<   2017年 03月 ( 7 )   > この月の画像一覧
ポフタンという植物
先日、友人の農園でポフタンという植物を見た。初めて見たわけではないのだが、自然に生えており、特に何かに使うわけでもないので、こうまじまじと見たのは初めてである。

ポフタンPoftane学名はCalotropis-procera別名Pommier de Sodameともいうらしい。

c0116370_720798.jpg


乾燥したサヘルの砂地を好む。
キョウチクトウ科で、有毒性のある乳液を含んでいる。アレルギーのある方は触らない方がよいと言われている。薬用に使われたり、葉っぱをマッサージに使うこともあるらしいが、セネガルの方々に聞いて最も多い使用方法が、出産した時に使う方法。

子どもが生まれると、子どもが寝る部屋の4方向の角にポフタンの葉を貼り付けるそう。こうすることで悪い霊が入ってこられないようにするのだという。女性はこの言い伝えを信じて貼り付ける人が多いが、意外に男性は信じていない人が多い。なので、男性にポフタンの使い方を聞くと、「女性は、・・・・したがる」という言い方をする人が結構いる。

c0116370_720388.jpg


c0116370_721548.jpg


こんな実がなる。風船ように軽い。中にワタのようなものが入っているが、ワタを触ってから目を触ってはいけないと言われた。
c0116370_7214066.jpg


既に乾燥した実の中。
c0116370_7241338.jpg


友人の農園のポフタンを見てからというもの、出張中に道路脇に生えているポフタンが気になるようになった。乾燥地には本当に多い。誰が植えているわけでもないのだが、そこかしこに見られる。

c0116370_7274928.jpg


c0116370_728615.jpg



にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
by iihanashi-africa | 2017-03-31 07:28 | セネガル | Trackback | Comments(0)
スイカとメロンの一大産地
先週、カオラックに出張した帰りに、サンジャラSandiaraという町で同行したセネガル人のカウンターパートがメロンを買いたいというので、スイカとメロンの出荷場に立ち寄った。当初は路肩の売店で買う予定だったのだが、運転手の親戚が出荷場の責任者ということで、出荷場内を見学させてもらった。

c0116370_7421354.jpg


Sandiaraはスイカとメロンの一大産地である。

2008年、ワッド前大統領がGoana (Grande Offensive pour la Nourriture et l'Abondance:「食糧・豊穣のための農業攻勢」、セネガル人はいつも言葉に拘るため独特の言い回しを使うなあとつくづく思う)とという戦略を打ち出し、農業改良技術の普及などを通じ、穀物、野菜、商品作物など農産物全般にわたる増産を目指した。その際に農業の品種改革も行われ、様々な作物の様々な品種が試行されたが、このスイカとメロンは当時スペインの支援を受けて成功した産業だという。

出荷場もスペイン支援で建設され、今でも出荷場の労働者は外部支援で支払われているらしい。品種が導入されたのはもう7~8年も前なのに、今でも支援に頼らないと運営が成り立たないのだろうか。。。あまり詳細は分からないので憶測で話しているにすぎないのだが、とにもかくにも導入されたメロンとスイカが非常に美味しいのだ。

様々な種類のスイカとメロンが周辺の農家によって栽培されている。

①日本でもおなじみの縞々模様のスイカ、Goanaの時代に導入された品種のため、ローカルマーケットではGoanaと呼ばれている。
c0116370_7444118.jpg


②ローカル品種の大きなスイカ
c0116370_7452356.jpg


③ローカル品種の色の濃い大きなスイカ
c0116370_7455527.jpg


この3つのうち、どれが一番美味しいかと出荷場の方に聞くと、①のスイカだという。しかし、市場で最も高く売れるのは、②と③とのこと。なぜ???という問いに、同行した園芸スペシャリストが答えてくれた。セネガルの世帯は人数が多い。そのため、家族全員で分けられるよう大きいスイカを好むのだという。最も美味しいものが最も高く売れるわけではないという興味深い例かも。今のセネガルのマーケットニーズは糖度ではないようだ。

①の縞々のスイカを自宅で切ってみた。真っ赤で、出荷場の方の言う通りとても甘い。そしてどれを切っても外れがない。
c0116370_7491517.jpg



メロンもGoanaと呼ばれる品種がある。
c0116370_7513693.jpg


ラグビーボールみたいな、まさに「うり」といった形でこれがメロン??と疑問に思ってしまうが、同行したカウンターパートが言うには、この品種が導入されてからセネガルのローカル市場でとても評価が高いらしい。カウンターパートもこのメロンが大好きだという。

見た目は美味しそうには見えず、切ってみてもやっぱり「うり」にしか見えないのだが、食べてみてびっくり。これが最高に甘い。スイカはとめどなく食べられるが、このメロンは甘すぎて沢山食べられない。本当に美味しい。
c0116370_7524026.jpg


⑤日本人も見慣れたメロン
c0116370_7531895.jpg


こういうメロンもマーケットで売っている。これはSandiaraのメロンではないが、ダカールのマーケットで購入したもの。

切ってみると、色鮮やかでとても美味しそう。しかし、見た目とは裏腹にこれが思ったほど甘くない。やっぱりメロンを買うなら、④のメロンがお勧め。時々とても甘いメロンにあたることもあるのだが、当たり外れが多いのがこのメロン。
c0116370_7545549.jpg




これらのスイカとメロン、多くはローカル市場で取引されるが、一部はスペインへ輸出されているらしい。昨年は300のコンテナ分をスペインに輸出したそうだ。この量が全体のどのくらいの割合なのかは分からないが。どのような業者が関わっているかもう少し知りたいなあ。


ちなみに、スイカの畑はこんな感じ。灌漑設備が整っているので、一般農家よりも少し恵まれた農家さんの畑かな。
c0116370_09254643.jpg

[PR]
by iihanashi-africa | 2017-03-28 08:00 | セネガル | Trackback | Comments(0)
Tidiane宗派カリフの逝去
最近ダカールも一時期の寒さが薄れ、徐々に汗がにじむ季節になってきた。ここ一週間でかなり暑くなってきたなあと思っていたのだが、先週木曜の朝は、やけに寒かった。どんよりと曇りがちで、私としては過ごしやすい天気。

しかし、なぜこのような天気なのかを仕事に行ってから知ることになる。

職場に到着してすぐに、秘書が「今日はどんよりしていますよね。イスラム教の偉大な方がなくなった翌日はいつもこうなんです」と話してくれた。

****************************

セネガルは人口の約9割がイスラム教徒。そのイスラム教徒にも様々な宗派がある。セネガルにも複数存在するが、2大宗派と言われているのが、Tidiane(ティジャンヌ)Mouride(ムーリッド)である。

3月15日(水)夕方に、Tidiane最高位のKhalife Généralと呼ばれる地位にいる、Serigne Cheikh Ahmed Tidiane Sy “Al Maktoun”が亡くなった。92歳だったそう。数年前から体調を崩されており、ここ最近は長らく表舞台に出ていなかったという。16日の全ての新聞は、もちろん1面トップがこの記事。

c0116370_555384.jpg


弟のSerigne Abdoul Aziz Sy Al Amineが跡を継いでKhalife Généralとなる。下の写真は後継者。かなり若い時の写真かな。

c0116370_5544226.jpg



Tidiane宗派(TidjanyyaあるいはTidjanismeともいう)は、Sidi Ahmed Al Tijaniが創立する。創立の年は分からないが、1737年にアルジェリアで生まれ、1815年にモロッコのフェズで亡くなっているので、その間だと思われる。そして1935年、偉大な宗教家Cheikh Omar Tall(1799-1864)が、このTidiane宗派をセネガルに伝えた。その後、El Hadji Malick Sy(1855-1922)が、1902年にチワワンTivaouaneという街を総本山とし、20世紀前半にセネガル全土に浸透することとなった。もう一つの宗派Mourideはセネガル独自の宗派であるが、創立はTidianeよりも後の1880年頃と言われている。

逝去された翌日には、マッキー・サール大統領もチワワンへ出向き葬儀に出席されている。

ちなみに10年前にムーリッド宗派の総本山トゥバToubaに行った時の記事。
ムーリッド宗派の聖地


にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
by iihanashi-africa | 2017-03-20 05:58 | セネガル | Trackback(1) | Comments(0)
廃墟となった最高教育機関 Ecole normale William Ponty
先日、ダカール州とティエス州の境にあるSébikotane市にある友人の農園を訪れた。その道中、友人が立ち寄ってくれた場所がある。それが、ここ。

c0116370_924332.jpg


これだけ見ても何か分からないが、これがEcole normale William Ponty(ウィリアム・ポンティ高等師範学校)の講堂跡といったら分かる人もいるかもしれない。私も友人から説明を聞いて、「え===、ここがかの有名なウィリアム・ポンティ!」と感動した一人。

Wikipediaから抜粋して少し修正

「ウィリアム・ポンティ校は1903年、当時フランス領西アフリカ(AOF)の首都だったサンルイSaint Louisに創立された。その後1913年にはゴレ島に移転し、1937年にはリュフィスクRufisque近郊のセビコタネSébikotaneに移転し、セネガル独立後の1965年にコルダに移転した。
ウィリアム・ポンティ校はフランスが現地人官員の養成を目的として設立した学校であり、フランス領西アフリカ全土から優秀な学生が集まり、卒業後は下級官員として、また現地人のリーダーとして全土に散っていった。そのため、フランスの第4共和政時にアフリカから議員が選出できるようになると、同校出身の代議士が多数を占めた。さらに議員以外でも現地の指導者として、また知識人として重きをなしている場合が多く、彼らのネットワークによって独立への動きがすすんでいった。卒業生は出身地に関係なく集められ、仏領西アフリカ全土に配属されたため、仏領西アフリカの指導層に連帯意識が生まれる元となった。

独立運動を指導し、大統領になったコートジボワールのフェリックス・ウフェ=ボワニFélix Houphouët-Boignyマリのモディボ・ケイタModibo Keïtaニジェールのアマニ・ディオリHamani Dioriダオメー(現ベナン)のユベール・マガHubert Mangaオートボルタ(現ブルキナファソ)のモーリス・ヤメオゴMaurice Yameogoセネガルのアブドゥライ・ワッドAbdoulaye Wadeなども、ウィリアム・ポンティ校の卒業生(卒業生はPontinsと呼ばれる)である。」

1933年の卒業生から卒業論文が必須となり、791の論文が、Institut Fondamental d’Afrique Noire(IFAN:ブラックアフリカ基礎学院)に保存されているという。それらを『Cahiers de Ponty(ポンティのノート)』と呼ぶ。当時の経済、社会、文化を理解する貴重な資料とされているらしい。

現在、セビコタネの学校跡は、鉄筋がむき出しになり、屋根も崩れ落ちており、建物の中は藪となって、入ることもできない。ダカールからティエスに向かう高速道路の脇に、学校の場所を示す看板が存在感なく立てられているものの、気づく人はどれだけいるだろうか。1937年から1965年の28年間、仏領西アフリカの政治家、行政官、医者、教員の大半を輩出した最高師範学校で、フランス語圏アフリカの歴史の中では非常に重要なサイトなのだが、その威厳はなくなってしまっている。学校の施設の一部は、近くにあるセビコタネ刑務所の施設に改築されている。

c0116370_9283925.jpg


c0116370_9285740.jpg


正面から撮った写真。
c0116370_9291523.jpg



1990年、アメリカの支援で学校再建を決め、ウィリアム・ポンティ師範学校からそれほど離れていないところに、『Université du Futur Africain de Sébikotane(セビコタネ未来のアフリカ大学)』を建設すべく起工式も行ったが、工事が始まったのは2002年。そして2006年には工事が中断してしまった(下の写真)。

その後2012年の大統領選で、アブドゥライ・ワッドはセビコタネの大学建設の再開を公約として掲げたが、マッキー・サールに負けて以降、工事は進んでいない。最近は、エネルギー・石油関連のエンジニア養成校として生まれ変わるというような話もあるらしい。
c0116370_7535829.jpg




ただ、新たな建物を建設することがウィリアム・ポンティ校の歴史を語ってくれるわけではないので、私としてはこの嘗ての講堂をどのように保存していくかを考えた方がよいと思う。ただ思いは人それぞれなので、最終的にどうなるか。このまま保存してほしいなあ。

ちなみに、ウィリアム・ポンティとは誰なのかというと、1908年から仏領西アフリカ(AOF)の総督だった方。自身もフランスでしっかりと教育を受けており、1888年にサンルイ総督の第一秘書になったころから教育に力を入れていた。それもあり、1915年にダカールで亡くなられてから、総督に敬意を払ってこの最高師範学校をウィリアム・ポンティ師範学校と呼ばれるようになった。

ウィリアム・ポンティ校はゴレ島にもあったというから、10年以上前のゴレ島の写真を出してきて眺めていたら、もしかしたらこれが学校跡かも!という写真があった。下の写真の右側の建物。次回ゴレ島に行くときはちゃんと確認してこよう!

c0116370_931624.jpg



にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
by iihanashi-africa | 2017-03-17 09:31 | セネガル | Trackback | Comments(2)
道路のど真ん中での修理
先日、ダカールの中心街で全く動かない渋滞にはまった。渋滞はいつものことなのだが、この日はなかなか進まない。やっと少しずつ動いて渋滞を引き起こした張本人に出くわした。

これか~

c0116370_813565.jpg


c0116370_8133023.jpg


こんなところで故障とは災難。
側道に寄ろうにも、こんな状態では難しいかも。

頑張れ~~


にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
by iihanashi-africa | 2017-03-14 08:16 | セネガル | Trackback | Comments(0)
国際芸術家センターさんのページで記事紹介
IAC-International Artists Center Tokyo(国際芸術家センター)というNPO法人がある(http://iactokyo.jp/)。国際交流を通じて平和に寄与する目的で設立された団体だそう。前身は舞踏劇「ノーモア・ヒロシマズ」を国内外の各地で公演する舞台芸術団体だったとのこと。現在は、各国大使館や国内外のネットワークを軸に、舞踊、音楽、食、アート、国内外の祭りや伝統行事などを通じた様々な文化交流事業を実施し、国際相互理解を深める活動を行っている。

IACは定期的に「大使館でお茶を」というお茶会を開催しているそうで、4月のお茶会はブルキナファソ大使館とのこと。Facebookの紹介ページで、私のブログの記事を紹介いただいた。ブルキナファソ最大のモシ族の歴史とプリンセス・イェネンガについて書いた記事。


IACのFacebookの記事
https://web.facebook.com/iactokyo/photos/a.369253773105863.92308.314079861956588/1439640526067177/?type=3&theater

紹介していただいた記事
ウエドラオゴとタプソバとサワドゴ 前半
ウエドラオゴとタプソバとサワドゴ 後半


ご連絡をいただいて、私自身も久しぶりにこの記事を読んだ。いつも個人的な興味で書いている記事が時折検索に引っかかってくれるようで大変嬉しい。


にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
by iihanashi-africa | 2017-03-06 08:06 | ブルキナファソ | Trackback | Comments(2)
寄付金を募るモスク
私の職場の隣にモスクがある。

すぐ隣なので、一日5回の礼拝を呼びかけるアザーンは、聞こえすぎるほどによく聞こえる。

c0116370_652876.jpg


そのモスク、昨日は朝から一日中音楽をかけたり何やらお祈りのようなでもお祈りでないようなアナウンスをしたりしていた。秘書に、何を流しているのか聞くと、モスクの改築工事中で、途中資金が底をついたため、こうして放送をして寄付金を募っているという。

こういう音楽。



さすがに一日中音楽を流されると、交感神経が強く働き続けるからか、仕事に集中できない。

こういう時は自ら良い方向に考えを変えるのが一番と、私も寄付金を渡すことにした。そうしたら少しは気分が良くなるかもと思いながら、お昼に外に出た時には、寄付金の事をすっかり忘れてしまい、お金を持たずに外出してしまった。結局タイミングを逸してしまった。来週も放送していたら、今度は寄付しに行くことにしよう。

にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
by iihanashi-africa | 2017-03-04 06:08 | セネガル | Trackback | Comments(0)