるので、それを「展開」し「実行」する。
https://jica-net-library.jica.go.jp/jica-net/user/lib/contentDetail.php?item_id=10035

通常は、ゲームの途中で終了しても終わったところから再開できるのだが、私の場合スマートフォンでダウンロードしたら「continue」が出てこないという不具合があるのだが、パソコンやiPadで利用する分には問題なかった。

にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-10-11 22:13 | 日本 | Trackback | Comments(0)
国際協力の心理学
途上国の開発協力に携わっているといつもぶち当たる課題がある。

「持続性」「農家の自立」という課題。

私は以前、緑のサヘル(http://sahelgreen.org/)というNGOで働いていた。住民の生活に組み込んだ形の緑を減らさない活動と緑を増やす活動を行い、同時に荒廃した土壌を回復させる伝統技術を使って農業生産の安定化を図るなど、住民自身による総合的で継続的な生活環境の改善支援を行っているNGOである。

現地で活動を進める際に、いつも代表が心構えとして話していたことがある。
「何本植えたかではなく、何人が植えてくれるようになったか」
「我々が支援をする際に、まず現地の方々の生活を立体的に知る必要がある。相互理解とは、支援者あるいは受益者であるという意識を、お互いが持たなくなること。そして、住民生活の現状を踏まえ、導入技術そのものによる効果だけではなく、技術の核心あるいは本質を理解してもらうことを狙いとする。」


緑のサヘルの活動は、住民の声にじっくりと耳を傾けて時間をかけて話し合うことが多かった。お互いに納得した上で、活動を進める。これが、持続する根付いた活動に繋がっていた。私の開発支援の原点がここでよかったと今でも思う。

***************************

現在、私はSHEPアプローチ(Smallholder Horticulture Empowerment and Promotion)(「「売るために作る農業」アプローチ」)という、小規模園芸農家が自分たちでマーケット調査を行い、売れる作物を選択して、その後必要に応じて栽培技術を指導して、農家の収入向上を目指すアプローチの推進に携わっている。その中で、「人が自ら気付き、考え、決定し、行動していくために動機づけを行う仕組み」が重要だったと整理され、それを心理学の「自己決定理論」という学術的理論に基づいて説明した。緑のサヘル時代の活動やその後関わったプロジェクトの活動も、心理学的な説明を聞くことで、なぜうまくいったのか、なぜうまくいかなかったのかが、感覚だけでなく頭で理解することができた。

農家の行動変容や心理的変化は、途上国開発に関わっている人なら誰でも経験があり、それぞれが関係者のモチベーションを高めるために、工夫をしている。しかし、その工夫はプロジェクトの成果としては見えてこないため、他と共有されることはほとんどなかった。個人の暗黙知として蓄積されていたこれらの取り組みを、事例を挙げながら心理学的に説明を加えた教本が作成された。

大変興味深いので、ご関心のある方はどうぞご一読を。

日本語版
http://libopac.jica.go.jp/images/report/12264172.pdf

英語版
http://libopac.jica.go.jp/images/report/12092193.pdf

仏語版
http://libopac.jica.go.jp/images/report/12092201.pdf

c0116370_2195594.png



にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-10-09 20:00 | 日本 | Trackback | Comments(4)
障害者総合支援法の下での薬物依存回復プログラム
2カ月ほど前、山梨ダルク(DARC:薬物依存症回復施設)が開催したセミナーに参加した際の記事を書いた(「依存症という病」)。毎回参加する度に自分の考えが如何に自己中心的か思い知る。自分が社会のスタンダードな人だとは思っていないが、無意識に「自分の考え=世の中の常識」と思ってしまうようだ。

私は、いつもセミナー後に依存症に対する見方が変わって会場から出てくるのだが、その後友人と依存症の話になると、私が人と違う考えをしていると思うことがある。自分の意見は少数派であることが分かる。そして、自分の依存症に対する考え方を伝えるのが如何に大変かを実感する。

薬物を使ってしまったら、警察は取り締まりを行い、法的機関は罰を与える。しかし、回復施設であるダルクは、取り締まって依存症を悪化させるようなことはしない。間違いを許して、徹底して守る。ある方が話していた。「今の刑務所は更生する場所としては適していません。僕が塀の向こうにいた時は、ある受刑者が『今度出所したらいい売人を教えるよ』と言ってきたり、常に周囲の人と薬物の話をしている環境にありました。[・・・] 僕が自ら変わろうと思うきっかけを作ってくれたのは、日本ダルク代表の近藤さんと山梨ダルク代表の佐々木さんに会った時でした。ああ、自分をこんなにさらけ出していいんだ、着飾らなくていいんだと思ったら、気が楽になったのです」。依存症の方は対人関係に問題を抱えている人が多い。だから、更生するには罰を与えるのではなく信頼関係を築くことがベースにある。

******************************

9月10日、富士五湖ダルク主催のフォーラムに参加してきた。

c0116370_1914596.jpg


山梨ダルクの活動には目を見張るものがある。セミナーやフォーラムの頻度と内容の充実度からも分かるが、毎年、ダルクチームと山梨県警チームで弁護士チームとソフトボール大会も実施しているらしい。山梨県警もダルクの活動を応援していることが感じ取れた。

今回のフォーラムで私にとって最も興味深かったのが、「障害者総合支援法に基づく『生活訓練事業を行う各地ダルクの現状』」というシンポジウム。上のポスターには大きく紹介されていないが、私にとってはとても勉強になるセッションだった。

ダルクは、約30年前に設立され、現在全国に約60の施設があり、1000人の利用者がいる。これまでダルクは行政からの支援は全く得ずに運営してきた。自分たちの病気は自分たちで何とかすると。でも現実問題、「ダルクにつながってくる全ての人を受け入れる」というモットーは当初から崩していないため、経済的に苦しいのは間違いない。

例えば富士五湖ダルクの入寮費は月に16万円。その内、毎日入寮者に1000円を生活費として渡していて、さらに食事提供費に1000円、あとは家賃とプログラム料。入寮者が10人いてやっとスタッフ一人雇えるくらいだそう。入寮者のほとんどは生活保護を受けており、そこから入寮費を払っているが、生活保護をもらえない人でも受け入れている。そのため、財政的には徐々に厳しくなってきた。そのため、これまでは国の援助を受けてこなかったが、補助金を得られるように施設を適応しなければならなくなってきてもいる

2005年に障害者自立支援法(現在の障害者総合支援法)が制定され、また「依存症」もやっと「障害」として認められるようになり、基準を満たせば補助金を得られるようになった。そして、数あるダルクの中で、7年前に初めて京都ダルクが生活訓練施設として認められた。その後、複数のダルクがそれにならって申請し、山梨でも苦労の末に富士サポートセンターという宿泊型生活訓練施設を開設するに至った。

9月に開催された「障害者総合支援法に基づく『生活訓練事業を行う各地ダルクの現状』」というシンポジウムは、まさに生活訓練事業を行っている6か所(京都、東京、相模原、長崎、佐賀、山梨富士吉田)の施設長が集まって現状を話すものだった。

ダルクは、NA(ナルコティクス・アノニマスhttp://www.yakkaren.com/12step.html)の12のステップに基づいた回復プログラムを行っている。1日3回のミーティングに参加することを習慣化し、そこでは「かつて何が起きて」、「いつもどのようだったか」、そして「今どのようであるか」を話す。聞く側は感想や意見を一切言わない。ルールを厳しく設けず、刑務所や病院ではできない独自の回復プログラムを実施して、その活動が認知されてきた。これまで、所謂「障害者福祉」という活動をしてこなかったため、生活訓練事業の実施にあたっては分からないことだらけで困難の連続だったらしい。

生活訓練は通常2年以内に終わって再出発することになっているが、依存症は簡単に再発する。そしたまた一から仕切り直さなければならない。生活訓練事業に当てはめようとすると、ダルクのいいところを失ってしまうのではないかという懸念もある。しかし、ダルクの良さを残しつつ、障害者福祉にのせていくには、ダルク側もしっかりと勉強しアイデアを出していく必要があるとも話されていた。

それでも、行政との仕事というのは書類仕事に追われる毎日で、1日3回のミーティングに参加できなくなってしまうこともしばしばあるという。ダルクは、ダルクで回復した人が運営しているので、事務作業を行っている人もミーティングには参加する。行政の枠に入りながらも、ダルクの良さを最大限に生かすという、これまでにはなかった岐路に立っているのがよく分かった。。

ダルクの話を書き出すと長くなってしまう。。。

にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-10-05 19:22 | 日本 | Trackback | Comments(0)
家の庭の片隅にある祠
カンボジアの各地を旅行しながら最も目に付いて気になったのが、家の庭の片隅にある祠。金色やら赤色やら青色やら、原色で目立つのでとても目に付く。一般家庭だけでなく、ホテルやレストランやお店やガソリンスタンドの前にもある。

土地の精霊や家の神様を祀った祠で「プレア・プーム」と呼ぶらしい。それよりもう少し広範囲の土地や村を守る祠は「ネアック・ター」と呼ぶようだ。

c0116370_21501412.jpgc0116370_21505828.jpg


c0116370_21515480.jpgc0116370_21521630.jpg



c0116370_2153209.jpg


ネアック・ターは、大木や大石などの近くに祀られていることが多い。ネアックは「人」、ターは「祖先」を意味することから、遠い昔に土地を開墾した「先祖」を祀る意味があると言われているらしい。


c0116370_2292116.jpg


c0116370_21541064.jpg


こうして水に囲われていることもある。


c0116370_21572744.jpg


c0116370_21574771.jpg



c0116370_21591852.jpg


これらはほとんど石で造られているのだが、石材店にはこうして祠が売られている。


c0116370_221574.jpg


こうした釣り下げされた祠もかなり見かける。


c0116370_2284564.jpg



にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-09-26 22:12 | カンボジア | Trackback | Comments(2)
自立式ハンモック
カンボジアだけでなく東南アジアはどこでもそうなのだろうが、ハンモックが浸透している。どこに行ってもハンモック。家はもちろんのこと、ピクニックの必需品だし、トゥクトゥクの運転手さんも、観光地の売店の方々も、持ち歩いている。

c0116370_19485436.jpgc0116370_19491698.jpg


c0116370_19494147.jpgc0116370_1950150.jpg


お寺でもお昼寝は重要。
c0116370_19501938.jpg


c0116370_19503384.jpg



そして、とても頻繁に見かけたのが、折り畳み可能なこういうハンモック。自立式ハンモックというらしい。日本でもネット販売されているのを発見。ハンモックをかけるような木がない広場では都合がいい。小さな子供にとってもゆりかごになる。
c0116370_19511395.jpgc0116370_19513093.jpg


c0116370_19515051.jpgc0116370_1952390.jpg


c0116370_19523169.jpgc0116370_19525445.jpg



にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-09-25 19:53 | カンボジア | Trackback | Comments(0)
プノンペンの混みあう電線事情
プノンペンの街角の写真を撮っていた時、んっ!!!!、なんだこれは?と気になったこと。
c0116370_053724.jpg


混みあう電線たち。
c0116370_06482.jpg


c0116370_061991.jpg


これに電気が通っていると思うと少し怖い。
どの電線がどこに向かっているのかわかるのだろうか。
c0116370_063337.jpg


この絡まる電線に驚いていたら、ベトナムに旅行したことある友人がベトナムの方がひどかったと話していた。ホーチミンは絡まる電線が名物らしい。


にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-09-20 00:07 | カンボジア | Trackback | Comments(0)
カンボジア旅行最終日:メコン川の向こう側
カンボジア旅行前の気分を高めるために
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕1/2
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕2/2
カンボジア旅行3日目:都城アンコール・トム
カンボジア旅行4日目:アンコール・ワットの魅力
カンボジア旅行5日目前半:繁栄の水利都市アンコールをささえる寺院
カンボジア旅行5日目後半:東のアンコール、ベン・メリア
カンボジア旅行6日目:水上家屋と8時間の船旅
カンボジア旅行7日目:様々な顔を持つバッタンバン
カンボジア旅行8日目:映画「キリング・フィールド」

最終日9日目

プノンペンは観光するような場所が少ないため、何日も滞在しても行くところがないと言われていたが、そんなことはない。滞在すればするだけプノンペンの本当の姿が見えてきて興味深いのだと思う。

カンボジア最終日。どこに行こうかとプノンペン在住の友人に相談したところ、川の向こうに行ってみたらどう?と教えてくれた。最初はプノンペン市内をサイクリングしようと話していたのだが、サイクリングするならメコン川の向こう側に行った方がいいとのこと。後で分かったのだが、プノンペン市内は自転車には優しくない造りになっており、大通りは横切るのも精一杯で、サイクリングにはあまり向いていない。

そこで、自転車をレンタルして、メコン川をフェリーで渡り、サイクリングすることにした。

c0116370_23292986.jpg


街中で自転車を2ドルで借り、川沿いへ向かう。
そして、フェリーでメコン川を横切り、カンダール側へ向かう。


c0116370_23342740.jpg


2階建てのフェリーで、1階は自動車やバイク、自転車がぎっしりと並べられている。


c0116370_2333184.jpg


2階は売店もあり、ゆったりとメコン川を眺められる。



c0116370_2335287.jpg



プノンペンからたった15分程度で対岸へ到着するのだが、あの大都市から一変。とてものどかな風景が続く。舗装道路は幹線道路のみ。サイクリングをするにはとても気持ちがいい。メコン川の左岸と右岸でこんなにも風景が異なるとは驚きである。

c0116370_23355356.jpg



c0116370_2336128.jpg



途中、大きなバレーボール練習場があった。
c0116370_23363758.jpg


c0116370_23365188.jpg


c0116370_2337545.jpg実は、旅行中に農村でもバレーボールコートを見かけた。こういう光景はアフリカでは見たことがない。そういえば、タイはバレーボール人気が高いというのを聞いたことがある。昔見た「アタック・ナンバーハーフ」というタイのゲイのバレーボールチーム映画を思い出す。日本代表チームもタイでは大人気らしい。隣国カンボジアもバレーボールは人気らしい。一説には最も人気のスポーツのようだ。



c0116370_23374836.jpg

さて、カンダール側に渡って約5km北上すると、Prek Bongkong村のSMango Houseというリゾートハウスに辿り着く。ゆったりとできるスペースや綺麗なプールもあり、隠れ家的でとてもくつろぐ。
http://www.smangohouse.com/index.html




c0116370_23384552.jpg


メコン川沿いで風がありとても心地よい。


c0116370_23423543.jpg


c0116370_2339262.jpg


やっぱり最後のお昼はパパイヤサラダ。


帰りの道端で蓮の実を販売している女性を見かけた。旅行中に全国各地の道路脇で販売されていたので、全国的に食べられるのだろう。どうやって食べるのか分からなかった私たちは購入しなかったのだが、生でも食べられることを後から知った。
c0116370_23411334.jpg


c0116370_23412430.jpg


c0116370_23414110.jpg


これは塩漬けかな?


c0116370_2342581.jpg


行きのフェリーとは違うルートで帰ることにした。


メコン川に流れ込むトンレサップ川。
c0116370_23425796.jpg


c0116370_23432450.jpg


日本のODAで建設されたカンボジア日本友好橋を自転車で渡り、プノンペンへ戻る。


c0116370_23435272.jpg
夜中の飛行機に乗る前に、カンボジアの胡椒、カンポット・ペッパーを使ったチョコレートを購入して帰国。同僚からはあまり評判は高くなかったのだが、私自身はかなり好きな組み合わせだった。ミルクチョコレートよりブラックチョコレートのほうが、カンポット・ペッパーのスパイシーな味が活かされていてお勧め。


思い出深い旅行だった。
友人に感謝。


c0116370_23442425.jpg
帰国便は大韓航空。
以前インチョン空港で食べた冷麺が忘れられず、あの冷麺の美味しさを超える冷麺に出会っていないため、どうしても今回は食べたかった。何年も美味しい韓国冷麺に出会わず、思い出の味が美化されすぎているのかとも思ったのだが、やはり間違っていなかった。
インチョン空港の冷麺は本当に美味しいことを再確認した。



旅行記はこれで終わりだが、もう少しだけおまけ記事をアップしようと思う。

にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-09-19 23:45 | カンボジア | Trackback | Comments(0)
カンボジア旅行8日目:映画「キリング・フィールド」
カンボジア旅行前の気分を高めるために
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕1/2
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕2/2
カンボジア旅行3日目:都城アンコール・トム
カンボジア旅行4日目:アンコール・ワットの魅力
カンボジア旅行5日目前半:繁栄の水利都市アンコールをささえる寺院
カンボジア旅行5日目後半:東のアンコール、ベン・メリア
カンボジア旅行6日目:水上家屋と8時間の船旅
カンボジア旅行7日目:様々な顔を持つバッタンバン

8日目

この旅で、プノンペンからシェムリアップまで国内線、シェムリアップからバッタンバンまで船、そしてバッタンバンからプノンペンまではバスで移動することにした。カンボジアはホテルで全て手配できるのでありがたい。

c0116370_115632.jpg

バスの金額を見ると、Big Busが7ドル、Mini Busが12ドル。Mini BusはBig Busの倍ってどういういうこと?と聞くと、Mini BusはVIP Busでシートも余裕があり絶対こっちのほうがいいという。それにBig Busは多くのバス停があるので、プノンペン到着も遅くなるらしい。ということで、Mini Busに決定。時間があるので、朝10時発。


バスの写真を撮り忘れたが、ミニバンのような車で確かにシートが社長椅子のようにふかふかで長時間座っていても、それほど疲れない。

そしてこのバス、タイから国境の街ポイペトを通ってプノンペンまで向かう。始発の出発時刻は何時だったのだろう。とにかく、バッタンバンは10時過ぎに出発

c0116370_116724.jpg


途中、プルサトという町で食事休憩。
スープを頼んだら、この後お腹が痛くなって、ちょっと大変だった。


*******************************

プノンペンには午後5時頃に到着。つまり7時間の旅だったということか。結構長かった。特にプノンペンに入ってからの渋滞で1時間くらいをロスしたのではないだろうか。

c0116370_1221210.jpg
夜は、プノンペンに住む友達に進められて映画館へ行った。映画『The Killing Fields』を常に上映している映画館とのこと。友人と私もこの映画を見たことがなかったので行ってみたのだが、もう衝撃的すぎてその日の夜まで虐殺シーンが頭を離れなかった。


『キリング・フィールド』は1984年のイギリス映画。ニューヨーク・タイムズ記者としてカンボジア内戦を取材し、後にピューリッツァー賞を受賞したシドニー・ジャンバーグの体験に基づく実話を映画化したもの(wikiより)。現地の新聞記者であり通訳であるカンボジア人のディス・プランはジャンバーグと共にカンボジア内戦を取材するが、クメール・ルージュの虐殺が横行するようになると、シャンバーグがプランを亡命させようとする。しかし、最終的に失敗する。その後、プランはクメール・ルージュの集団農場へ移送され、周囲の人々が次々に殺されていく様子を見て、自身は脱走を図る。最後シャンバーグとの再会まで涙と鳥肌が止まらない。

この映画の興味深いのは、当時のアメリカ軍の様子が分かること。旅行2日目に訪れたトゥールスレン博物館で、「アメリカがカンボジアに投下した爆弾の量は第二次世界大戦でアメリカが日本に投下した総量の1.5倍」という情報はあったが、実際のやり取りが生々しく再現されている。本当に一見の価値あり。




c0116370_1212428.jpg

私たちが行った映画館はFlicksという。とても雰囲気がよいと聞いていったが、なんとこうして好きな格好で見られる。快適だった。今、売りに出されている映画館らしいが、この素敵な映画のコレクションはこのままにしてほしいと思う。
http://www.theflicks.asia/welcome/home/



最終日9日目に続く。

にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-09-18 01:23 | カンボジア | Trackback | Comments(0)
カンボジア旅行7日目:様々な顔を持つバッタンバン
カンボジア旅行前の気分を高めるために
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕1/2
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕2/2
カンボジア旅行3日目:都城アンコール・トム
カンボジア旅行4日目:アンコール・ワットの魅力
カンボジア旅行5日目前半:繁栄の水利都市アンコールをささえる寺院
カンボジア旅行5日目後半:東のアンコール、ベン・メリア
カンボジア旅行6日目:水上家屋と8時間の船旅

7日目

バッタンバンはカンボジアで2番目に大きな街。とはいえ、特に観光地ではなく、カンボジアらしい都市を訪れたいのであればここがいい。この周辺はポルポト派が最後まで抵抗した地域だったらしい。ホテルやレストランでも英語を話す人は少なく、時間がゆっくりと流れる感じがする。

私の周囲の方々は、バッタンバンといえば稲作プロジェクトを思い浮かべる。なので、バッタンバンに行くというと、「プロジェクトサイトでも見に行くの?」という反応が帰ってくる。今回は観光なので目的はそこではないが、バッタンバンは一歩外にでれば水田が広がり、本当に国内有数の稲作地帯だということが分かる。

c0116370_2251161.jpg

バッタンバンという名前は、ある武将の名前に由来する。それがこの像。ター・ドンボーンと呼ばれ、コメを美味しくする不思議な棒を持っている。王位継承争いの時に、その棒を敵対する相手に投げつけなくしてしまった。それ以来、この地がバッドンボーン(バッ=なくす、ドンボーン=棒)と呼ばれるようになったらしい。(地球の歩き方より)


***************************

バンブー・トレイン

竹でできたお座敷のような形状のトロッコ。クメール語では「ノーリー」と呼ぶらしい。かつては生活物資運搬用のトロッコだったが、廃線となり、今では観光用の乗り物になっている。終点の村まで片道約7kmを15分で駆け抜けて、これを往復する。時速28km。結構なスピードである。


c0116370_2251488.jpg


小型エンジンを取り付けてある。
座席にあたる部分にはござが敷かれてあり、クッションもあり、座り心地は悪くない。



c0116370_2321751.jpg



c0116370_22565990.jpg

単線のため、戻ってくるトロッコと鉢合わせをする。その時は、通常乗っている人数が少ない方が降りて、相手を通してあげなければならない。取り外しは簡単。台車を手で持ち上げて外し、車輪を線路から外せばよいだけ。






c0116370_231912.jpg


ここが折り返し地点の村。


c0116370_231454.jpg


その村で子供たちに作ってもらった指輪。



****************************

カンボジアワイン

c0116370_2342355.jpg

カンボジアで唯一のワイナリーがバッタンバンの近くにある。チャン・タイ・チョン ワイナリー(Chan Thay Chhoeung)


c0116370_236231.jpg


ここは試飲できる場所のため、もう少し広いブドウ畑が100km先のTrengという町にあるらしい。


c0116370_2362017.jpg
バナンワイン(Prasat Phnom Banon)を試飲できる。
バノンブランデーやバノングレープジュースもある。
ワインは、不思議な酸味と渋味があったかなあ。ちょっとピクルスの匂いがしたかも。そういえば、カンボジアのコーヒーも同じような酸味があった。そして、なぜかココアの味がした。


c0116370_237214.jpg

ちなみに、ここのオーナーが刺繍をしていた。こういう刺繍は、もしかしたらカンボジアで今流行っているのかもしれないが、アンコール遺跡の警備員の女性や家の前でハンモックに座って休んでいる女性、そしてバスの中で出会ったアメリカ人まで同じような刺繍をしていた。


****************************

ワット・バナン

c0116370_238487.jpg



10世紀頃にヤショーバルマン一世によって建立されたヒンドゥー教の寺院。とても急な階段350段を上る。


c0116370_23111311.jpg


頂上にこのような塔が5つ建っている。
ここは周囲を見渡せるので、内戦時代は軍の陣地になっていたらしい。



c0116370_23153674.jpg



****************************

ワット・プノン・サンポー

c0116370_23162370.jpg

ここは行く価値あり。水田の中にポツンと山があって、その頂上にワット・プノン・サンポーと呼ばれる寺院がある。通常は800段の階段を上って頂上まで行くのだが、350段を上って降りたばかりの私たちにはかなり酷だったので、バイクで頂上まで乗せていってくれるサービスを利用して少し楽をした。


c0116370_2316496.jpg



修行の地にある寺院。


c0116370_23171288.jpg


こうしてお祈りに来る方が後を絶たない。


c0116370_23173985.jpg


寺院の近くには「キリング・ケイブ」と呼ばれる洞窟が3つあるが、これはその一つ。ここでは、妊娠女性や子供が虐殺されていた。


c0116370_2319533.jpg


c0116370_23202122.jpg


ここももう一つの洞窟。今は涅槃仏が安置されており、常に寺男と呼ばれる方が管理している。



c0116370_23222243.jpg



c0116370_23224235.jpg



****************************

ライスペーパーの村

バッタンバンから北にトゥクトゥクで30分ほどのところに、ライスペーパーを作っている方がいる。とても伝統的な作り方だが、この辺りのローカル市場では有名な方のようだ。作業は午前中に行われるようで、私たちが訪問した夕方は作業を終えていたが、説明だけはしてくれた。

c0116370_23234157.jpg


c0116370_2324390.jpg



このコメ粉の液体を、


水をc0116370_23243293.jpg


沸騰させた鍋にかけた布にシート状に薄くのばす。
それに蓋をしてしばらく蒸すとシートになるので、


c0116370_23251661.jpg



それをこの竹の棒にかけて祖熱をとる。


c0116370_23261629.jpg



その後、竹網にのせて乾かす。



c0116370_23265045.jpg



こうして袋詰めして販売する。




明日は、バスでプノンペンへ戻る。


8日目に続く。


にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-09-17 23:27 | カンボジア | Trackback | Comments(0)
カンボジア旅行6日目:水上家屋と8時間の船旅
カンボジア旅行前の気分を高めるために
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕1/2
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕2/2
カンボジア旅行3日目:都城アンコール・トム
カンボジア旅行4日目:アンコール・ワットの魅力
カンボジア旅行5日目前半:繁栄の水利都市アンコールをささえる寺院
カンボジア旅行5日目後半:東のアンコール、ベン・メリア

6日目

この日は、シェムリアップからバッタンバンまで船で移動する。

c0116370_2141616.jpg


旅行前、友人から来た旅程案にシェムリアップからバッタンバンへのボート移動というのがあった。ボート移動なんて面白そう!と二つ返事でOKしたのだが、私のガイドブックにはボート移動などこれっぽっちも書いてない。しかし、友人の同僚のお墨付きということだった。

カンボジアの中央に位置するトンレサップ湖は漁師の水上家屋や水上高床式家屋が並んでおり、ボートクルーズが有名。クルーズでは水上家屋の村まで行き、水上レストランなどもあるらしいが、人々が観光客ずれしているという。そのため、観光客のためのクルーズではなく、シェムリアップからトンレサップ湖を通ってサンカー川を上ってバッタンバンまで行くルートで、全てが見られるということだった。この辺の情報はLonely Planetにはかなわない。さすが。

シェムリアップからバッタンバンまでの船移動は、雨期の醍醐味。乾期だと水位が低くなり川底の水草に引っかかることもあり、スピードを出せないという。乾期に乗った人によると、時々引っかかって動けなくなり、船を下ろされて少し待つこともあったらしい。

ボートのチケットはホテルで購入可能。
いくらだったかな。確か20ドルくらいだったか。

朝7時にボートが出るため、6時45分にホテルにバスが迎えに来ると言われ、早起きして朝食も急いで食べて待っていたのだが、結局迎えに来たのは7時15分。あれ?ボートは7時に出るのでは?と疑問に思っていたのだが、とりあえずバスに乗る。

c0116370_2147374.jpg


船着場に近くなると、このような高床式の家が多くなる。これは確か地方行政の建物だった。


c0116370_21482125.jpg

船着場。
結局出発は1時間遅れの8時発
でも船に乗ってみて納得。全員外国人で、カンボジア人は一人もいなかった。


ここからは景色をどうぞ。

c0116370_2149299.jpg


c0116370_21494738.jpg



c0116370_21501449.jpg

水上小学校。
トンレサップ湖の漁師さんたちはベトナム人が多いそう。この小学校も、カンボジア&ベトナム小学校と書いてあった。


c0116370_21505468.jpg


水上教会。


c0116370_21524491.jpg


c0116370_21531090.jpg



c0116370_2154271.jpg


トンレサップ湖からサンカー川に入る。


c0116370_21545528.jpg


c0116370_2155627.jpg


c0116370_21555120.jpg


c0116370_22181485.jpg











c0116370_2251266.jpg


途中で、水上家屋から小さなボートが近くに来たと思ったら、乗客が一人増えた。こうして乗られた方が途中3名いた。


c0116370_226424.jpg


昼食は途中の水上ローカルレストランでとる。
水上家屋には見えないかな。


c0116370_226534.jpg


皆さん漁の仕掛けをかけに行く。



c0116370_229412.jpg


c0116370_2291430.jpg



徐々に上流に向かうと、水上家屋からこのような高床式家屋に移っていく。
c0116370_2293883.jpg






c0116370_22114960.jpg


バッタンバンに近くなると川辺にも稲作地が広がってくる。


c0116370_22122091.jpg


川沿いにコメの脱穀施設があり、船で脱穀米を運んでいた。


c0116370_22134480.jpg


c0116370_2214165.jpg
バッタンバンに到着。
15時45分
つまり、7時間45分の旅
最後は少し疲れたかな。
ちょうど小説も持っていっていたので、気晴らしになってよかった。




c0116370_22144792.jpg
夜はプラホック
体表的なカンボジア料理。生の魚を塩漬けにしてペースト状にしてバナナの葉で包んだもの。様々な生野菜につけて食べるのだが、それでも塩辛くてほんの一部しか食べられなかった。日本でいう味噌や醤油のポジションらしいので、少ししか食べられないのは当たり前か。


c0116370_2217557.jpg

それにプラスして、ちょっとモダンなチキンロックラック。ベトナムにもあるが、ケチャップやライム果汁、黒コショウのソースとマリネされている。



明日は、バッタンバン周辺を観光予定。これが意外にも見るところが多くて穴場である。

7日目に続く。


にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-09-13 22:19 | カンボジア | Trackback | Comments(0)
カンボジア旅行5日目後半:東のアンコール、ベン・メリア
カンボジア旅行前の気分を高めるために
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕1/2
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕2/2
カンボジア旅行3日目:都城アンコール・トム
カンボジア旅行4日目:アンコール・ワットの魅力
カンボジア旅行5日目前半:繁栄の水利都市アンコールをささえる寺院

5日目 午後

私が今回カンボジアを訪れた8月末~9月上旬は、雨期の真っ最中。カンボジアは観光シーズンではない。そのことは来る前から知っていたが、今やアンコール遺跡周辺もインフラが整備されており、雨期だから通行できないというような道もなく、それに、雨が降るのも夕方以降という話を聞いていたので、オフシーズンでも全く気にしていなかった。

そしてカンボジアに来てから、むしろこの時期にきてよかったと思った。

事前情報同様、雨は夕方以降で、それも1時間程度のスコールなので観光に支障はなく、何よりも観光客が少ない。アンコール・ワットでは観光客が多いと思ったが、乾期はこの3倍もの観光客が押し寄せるそうだ。ホテルも満室ではなかったので、選択肢も多かったし。

唯一、雨期に旅行することのデメリットは、サンライズやサンセットを見られないこと。雨期は毎日曇りがちだし、夕方は雨が降るので、アンコール・ワットのバックに日の出を見られることは、まずない。これを重要視する人は、乾期に旅行すべきかもしれない。

さて、雨の多いカンボジアのイメージだが、意外にも年間降雨量は1400mm程度らしい。

洪水対策のためにこのような高床にしているのではなく、むしろ湿気対策なのだろうか。

c0116370_0212593.jpg

c0116370_0215041.jpg

c0116370_022146.jpg

c0116370_0221366.jpg


*********************************

ベン・メリア

シェムリアップの街から東へ1時間ほどのところに、ベン・メリアという大きな寺院がある。現在も修復が施されないまま森の中にひっそりと眠る寺院である。規模は小さいが、アンコール・ワットと類似点が多く「東のアンコール」と呼ばれているそう。

私の持っていたガイドブックに「時間がある場合は少し遠出してベン・メリアを訪れるべきと」書かれていて、友人に提案したら、友人が持っていたガイドブックには「インディアナ・ジョーンズの世界のよう」と書いてあったらしく、彼女も行ってみたいと言ってくれた。行ってみて初めて、そのたとえが理解できる。

c0116370_0233898.jpg


c0116370_0235493.jpg


c0116370_0241578.jpg


c0116370_0243146.jpg


c0116370_024504.jpg


c0116370_025518.jpg


c0116370_0252629.jpg


c0116370_025435.jpg


c0116370_0255639.jpg


c0116370_0261445.jpg


c0116370_026273.jpg



c0116370_0264254.jpg
これは、ベン・メリアの入口に掲げられていたCMAC(Cambodian Mine Action Center:カンボジア地雷対策センター)の看板。
カンボジアは各地に地雷が埋められているが、この寺院周辺の150万m2では438個の地雷と809個の不発弾が除去されたと記述されている。そして、2003年1月から始まった地雷除去は現在も進行中であると。



カンボジア旅行で唯一の心残りは、地雷博物館に行けなかったこと。シェムリアップの北部にある。地雷除去のボランティアをされているアキー・ラー氏の熱意で政府の支援なく運営されている博物館だそう。

父の友人に雨宮清さんという方がいる。株式会社日建の創設者であり代表取締役であるが、国際協力の世界でとても有名な方で、対人地雷除去機を開発し、カンボジアをはじめ、アフガニスタン、ニカラグア、アンゴラで使われている。雨宮さん自身、1994年にカンボジアを訪れ、地雷によって体の一部を失った方々の話を聞いたのが、この道に足を踏み入れたきっかけである。開発にも非常にご苦労され、自らの命の危機にも会いながらも、活動を続けられ、カンボジア政府からも表彰されている。私と同じ、山梨県山梨市出身の方で、両親からも話を聞いていたこともあり、カンボジアという国はあまりよく知らなくても、カンボジアの地雷だけはいつも身近な問題だった。

今度カンボジアに行く機会があれば、ぜひとも博物館に行ってみたい。


c0116370_0275133.jpg


ちょっと小腹がすいたので食べたパイナップル。
カンボジアではこうやって切るようだ。



明日は、シェムリアップからバッタンバンまで船で移動する。

6日目に続く。


にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-09-11 00:29 | カンボジア | Trackback | Comments(0)
カンボジア旅行5日目前半:繁栄の水利都市アンコールをささえる寺院
カンボジア旅行前の気分を高めるために
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕1/2
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕2/2
カンボジア旅行3日目:都城アンコール・トム
カンボジア旅行4日目:アンコール・ワットの魅力

5日目 午前

c0116370_2253423.jpg

4日間毎日東南アジアの味を食していると、やはりこういう食事がとりたくなる。今日はパイナップルパンケーキ。バッタンバンのホテルもそうだが、どこも朝食の質が高かった。私は朝食をしっかりとるので、非常に重要なポイント。


**************************

プノン・クーレン

アンコールが王朝最盛期の都として栄えた背景には、巧みに設計された水路と貯水池からなる治水灌漑システムの存在があった。そのおかげで、乾季には貴重な雨水を蓄え、雨期には余分な水を分散させることが出来たと言われている。

アンコールのなかでも特に神聖とされている聖地がクーレン丘陵にある。プオック川とシェムリアップ川の源流がある場所だ。雨期に、クーレン丘陵から流れ出る大量の水を制御し、利用することで、アンコールとその支配者たちは繁栄を遂げた。9世紀初期に王朝の基礎を築いたジャヤヴァルマン2世の時代からずっと、王国の発展は豊かなコメの収穫に支えられてきた。(National Geographicより)

クーレン丘陵は、高さ4400mほどの砂岩でできた連山で、ライチの木が多いことから「ライチの山(プノン・クーレン)」と呼ばれるらしい。

c0116370_22561624.jpg


ここがクーレン丘陵の麓の入口。
ここから山道を登る。


c0116370_225709.jpg


クーレン丘陵周辺。


c0116370_230721.jpgプノン・クーレンでは、川底に無数のリンガが見られる。リンガとは、ヒンドゥー教の創造と破壊の神であるシヴァ神の象徴で、男性器の形をしている。
何故川の中に神像を造ったのか。
リンガの上を流れた水は聖なる水となると言われており、川底に無数のリンガを作れば、よりパワーのある水になると考えられたそう。そして、神々のパワーが水を介してより多くの人々のもとに行き渡るようにという思いがあったとされている。


c0116370_22574528.jpg


大きな四角の岩が分かるだろうか。
通常、リンガは四角い台座のような形をしたヨニ(女性器の象徴)の上に置かれている。


c0116370_2302667.jpg


訪れた時は雨期の真っ最中だったため、少し水が濁っていて見えにくい像もあったが、浅いところはこうしてリンガが大量にあることが分かる。


c0116370_2305354.jpgプノン・クーレンでは、このような黒い木を見かけた。お香のようなかなり強い香りがし、何かと問い合わせると、木自体がこのような香りを持っており、水につけて部屋に置いておくととてもよい香りがするらしい。そして、売り手の話だと永久に匂いが消えないと。
結局なんだかよく分からず、帰国してからネット検索もしてみたが、未だに何か分からず。。。知っている方がいたら教えてください。


c0116370_2311573.jpg


クーレン山の中は本当に山道。


c0116370_232083.jpg
クーレン丘陵の頂上には、プリア・アントンと呼ばれる涅槃仏のある寺院がある。私にとっては、シェムリアップ滞在中に訪れた場所の中でも特に印象的だった場所の一つである。遺跡ではなく、現在もカンボジアの人々がお参りする寺院のため、皆さんが様々な思いを持って遠いこの地を訪問しているのが分かり、自分自身も身が清まる思いがする。


c0116370_2325838.jpg


まずここでお祈りをする。


c0116370_2332724.jpg


リンガの彫られた石台で手を洗って清める。


c0116370_2334851.jpg



このような大きな岩の上に寺院が建てられている。


c0116370_2359100.jpg


その中に大きな涅槃仏がある。
16世紀にアンチャン一世が造らせたものだそう。


c0116370_2353771.jpg


この辺りは奇岩が多く、それぞれの岩に仏像が置かれている。


c0116370_2361913.jpg

実は寺院の外で、線香やろうそくと共に、こうして500カンボジアリラのお札の束が売られている。最初はお土産用の偽物のお札かと思ったのだが、中に入って分かった。


c0116370_2363994.jpg


なるほど、こうして新しいお札をお参りで使うようだ。


c0116370_2371870.jpg

この寺院だけではないが、様々なところでお札を使った占いをしている。
まずは束になったお札を頭にのせ、なにやら束に突き刺す。


c0116370_2375427.jpg


その突き刺したところの札を読んで、それに合わせてお祈りをする。


c0116370_2383268.jpg


その際に蓮の花の浮かんだ水をお清めに使う。


c0116370_23101835.jpg


c0116370_2394748.jpg



この日のお昼は、バナナとサツマイモの揚げ物を買って水辺に座ってピクニック気分。


プノン・クーレンの川には2段の滝がある。上流部に小滝、そのすぐ下流部分に大滝があるのだが、小滝の上の平坦な水場は身分の高い人専用、その先に約20mの落差の大滝があり、滝つぼの浅瀬は兵士の水浴び場だったらしい。現在は、地元の方々の絶好の水遊び場となっている。

これだけはしゃいでいる姿は、見ている方も楽しませてくれる。

c0116370_23115587.jpg


c0116370_23121490.jpg


c0116370_23124348.jpg


c0116370_23133060.jpg


こうして川辺に海の家ならぬ川の家のようなお休み処がある。大勢でランチをしていたり、こうしてハンモックでお昼寝したり。


c0116370_2314321.jpg


ハンモックについては、各家庭に最低2~3個はありそうな勢い。
これは別途記事を書くことにする。



午後は東のアンコール、ベン・メリアへ。



にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-09-10 23:15 | カンボジア | Trackback | Comments(0)
カンボジア旅行4日目:アンコール・ワットの魅力
カンボジア旅行前の気分を高めるために
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕1/2
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕2/2
カンボジア旅行3日目:都城アンコール・トム

4日目

この日は朝からマイクで大声で叫ぶ女性の声で起きた。叫び声が始まる前には大きな音で音楽も流れていた。朝6時半。ベッドの上で自分に聞こえないと言い聞かせて寝続けたが、それも無理だということが分かり7時頃に起床。朝食をとるべく下に降りて、ホテルのレセプションで「あの声は何?」と聞くと、「小学校だ」という。おそらく何かのイベントがあってマイクで話しているのだろうと。

c0116370_2263826.jpg

シェムリアップのホテルの朝食。
実は、これがカンボジアで食べた食事で一番美味しかった。
クイティウという麺料理。ベトナムのフォーのカンボジア版。コクがあってとても美味しかった。


c0116370_2272823.jpg起き上がりこぼし
なんでこの写真を撮ったかというと、旅行前に読んだ小説『夢は荒れ地を』で「カンボジア人は起き上がりこぼしが好き」という情報を得ていたから。こうして道路脇で売っているのをみて、あっほんとだ!と感動してしまった。
元ポルポト派ナンバー2のヌオン・チアのお気に入りも「起き上がりこぼし」だったそう。何度倒しても起き上がる。励みになる。倒れたままだったら何も変わらないという意図が伝わるのだそう。


この日に訪れた寺院をマップに落としてみた。アンコール・ワット⇒プリア・カン⇒ニャック・ポアン⇒タ・ソム⇒東メボン⇒プレ・ループ。

c0116370_2283870.jpg


**************************

アンコール・ワット

アンコール・ワットは世界最大の宗教建築。ヒンドゥー教のヴィシュヌ神に捧げるため、約40年かけて建立されたが、15世紀以降は仏教寺院として使われてきた。アンコール王朝衰退後、多くの寺院はジャングルに覆われて荒廃したが、アンコール・ワットの尖塔と美しい彫刻が施された回廊は保存されてきた。本当にどこへ行っても荒廃した寺院ばかりだったが、その中でここまで壮麗に残っているのはすごい。

今から10年前、母がアンコール・ワットを訪れた時は、未舗装の道なき道を進んだ森の奥にいきなりアンコール・ワットが現れて感動したらしい。しかし、10年経った今、アンコール・ワットまでの道は綺麗に舗装され、苦労もせず簡単に辿り着いてしまうので、嘗ての感動ほどではないかもしれない。

c0116370_2292445.jpg



正面の西門からさらに荘厳な内部が見える。


ここからはお気に入りの写真をどうぞ。

c0116370_2295010.jpg


c0116370_22102785.jpg


c0116370_2211026.jpg


アンコール・ワットは、完成当時、表面の砂岩は朱色に塗られ、さらに第一回廊の浮彫の表面には金箔がほどこされていたらしい。これは、朱色の名残。



c0116370_22114541.jpg


c0116370_2212458.jpg


c0116370_22141940.jpg


中央の第三回廊に上る階段はかなりの急な角度。


c0116370_2214448.jpg


c0116370_2215454.jpg


c0116370_22152360.jpg


c0116370_22155158.jpg


c0116370_22161248.jpg


c0116370_22162644.jpg


c0116370_22164560.jpg


子供たちが芋虫?とイナゴのようなバッタ?を買いに来ていた。


***************************

アンコール遺跡大回りコース

c0116370_2217787.jpg


c0116370_22172969.jpg


c0116370_22182295.jpg


c0116370_22185493.jpg


c0116370_2219938.jpg


c0116370_22195412.jpg


c0116370_22201974.jpg


c0116370_2220363.jpg




c0116370_2221395.jpg


夕食はカンボジアバーベキュー。



明日は、シェムリアップの郊外へ行ってみることにする。


5日目に続く。


にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-09-07 22:22 | カンボジア | Trackback | Comments(0)
カンボジア旅行3日目:都城アンコール・トム
カンボジア旅行前の気分を高めるために
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕1/2
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕2/2

3日目


c0116370_0565414.jpgこの日は、プノンペンからアンコール遺跡巡りの出発点となるシェムリアップまで飛行機で移動。当初はバスでの移動を予定していたが、7~8時間かかり1日がかりの移動となってしまうため、時間を有効活用するために飛行機にした。90ドルで飛行時間45分。結局午後も遺跡を見られたし、やっぱり飛行機にしてよかった。


c0116370_0575623.jpg旅行前にカンボジアに住む友人からUSドルだけでほとんど事足りると言われていたが、少し不安になり、空港で50ドルだけカンボジアリラに換金した。ただし、後になってこの換金を後悔する。物価が安いカンボジアで50ドル分のリラを使うのは結構大変で、もちろん1ドル=4000リラで計算して支払えばよいのだが、意外と損をする。本当に必要なのは、1ドル以下の買い物のときと、観光客が来ないような町や村に行ったときだけ。私たち観光客の移動範囲は一部を除き全てドルで支払えた。それに、こうしてお釣りも1ドル以下はリラで受け取るため、わざわざ空港で換金せずともよかった。それにしてもドルとリラを混ぜて返してるれるのも不思議である。


c0116370_059331.jpgプノンペンからシェムリアップに向かう飛行機は、カンボジアの中心部にあるトンレサップ湖の上を通るが、その周辺には広範囲に水田が広がっているのが見える。2015年、カンボジアのコメ生産量は900万トンを上回り、世界10位以内に入ってきた。もちろん日本よりも多い。シェムリアップの後に、バッタンバンという街に向かったのだが、そこの水田も圧巻である。


c0116370_0595425.jpg

シェムリアップ空港は美しい。
カンボジアの寺院のような屋根は、観光客の心をくすぐる。やっぱりカンボジア一の観光地である。


c0116370_104327.jpg空港までの道路も、素晴らしく整備されている。トゥクトゥクやバイクと通常の車両の車線が分かれているのはプノンペンでは見なかった。
成田からソウルに向かう飛行機で隣に座っていた方がカンボジアを旅行したことがある方だったが、その方はバンコク経由でシェムリアップに入り、アンコール遺跡を巡って、シェムリアップから出発したそう。プノンペンと同じくらい国際便が飛んでおり、プノンペンには寄らずアンコール遺跡だけ旅行する人もいるのだと思う。やはり世界遺産という箔がつくと観光客の集客率が格段に違うのかも。


c0116370_112646.jpg


そして、シェムリアップの街には、大型ホテルが並んでいる。途中で、宮殿のようなホテルを建設中だったが、なんでも1500室もの客室があるらしい。


c0116370_11505.jpg


シェムリアップの街中。


c0116370_12896.jpg


Golden Villaホテルに到着。
おもてなしが素敵だった。


c0116370_123196.jpg


午後はアンコール遺跡の小回りコースへ行くことにし、まずは腹ごしらえ。
なんという料理か忘れてしまったが、ココナッツとトムヤムの混ざった味のスープ。


c0116370_125463.jpg


ここでアンコール・パスを購入。1日券、3日券、7日券と3種類あるが、私たちは3日券を購入。


*************************************

アンコール遺跡

アンコール・ワットを初めとしたいくつもの寺院が建立されたのは1100年代半ばこと。その半世紀後、アンコール王朝は絶頂期を迎えた。歴代の王たちは600年の間、アンコールを中心にヒンドゥー教芸術の最高傑作を彫り込んだ数々の寺院を築いた。王朝最盛期に信仰の対象は仏教に移ったが、ヒンドゥー教の神々が排斥されたわけではない。宗教が融合した像も見られる。

アンコール王朝が没落し、かつての都が森林に覆われた現在も、アンコールの遺跡群は人々の信仰のよりどころとなっている。


この日は、地図の赤く記した寺院遺跡を訪問。プラサット・クラヴァン⇒スラ・スラン⇒バンテアイ・クディ⇒タ・プローム⇒タ・ケウ⇒トマノン⇒勝利の門⇒バイヨン⇒パプーオン⇒像のテラス⇒ライ王のテラス。アンコール・ワットは明日に残した。
c0116370_141122.jpg



多くの寺院を訪れて写真がありすぎるので、この日に撮った気に入った写真を厳選。

c0116370_144392.jpg


c0116370_152370.jpg


c0116370_153644.jpg


c0116370_16062.jpg


c0116370_161433.jpg


c0116370_16337.jpg



c0116370_17922.jpg


バンテアイ・クディの中でお祈りをしていた方々。様々な寺院でこのような様子が見られた。


c0116370_173388.jpg


ミサンガをつけてもらっている。


*************************************


c0116370_18053.jpg


夜はシェムリアップの街へ。


c0116370_182685.jpg


カンボジアでは空芯菜の炒め物が必ずある。私も好きなのでカンボジアにいる間に何回か食べたが、しっかりニンニクが入っており朝起きた時が大変。


c0116370_184419.jpg


観光客が多いパブストリート。
やっぱり観光の街だと感じる。



4日目に続く。



にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-09-06 01:13 | カンボジア | Trackback | Comments(0)