カテゴリ:セネガル( 74 )
ブルキナファソでまたテロ
8月13日(日)の夜、ブルキナファソの首都ワガドゥグでテロが起きた。今日はバルセロナでもテロがあったため、ブルキナファソの報道は小さくなったが、かつてブルキナファソで働いていた私にとってはこの衝撃は大きかった。またか、、、というため息と同時に肩を落とした。

約1年半前の2016年1月15日の夜、ワガドゥグ中心街のスプレンディッドホテルと道路を挟んで目の前にあるカプチーノというカフェが襲撃にあった。
【アラート】ブルキナファソでもテロ

そして、襲撃にあったカプチーノカフェから200mと離れていないAziz Istanbulカフェが8月13日の夜、襲撃にあった。空港からも100mと離れていないため、一時空港閉鎖になっている。

http://edition.cnn.com/2017/08/13/africa/burkina-faso-attack/index.html

13日の夜9時15分頃、バイクに乗った二人の武装テロリストがAziz Istanbulカフェにやってきてカフェの前に止まっていた車にバイクをぶつけ、バイクから降りると同時に銃を取り出してお客を襲撃しだした。従業員や一部の客は裏口から何とか逃げており、空港の横にある空軍基地に逃げ込んだ人もいたらしい。

9時半には、警察そして憲兵隊の突入部隊(USIGN)が到着し射撃を始めた。この突入特殊部隊は、2016年1月の襲撃の際も活躍したが、この時は仏軍の援護もあった。今回は部隊が軍の援護を受けながらも単独でオペレーションを行った。テロリストは建物内の階段で上層階へ行き、人質を取ったため時間がかかったものの、午前2時頃に一人が射殺され、3時頃にはもう一人も射殺された。

現段階では犯行声明は出ておらず、バックがどの組織なのかは不明。

このテロの犠牲者は18名。
半数がブルキナファソ人で、フランス人、クウェート人、レバノン人、トルコ人、カナダ人も犠牲となった。私自身が直接知っている方はいないが、カナダ人の犠牲者は友人の友人だった。それも結婚したばかり。いろいろ想像すると胸が締め付けられる。

ついさっき、テレビでクウェート人の犠牲者の家族がインタビューを受けていた。
「襲撃した人など知りたくもない。イスラム教徒と言うなどもってのほか。アラーの庇護など受けているはずがない。悪魔でしかない。」
同じイスラム教徒とは絶対に語ってほしくないのだと思う。
このテロで、何人のイスラム教徒が亡くなったのだろう。。。


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by iihanashi-africa | 2017-08-18 10:30 | セネガル | Trackback | Comments(0)
サルーム・デルタのマングローブ
セネガルの世界遺産の一つにサルーム・デルタSaloum Deltaがある。

セネガルのサルーム川、ジョンボ川、バンジャラ川およびそれらの支流によって形成された面積50万ha(5000km2)の三角州である。西アフリカ屈指の野鳥の繁殖地になっており、敷地の一部がサルーム・デルタ国立公園やラムサール条約登録地を含む生物圏保護区となっている。それと同時に、数千年にわたって漁撈採集を営んできた人々が作り上げた巨大な貝塚群が独特の文化的景観を形成している地域でもあり、2011年にはそれが評価されてユネスコの世界遺産リストに文化遺産として登録されている。(wikiより)


c0116370_6283158.jpg少し前の話だが、Fimelaフィムラという小さな町に旅行した。Souimanga lodgeというとっても素敵なロッジがあり、ここでゆっくり2泊したのだが、観光シーズンではなかったこともあり観光客も少なく、マングローブの林を見ながら部屋でとれる素敵な朝食とおいしい夕食を楽しみながら、普段の疲れが癒される時間を過ごした。
http://www.souimanga-lodge.com/



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フィムラから南に走るとNdanganeダンガンという街がある。小さな船着き場がありマングローブツアーを行う舟が並んでいる。

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https://cybergeo.revues.org/25671

上の植生図のように、サルーム・デルタは濃淡はあるものの全体にマングローブ林が広がっている。一時は薪として伐採されることが増えて面積が減少したが、現在は保護区となった上に、人工的な植林も行われており、その減少を抑えている。

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マングローブの林の中に唯一たたずむバオバブの木。
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c0116370_6351588.jpgバオバブの木の下をよく見てみると、地面が牡蠣の貝殻でできていることが分かる。この辺りの村は昔から干し貝作りで生計を立てていた人が多かった。マングローブの根にはマングローブガキが大量にへばりついている。また、干潮時の干潟でとれる小さなフネガイの仲間やイェットと呼ばれる大きな巻貝なども採集でき、それらを乾燥させて販売して収入を得ていた。そのため、この辺りは自然にできた貝の山や島があり、こうして貝の上に新たな植生が生まれることもある。


マングローブの根にへばりつく牡蠣。
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c0116370_6395987.jpgちなみにセネガル料理は西アフリカでもブランド化するくらい味わい深いおいしい料理として知られているが、多くの料理にこの干し貝が使われている。特にオクラソースのスープカンジャと呼ばれる料理には、多種の干し貝が入っており、こうしてスープカンジャ用の干し貝セットが販売されているほど。左上が牡蠣、右上が小さく切った大巻貝。



サルーム・デルタは渡り鳥や海鳥も多い。雨期は野鳥の数が少なくなるが、それでもサギやワシ、ペリカン、フラミンゴ等を見ることができた。

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フラミンゴの動画



今度はマングローブの林が更に生い茂るところへ行ってみたい。


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by iihanashi-africa | 2017-08-14 06:42 | セネガル | Trackback | Comments(0)
セネガル最大のバオバブ
Joalジョアルという街から内陸に15キロ行ったところに、セネガル一大きいと言われるバオバブがある。周囲32メートルで推定樹齢850年

私が訪れた日は快晴だったため、カラーで写真を撮ると日影が黒く映ってしまう。唯一綺麗に取れたのが白黒の写真だったので、それを載せることにする。バオバブの根に座ってくつろぐ人々と比べるとその大きさが分かるだろうか。
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バオバブは木の中がスポンジのように柔らかい繊維でできている(珊瑚礁と太いバオバブの旅最終日)。そのため、何百年も経って大きくなったバオバブも木の中は繊維が乾燥して空洞になる。このバオバブも例外ではなく大きな穴があり、木の中にも入れる。入口が非常に狭いため、中に入る時も外に出るときも手伝ってもらわないとならなかったが。



c0116370_7511418.jpgセネガルでは、特に神聖なバオバブは、グリオのお墓となっていた。グリオとは伝統的な伝達者のことで、楽器の演奏し、歴史上の英雄譚や生活上の教訓などをメロディーに乗せて人々に伝える人のことである。このバオバブも、穴の中にグリオが埋葬されていたらしい。ただし、独立後のサンゴール初代大統領が、人々は全員土に埋葬されなければならないとして、これまで穴に葬られていたグリオの遺骨がバオバブから出され、土に埋葬されている。現在、バオバブの空洞の唯一の住民はコウモリ。独特の臭いがあり、あまり長く居られないが、今でもこの空洞のなかで祈祷が行われる。


他にも、セネガル国内のバオバブたちの写真を少しおすそ分け。
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倒れてもなお生きるバオバブ。バオバブは根が深くまで張らないため、嵐などで意外とすぐに倒れてしまう。でも、少しでも根が土に埋まっていれば枯死することはなく、生命力は強い。そういえば、マダガスカルで倒れたバオバブが再び立ったというニュースを聞いたことを思い出した。
え?バオバブが生き返った?
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バオバブと言えば、マダガスカル。この種類の豊富さは世界でここだけ。
バオバブおまけ写真
最大級のバオバブ
バオバブ七変化
珊瑚礁と太いバオバブの旅3日目


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by iihanashi-africa | 2017-07-25 08:03 | セネガル | Trackback | Comments(0)
サンルイ島の植民地時代の建造物群
植民地時代の歴史的建造物群が世界遺産に登録されているセネガルのサンルイ島。サンルイ市は本土と真ん中の島と更に先のモーリタニアと繋がる半島の3つに分かれる。そのうちムフェデルブ橋で本土と結ばれている真ん中の島が、世界遺産に登録されているサンルイ島(下の地図で青で囲われている島)である。モーリタニアと繋がる半島の漁村は前回の記事でご紹介したので、どうぞご参照を(世界遺産サンルイの裏の顔)。
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サンルイは、1659年に西洋人が西アフリカに作った最初の都市で、モーリタニアと繋がる半島(Langue de Barbarie)から街が出来上がっていったと言われる。セネガル川に沿って、奴隷、皮、みつろう、アラビアゴムなどの輸出で栄えた。1758年に七年戦争中にイギリスがセネガルを占領したが、20年後再びフランスがサンルイを奪還。1872年、サンルイはフランスのコミューンとなったことから植民地政府最初の総督にLouis Faidherbeが任命され、サンルイの発展に大きく貢献した人として評価されている。そして、1895年仏領西アフリカの首都となり、1902年にダカールに首都が移されるまで、中心地として栄えた。

サンルイ島は2000年に世界遺産に登録されたが、これらの歴史的背景と共に、歴史的建造物群が保存に値するとされている。サンルイを訪れたら、馬車に乗って島を一周してみると面白い。ガイドがそれぞれの建造物の特徴を話してくれる。主に、フランス式、ポルトガル式、スペイン式の3つのタイプが残っている。

フランス式の建物は、お馴染みの2階建てバルコニー付きタイプ。
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ポルトガル式の住居は、外観からはよく分からないが、中に入ると中庭がある。
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スペイン式の住居は、こうした庭付きの家。あまり多くはないものの、所々に見られる。
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19世紀のサンルイ島は、島の中心に要塞があり、北部がイスラム教徒、南部がキリスト教徒の地区だった。イスラム教徒地区の北部には、サンルイ島で最も古い黙すがあるのだが、よく見るとミナレットに教会にあるような時計と鐘がついている。通常はモスクにあるはずのないものなのだが、植民地時代に建設された際に、こういう形で設置されたらしい。今は鐘が鳴らないよう板で抑えられている。


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キリスト教徒の地区だった南部には、大聖堂がある。1828年に建設され、西アフリカで最も古い教会と言われる。その2年後の1830年にゴレ島の教会が建設されている。


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1819年、クリュニー修道院のシスターたちがこの建物で女学校を始め、無料の診療所も開始した。当時は、白人と黒人の混血の子どもは歓迎されていなかったようで、生まれてからここに連れてこられることが多く、孤児院の役割も果たしていたそう。その後、この建物は州の納税監督所となっている。


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島の中心にある州政府の建物。かつてはここが砦だった。厚い壁から要塞としての機能が見て取れる。


c0116370_8291642.jpg1880年に、フランス政府がセネガル川沿いの街Kayes(マリ)とニジェール川沿いのバマコ(マリの首都)を繋ぐ鉄道建設を許可し、サンルイに14トン近い貨物を持ち上げられる装置が必要となったことから、1883年にこの蒸気クレーンが設置された。その後1898年に海軍拠点がダカールへ移ってからは、植民地政府が管理することとなる。1954年までの約70年間使われた。ここまで完全な状態で保護されている蒸気クレーンは世界でも稀らしい。


ちなみに、これは後から調べて知ったのだが、蒸気クレーンを建設する際、最初にクレーンの部品を輸送した船メデューズ号は、1816年にモーリタニア沖で座礁した。それを題材にして描かれた絵がテオドール・ジェリコーの「メデューズ号の筏」なのだそう。そういえば昔ルーブル美術館で見たなあ。この背景を知ってから見るとまた印象が変わるのかもな。
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c0116370_8331314.jpg本土とサンルイ島を繋ぐ最初のFaidherbe橋は、1865年に開通した。しかしその30年後、ダカールとサンルイの鉄道が開通してから本土側の交通量が増え、より大きな橋が必要になったことから金属製の橋にとって代わられた。その後何度か改築されているが、最近になって再び改築工事が行われ、2011年に新しい橋が開通。全長約507メートルの橋に7つの区切りがあるが、1つだけ回転式になっており、船が通れるようになっている。下の写真(wikiより)は1890年当時の橋の建設の様子。左側が最初に建設された木造の橋。


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ちなみに橋の名前であるFaidherbeとは、最初にも書いた通り仏領西アフリカの最初の総督の名前である。


Hotel Résidenceの中に飾られていたかつてのサンルイ島の写真。
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*****************

c0116370_8362270.jpgサンルイ市はお隣モーリタニアとの国境に位置する。しかし、モーリタニアとセネガルを行き来する車両は、ロッソというもう少し内陸の街を迂回する。舗装道路はこのルートしかない。しかし、サンルイ市のLangue de Barbarie半島も実はモーリタニアと繋がっている。この辺りは砂地と湿地で車両の通行が困難なのだが、それでも陸続きのためモーリタニアへ行くことはできる。サンルイ市を出るところで税関があり、こうして小さな車両でモーリタニアへ向かう。


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これは半島の北側。この木々の7km先にはモーリタニアの村があるらしい。



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by iihanashi-africa | 2017-07-23 08:38 | セネガル | Trackback | Comments(3)
世界遺産サンルイ島の裏の顔
植民地時代の歴史的建造物群が世界遺産に登録されているセネガルのサンルイ島。世界遺産に登録されている島はフェデルブ橋で本土と結ばれている島だが、実はその先の橋を渡ると、モーリタニアからサンルイまで60kmにわたって伸びる砂州ラング・ド・バルバリー(Langue de Barbarie,「バルバロイの舌」の意)が存在している(wikiより)。ここが、セネガルで最も人口密度が高いと言われる漁村である。世界遺産のサンルイ島とはうって変わり、活気にあふれ、今この瞬間住民全員が外に出ているのではないかと思われるほど、道路や路地は人で埋め尽くされている。

その漁村の様子を写真に収めてみた。

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by iihanashi-africa | 2017-07-11 08:41 | セネガル | Trackback | Comments(2)
ティジャンヌ宗派の総本山チワワン
セネガルは人口の約9割がイスラム教徒。そのイスラム教徒にも様々な宗派がある。セネガルにも複数存在するが、2大宗派と言われているのが、Tidiane(ティジャンヌ)Mouride(ムーリッド)である。

Tidiane宗派(TidjanyyaあるいはTidjanismeともいう)は、Sidi Ahmed Al Tijaniが創立する。創立の年は分からないが、1737年にアルジェリアで生まれ、1815年にモロッコのフェズで亡くなっているので、その間だと思われる。そして1935年、偉大な宗教家Cheikh Omar Tall(1799-1864)が、このTidiane宗派をセネガルに伝えた。その後、El Hadji Malick Sy(1855-1922)が、1902年にチワワンTivaouaneという街を総本山とし、20世紀前半にセネガル全土に浸透することとなった。もう一つの宗派Mourideはセネガル独自の宗派であるが、創立はTidianeよりも後の1880年頃と言われている。

Tidiane宗派カリフの逝去

先日、その総本山のチワワンに行ってきた。

チワワンの最も大きいモスク。
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隣には女性用のお祈りの場所がある。
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モスクの裏手には大きな会議場があり、大規模な宗教行事や要人の面会等に使われるそう。
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モスクの前には、コーランの教えを説くマラブMaraboutの教えを聞くスペースもある。マラブの説明はこちらをどうぞ(https://en.wikipedia.org/wiki/Marabout)。
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今回は、友人のアレンジでティジャンヌ派の二人のマラブに面会することができた。セネガルには多くのマラブがおり、その評価も様々である。集めた資金で私腹を肥やすマラブもいれば、貧しい方々のために資金を使うマラブもいる。今回会った一人は後者のマラブで、大きな家を建設し、四駆を買って乗り回すマラブがいる中で、とても質素な生活をし、病院や学校の支援を行っており、周囲から信頼されとても尊敬されているらしい。お話をさせていただいて、その人柄がすぐにわかる方だった。


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かつてTidiane最高位のKhalife Généralであった方の家。



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コーラン学校。



チワワンでは何年も前から新しいモスクを建設しているのだが、なかなか完成しない。とりあえず二つの尖塔のうち一つは出来上がっているが、現在予算がなくなり工事が中断中。友人によるともうそろそろ工事が再開するそうだが、あと何年後に完成するのだろう。
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by iihanashi-africa | 2017-07-10 04:45 | セネガル | Trackback | Comments(0)
セネガルにおける今年のラマダン明けの日付の決め方
今日、セネガル政府は次の日曜日25日にラマダンが終わり、翌26日がラマダン明けの祭り「Aid El Fitr イード・アル・フィトル」のお祭り通称Koritéコリテで祝日となると発表した。

ラマダン明けに限らず、イスラム歴は月の満ち欠けに依存しているので、ラマダンの開始も終わりも、犠牲祭の日も全て月の状態を確認したうえで決まる。

今年のラマダンは、セネガルでは5月27日に始まった。この時ももちろん裸眼で目視した時の新月が目印。
ラマダン前日の月

そしてラマダンの終わりも細い三日月の所謂イスラムの新月が目印なのだが、少し面白い記事を見つけた。

http://homeviewsenegal.com/index.php/2017/06/22/korite-2017-ce-sera-le/


セネガルには、ASPA(Assoiation Sénégalaise pour la Promotion de l’Astronomie)という天文学者の集まりがある。そのASPAによると、太陽と地球の間に月が現れる時、つまり月と太陽の黄経が等しくなる時のことだが、今年は6月24日(土)の午前2時31分52秒だという。この瞬間が月が地球を一周し終わる時で、ここからまた新たな一周が始まる。だから、この翌日である25日(日)がラマダン明けの祭りになるのかと思いきや、さらに一日待たなければならないらしい。というのも、「裸眼の目視」で新月(三日月)を確認する必要があるから。

天文学者によると、24日(土)の月は照らされる面積が0.88%のため、セネガルを含むアフリカ、ヨーロッパ、アジアでは裸眼で確認することは難しいという。コーランでは裸眼での確認を課してはいない。しかし、多くのイスラム圏では裸眼での目視を絶対としている。そのため、セネガル政府も天文学者の意見を重視して、万一日曜日に曇りで見えないとしても晴れていれば必ず見えるはずと判断して、祝日を前もって決めている。天文学者によると、25日(日)には照らされる面積が4.42%になり、裸眼での目視が可能だという。この時、月齢1.17日になっているらしい(←この月齢が意味するところがよくわからないのだが)。

こんな詳細な説明、初めて読んだ。

ちなみに、各国で決定の仕方は様々で、例えばトルコでは新月の高さが5°、太陽との角度が8°になる時で決まり、エジプトでは新月が日没後少なくとも5分後に沈んだら新たな月が始まるらしい。

イスラム暦、奥が深くて今日深い。

以前書いた犠牲祭の日付の決め方の記事
タバスキ(犠牲祭)の日付の決め方


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by iihanashi-africa | 2017-06-23 08:49 | セネガル | Trackback | Comments(0)
ファタラ保護区のライオンウォーク
少し前の話だがガンビアの国境に近いファタラ保護区(Réserve de Fathala)へ行ってきた。

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約6000ヘクタールに広がり、そのうち2000ヘクタールが囲われており、動物が保護されている。オーナーは南アフリカ人で、彼らにより人工的に設置された保護区のため、多くの動物は国外やセネガル国内の他の保護区(ニョコロコバ保護区)から連れてこられている。2003年にオープンした当時はまだ動物が少なかったが、現在ではキリン8頭、サイ1頭、その他バッファロー、シマウマ、アンテロープ、ジャイアントイランド、イボイノシシ、サルが多数見られる。アンテロープはかなり増えていて、昨年300頭確認したそうだ。ゾウも連れてきたいと考えているそうだが、セネガル政府が象牙目当ての密猟を警戒し、許可を出さないらし。

そして、この保護区の一番の売りが「ライオンウォーク」である。ヨーロッパの動物園で子育てを放棄したライオンの子どもを引き取り、生後3か月でファタラ保護区へ連れてこられた。その頃からしつけされ、人間と一緒におとなしく歩くことができるようになっている。

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ダカールからファタラ保護区までは約4時間半。途中のカオラックで昼食をとることにし、Le Braceroというレストランに立ち寄った。


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そこで食べた牛肉の串焼き。
これがこの旅で食べた食事の中で最もおいしかった。コストパフォーマンスが素晴らしい。


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ファタラに到着。
保護区内にホテルがある。これがとても素敵なホテル。
http://www.fathala.com/



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部屋はテントなのだが、中に入るとテントとは思えない設備。


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夜中は外でイボイノシシが草をかじっている音が聞こえ、朝は鳥のさえずりで起きた。まさに保護区内にいることを感じられるホテル。


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保護区到着直後の夕方にサファリへ。


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保護区内にこのような網がかけられているのを見かける。これはハエ取りの網だそう。この辺りは雨期になるとアフリカ睡眠病を媒介するツェツェバエが多く発生し、動物が被害を受けるため、事前にこのような処置をしているとのこと。



サファリでは唯一サイだけが見られなかったのだが、ガイドさんが19時頃にホテルの前にやってくるかもしれないというので、夕食をとりながら待っていると。きた!!!すぐそこに。
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翌朝8時にライオンウォークへ。
こうして、ライオンの後ろを歩く。皆、棒を持たされるのだが、小さい時から棒を持った人に服従するよう育てられていたため、我々も持たされた。ただ、棒を落として拾おうとかがむと危険なので、落とした場合は自分で拾わないようにと脅された。


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「ふぅ、観光客相手は疲れるぜ」という顔。
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もうやる気ないライオン。ライオンの威厳なし。でもかわいい。こんなに疲れた~という態度を見せていたのに、私たちとの「人間ウォーク」という仕事を終えた後、やっと終わった~と嬉しそうに駆け回っていた笑。
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全体的に少しお高めだけど、ご関心のある方はぜひ。


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by iihanashi-africa | 2017-06-10 10:18 | セネガル | Trackback | Comments(0)
初代大統領サンゴール博物館
先日、セネガルの初代大統領レオポール・セダール・サンゴール博物館(Musée Léopold Sédar Senghor)へ行ってきた。

あまり知られていないのだが、サンゴール元大統領が大統領の座を退いた翌年の1981年から亡くなるまでの間、セネガルでの家(フランスにも家があるため行き来していた)として使われていた場所が、現在サンゴール博物館となっている。2001年にサンゴール元大統領が逝去されてすぐ、ワッド大統領の時期に政府が家を買い上げたのだが、何もされずに放っておかれ、現在のサール大統領に代わってから博物館に修繕することが決まった。そして、2014年11月30日に除幕式が行われている。

この博物館、ダカールのコルニッシュ・ウエストと呼ばれる海岸沿いの大通りに面したところに位置し、曲がり角には大きな看板も掲げられているのだが、これが意外と気付かない。私も頻繁に通っているところだったのに、博物館を探し出してからやっと目に付くようになった。

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これは博物館入口の小さな看板。
月曜から土曜の、10時~12時、15時~17時が開館時間。


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大人:2000fcfa(約400円)
学生:1000fcfa
子ども:500fcfa。



サンゴール元大統領は、この家を『Les dents de la mer(海の牙)』と呼んでいた。尖峰のような壁がスティーブン・スピルバーグ監督のジョーズの歯を思い浮かべるからだ。映画ジョーズは仏語タイトルで「Les dents de la mer」という。壁はセネガルには珍しく土壁で、マリのトンブクトゥやジェンネの建築様式を模している。裏庭には丸いプールもある。

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庭のバオバブ。


博物館の中は撮影禁止なので写真がないのだが、サンゴール元大統領の執務室、来訪者の待合室、応接室、寝室、居間などが、当時のままの様子で残っている。しかし、何より興味深かったのは、3人の息子の写真とそのストーリーを聞けたこと。そして23歳の若さで亡くなったフィリップの写真が家中に飾られていて、サンゴール夫妻の悲しみが半世紀たった今も伝わってきたことだ。

このサイトに2階のプライベート執務室の写真が掲載されている。
http://www.au-senegal.com/la-maison-de-senghor-est-devenue-musee,10713.html?lang=fr



サンゴール大統領は、1946年にガイアナ出身の女性と結婚し、2人の息子をもうけている。しかし、その後離婚し、1956年にノルマンディー出身のフランス人Colette Hubertと結婚している。この女性と生涯を共にすることになる。Coletteとの間にもフィリップという息子をもうけるが、1981年に交通事故で23歳という若さで亡くなってしまう。そして、その2年後には、一人目の女性との間の次男も35歳の若さで失うという不幸に見舞われた。

博物館になっているこの家は、フィリップも事故で亡くなるまでのわずかな時間を過ごしてあり、彼の寝室も当時のまますべて残されている。

サンゴール元大統領は、1993年以降心臓にペースメーカーをつけており、飛行機に乗ることができなくなった。93年までは、セネガルで3か月、フランスで残りの時間を過ごすというような生活を過ごしていたが、93年以降はパリでしばらく過ごし、その後亡くなるまで奥様の故郷ノルマンディーで過ごされている。現在も奥様はノルマンディーでご健在で、2014年の博物館除幕式に招待されたが、やはり90代で病気がちのため、セネガルに来られるのは諦めたそう。


この博物館は、ガイドがいる。というより、ガイド付きでないと勝手に家の中を見学できない。そのため、私たちも博物館に到着してから、前のグループの見学が終わるまで入口の外で待たされた。しかし、このガイドの説明が素晴らしい。サンゴール大統領の何から何まで知っており、質問しても何の迷いもなくすぐに答えが返ってくる。どんな方なのかと思いきや、もともと憲兵隊で、1973年から大統領の警護をしていた方だった。大統領の海外訪問の際も同行し、合計16か国へ行っている。亡くなったフィリップも小さいころから知っており、亡くなられた際は、奥様からフィリップの大事な形見をもらったそう。サンゴール元大統領がフランスに滞在されているときは、この方が鍵を預かっていた。


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博物館から大通りを渡った海岸沿いに、このような椅子に座った男性の銅像が立っている。これは博物館の修繕を行った建築会社Eiffage社が、詩人Amadou Lamine Sallと彫刻家El Hadji Mboupの協力を得て、2015年に建てたものである。もちろんサンゴール元大統領の銅像。


実は、元大統領が自分の家を眺めているかのように設置されている。
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とても興味深い博物館なので、サンゴール元大統領に関心があり仏語が分かる方は、ぜひ一度訪問を。


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by iihanashi-africa | 2017-06-07 08:29 | セネガル | Trackback | Comments(0)
ラマダン前日の月
今日から西アフリカではラマダンが始まった。

私はブルキナファソに出張中だったのだが、夕方に会ったブルキナファソ人の元同僚に「今日の月」の写真を見せてもらった。ほら、ラマダン前の月になっているでしょうと。
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イスラム暦の9月がラマダン(断食)の月である。
イスラム暦では毎月1日が新月。といっても、イスラム暦での新月とは太陽と同じ方向にあって見えない月のことではない。私たちが思う所謂新月を過ぎ、再び夕方西の空に見え出す細い月のことを指すため、新月からは1、2日ほど遅れることになる。だから細い三日月の新月はイスラム教の国にとっては重要で、国旗に三日月を使う国も多い。

これは昨日のセネガルの月らしい。このような月が見えた翌日から次の新月までラマダンが続く。
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https://www.senegaldirect.com/lune-apercue-plusieurs-localites-ramadan-debute-samedi/より


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by iihanashi-africa | 2017-05-28 08:34 | セネガル | Trackback | Comments(0)