廃墟となった最高教育機関 Ecole normale William Ponty
先日、ダカール州とティエス州の境にあるSébikotane市にある友人の農園を訪れた。その道中、友人が立ち寄ってくれた場所がある。それが、ここ。

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これだけ見ても何か分からないが、これがEcole normale William Ponty(ウィリアム・ポンティ高等師範学校)の講堂跡といったら分かる人もいるかもしれない。私も友人から説明を聞いて、「え===、ここがかの有名なウィリアム・ポンティ!」と感動した一人。

Wikipediaから抜粋して少し修正

「ウィリアム・ポンティ校は1903年、当時フランス領西アフリカ(AOF)の首都だったサンルイSaint Louisに創立された。その後1913年にはゴレ島に移転し、1937年にはリュフィスクRufisque近郊のセビコタネSébikotaneに移転し、セネガル独立後の1965年にコルダに移転した。
ウィリアム・ポンティ校はフランスが現地人官員の養成を目的として設立した学校であり、フランス領西アフリカ全土から優秀な学生が集まり、卒業後は下級官員として、また現地人のリーダーとして全土に散っていった。そのため、フランスの第4共和政時にアフリカから議員が選出できるようになると、同校出身の代議士が多数を占めた。さらに議員以外でも現地の指導者として、また知識人として重きをなしている場合が多く、彼らのネットワークによって独立への動きがすすんでいった。卒業生は出身地に関係なく集められ、仏領西アフリカ全土に配属されたため、仏領西アフリカの指導層に連帯意識が生まれる元となった。

独立運動を指導し、大統領になったコートジボワールのフェリックス・ウフェ=ボワニFélix Houphouët-Boignyマリのモディボ・ケイタModibo Keïtaニジェールのアマニ・ディオリHamani Dioriダオメー(現ベナン)のユベール・マガHubert Mangaオートボルタ(現ブルキナファソ)のモーリス・ヤメオゴMaurice Yameogoセネガルのアブドゥライ・ワッドAbdoulaye Wadeなども、ウィリアム・ポンティ校の卒業生(卒業生はPontinsと呼ばれる)である。」

1933年の卒業生から卒業論文が必須となり、791の論文が、Institut Fondamental d’Afrique Noire(IFAN:ブラックアフリカ基礎学院)に保存されているという。それらを『Cahiers de Ponty(ポンティのノート)』と呼ぶ。当時の経済、社会、文化を理解する貴重な資料とされているらしい。

現在、セビコタネの学校跡は、鉄筋がむき出しになり、屋根も崩れ落ちており、建物の中は藪となって、入ることもできない。ダカールからティエスに向かう高速道路の脇に、学校の場所を示す看板が存在感なく立てられているものの、気づく人はどれだけいるだろうか。1937年から1965年の28年間、仏領西アフリカの政治家、行政官、医者、教員の大半を輩出した最高師範学校で、フランス語圏アフリカの歴史の中では非常に重要なサイトなのだが、その威厳はなくなってしまっている。学校の施設の一部は、近くにあるセビコタネ刑務所の施設に改築されている。

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正面から撮った写真。
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1990年、アメリカの支援で学校再建を決め、ウィリアム・ポンティ師範学校からそれほど離れていないところに、『Université du Futur Africain de Sébikotane(セビコタネ未来のアフリカ大学)』を建設すべく起工式も行ったが、工事が始まったのは2002年。そして2006年には工事が中断してしまった(下の写真)。

その後2012年の大統領選で、アブドゥライ・ワッドはセビコタネの大学建設の再開を公約として掲げたが、マッキー・サールに負けて以降、工事は進んでいない。最近は、エネルギー・石油関連のエンジニア養成校として生まれ変わるというような話もあるらしい。
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ただ、新たな建物を建設することがウィリアム・ポンティ校の歴史を語ってくれるわけではないので、私としてはこの嘗ての講堂をどのように保存していくかを考えた方がよいと思う。ただ思いは人それぞれなので、最終的にどうなるか。このまま保存してほしいなあ。

ちなみに、ウィリアム・ポンティとは誰なのかというと、1908年から仏領西アフリカ(AOF)の総督だった方。自身もフランスでしっかりと教育を受けており、1888年にサンルイ総督の第一秘書になったころから教育に力を入れていた。それもあり、1915年にダカールで亡くなられてから、総督に敬意を払ってこの最高師範学校をウィリアム・ポンティ師範学校と呼ばれるようになった。

ウィリアム・ポンティ校はゴレ島にもあったというから、10年以上前のゴレ島の写真を出してきて眺めていたら、もしかしたらこれが学校跡かも!という写真があった。下の写真の右側の建物。次回ゴレ島に行くときはちゃんと確認してこよう!

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# by iihanashi-africa | 2017-03-17 09:31 | セネガル | Trackback | Comments(2)
道路のど真ん中での修理
先日、ダカールの中心街で全く動かない渋滞にはまった。渋滞はいつものことなのだが、この日はなかなか進まない。やっと少しずつ動いて渋滞を引き起こした張本人に出くわした。

これか~

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こんなところで故障とは災難。
側道に寄ろうにも、こんな状態では難しいかも。

頑張れ~~


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# by iihanashi-africa | 2017-03-14 08:16 | セネガル | Trackback | Comments(0)
国際芸術家センターさんのページで記事紹介
IAC-International Artists Center Tokyo(国際芸術家センター)というNPO法人がある(http://iactokyo.jp/)。国際交流を通じて平和に寄与する目的で設立された団体だそう。前身は舞踏劇「ノーモア・ヒロシマズ」を国内外の各地で公演する舞台芸術団体だったとのこと。現在は、各国大使館や国内外のネットワークを軸に、舞踊、音楽、食、アート、国内外の祭りや伝統行事などを通じた様々な文化交流事業を実施し、国際相互理解を深める活動を行っている。

IACは定期的に「大使館でお茶を」というお茶会を開催しているそうで、4月のお茶会はブルキナファソ大使館とのこと。Facebookの紹介ページで、私のブログの記事を紹介いただいた。ブルキナファソ最大のモシ族の歴史とプリンセス・イェネンガについて書いた記事。


IACのFacebookの記事
https://web.facebook.com/iactokyo/photos/a.369253773105863.92308.314079861956588/1439640526067177/?type=3&theater

紹介していただいた記事
ウエドラオゴとタプソバとサワドゴ 前半
ウエドラオゴとタプソバとサワドゴ 後半


ご連絡をいただいて、私自身も久しぶりにこの記事を読んだ。いつも個人的な興味で書いている記事が時折検索に引っかかってくれるようで大変嬉しい。


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# by iihanashi-africa | 2017-03-06 08:06 | ブルキナファソ | Trackback | Comments(2)
寄付金を募るモスク
私の職場の隣にモスクがある。

すぐ隣なので、一日5回の礼拝を呼びかけるアザーンは、聞こえすぎるほどによく聞こえる。

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そのモスク、昨日は朝から一日中音楽をかけたり何やらお祈りのようなでもお祈りでないようなアナウンスをしたりしていた。秘書に、何を流しているのか聞くと、モスクの改築工事中で、途中資金が底をついたため、こうして放送をして寄付金を募っているという。

こういう音楽。



さすがに一日中音楽を流されると、交感神経が強く働き続けるからか、仕事に集中できない。

こういう時は自ら良い方向に考えを変えるのが一番と、私も寄付金を渡すことにした。そうしたら少しは気分が良くなるかもと思いながら、お昼に外に出た時には、寄付金の事をすっかり忘れてしまい、お金を持たずに外出してしまった。結局タイミングを逸してしまった。来週も放送していたら、今度は寄付しに行くことにしよう。

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# by iihanashi-africa | 2017-03-04 06:08 | セネガル | Trackback | Comments(0)
FESPACOの携帯アプリ
2年に一度開催されるブルキナファソの2大国際フェスティバルの一つ、FESPACO(Festival Panafricain du Cinéma et de la Télévision de Ouagadougou、ワガドゥグ汎アフリカ映画祭)が始まった。
https://www.fespaco.bf/fr/


丁度2年前も4年前も同じようなブログ記事を書いているが、ほんとこの時期はブルキナファソにいたいと強く思う。

2年前の記事
FESPACOが始まりました
FESPACO最優秀作品賞はFievres

4年前の記事
「アフリカ映画の都ワガドゥグ」~フェスパコ便り 1
「アフリカ映画の都ワガドゥグ」~フェスパコ便り 2
「アフリカ映画の都ワガドゥグ」~フェスパコ便り 3

8年前の記事
FESPACOで受賞、おめでとう。

さて、前回は気が付かなかったのだが、FESPACOもついに無料アプリができた。Google playかApp storeでダウンロードできる。2015年にアップされているので前回のFESPACOでも使われていたのかも。

このアプリが結構使いやすい。
とってもシンプルだが必要な情報が全て入っている。長編、短編、ドキュメンタリー映画などの説明はもちろん、映画の予告編にも簡単にアクセスできる。映画のプログラムだけは、もう少しだけカレンダーが見やすくなるとよいなと思うけど、映画館の場所も分かりやすいし、チケット情報も簡単に分かるし、国外から来る方にはホテルやレンタカーの情報まで乗っている。ほんと使いやすい。

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アフリカも携帯の普及は先進国にそれほど後れをとらずに普及しており、スマホ所有率は相当高い。最近はインターネットの速度もほとんど問題ない。動画もスカイプも全く問題なし。ダカール市内でもGoogle mapでGPS機能を使いながら移動することもしばしば。日本と全く変わらない。ほんと便利になった。


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# by iihanashi-africa | 2017-02-27 03:06 | ブルキナファソ | Trackback | Comments(1)
リビアの上空飛行禁止
ここしばらく忙しくてブログアップが滞ってしまった。
これからなんとか盛り返していこうと思う。

昨日まで業務出張で一時帰国しており、本日、次の出張先のケニアに到着した。

通常、セネガルから日本への移動はエールフランス航空を使うことが多い。最も早いルートだからである。しかし、現在はエミレーツ航空も飛んでいるため、時折航空会社からドバイ経由のルートを提案されることがある。確かにエールフランスよりは安いのだが、ドバイのトランジットが21時間もあり、時間のロスが大きいため、滅多に使うことはない。

しかし今回の私の出張は、日本の後にエミレーツ航空でケニアへ移動するため、セネガルから日本への移動もエミレーツ航空にした方が安かった。そのため、初めてダカール=ドバイのエミレーツ便に乗ってみた。

ところが、航空券を受け取ってびっくり。ダカールからドバイは9時間半もかかるのだ。何が驚きってドバイから羽田も9時間半かかり、つまり同じくらいの距離ということ。セネガルからドバイということは、アフリカ横断と同じくらいの距離。それがアジアの端から端までと同じ距離とは。でも、世界地図をみて納得。確かに遠い。アフリカってやっぱり広い。
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それに加えて、エミレーツ航空(に限らないが)は、リビア上空を飛行しない。大きく迂回しているため、それも時間がかかる原因かもしれない。
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それにしても、ほんと綺麗に迂回している。


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# by iihanashi-africa | 2017-02-20 03:58 | セネガル | Trackback | Comments(0)
セネガルのNoto野菜市場
セネガルにはニャイ地区とよばれる地域があり、野菜や果樹栽培が昔から盛んである。ニャイ地区は、首都ダカールから北部のサンルイの沿岸地域一帯を指し、南北の長さ約180kmに広がる。

この地域は、比較的冷涼で地下水位が高いため、野菜栽培には向いている土地と言われている。セネガル国内に流通する野菜の6割はこのニャイ地区で生産されたものと言われている。近年は、都市部の野菜消費量が増えており、国内で生産された野菜の大半は国内で消費されているが、タマネギ、トマトなどは隣国へも輸出されており、マンゴーなどの果実も一部欧州などへ輸出されてもいる。

以前の出張中に、このニャイ地区でも最も大きいノトNoto市場に行ってきた。もともと幹線道路沿いにあったのだが、渋滞緩和等の理由から、最近幹線道路から少し離れた場所に移動した。

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この市場での生産物の売り値、買い値は、出回り量により一日の中でも変化する。売上量は、日によっても大きく変わる。多いときには、一日に20トンの時もあれば、私たちが訪れた日は13時頃でも5kgにも至っておらず、日によって売り上げが大きく異なるらしい。価格は、他のコクサー(仲介人あるいは交渉人)と協議したり、需要の状況を見たりして決めている。

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下の写真の白い帽子の方はコクサー。女性たちはバナバナと呼ばれる小規模の卸売り商人。大量に取引する卸売業者もバナバナと呼ばれるが、自分の倉庫や店を構えているような方々は商人(Commerçant)と呼ばれるのが一般的らしい。コクサーは生産者と仲買人コクサー毎に扱う産品は大体決まっている。コクサーは、同時に生産者であることが多く、仲介人とは言っても生産者寄りのことが多い。だから、農家さんのインタビューをしても、コクサーとの間に問題があるという話は滅多に聞かない。

一方、バナバナはNoto市場で生産品を買い付け、いろいろな市場に売りに行っている。生産者から直接買い付けを行うことも多いが、そこで買い付けができない時に、市場でコクサーから買い付けを行う。

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ノト市場は、セネガル国内だけでなく、ガンビアやマリ、モーリタニア、ギニアなどからも商人が買い付けにくる。

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買付量は大体このくらいの大きさが最小単位。何キロあるんだろう。150kgくらいかなあ。

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産品は品種や大きさで分けられているが、品質では分けられてはいない。

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私の今の疑問は、生産者が市場の方々とどれだけ情報交換をしているのかということ。どれだけ頻繁に連絡をとって、どういう情報を入手しているのか。もっと知らなきゃ。


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# by iihanashi-africa | 2017-02-04 15:05 | セネガル | Trackback | Comments(2)
セネガル到着
2年間の日本勤務の後、再びアフリカ勤務が始まる。

今度の赴任先はセネガル。カメルーンに始まり、チャド、セネガル、タンザニア、ブルキナファソ、マダガスカル、ブルキナファソと、短期の出張を除くと6か国で勤務してきた。セネガルは2006年にローカルNGOで5カ月のインターンをして以来の長期滞在となる。ここ2年間は頻繁に出張で訪れてはいたが、同じ方と会うにしても肩書が違うと緊張感が増す。

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夜景は美しく撮れないので、数年前のダカールの写真も一緒に。
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さて、今回の赴任日は自分の誕生日と重なった

誕生日の0時35分の便で出発したので、今年の誕生日は丸々一日移動の日となった。ありがたいことに出発の前日まで様々な方からお祝いしてもらったので、もう気分は満たされていたのだが、誕生日はやはり様々な形でよいことがあるようだ。

パリに到着してトランジットのホテルにチェックインをした際、フロントの方が私のパスポートを見て、「オー!!ハッピーバースデー!!」と言ってくれ、「素晴らしい日だ。私がフロンとで働き出して、誕生日にチェックインをした方に初めて会った!」と私以上に喜んでくれた。そして、特別にクラブ会員用の部屋を準備してくれた。なんと粋な計らい。

そして、ダカールの空港に迎えに来てくれていた方から、「ハッピーバースデー!!」と言われてチョコレートをいただいた。久しぶりにこうした様々な方からお祝いしてもらって感謝感謝。


そういえば以前も誕生日を話題にしたことがあったと探したら、2010年に記事を書いていた。
3大陸でのお祝い

2008年までどこで誕生日を過ごしたか書いていたので、その続きを書こうと思ったら、2011年がどうしても思い出せない。多分マダガスカルなんだろうけれど。。。

2017年は、日本からセネガルへ向かう飛行機の中。
2016年は、日本。
2015年は、日本。
2014年は、ブルキナファソ。
2013年は、ブルキナファソ。
2012年は、マダガスカル。
2011年は、(思い出せない。。。。。)
2010年は、マダガスカル。
2009年は、マダガスカル。
2008年は、ブルキナファソ。
2007年は、日本。
2006年は、フランス。
2005年は、日本。
2004年は、日本。
2003年は、カメルーン。
2002年は、日本。


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# by iihanashi-africa | 2017-01-20 07:10 | Trackback | Comments(2)
マダガスカルで震度5の地震
1月12日の1時6分(マダガスカル時間)、マダガスカルで地震があった瞬間にFacebookがざわついた。マダガスカルの友人たちが、「すごい揺れた」「怖かった」というメッセージをアップ。マダガスカルではかつて経験したことのない揺れだったらしい。最初の揺れから20秒後に大きな揺れが発生したようだ。

私がマダガスカルに滞在していた時、一度だけアロチャ湖北部で地震があったというニュースを見たが、私が住んでいた首都では全く揺れなかったため、なにかの間違いかとも思った。地震があるということは聞いていたが、やはりあるんだなあと実感。

アンタナナリボ地理院によると、震源地は首都アンタナナリボから国道7号線を190km南下したところのベタフBetafoという町から42km南西。AmbatofinandrhanaからTsironomandidy方面に伸びる活断層が動いたとか。マグニチュード5.9。震源の深さ8.7km。1991年4月21日にマグニチュード5.6を記録したことがあるが、それを超える地震だったようだ。ベタフの近くのアンチラベという都市で震度5、首都でも震度4を観測した。

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部分的に崩れた家もあったようだが、今のところ犠牲者は確認されていないとのこと。ただし、アンチラベでは壁にひびが入った建物も多い。

以下のサイトから写真を拝借。
http://www.lexpressmada.com/blog/actualites/seisme-des-degats-enregistres-a-antsirabe/

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地理院によると、Andraikiba火山の噴火の前兆とも捉えられるそうだが、まだその他の兆候がないからしばらくは大丈夫だろうと。

アンドライキバAndraikibaと言えば大きな湖があり、昔行ったことがある。火山の名前でもあったのね。それも休火山だったとは。
マダガスカル版ロミオとジュリエット


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# by iihanashi-africa | 2017-01-13 21:30 | マダガスカル | Trackback | Comments(0)
第3回ゆずの里クロスカントリー&絶景ウォーク大会
ちょうど一年前に初めてハーフマラソンを走ったのだが(初ハーフマラソン)、多摩川沿いのあまり風景の変わらないところだったので、友人たちともう少し景色の良いところを走ってみたいねと話していた。

それから一年。

またもふとマラソン熱が高くなった時期に、友人と出られるハーフマラソンか10kmランを探していたところ、偶然故郷山梨の富士川町で「ゆずの里クロスカントリー&絶景ウォーク大会」というイベントがあることを知った。

https://fujikawarunandwalk.jimdo.com/


ロング(32kmラン&ウォーキング)、ミドル(20kmラン&ウォーキング)、ショート(16kmウォーキング)の5種目があり、私たちは迷わず16kmウォーキングを選んだ。標高差400mを走ることはできないと思ったので。ただ、後から考えると、ウォーキングならせめてミドルはいけたかも。

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所謂トレイルランなので、もちろん山道。ただ、16kmの部はそれほど険しい山道はない。でもここは最初の難関。


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ところどころに地元の方が立っており、道案内をしてくれる。


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32kmはかなりの山道らしく、ステッキを持っている人も多かった。


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途中、一番きつかった神社の石段。


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神社の休憩所。
ここのゆず湯やゆず餅が美味しかった。


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各休憩所ではゆずを配っており、それをもらうとリュックが膨れていく。


この日はとても天気が良く、富士山もよく見えた。
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3人とも2時間59分48秒で無事完走。全員で横一列にならんでゴールしたら秒数まで一緒だった。



さて、次はどこで走ろうか。


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# by iihanashi-africa | 2017-01-12 23:54 | 日本 | Trackback | Comments(0)
勝沼の鳥居焼
ずいぶん前の話だが、2016年10月1日に甲州市『かつぬまぶどうまつり』が行われ、県外の友人2名と初めて訪れた。山梨に住んでいながら、それも隣の市でありながら、今まで一度も行ったことがなかった。

勝沼の中央公園広場に勝沼のワイナリーがブースを出しており、1000円でワイングラスを購入すれば、全てのワインが飲み放題である。もちろん食べ物の屋台もあるので、多くの方は、ブルーシートを持参して、お花見シーズンのように一日飲み食いする。

このぶどうまつり、ワインの試飲がメインではなく、まつりの核となるのは鳥居焼であることを初めて知った。両親からも、「鳥居まで火のついた松明を持って中学生が走る様は一度見ておいた方がいい」と言われ、19時くらいまで待つことにした。

暗くなると、松明を持った中学生が走って広場に入ってくる。
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代表者が中央のかめのようなものに火をつける。


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市長が火のついていない松明を持って中央の火をもらいに行き、今度は鳥居まで走る男子中学生(伝統的に中学2年生が行うらしい)の松明へ火を移す。


そして男子中学生たちは、山の中腹にある鳥居へ向けて勢いよく走りだす。
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こういうお祭りを中学生の時に体験できるのは幸せだと思い、私は勝手に感慨深くなっていた。

帰宅してブログにアップしようと思ってから早3カ月。遅ればせながら記事を書いてみようと思い、まずこの伝統はいつから始まったのか調べてみた。

が、、、全然ネットでは情報がない。

唯一発見したのがこのブログ記事なのだが、内情をとてもよくご存知の方が書いたのか、大変興味深いので、そのまま引用させてもらうことにする。

「がんばれ勝沼ブログ」
http://ganbarekatsunuma.blog58.fc2.com/blog-entry-16.html



『数あるぶどうまつりの行事の中でも核になるには鳥居焼だと思う。古くは江戸時代の文献に鳥居焼の火が山に燃え移り宿の人たちが消しに行ったとある。以来、勝沼の先人たちはどんなにつらく厳しい年でもその火を絶やすことなく燃やし続けて来たのである。しかも鳥居焼は歴史的な根拠や背景もしっかりしている。しかしこんな鳥居焼にもいくつかの問題点が生まれたが、そのつど英知を結集して対応してきたことも事実である。

以前、鳥居焼の火は町内の青年によって大善寺から町内を一周して鳥居に点火されてきた。しかし若い人たちの数が減ったことや祭りのイベントが増えたことから青年だけでは対応しきれなくなったことである。そこで中学生が一役買うことになった。以前は人数合わせ的なところがたぶんにあったと思うが、現在は地域の伝統行事を知り、しかもそれを守り伝えて行くという意義がある。さらにこの意義を深めるために歴史的な背景も加えて学習会も開いている。中学生はやがて成人し勝沼を担う力となろうし、また勝沼の地を離れても新聞、テレビ、雑誌などで勝沼の鳥居焼が紹介されたとき、お父さんやお母さんはあの火を守り伝えて来たんだということを子どもたちや家族に話すことができる。鳥居焼の火は自分の生まれ育った町や地域を誇りに思う気持ちを育てることにもつながるのである。

鳥居焼の準備は以前は柏尾地区の人たちの手で行われていた。後に勝沼地区全体で担当するようになったが現在は町内の各地区で順番で対応し20年に一度廻ってくる。(注:そしてその後一時は業者委託されたが、現在は町民ボランティアで積まれている。毎年100-150名ほど集まる。)こんな話がある。農村地帯と言われる勝沼町にも都市化の波が押し寄せ、農地が潰れ新しい住宅が建てられ新しい人たちが移り住んでくる。こうゆう地域にも当然鳥居焼の準備の当番は廻ってくる。そんな中で準備はどうだったかというと、新しく勝沼に住んだ方々よりも、以前から住んでいる人たちからこんな急な山で作業は出来ないとか、もう少し補助金をだしてくれとか、農家でない家庭は草刈鎌や手袋もないので用意してくれなどさまざまな意見、要望が出てきた。

で、準備はどうだったかというと、新しく勝沼に住んだ方々もピカピカの新しい鎌を持ち汗だくになって下草狩りをしたり薪を積み上げたりしていた。また、作業後の慰労会では新旧の住民がひざを交えて酒を酌み交わし歓談する姿や、新しく住民になった方々からは伝統ある勝沼の鳥居焼に携わることができて、本当の意味で勝沼の住民になった気がするといった声も聞かれた。鳥居焼の準備を通じてまた赤々と燃える鳥居焼の火を見て、何よりも勝沼に新しく住んだ方々が勝沼に住む誇りを感じ得たのである。』



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# by iihanashi-africa | 2017-01-11 01:26 | 日本 | Trackback | Comments(0)
必見!おばあちゃんの干し柿レシピ
前回の記事では干し柿(枯露柿)の作り方を紹介したが(山梨の干し柿(枯露柿))、世の中には干し柿が苦手という人が多い。私もその一人である。ただ、干し柿が苦手な私でも食べられる干し柿料理がある。それが、ゆで卵の干し柿巻きである。

私の実家では、ほぼ必ずと言っていいほどおせち料理の一品として入っていた。かつては祖母が作っていたが、その後母親が作るようになり、ここ数年は食卓に並んでいなかったが、今年は初めて母親に習って私が作ってみた。

作り方はとても簡単。

①ゆで卵を作っておく。

②枯露柿のへたの部分を除き、割って開いて、中の種を取り除く。

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③ゆで卵を枯露柿で巻いてタコ糸で結ぶ。揚げた後、タコ糸に沿って包丁を入れるため、しっかりと真ん中あたりで縛る。


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④ホットケーキミックスと卵と牛乳を混ぜる。ホットケーキミックスというのがミソ。てんぷら粉ではこの美味しさはでない。


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⑤ ④をつけて、150度くらいの油で揚げる。


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⑥タコ糸に沿って半分に切れば出来上がり。


干し柿が苦手でもぺろっと平らげてしまう美味しさ。

是非お試しあれ。


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# by iihanashi-africa | 2017-01-03 16:56 | 日本 | Trackback | Comments(0)
山梨の干し柿(枯露柿)
先日、山梨の実家から干し柿が送られてきた。昔は祖母が作っていたが、今は父が受け継いで作っている。

山梨では干し柿を「枯露柿」と呼ぶ。
なぜ枯露柿というのかはよく分からないが、山梨の実家では炉端で枯らすからと言われてきた。ネット上では、柿全体に陽があたるように適当な間隔を置いてコロコロ位置を変えるからと書かれている。後者の方が一般的なようだ。

甲州百匁(ひゃくめ)と呼ばれる大型の柿の品種があり、実家の畑にはその木が6本ある。その内1本は巨木で15mちかくあり、上の方は柿を採ることすらできない。最近は父も友人たちに、自分で採るなら勝手に採っていいよと言っているらしい。この木だけで、おそらく1000個の柿がなるとのこと。その内、半分くらいしか収穫できなかったらしい。残りは鳥たちの餌となる。
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甲州百匁は釣鐘型をした渋柿で、平均的な大きさでも350~400gほどになり、大きいものだと500gにもなる。もともと匁(もんめ)とは日本の尺貫法で3.75g、つまり百匁は375g。甲州百匁の名前はここからきたと言われている。

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これは私の家の甲州百匁。


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渋抜きして柔らかくなった柿をスプーンで食べることもあるが、山梨では大半が枯露柿になる。
これは柔らかくなった柿。



収穫した柿を、2、3日追熟させて、皮をむき始める。実はこの作業が最も大変かもしれない。へたとがくを取って、柿の肩の部分の皮を剝く。今年、父は500個を剝いた。

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暗くなるまで作業。お疲れさま。

この後、通常は黒変防止と殺菌を兼ねて硫黄燻蒸する。実は私、硫黄燻蒸の様子をまだ見たことがない。なので写真がない。来年は父に写真を撮っておいてもらおうかな。
硫黄燻蒸すると鮮やかな色のままなのだが、しないものより少し硬くなり、甘さも控えめになる。甘く柔らかい枯露柿が好きな人は、実は硫黄燻蒸していない黒い色の柿がお勧めらしい。

その後、こうしてつるして天日乾燥する。
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天日乾燥している最中も手で押さえて柿の繊維を切り水分を出しやすくするため十分に揉む。これを約25日位乾かす。

乾燥してきたら、今度は棚に並べて平干しする。5~7日の間毎日毎日割り干しを行い柿の形を整える。しっかりと手入れをして果実全体の肉置を均一にすることが重要。

さらに容器に一旦入れて2~3日保温し、一旦柿に汗をかかせてから再度乾かすと、しみ出た果糖が白い結晶になって表面を覆い、綺麗に白い粉がふく。

仕上げに柿の表面をきれいにし、へたを小さく切り整形する。
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実家の枯露柿と知り合いのプロの枯露柿職人さんの枯露柿を並べてみた。何が違うって、やはり実の詰まり方。しっかりともみ込んで手入れをしないと、へたの近くと下の方で肉のつまりが変わってくる。この作業が結構繊細で大変なのだ。
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これがプロの枯露柿。



年末年始に実家に帰宅すると、必ずと言っていいほど枯露柿の入った料理が食卓に並ぶ。

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これは枯露柿にゆずを挟んで巻いたもの。これは1年前に作ったもの。冷凍庫で凍らしておき、丁度1年後の今、少し乾燥して表面の果糖が更に固くなり、美味しいおつまみになる。枯露柿が苦手な方でもこれは食べられる。


これに加えて、正月にはゆで卵を干し柿で包んでホットケーキミックスをつけて揚げた料理がある。山梨の郷土料理なのか、祖母のオリジナルなのかは分からなかったのだが、ネットで調べたら、福井の郷土料理にもあるらしい。でもこれは小麦粉を使っている。祖母の作るこのおせちの一品が美味しかった。次回の記事で別当紹介することにする。
http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1212/spe2_02.html


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# by iihanashi-africa | 2017-01-02 21:11 | 日本 | Trackback | Comments(2)
2017年、明けましておめでとうございます
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2017年、明けましておめでとうございます。

2016年はそれほど旅行していないなあと思って写真フォルダを顧みていたら、やっぱり意外に行っていました。ゴールデンウィークに弟家族に会いニューヨークに行き、5月末には友人と高知県へ、8月にはルクセンブルグ人の友人とカンボジアへ旅行。満喫していました。

久しぶりに2年間日本に滞在したのですが、この間の仕事は当初想像していたよりも充実していました。多くの尊敬できる方に出会い、自分自身も成長し、仕事も誇りと自信をもって進められ、周囲の方々に本当に感謝しています。

この経験を活かし、2017年の1月中旬にセネガルに赴任することになりました。

セネガルにはこの2年間で4回出張しました。何度も行った国で馴染みはあるとはいっても、住んで仕事をするとなると別の緊張感があります。自分なりの立ち位置を見つけて、新たな人間関係を築いて、相互に信頼できるようになるには、時間がかかると思います。今は不安の方が大きいですが、なんとかセネガルの農業に貢献できるよう努力していきます!

今年もどうぞiihanashi-africaを宜しくお願いいたします。


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# by iihanashi-africa | 2017-01-01 21:05 | 日本 | Trackback | Comments(0)
野菜の値段を知らない男性客
セネガルのある野菜市場で売り子の女性にヒアリングした時のこと。

とってもはきはきしていて売ることを楽しんでいる女性たちで、なんかとても素敵だったので写真を撮らせてもらった。

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「近くでは男性の仲介業者がいるけれど、クライエントを奪い合うことはないの?」と聞くと、「彼らは販売後にクライエントの生産者へ支払いをするのだけど、私たちはその場で現金支払いするから、結構生産者を獲得できるのよ」と自信満々に話していた。常連のクライエントがいるわけではないが、それなりに買い取ることができているという。

そして、こう話していた。

「実は売値は男性客に対するほうを高くしているのよ。男性は値段を知らないので、高い値を言ってもそれが高いかどうかも分からず買ってくれるからね(ははは笑)」


一緒にいたセネガル人通訳の男性も、「ああ、俺もこうしてふっかけられているんだろうなあ。。」とつぶやいていた。


もう一枚おまけで、野菜売り場の素敵な笑顔の女性。
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# by iihanashi-africa | 2016-12-30 20:41 | セネガル | Trackback | Comments(0)
使えない本物のコイン
よくあることなのだが、お釣りなどでこういうコインを受け取ることがある。

コインの表
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コインの裏
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分かる方なら、西アフリカ中央銀行(BCEAO)のマークが薄っすら見えるので、ああ西アフリカのセーファーフランで、おそらく大きさから100FCFA(約20円)だろうというのが分かる。

こういう数字すら見えないコインが普通に出回っているのだが、これまた知らずに受け取ってしまうと、その後自分が使う番になるとなかなか受け取ってもらえない。

銀行に持っていくと変えてもらうらしいが、わざわざ20円のために銀行に行く気にもならないため、未だに財布に残っている。このコインをいつ受け取ったのかも覚えていないほど、昔にもらった気がする。さて、いつまで財布を温めることになるだろうか。


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# by iihanashi-africa | 2016-12-25 21:22 | ニジェール | Trackback | Comments(0)