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セネガル最大のバオバブ
Joalジョアルという街から内陸に15キロ行ったところに、セネガル一大きいと言われるバオバブがある。周囲32メートルで推定樹齢850年

私が訪れた日は快晴だったため、カラーで写真を撮ると日影が黒く映ってしまう。唯一綺麗に取れたのが白黒の写真だったので、それを載せることにする。バオバブの根に座ってくつろぐ人々と比べるとその大きさが分かるだろうか。
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バオバブは木の中がスポンジのように柔らかい繊維でできている(珊瑚礁と太いバオバブの旅最終日)。そのため、何百年も経って大きくなったバオバブも木の中は繊維が乾燥して空洞になる。このバオバブも例外ではなく大きな穴があり、木の中にも入れる。入口が非常に狭いため、中に入る時も外に出るときも手伝ってもらわないとならなかったが。



c0116370_7511418.jpgセネガルでは、特に神聖なバオバブは、グリオのお墓となっていた。グリオとは伝統的な伝達者のことで、楽器の演奏し、歴史上の英雄譚や生活上の教訓などをメロディーに乗せて人々に伝える人のことである。このバオバブも、穴の中にグリオが埋葬されていたらしい。ただし、独立後のサンゴール初代大統領が、人々は全員土に埋葬されなければならないとして、これまで穴に葬られていたグリオの遺骨がバオバブから出され、土に埋葬されている。現在、バオバブの空洞の唯一の住民はコウモリ。独特の臭いがあり、あまり長く居られないが、今でもこの空洞のなかで祈祷が行われる。


他にも、セネガル国内のバオバブたちの写真を少しおすそ分け。
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倒れてもなお生きるバオバブ。バオバブは根が深くまで張らないため、嵐などで意外とすぐに倒れてしまう。でも、少しでも根が土に埋まっていれば枯死することはなく、生命力は強い。そういえば、マダガスカルで倒れたバオバブが再び立ったというニュースを聞いたことを思い出した。
え?バオバブが生き返った?
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バオバブと言えば、マダガスカル。この種類の豊富さは世界でここだけ。
バオバブおまけ写真
最大級のバオバブ
バオバブ七変化
珊瑚礁と太いバオバブの旅3日目


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by iihanashi-africa | 2017-07-25 08:03 | セネガル | Trackback | Comments(0)
サンルイ島の植民地時代の建造物群
植民地時代の歴史的建造物群が世界遺産に登録されているセネガルのサンルイ島。サンルイ市は本土と真ん中の島と更に先のモーリタニアと繋がる半島の3つに分かれる。そのうちムフェデルブ橋で本土と結ばれている真ん中の島が、世界遺産に登録されているサンルイ島(下の地図で青で囲われている島)である。モーリタニアと繋がる半島の漁村は前回の記事でご紹介したので、どうぞご参照を(世界遺産サンルイの裏の顔)。
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サンルイは、1659年に西洋人が西アフリカに作った最初の都市で、モーリタニアと繋がる半島(Langue de Barbarie)から街が出来上がっていったと言われる。セネガル川に沿って、奴隷、皮、みつろう、アラビアゴムなどの輸出で栄えた。1758年に七年戦争中にイギリスがセネガルを占領したが、20年後再びフランスがサンルイを奪還。1872年、サンルイはフランスのコミューンとなったことから植民地政府最初の総督にLouis Faidherbeが任命され、サンルイの発展に大きく貢献した人として評価されている。そして、1895年仏領西アフリカの首都となり、1902年にダカールに首都が移されるまで、中心地として栄えた。

サンルイ島は2000年に世界遺産に登録されたが、これらの歴史的背景と共に、歴史的建造物群が保存に値するとされている。サンルイを訪れたら、馬車に乗って島を一周してみると面白い。ガイドがそれぞれの建造物の特徴を話してくれる。主に、フランス式、ポルトガル式、スペイン式の3つのタイプが残っている。

フランス式の建物は、お馴染みの2階建てバルコニー付きタイプ。
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ポルトガル式の住居は、外観からはよく分からないが、中に入ると中庭がある。
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スペイン式の住居は、こうした庭付きの家。あまり多くはないものの、所々に見られる。
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19世紀のサンルイ島は、島の中心に要塞があり、北部がイスラム教徒、南部がキリスト教徒の地区だった。イスラム教徒地区の北部には、サンルイ島で最も古い黙すがあるのだが、よく見るとミナレットに教会にあるような時計と鐘がついている。通常はモスクにあるはずのないものなのだが、植民地時代に建設された際に、こういう形で設置されたらしい。今は鐘が鳴らないよう板で抑えられている。


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キリスト教徒の地区だった南部には、大聖堂がある。1828年に建設され、西アフリカで最も古い教会と言われる。その2年後の1830年にゴレ島の教会が建設されている。


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1819年、クリュニー修道院のシスターたちがこの建物で女学校を始め、無料の診療所も開始した。当時は、白人と黒人の混血の子どもは歓迎されていなかったようで、生まれてからここに連れてこられることが多く、孤児院の役割も果たしていたそう。その後、この建物は州の納税監督所となっている。


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島の中心にある州政府の建物。かつてはここが砦だった。厚い壁から要塞としての機能が見て取れる。


c0116370_8291642.jpg1880年に、フランス政府がセネガル川沿いの街Kayes(マリ)とニジェール川沿いのバマコ(マリの首都)を繋ぐ鉄道建設を許可し、サンルイに14トン近い貨物を持ち上げられる装置が必要となったことから、1883年にこの蒸気クレーンが設置された。その後1898年に海軍拠点がダカールへ移ってからは、植民地政府が管理することとなる。1954年までの約70年間使われた。ここまで完全な状態で保護されている蒸気クレーンは世界でも稀らしい。


ちなみに、これは後から調べて知ったのだが、蒸気クレーンを建設する際、最初にクレーンの部品を輸送した船メデューズ号は、1816年にモーリタニア沖で座礁した。それを題材にして描かれた絵がテオドール・ジェリコーの「メデューズ号の筏」なのだそう。そういえば昔ルーブル美術館で見たなあ。この背景を知ってから見るとまた印象が変わるのかもな。
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c0116370_8331314.jpg本土とサンルイ島を繋ぐ最初のFaidherbe橋は、1865年に開通した。しかしその30年後、ダカールとサンルイの鉄道が開通してから本土側の交通量が増え、より大きな橋が必要になったことから金属製の橋にとって代わられた。その後何度か改築されているが、最近になって再び改築工事が行われ、2011年に新しい橋が開通。全長約507メートルの橋に7つの区切りがあるが、1つだけ回転式になっており、船が通れるようになっている。下の写真(wikiより)は1890年当時の橋の建設の様子。左側が最初に建設された木造の橋。


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ちなみに橋の名前であるFaidherbeとは、最初にも書いた通り仏領西アフリカの最初の総督の名前である。


Hotel Résidenceの中に飾られていたかつてのサンルイ島の写真。
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c0116370_8362270.jpgサンルイ市はお隣モーリタニアとの国境に位置する。しかし、モーリタニアとセネガルを行き来する車両は、ロッソというもう少し内陸の街を迂回する。舗装道路はこのルートしかない。しかし、サンルイ市のLangue de Barbarie半島も実はモーリタニアと繋がっている。この辺りは砂地と湿地で車両の通行が困難なのだが、それでも陸続きのためモーリタニアへ行くことはできる。サンルイ市を出るところで税関があり、こうして小さな車両でモーリタニアへ向かう。


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これは半島の北側。この木々の7km先にはモーリタニアの村があるらしい。



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by iihanashi-africa | 2017-07-23 08:38 | セネガル | Trackback | Comments(3)
世界遺産サンルイ島の裏の顔
植民地時代の歴史的建造物群が世界遺産に登録されているセネガルのサンルイ島。世界遺産に登録されている島はフェデルブ橋で本土と結ばれている島だが、実はその先の橋を渡ると、モーリタニアからサンルイまで60kmにわたって伸びる砂州ラング・ド・バルバリー(Langue de Barbarie,「バルバロイの舌」の意)が存在している(wikiより)。ここが、セネガルで最も人口密度が高いと言われる漁村である。世界遺産のサンルイ島とはうって変わり、活気にあふれ、今この瞬間住民全員が外に出ているのではないかと思われるほど、道路や路地は人で埋め尽くされている。

その漁村の様子を写真に収めてみた。

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by iihanashi-africa | 2017-07-11 08:41 | セネガル | Trackback | Comments(2)
ティジャンヌ宗派の総本山チワワン
セネガルは人口の約9割がイスラム教徒。そのイスラム教徒にも様々な宗派がある。セネガルにも複数存在するが、2大宗派と言われているのが、Tidiane(ティジャンヌ)Mouride(ムーリッド)である。

Tidiane宗派(TidjanyyaあるいはTidjanismeともいう)は、Sidi Ahmed Al Tijaniが創立する。創立の年は分からないが、1737年にアルジェリアで生まれ、1815年にモロッコのフェズで亡くなっているので、その間だと思われる。そして1935年、偉大な宗教家Cheikh Omar Tall(1799-1864)が、このTidiane宗派をセネガルに伝えた。その後、El Hadji Malick Sy(1855-1922)が、1902年にチワワンTivaouaneという街を総本山とし、20世紀前半にセネガル全土に浸透することとなった。もう一つの宗派Mourideはセネガル独自の宗派であるが、創立はTidianeよりも後の1880年頃と言われている。

Tidiane宗派カリフの逝去

先日、その総本山のチワワンに行ってきた。

チワワンの最も大きいモスク。
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隣には女性用のお祈りの場所がある。
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モスクの裏手には大きな会議場があり、大規模な宗教行事や要人の面会等に使われるそう。
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モスクの前には、コーランの教えを説くマラブMaraboutの教えを聞くスペースもある。マラブの説明はこちらをどうぞ(https://en.wikipedia.org/wiki/Marabout)。
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今回は、友人のアレンジでティジャンヌ派の二人のマラブに面会することができた。セネガルには多くのマラブがおり、その評価も様々である。集めた資金で私腹を肥やすマラブもいれば、貧しい方々のために資金を使うマラブもいる。今回会った一人は後者のマラブで、大きな家を建設し、四駆を買って乗り回すマラブがいる中で、とても質素な生活をし、病院や学校の支援を行っており、周囲から信頼されとても尊敬されているらしい。お話をさせていただいて、その人柄がすぐにわかる方だった。


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かつてTidiane最高位のKhalife Généralであった方の家。



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コーラン学校。



チワワンでは何年も前から新しいモスクを建設しているのだが、なかなか完成しない。とりあえず二つの尖塔のうち一つは出来上がっているが、現在予算がなくなり工事が中断中。友人によるともうそろそろ工事が再開するそうだが、あと何年後に完成するのだろう。
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by iihanashi-africa | 2017-07-10 04:45 | セネガル | Trackback | Comments(0)