カテゴリ:セネガル( 74 )
「W.A.K.A.」というカメルーン映画
先日、「W.A.K.A.」というカメルーン映画を見た。
Françoise Ellong監督による初の長編映画。まだ29歳の若い映画監督だが、才能に満ち溢れているのが分かる。

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映画はマチルドという一児のシングルマザーの生きざまを描いている。息子アダムを育てるために娼婦の世界に身を投げるが、アダムには純粋に育ってほしいという思いが溢れ、様々な葛藤があるのがとてもよく描かれている。

W.A.K.A.というタイトルには、複数の意味があるという。
英語のWalk、つまり歩いて前に進むという意味。カメルーンではwalkをワカと発音して会話に使うことがある。そしてカメルーンでよく使われる隠語でWakaは娼婦を意味する。「夜に街を歩く人々」でwakaと呼ばれるようになったらしい。更に3つ目の意味として、それぞれの文字の間にピリオドを打つことで「Woman acts for her kid Adam」という文章を隠しているらしい。

このタイトルのように、映画自体は娼婦の世界を描いているのではなく、一人の女性が子供のために戦う様を描いている。娼婦は、女性の戦いを描くための題材でしかないと監督は話して言る。



この映画は、様々な映画祭で審査員特別賞を受賞しており、数多くの映画祭で招待映画として上映されている。


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by iihanashi-africa | 2017-04-10 06:21 | セネガル | Trackback | Comments(0)
テオドール・モノ・アフリカ美術博物館
先日、「テオドール・モノ・アフリカ美術博物館(Musée Théodore-Monod d'art africain)」に行ってきた。ダカール市内のソウェト広場に面したところに位置する。

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建物自体は1931年に建設されており、当初はフランス領西アフリカ(AOF)の行政が置かれており、その後1936年にIFAN(Institut Fondamental d’Afrique Noire:ブラックアフリカ基礎学院)が創設されて以降、IFANの施設となった。また独立の年1960年に、IFANがシェック・アンタ・ディオップ大学(ダカール大学)に吸収されてからは、博物館となった。現在もIFANの附属施設となっている。

長い間Musée de l’IFAN(IFAN博物館)と呼ばれていたが、2007年に現在のテオドール・モノ・アフリカ美術博物館へと改名された。テオドール・モノはフランスの博物学者で、IFANの初代所長である。サハラ砂漠周辺の新品種や新石器の研究に生涯をささげ、人種差別や様々な戦争を真っ向から否定したヒューマニストでもある。

さて、博物館の中はというと思ったより広くない。
やはり各地のマスクや置物が多い。特にカザマンス地方のジョラDiola族のマスクや、コートジボワールのセヌフォSenoufo族のマスク、マリのバンバラ族の像などが目を引いたかな。アフリカにおける女性の重要性を意味するものが多かったのも印象的だった。撮影禁止だったので、写真がないのが残念だが。

ただ、ブルキナファソの博物館に行った時も思ったのだが、西アフリカの様々な民族のマスクやらがあまりストーリー性もなく置かれており、もう少しだけ興味を引く展示の仕方があるだろうにと思ったりもした。アフリカは国境を人工的に引かれているので、セネガルの歴史だけを展示するのは難しいとしても、それぞれの民族の文化や歴史が分かるような展示がされているとよいかも。

ブルキナファソ国立博物館

博物館の1階は常展であるが、2階は時期によって変わるらしい。
私が訪れた時は、各地の布が展示されていた。2階は一枚写真を撮ってみた。一度改装されているだけあり綺麗に展示されている。
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あまり写真がないので、裏庭も撮ってみた。子どもの遊び場としてもよいかもしれない。
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セネガル在留の方は入場料2000fcfa(約400円)、それ以外の方は5000fcfa(約1000円)。



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by iihanashi-africa | 2017-04-09 06:04 | セネガル | Trackback | Comments(0)
セネガル独立記念日:4月4日or8月20日?
昨日4月4日は、セネガルの57周年独立記念日だった。
私自身は、国営放送RTSで軍のパレードの中継を見ながら、静かな休日を過ごした。

この4月4日、どのような日なのかと調べてみたらなかなか面白い記事があった。
https://burkina24.com/2014/04/04/independance-du-senegal-4-avril-histoire-dune-date-dindependance/
http://www.afrik.com/article22493.html

アフリカの多くの国は、植民地から独立した日を独立記念日と定めている。しかし、植民地からの独立と言っても、実はとても複雑な独立の仕方をしている国が仏語圏には多い。

以前ブルキナファソにいた時にも似たような疑問を持ったことがあり、調べたら2種類の独立記念日が存在することを知った。植民地から「フランスの自治共和国」として独立した日。そして「自治共和国」から完全に国として独立した日の2種類である。ブルキナファソの場合、1958年12月11日が前者で、1960年8月5日が後者である。そして、ナショナルデーは12月11日としている。
8月5日、それとも12月11日?

セネガルについても、4月4日が何の日か調べていくと、独立記念日と呼ばれうる日がもう一つあることを知った。それが8月20日である。

少し遡ると、1895年に現在のセネガル、マリ、ギニア、コートジボワールに相当する地域に、フランス領西アフリカ(AOF)が設立された。もちろんAOFが設立される前からフランスによる植民地は始まっており、現在のマリにあたる地域のフランス領スーダンや現ブルキナファソにあたるオートボルタなど、現在の国の原型となる区分は存在してはいた。その後半世紀以上AOFの時代が続くが、1958年にド・ゴール政権下でフランス共同体が発足したことに伴い、AOFは解体し、ギニアを除く各国が自治共和国として独立する方向へ動くことになる。ちなみにギニアは当初から完全独立を目指していた。

セネガルに関しては、AOF解体後、1960年4月4日にフランス領スーダン(現在のマリ共和国)と合併してマリ連邦を成立する合意文書が署名され、同年6月20日に正式に連邦として発足した。しかし、発足してすぐに、セネガル側とフランス領スーダン側で政治方針と人事にかかる内紛が起き、軍事衝突に発展する勢いだったことから、同年8月20日にセネガル側がフランス領スーダン側の大佐を逮捕し、その日の夜にフランス領スーダンと決裂してセネガル国として独立することを国会で決定した。その約1カ月後の9月22日に、フランス領スーダンはマリ共和国と国名を改めて独立した。

さて、当初の疑問、4月4日が何の日か?に戻ると、マリ連邦の設立の日ということになる。この日は、現在のセネガルの形が出来上がった日(8月20日)ではないのだが、植民地からの脱却という意味では重要な日である。

ちなみに、マリはというと、セネガルと決裂して自分たちがマリ共和国として独立した9月22日が独立記念日になっている。

植民地からの脱却を重要視するか、あるいは現在ある国としての成立を重要視するかは各国それぞれで興味深い。


最後に、独立記念日にからんだ写真と動画をアップしてみる。
独立記念日前夜の4月3日に、独立広場で歓喜の踊りを見せながら練り歩いている軍隊。最初は野党側のデモか何かと思ったら、軍服を着た方々が楽しそうに踊っているのが分かった。写真は暗くてよく分からないけど。
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そして、独立記念日当日に、パレードが終わって大統領府に戻る大統領の列。普段はこんなに白バイに囲われていないが、やはりこの日は特別である。



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by iihanashi-africa | 2017-04-06 06:48 | セネガル | Trackback | Comments(0)
ポフタンという植物
先日、友人の農園でポフタンという植物を見た。初めて見たわけではないのだが、自然に生えており、特に何かに使うわけでもないので、こうまじまじと見たのは初めてである。

ポフタンPoftane学名はCalotropis-procera別名Pommier de Sodameともいうらしい。

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乾燥したサヘルの砂地を好む。
キョウチクトウ科で、有毒性のある乳液を含んでいる。アレルギーのある方は触らない方がよいと言われている。薬用に使われたり、葉っぱをマッサージに使うこともあるらしいが、セネガルの方々に聞いて最も多い使用方法が、出産した時に使う方法。

子どもが生まれると、子どもが寝る部屋の4方向の角にポフタンの葉を貼り付けるそう。こうすることで悪い霊が入ってこられないようにするのだという。女性はこの言い伝えを信じて貼り付ける人が多いが、意外に男性は信じていない人が多い。なので、男性にポフタンの使い方を聞くと、「女性は、・・・・したがる」という言い方をする人が結構いる。

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こんな実がなる。風船ように軽い。中にワタのようなものが入っているが、ワタを触ってから目を触ってはいけないと言われた。
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既に乾燥した実の中。
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友人の農園のポフタンを見てからというもの、出張中に道路脇に生えているポフタンが気になるようになった。乾燥地には本当に多い。誰が植えているわけでもないのだが、そこかしこに見られる。

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by iihanashi-africa | 2017-03-31 07:28 | セネガル | Trackback | Comments(0)
スイカとメロンの一大産地
先週、カオラックに出張した帰りに、サンジャラSandiaraという町で同行したセネガル人のカウンターパートがメロンを買いたいというので、スイカとメロンの出荷場に立ち寄った。当初は路肩の売店で買う予定だったのだが、運転手の親戚が出荷場の責任者ということで、出荷場内を見学させてもらった。

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Sandiaraはスイカとメロンの一大産地である。

2008年、ワッド前大統領がGoana (Grande Offensive pour la Nourriture et l'Abondance:「食糧・豊穣のための農業攻勢」、セネガル人はいつも言葉に拘るため独特の言い回しを使うなあとつくづく思う)とという戦略を打ち出し、農業改良技術の普及などを通じ、穀物、野菜、商品作物など農産物全般にわたる増産を目指した。その際に農業の品種改革も行われ、様々な作物の様々な品種が試行されたが、このスイカとメロンは当時スペインの支援を受けて成功した産業だという。

出荷場もスペイン支援で建設され、今でも出荷場の労働者は外部支援で支払われているらしい。品種が導入されたのはもう7~8年も前なのに、今でも支援に頼らないと運営が成り立たないのだろうか。。。あまり詳細は分からないので憶測で話しているにすぎないのだが、とにもかくにも導入されたメロンとスイカが非常に美味しいのだ。

様々な種類のスイカとメロンが周辺の農家によって栽培されている。

①日本でもおなじみの縞々模様のスイカ、Goanaの時代に導入された品種のため、ローカルマーケットではGoanaと呼ばれている。
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②ローカル品種の大きなスイカ
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③ローカル品種の色の濃い大きなスイカ
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この3つのうち、どれが一番美味しいかと出荷場の方に聞くと、①のスイカだという。しかし、市場で最も高く売れるのは、②と③とのこと。なぜ???という問いに、同行した園芸スペシャリストが答えてくれた。セネガルの世帯は人数が多い。そのため、家族全員で分けられるよう大きいスイカを好むのだという。最も美味しいものが最も高く売れるわけではないという興味深い例かも。今のセネガルのマーケットニーズは糖度ではないようだ。

①の縞々のスイカを自宅で切ってみた。真っ赤で、出荷場の方の言う通りとても甘い。そしてどれを切っても外れがない。
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メロンもGoanaと呼ばれる品種がある。
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ラグビーボールみたいな、まさに「うり」といった形でこれがメロン??と疑問に思ってしまうが、同行したカウンターパートが言うには、この品種が導入されてからセネガルのローカル市場でとても評価が高いらしい。カウンターパートもこのメロンが大好きだという。

見た目は美味しそうには見えず、切ってみてもやっぱり「うり」にしか見えないのだが、食べてみてびっくり。これが最高に甘い。スイカはとめどなく食べられるが、このメロンは甘すぎて沢山食べられない。本当に美味しい。
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⑤日本人も見慣れたメロン
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こういうメロンもマーケットで売っている。これはSandiaraのメロンではないが、ダカールのマーケットで購入したもの。

切ってみると、色鮮やかでとても美味しそう。しかし、見た目とは裏腹にこれが思ったほど甘くない。やっぱりメロンを買うなら、④のメロンがお勧め。時々とても甘いメロンにあたることもあるのだが、当たり外れが多いのがこのメロン。
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これらのスイカとメロン、多くはローカル市場で取引されるが、一部はスペインへ輸出されているらしい。昨年は300のコンテナ分をスペインに輸出したそうだ。この量が全体のどのくらいの割合なのかは分からないが。どのような業者が関わっているかもう少し知りたいなあ。


ちなみに、スイカの畑はこんな感じ。灌漑設備が整っているので、一般農家よりも少し恵まれた農家さんの畑かな。
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by iihanashi-africa | 2017-03-28 08:00 | セネガル | Trackback | Comments(0)
Tidiane宗派カリフの逝去
最近ダカールも一時期の寒さが薄れ、徐々に汗がにじむ季節になってきた。ここ一週間でかなり暑くなってきたなあと思っていたのだが、先週木曜の朝は、やけに寒かった。どんよりと曇りがちで、私としては過ごしやすい天気。

しかし、なぜこのような天気なのかを仕事に行ってから知ることになる。

職場に到着してすぐに、秘書が「今日はどんよりしていますよね。イスラム教の偉大な方がなくなった翌日はいつもこうなんです」と話してくれた。

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セネガルは人口の約9割がイスラム教徒。そのイスラム教徒にも様々な宗派がある。セネガルにも複数存在するが、2大宗派と言われているのが、Tidiane(ティジャンヌ)Mouride(ムーリッド)である。

3月15日(水)夕方に、Tidiane最高位のKhalife Généralと呼ばれる地位にいる、Serigne Cheikh Ahmed Tidiane Sy “Al Maktoun”が亡くなった。92歳だったそう。数年前から体調を崩されており、ここ最近は長らく表舞台に出ていなかったという。16日の全ての新聞は、もちろん1面トップがこの記事。

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弟のSerigne Abdoul Aziz Sy Al Amineが跡を継いでKhalife Généralとなる。下の写真は後継者。かなり若い時の写真かな。

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Tidiane宗派(TidjanyyaあるいはTidjanismeともいう)は、Sidi Ahmed Al Tijaniが創立する。創立の年は分からないが、1737年にアルジェリアで生まれ、1815年にモロッコのフェズで亡くなっているので、その間だと思われる。そして1935年、偉大な宗教家Cheikh Omar Tall(1799-1864)が、このTidiane宗派をセネガルに伝えた。その後、El Hadji Malick Sy(1855-1922)が、1902年にチワワンTivaouaneという街を総本山とし、20世紀前半にセネガル全土に浸透することとなった。もう一つの宗派Mourideはセネガル独自の宗派であるが、創立はTidianeよりも後の1880年頃と言われている。

逝去された翌日には、マッキー・サール大統領もチワワンへ出向き葬儀に出席されている。

ちなみに10年前にムーリッド宗派の総本山トゥバToubaに行った時の記事。
ムーリッド宗派の聖地


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by iihanashi-africa | 2017-03-20 05:58 | セネガル | Trackback(1) | Comments(0)
廃墟となった最高教育機関 Ecole normale William Ponty
先日、ダカール州とティエス州の境にあるSébikotane市にある友人の農園を訪れた。その道中、友人が立ち寄ってくれた場所がある。それが、ここ。

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これだけ見ても何か分からないが、これがEcole normale William Ponty(ウィリアム・ポンティ高等師範学校)の講堂跡といったら分かる人もいるかもしれない。私も友人から説明を聞いて、「え===、ここがかの有名なウィリアム・ポンティ!」と感動した一人。

Wikipediaから抜粋して少し修正

「ウィリアム・ポンティ校は1903年、当時フランス領西アフリカ(AOF)の首都だったサンルイSaint Louisに創立された。その後1913年にはゴレ島に移転し、1937年にはリュフィスクRufisque近郊のセビコタネSébikotaneに移転し、セネガル独立後の1965年にコルダに移転した。
ウィリアム・ポンティ校はフランスが現地人官員の養成を目的として設立した学校であり、フランス領西アフリカ全土から優秀な学生が集まり、卒業後は下級官員として、また現地人のリーダーとして全土に散っていった。そのため、フランスの第4共和政時にアフリカから議員が選出できるようになると、同校出身の代議士が多数を占めた。さらに議員以外でも現地の指導者として、また知識人として重きをなしている場合が多く、彼らのネットワークによって独立への動きがすすんでいった。卒業生は出身地に関係なく集められ、仏領西アフリカ全土に配属されたため、仏領西アフリカの指導層に連帯意識が生まれる元となった。

独立運動を指導し、大統領になったコートジボワールのフェリックス・ウフェ=ボワニFélix Houphouët-Boignyマリのモディボ・ケイタModibo Keïtaニジェールのアマニ・ディオリHamani Dioriダオメー(現ベナン)のユベール・マガHubert Mangaオートボルタ(現ブルキナファソ)のモーリス・ヤメオゴMaurice Yameogoセネガルのアブドゥライ・ワッドAbdoulaye Wadeなども、ウィリアム・ポンティ校の卒業生(卒業生はPontinsと呼ばれる)である。」

1933年の卒業生から卒業論文が必須となり、791の論文が、Institut Fondamental d’Afrique Noire(IFAN:ブラックアフリカ基礎学院)に保存されているという。それらを『Cahiers de Ponty(ポンティのノート)』と呼ぶ。当時の経済、社会、文化を理解する貴重な資料とされているらしい。

現在、セビコタネの学校跡は、鉄筋がむき出しになり、屋根も崩れ落ちており、建物の中は藪となって、入ることもできない。ダカールからティエスに向かう高速道路の脇に、学校の場所を示す看板が存在感なく立てられているものの、気づく人はどれだけいるだろうか。1937年から1965年の28年間、仏領西アフリカの政治家、行政官、医者、教員の大半を輩出した最高師範学校で、フランス語圏アフリカの歴史の中では非常に重要なサイトなのだが、その威厳はなくなってしまっている。学校の施設の一部は、近くにあるセビコタネ刑務所の施設に改築されている。

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正面から撮った写真。
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1990年、アメリカの支援で学校再建を決め、ウィリアム・ポンティ師範学校からそれほど離れていないところに、『Université du Futur Africain de Sébikotane(セビコタネ未来のアフリカ大学)』を建設すべく起工式も行ったが、工事が始まったのは2002年。そして2006年には工事が中断してしまった(下の写真)。

その後2012年の大統領選で、アブドゥライ・ワッドはセビコタネの大学建設の再開を公約として掲げたが、マッキー・サールに負けて以降、工事は進んでいない。最近は、エネルギー・石油関連のエンジニア養成校として生まれ変わるというような話もあるらしい。
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ただ、新たな建物を建設することがウィリアム・ポンティ校の歴史を語ってくれるわけではないので、私としてはこの嘗ての講堂をどのように保存していくかを考えた方がよいと思う。ただ思いは人それぞれなので、最終的にどうなるか。このまま保存してほしいなあ。

ちなみに、ウィリアム・ポンティとは誰なのかというと、1908年から仏領西アフリカ(AOF)の総督だった方。自身もフランスでしっかりと教育を受けており、1888年にサンルイ総督の第一秘書になったころから教育に力を入れていた。それもあり、1915年にダカールで亡くなられてから、総督に敬意を払ってこの最高師範学校をウィリアム・ポンティ師範学校と呼ばれるようになった。

ウィリアム・ポンティ校はゴレ島にもあったというから、10年以上前のゴレ島の写真を出してきて眺めていたら、もしかしたらこれが学校跡かも!という写真があった。下の写真の右側の建物。次回ゴレ島に行くときはちゃんと確認してこよう!

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by iihanashi-africa | 2017-03-17 09:31 | セネガル | Trackback | Comments(2)
道路のど真ん中での修理
先日、ダカールの中心街で全く動かない渋滞にはまった。渋滞はいつものことなのだが、この日はなかなか進まない。やっと少しずつ動いて渋滞を引き起こした張本人に出くわした。

これか~

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こんなところで故障とは災難。
側道に寄ろうにも、こんな状態では難しいかも。

頑張れ~~


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by iihanashi-africa | 2017-03-14 08:16 | セネガル | Trackback | Comments(0)
寄付金を募るモスク
私の職場の隣にモスクがある。

すぐ隣なので、一日5回の礼拝を呼びかけるアザーンは、聞こえすぎるほどによく聞こえる。

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そのモスク、昨日は朝から一日中音楽をかけたり何やらお祈りのようなでもお祈りでないようなアナウンスをしたりしていた。秘書に、何を流しているのか聞くと、モスクの改築工事中で、途中資金が底をついたため、こうして放送をして寄付金を募っているという。

こういう音楽。



さすがに一日中音楽を流されると、交感神経が強く働き続けるからか、仕事に集中できない。

こういう時は自ら良い方向に考えを変えるのが一番と、私も寄付金を渡すことにした。そうしたら少しは気分が良くなるかもと思いながら、お昼に外に出た時には、寄付金の事をすっかり忘れてしまい、お金を持たずに外出してしまった。結局タイミングを逸してしまった。来週も放送していたら、今度は寄付しに行くことにしよう。

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by iihanashi-africa | 2017-03-04 06:08 | セネガル | Trackback | Comments(0)
リビアの上空飛行禁止
ここしばらく忙しくてブログアップが滞ってしまった。
これからなんとか盛り返していこうと思う。

昨日まで業務出張で一時帰国しており、本日、次の出張先のケニアに到着した。

通常、セネガルから日本への移動はエールフランス航空を使うことが多い。最も早いルートだからである。しかし、現在はエミレーツ航空も飛んでいるため、時折航空会社からドバイ経由のルートを提案されることがある。確かにエールフランスよりは安いのだが、ドバイのトランジットが21時間もあり、時間のロスが大きいため、滅多に使うことはない。

しかし今回の私の出張は、日本の後にエミレーツ航空でケニアへ移動するため、セネガルから日本への移動もエミレーツ航空にした方が安かった。そのため、初めてダカール=ドバイのエミレーツ便に乗ってみた。

ところが、航空券を受け取ってびっくり。ダカールからドバイは9時間半もかかるのだ。何が驚きってドバイから羽田も9時間半かかり、つまり同じくらいの距離ということ。セネガルからドバイということは、アフリカ横断と同じくらいの距離。それがアジアの端から端までと同じ距離とは。でも、世界地図をみて納得。確かに遠い。アフリカってやっぱり広い。
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それに加えて、エミレーツ航空(に限らないが)は、リビア上空を飛行しない。大きく迂回しているため、それも時間がかかる原因かもしれない。
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それにしても、ほんと綺麗に迂回している。


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by iihanashi-africa | 2017-02-20 03:58 | セネガル | Trackback | Comments(0)