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Officeワードでウォロフ語が校正される
今日の発見。

ワードでフランス語の資料を読んでいた時のこと。

突如、ワードの上の方に、この文書には校正の対象ではない言語の文字が含まれているので、校正ツールを入手してくださいというようなメッセージが出てきた。

ん??私、最近パソコンを新調したけれど、先日フランス語の校正ツールはダウンロードしたばかり。あれ、ちゃんとダウンロードできていなかったかな?と思いながら、もう一度よくよく文章を見ると、「この文章には、校正の対象ではないウォロフ語の文字が含まれています」と書かれていた。

    !!!!
!!!!ウォロフ語!!!!
    !!!!


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え、まさか、ウォロフ語がワードで校正されるの?と驚きを隠せないまま、ワードの下を見たら、言語がウォロフ語で認識されていた!

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私自身、ウォロフ語は挨拶程度しかできないので言語パックはダウンロードするつもりはないものの、ウォロフ語があるなら他のアフリカの言語もあるのではと興味津々でOfficeの言語アクセサリパックのサイトを開くと、あった~~~~~~!!!すごい!!!


私が分かる限りで、アフリカで使われている言語がこんなにも校正されるようになった!

ヨルバ語(ナイジェリア、ベナン、トーゴ)
ウォロフ語(セネガル、ガンビア、モーリタニア)
スワヒリ語(ケニア、タンザニア、ウガンダ)
イボ語(ナイジェリア)
ハウサ語(ニジェール、ナイジェリア)
アムハラ語(エチオピア)

2013版は対応していないが、2016版のOfficeから導入されたみたい。
いやあ、すごい。恐るべし、言語ツールの進化。


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by iihanashi-africa | 2017-09-28 06:40 | セネガル | Trackback | Comments(0)
Cine Droit Libre Dakar 3 :カメルーン北部のボコハラム対策と位置付けた警察の横行


『Protect our Rights(私たちの権利の保護)』

アムネスティ・インターナショナル

映画ではないのだが、今回の映画祭で何度も流れたCM。アムネスティ・インターナショナルが作成したアニメーション映画。2分半の超短編なのだが、あまり知られていない事実を見せるにはよい長さだった。


カメルーン北部は、ナイジェリアと国境を接している。北部の国境は下の写真の通り丘陵地が続く。15年前に妹とカメルーン北部を旅行した時にルムシキという村に立ち寄り、運転手からあの谷の辺りがナイジェリアとの国境だという説明を受けたのを思い出す。

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近年、ナイジェリアのボコハラムが活発に活動をしており、ニジェールでも大きな影響を受けている都市があることは以前も記事に書いた。

カメルーン北部でもボコハラムによるテロが多発している。誘拐も発生しており、今や写真の場所には行けなくなっている。こういう状況を打破すべく、カメルーンの警察や憲兵隊もボコハラム対策に躍起になっている。その政府側の対策が非人道的だと批判されているのだ。下の記事では、「カメルーンに仕事はなく、こんな状況ならボコハラムに入った方がまだましだ」と冗談でメッセージを書いた若者が禁固20年の刑となった。こういうほんのちょっとした証拠で、今や1000人もの住民が逮捕されている。その逮捕の仕方も上のアニメーション映画のように非道な方法なのだ。

「Cameroon Protect our rights」


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by iihanashi-africa | 2017-09-27 09:04 | カメルーン | Trackback | Comments(1)
Cine Droit Libre Dakar 2 : ヨーロッパに向かう移民の道中の厳しさを描いた映画
先日書いたCine Droit Libreという映画祭で何本か映画を見たので、シリーズで書いていこうと思う。


『Migrants – Retour d’enfer(移民、地獄からの生還)』

監督:Patrick Fandio
102分、コートジボワール

一時期よりは少し数は減少してきてはいるものの、今日もいまだにヨーロッパというエルドラドを目指して移住を試みる若者は多い。

2014年時点で、世界各国に124万人のコートジボワール移民がいる。国の人口の5.4%である。そのうち60%はフランス、8%がイタリア、8%がイギリスに住んでいる。2017年1月~2月にかけて、イタリアに着いたコートジボワール人の不法移民は800人を超えるという。

コートジボワール政府はこの状況を危惧し、このドキュメンタリー映画の作成を支援することにした。Ministère de l’intégration africaine et des ivoiriens de l’extérieur(より統一した西アフリカを目指し、海外のコートジボワール人が自国に貢献できるような環境を作るためのコートジボワールの省)は、若者が不法移民になるために死と隣り合わせの過酷な道を通ってイタリアに向かうことをなんとか妨げるべく、その啓発活動の映像の作成を決めたのだ。これまでは、ヨーロッパの監督が撮影・編集した映像しかなく、コートジボワール人の監督の視点から撮ってほしいという依頼だったようだ。

映画は、不法に入国しようとして叶わずにコートジボワールに戻ってきた若者の声から始まる。ある若者は「ヨーロッパに住む友人たちが、大きな車を乗り回し、大きな家に住んでいる写真をSNSにアップしているのを見ると、自分も行ってみたくなった」と話す。そしてヨーロッパで路上生活をする若者は、「SNSに格好いい写真を載せている人もいるけど、多くはヨーロッパにいながらみじめな生活をしているのを見られたくないからたまたま撮れたいい写真を載せている」と話していた。

映画では、リビアにいる不法移民仲介業者と接触し、どのようにニジェールに行くべきか、ニジェールに着いたら何をすべきか、いくら必要かなど、会話が流れている。すべて詐欺まがいである。そして、今やカダフィがおらず無秩序状態のリビアの砂漠をトラックで通過する危険を衝撃的な映像とともに見せている。Youtubeで映画を発見した。全て見られるようなので、フランス語が分かる方は是非どうぞ。




上映後の質疑応答で、アフリカの問題はヨーロッパの問題でもあると意見した方がいた。それに対して監督はこう話す。「確かにそういう意見もあるだろう。しかし、私たちアフリカ人は、ヨーロッパに責任を押し付けるのではなく、まずは自分たちの問題として考えなければならない」

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by iihanashi-africa | 2017-09-26 15:59 | セネガル | Trackback | Comments(0)
Cine Droit Libre Dakar 1:ブルキナ映画「Frontières」
セネガルでは、9月21日~24日まで、Cine Droit Libreという映画祭が行われている。

もともとは文化の国、映画の国ブルキナファソで2004年に始まった映画祭であるが、ここ数年で反響を呼び、コートジボワール、セネガル、マリでも時期をずらして開催されるようになった。セネガルでは今年で4回目らしい。映画祭の名の通り、人権保護を訴えると同時に、映画を通した表現の自由を推進する目的で実施されており、自国で上映禁止になったような映画も上映している。大半がドキュメンタリー映画で説得力があり、とても貴重な映画祭だと思う。

ブルキナファソにいた頃、私はこの映画祭を楽しみにしており、映画祭の週はほぼ毎日のように見に行っていた。当時の記事↓。

セネガルのプログラムを見ると、ブルキナファソに比べて上映数も限られており少し寂しいのだが、それでも面白そうな映画はある。今回のオープニングで上映された映画の一つに「Frontières」というブルキナ映画がある。私はこの映画を飛行機の中で見た。この映画はFESPACOのオープニング映画でもあった。

『Frontières(国境)』

監督:Apolline Traoré(ブルキナファソ)
90分、2017年

西アフリカの経済圏ECOWAS内では人も物もある程度自由に行き来できることになっている。しかし、それが順守されていない現実をコミカルに表現した映画である。映画は、セネガルから出発する長距離バスで出会う4人の女性の話である。セネガルを出発した後、マリ、ブルキナファソ、ベナンを通ってナイジェリアへ到着する。7日間の旅である。

セネガルのある女性組合の代表であるAdjaraはマリの国境で、予防接種のイエローカードを持っていなかったことから賄賂を要求される。マリの女性商人Emmaはパーニュと呼ばれるマリの生地の売買をしているが、記事の数が多いと国境でいちゃもんもつけられるため、どうにか隠して国境を抜けようとする。ブルキナファソの女性は、知らないうちに薬物の運び屋になってしまう。ナイジェリアの女性も、ナイジェリア国境を抜けるための知恵を伝える。全くお互いを知らない4人の女性が偶然にも出会って、最初は仕方なく協力し合う。

トラオレ監督は、映画の撮影の最中も、税関コントロールや警察の検問で困難があったそうだ。特にナイジェリアにおける撮影は困難を極めたと話している。

一方で、現場の税関職員や警官が見合う給与をもらっていない現実も理解しており、この点も解決しなければ問題は改善されないとも話す。

アフリカを知らない方が見ると、まさかこんなことが起こるわけがない、まさに作り話とも思ってしまうかもしれないが、私自身は映画を見ながら「ああ、ありそうだなあ」と同調しながら映画を見た。





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by iihanashi-africa | 2017-09-23 07:42 | セネガル | Trackback | Comments(0)
サヘルの写真家、大塚さんの訃報
8月25日、写真家の大塚雅貴さんがコンゴ民主共和国で亡くなられました。

8月初めにコンゴ民主共和国の首都キンシャサに入り、コンゴ河上流にむかって移動しながら取材を進めていたようですが、8月25日の夕方、小休止の折、何か気になるものがあって森の中へ少し入ったとき、突然倒れかかってきた折れた木の下敷きになり亡くなられたとのことでした。

私が大塚さんに出会ったのは、NGO緑のサヘルの忘年会。毎年行われる忘年会の中で、私が最も楽しみにしている忘年会で、写真家、民間企業の社員、NGO職員、コンサルタント、大学関係者、学生など様々な業種の方々が一堂に会するので、普段聞けない話が飛び交って本当に楽しいひと時なのです。大塚さんとはこの忘年会で出会いました。大塚さんが個展を開かれた時には、まだ駆け出しのころの大塚さんを知る方々が、とても感慨深く話されていたのを覚えています。

私自身、サヘル地域でかれこれ15年近く働いてきたこともあり、各国に知り合いが多くなってきました。昨年末の忘年会でコンゴ行きを検討していることを大塚さんから聞き、キンシャサで働いている知り合いを紹介したのですが、それ以来、こまめに連絡をいただき、治安の関係上、少し渡航を延期せざるを得ないこと、やっと8月に渡航ができるかもしれないこと、取材許可がなかなか下りずに苦労していること、など、逐次経過について把握できたので、同じように一喜一憂していました。そして、大塚さんのFacebookでコンゴ入りした後の写真が掲載され、ほっとしていたところでした。

訃報は、大塚さんと親しい方がFacebookに記事を載せたことで初めて知りました。

その方も書いていましたが、「大塚さんはこれまでにも取材中に危険な目に遭ったことは何度かありましたが、その都度切り抜けてこられています。コンゴも治安がよいわけではないですが、紛争やテロに巻き込まれたわけでも、強盗に襲われたわけでも、風土病にかかったわけでも、交通事故にあったわけでもなく、まさかとしか思えない事故で命を落とされたことに」、私もショックを受けています。

好奇心の塊のような大塚さんらしい最期ともいえるかもしれませんが、サハラ砂漠のあの美しい写真を時間をかけて撮られる希有な写真家を、こんな早くに失ったのは本当に残念です。

ご冥福をお祈りいたします。

大塚さんのホームページ
「SAHARA」という写真集をぜひご覧ください。壮大なサハラ砂漠とそこに暮らす方々の自然と一体となった生活を感じられます。



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by iihanashi-africa | 2017-09-18 21:19 | アフリカ全体 | Trackback | Comments(0)
山梨市の名前の由来
今、一時帰国中なので、ショートブレイクで故郷山梨の話題を。

山梨市は人口3万5千人の小さな市。その小さな市が今、全国的に有名になってしまった。市民にとっては大変迷惑な話だが、起訴された市長を選んでしまった市民も少し責任を感じなければならず、今後はしっかりと人物を見極めて投票しないとならない。しかし、個人的に知らない限り、人物評価は難しく、評判を聞いてもそれがデマであることもあり、一般市民が判断するのはなかなか難しいのが現状ではある。

山梨市長選挙

私の父も、この一件で全国ネットデビュー。デビューするには相応しくないテーマではあるが、この件で控えめな父の公正・クリーンな市政運営が公に評価されたのは身内としては少し嬉しくもある。ただ、こんなことで喜んではいられない。

次期市長となる方は、信頼回復が第一の使命。クリーンな政治をするには、まずクリーンにすべき箇所を知る必要がある。おそらく掘り起こせばいくらでも膿が出てくるかもしれないが、クリーンな政治と信頼回復はそれなくしてできない。みんなで仲良くグレーな部分はなあなあにという政治はもう時代遅れ。今度こそ、市民はしっかりと目を光らせておかなければならない。

**********************

さて、前段が長くなったのだが、メインはここから。

先日、父から山梨市の名前の由来を聞いた。以前も聞いたことがあったのだが、「山梨市長の事件で初めて山梨市の存在を知る」というようなツイートが何千回もリツイートされたのを見て、今回しっかりと記録に残しておこうと思った。

以前、父が現職だった頃に山梨学院大学で講演を行ったことがあり、講演の前段でこの話をしたらしい。どこかに原稿があるはずらしいのだが見つからなかったので、父の記憶と山梨県のホームページとwikipediaを頼って書くことにする。少し事実と異なっていたら悪しからず。


8世紀の山梨は甲斐国といい「山梨、八代、巨麻、都留」の4郡からなっていた。山梨郡の郡域は、現在の山梨市の全域、甲州市の大部分、甲府市の一部、笛吹市の一部。いまの笛吹市春日居町や一宮付近に甲斐国分寺や国分尼寺創建されていることからみて、春日居や一宮を含む山梨郡が古代甲斐国の政治的中心地であったと考えられている。戦国時代に甲府に武田氏の守護所が建設され、城下町として整備されるまで、甲斐国の中心は山梨郡であった。

甲斐の国は、明治元(1868)年3月、官軍の甲府城入場後、明治2年に甲斐府を廃し甲府県と改めた。明治4年8月の廃藩置県後も甲府県は存続したが、同年10月に始まる第1次府県統合により、韮山県と甲府県が統合して山梨県が発足した。一説によると、甲府という名前は江戸幕藩体制を思い浮かべてしまい、江戸幕府と一線を引きたかった新政府としては使わないほうがよいという判断だったらしい。県庁所在地は、山梨郡甲府。山梨郡が甲斐国の中心だったことから県の名前に使われた。

昭和29年(1954)、前年に施行された町村合併促進法、所謂「昭和の大合併」に伴い、山梨県東山梨郡加納岩町、日下部町、山梨村、岩手村、八幡村、日川村、後屋敷村の7つが合併し、山梨市が発足した。

この際に、市の名前を決めるにあたって様々な議論があったらしい。東山梨郡で「町」だったのは加納岩と日下部で、その他は「村」。そのため、一番大きい町の名前を使ったらどうかという意見もあった。しかし、もともとこの地域は山梨郡であり、当時も東山梨郡というまとまりであり、さらにその中に山梨村もあったことから、山梨市という名前で申請することで意見がまとまった。

しかし、山梨市という名前で国に申請したところ、県庁所在地として間違われるという意見があり、許可が下りるまでに少し時間がかかったらしい。最終的には承認がおりている。

その後、平成17年(2005)の平成の大合併のときにも山梨市の名前を存続するか議論になっている。当時の東山梨郡牧丘町と三富村と合併した市になることが決まっていたが、候補に挙がった笛吹市や甲州市は先に別の市が使ってしまっていた。そして、山梨という名前のルーツであるかつての山梨郡が分かる名前が東山梨郡しかなかったが、合併すると使わなくなってしまうため、山梨市がなくなると山梨のルーツが無くなってしまうという意見があり、最終的に山梨という名前にこだわることになった。


山梨県があって山梨市ではなく、山梨郡があって山梨県という歴史があるため、そのルーツを残しておくため、この市名になっている。


山梨県のホームページ
http://www.pref.yamanashi.jp/miryoku/history/index.html


Wikipediaより「山梨市」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%A2%A8%E5%B8%82

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by iihanashi-africa | 2017-09-07 00:42 | 日本 | Trackback | Comments(0)