カテゴリ:セネガル( 67 )
ビサップの畑
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西アフリカの国々でレストランに行くと、ビサップBissapというジュースが出てくることがある。ハイビスカスのジュースのことである。写真は、ビサップジュースとバオバブジュースを混ぜたもので、下の濃い赤紫の部分がビサップジュースである。



ここセネガルは、西アフリカでもとりわけビサップの生産量が多い。セネガル全土で栽培されているが、特に、カオラック、ジュルベル、ティエス、ルガ、サンルイで大量に生産されている。かつて、ビサップは女性たちが自分の畑で自家消費用に栽培する作物だった。特にビジネスとしてのビサップ販売が浸透する前は、目印のために畑と畑の境に植えたり、畑の囲いとして植えたりしていた。しかし、今やセネガル国内で15,000トンが生産されるまでになり、近年では加工されたビサップが欧米へも輸出されている。ただし、女性が栽培する作物という考えは今でも変わらないらしい。ビサップを栽培する男性に今のところ出会ったことがない。

先日、カオラックとジュルベル周辺へ出張したのだが、ミレット(稗)やトウモロコシ、落花生などの主要作物が全て収穫されているこの時期(11月中旬)に、ビサップの畑だけが、赤く残っており一際目立っていた。この辺りでは、雨期が始まる直前にミレットを播種し、その後最初の雨が降ったら落花生やササゲを播種する。播種の優先順位があり、ビサップはほぼ最後。10月から11月上旬には穀物や豆の収穫をほとんど終え、11月中旬に残っている作物は、ビサップ、ソルガム、スイカである。
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これだけ目立つ色をしているのであれば、畑の囲いや境界線にするには最適だと実物を見て納得した。下の写真は境界線にしたビサップ。
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下の写真はピントが合っていないが、畑の囲いに使ったビサップ。
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ビサップには、赤と白がある。
赤いビサップはジュース等の飲み物やジャムに使われることが多く、白いビサップはタマリンドなどと一緒に酸味の効いたソースにしてセネガルの国民的料理チェブジェン(炊き込みご飯)にかけて食べたりする。白いビサップのジュースもあるそうだが、私はまだ飲んだことがない。

赤いビサップ
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白いビサップ
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収穫したビサップはこうして数日乾燥させ、がくと中の丸い実を分ける。
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これは乾燥していないビサップ。

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丸い実の中には種が入っており、これを乾燥させて、翌年播種する。自家採種である。

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この時期になると、道路沿いでビサップを販売する女性たちを見かける。

私も購入しようと立ち止まって販売しているビサップを見比べると、微妙に色が異なるビサップが販売されていた。袋の中のビサップの方が色が明るいのが分かるだろうか。色の濃いビサップはVimtoという改良品種らしい。色の薄い方の品種名は分からないが、伝統的に栽培されている品種だという。Vimtoは濃い色からも分かるように、ジュースを作る際にすぐに色がつくため、ビサップジュース製造業者には好まれるらしい。また生産性も高く、伝統品種より高値で販売できるため、最近はVimtoの栽培が広まっている。一方で、伝統品種はとても香りがよく、時間をかけてゆっくりと煮出しするととても綺麗な色のジュースに仕上がるようで、こちらを好んで購入する人もいる。ということで、私もじっくり煮出しするタイプを購入。どんなジュースになるだろうか。


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by iihanashi-africa | 2017-11-23 08:14 | セネガル | Trackback | Comments(0)
整理整頓された市役所
先日、ある市役所に立ち寄る用事があったのだが、そこの市役所の棚が素晴らしく整理整頓されており、感動したので写真を撮らせてもらった。

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これを見て綺麗と思うかどうかは、途上国の資料整理の不慣れさを把握しているかどうかで違うと思うが、すぐに取り出せるように、冊子の底に年代と番号がふられており、さらに棚にも年代が書かれている。この男性が昔から整理しているそうだが、本当に美しい整理整頓である。机の上も整理されていてうっとりしてしまった。私の物差しは標準的ではないかな?


整理整頓されていない部屋の写真を撮ったことがないので、比較対象がないのだが、一つ見つけた棚の写真。汚いわけではないのだが、どこに何の資料が入っているのか全く分からない。こういう棚が一般的だと思うと、上の写真の棚が本当に美しく見えるだろうか。
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by iihanashi-africa | 2017-11-22 07:29 | セネガル | Trackback | Comments(0)
セネガルの水泳教室
ある日の夕方、セネガルのカオラックのホテルからサルーム川を眺めていたら、子どもたちが川で遊んでいた。
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と、よく見ると手前にいる子どもたちは、ビート板を持っている。

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20メートルほど距離を置いてさした2本の長い木の棒の間を、立たずに泳ぐ練習。

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日本のように学校にプールがある国は先進国を含めても少数だが、アフリカも例外ではなく学校では水泳を習わない。そのため、泳げない人は多い。私も水泳は得意ではないが、それでも何とか25mは泳げ、足が届かないところでも浮いていることはできる。アフリカで、溺れて亡くなる方のニュースをたまに見かけるが、やはりスポーツとしてではなく、自分の身を守るすべとして重要だなあと思う。




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by iihanashi-africa | 2017-11-20 04:32 | セネガル | Trackback | Comments(0)
セネガルにベトナムの揚げ春巻きが浸透した理由
私が今勤務するオフィスはダカールの中心街から少しだけ離れたところ位置する。街中のように外国人が多い地域ではない。そのため、食事処といえばセネガル現地食のレストランかピザやハンバーガーのようなファストフードしかない。10年前にセネガルで働いていた頃は、毎日のように、こってりセネガル料理を食べていたのだが、最近は健康にも気を遣い、油と塩分少なめの料理を選ぶようになっている。着任してからオフィス周辺にあっさり野菜が食べられるところがないか探し、行きついたのがSaveur d’Asieというアジア系料理のテイクアウト。ダカールに何件もあるチェーン店である。買ってきてオフィスで食べるのがいつものパターンとなっている。

Saveur d’Asieのパッケージ。
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いつもの昼食セット。
生春巻きと揚げ春巻き。
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この揚げ春巻き、フランス語圏ではネムと呼ばれることが多いが、ダカールでは一般市民にも浸透した食べ物となっている。セネガルではPain chinois(中国パン)と呼ぶ人も多く、「ネム」といっても分かってもらえないこともしばしばだが、ものを見せるとすぐに分かる。

このネムがなぜオリジナルのベトナムからセネガルでここまで浸透するようになったのか。この歴史について書かれた興味深い記事を、以前友人から共有してもらった。

「How spring rolls got to Senegal」
http://roadsandkingdoms.com/2016/spring-rolls-got-senegal/

読んでいただければ詳しく分かるが、背景も付け加えて簡単に要旨を書いてみる。

1945年、ベトナムは80年に及ぶフランスの支配を覆し独立したのだが、その後まもなく再支配をはかるフランスとの間に第1次インドシナ戦争が始まる。1954年、この戦争の停戦を定めたジュネーブ協定により国土が南北に分断された。第2次インドシナ戦争、所謂ベトナム戦争が始まるのは、その数年後である。

第1次インドシナ戦争でのフランス軍の介入には、5万人を超えるアフリカ兵が歩兵隊として送られている。日本ではあまり知られていない事実かもしれないが、1960年にアフリカ各国が独立するまでの植民地時代、フランスが関連した戦争に多くの仏語圏アフリカの方々が兵士として送られた。拉致のような形で強制的に送られた人も多いと言われている。各国アフリカの兵士の中でもセネガル人兵士は、Tirailleurs sénégalais(セネガル狙撃兵)と称され、有名になった。

ベトナムに送られたセネガル兵の中には、戦地ベトナムで妻を見つけて一緒にセネガルに帰国するものもいた。こうして第1次インドシナ戦争中にセネガルの地を踏んだベトナム人女性は100人ほどいたらしい。ベトナムの家族や社会には受け入れてもらえず、セネガルにやってきたが、セネガルでも現地の言葉を覚えるまでは受け入れられず大変な思いをしてきた。

更に、植民地下の兵士の給料など微々たるもの。女性たちは自分たちが持ち合わせている技能を活用して生計を支えなければならなかった。その中で、ダカール市街の中心にあるケルメルマーケットで料理をする人もいた。

記事に登場するJean Gomisの母もこうしてネムをよく作っていたが、息子であるJean Gomisも母から作り方を習っていた。セネガルでは、今でも男性が家族のために料理をするのは珍しいが、当時はなおさら奇妙に見られただろう。しかしGomisは誇りをもって料理をしており、彼の料理の様子を近くで見ていた若者Pierre Thiamは、今やニューヨークで有名なセネガル料理のシェフとなっている。

私が毎日のように利用しているテイクアウトSaveur d’Asieは、ベトナム移民女性の息子が始めたらしい。

現在、セネガルではネムはストリートフードとなり、油でギトギトのネムが手に入り、本場ベトナムの味ではなくなったが、売っている本人がネムがベトナムから来たことすら知らないほど、ダカール市民の間に浸透する食べ物となった。


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by iihanashi-africa | 2017-10-29 02:19 | セネガル | Trackback | Comments(0)
SUZUKIという名前
2か月ほど前、私は苗字が「鈴木」に変わった。

今まで同じ苗字の方に出会うことなど皆目ない生活をしてきた私にとっては大きな転機で、日本では超平凡な苗字に新鮮さと若干の戸惑いを感じていた。日本の病院で「鈴木さ~ん」と呼ばれ、ん?これは私なのか?と周囲を見渡す状況は初めての体験だった。

セネガルに戻ると、休暇中に結婚することを事前に伝えていた同僚たちが私のオフィスに来て祝福してくれたのだが、苗字が「SUZUKI」に変わったことを話すと、「Oh~~~、SUZUKIか、今度はマダム・スズキと呼ばせてもらうよ」という冷やかしがあったり、「SUZUKIは、日本ではBig familyなんだろ?その仲間入りだな」と言われたり、なんと反応が良いことか。なんかとても由緒ある家に嫁入りしたような感覚になった。まあ、もともとKUMIKOと呼ばれていたので、わざわざSUZUKIに呼び名を変えていただく必要はないのだが、そう呼びたいようなので、あえてツッこまないことにした。

つい先ほど、出張でニジェールに到着したのだが、今回の出張が鈴木姓のパスポートを使う初めての旅となった。経由地のワガドゥグに到着後、乗り継ぎ便の搭乗券を受け取ったら座席が通路側だったので、窓側に変えてほしいとお願いしたところ、カウンターのブルキナファソ人のおじさんに「おまえはSUZUKIなのか。SUZUKIを何台も持ってきてくれたら変えてやる(笑)」と迫られた。「次回立ち寄るときに何台でも持ってくるよ」という私の返答に、「よし、ずっと顔を覚えているからな」と。こういう会話を通して相手と打ち解けることで、たまに複雑になる単純な物事もスムーズに進む。

ニジェール出張に先立って、同僚たちの話を夫にしたら、「今度は、SUZUKI、HONDA、MITSUBISHI、って言われるようになるよ」ということだったが、早くもやってきた楽しいシチュエーション。

日本にいると何も特別感を感じないこの「SUZUKI」という名前が、アフリカでは複雑な状況を脱出する助けになってくれるかもしれないと、少し楽しみになった。

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実は、この話、後日談がある。

2週間後にニジェール出張を終え、往路同様にブルキナファソ経由でセネガルに戻った。経由地のワガドゥグで、飛行機のタラップを下りたところに、ワガドゥグが最終目的地の乗客用とトランジットの乗客用のバス2台が停留してあり、タラップの下で係員が下りてくる乗客に、「ダカールの方はあちらのバスへ、ワガドゥグの方はあちらのバスへ」と誘導していた。私も前の乗客に続いてタラップを下りると、係員が「SUZUKIは向こうへ」とトランジットのバスを指した。私も驚いて係員の顔を見ると、なんと往路でSUZUKIのくだりのやり取りをしたブルキナファソ航空の方だった。

よくぞ分かりにくいはずのアジア人の顔と名前を憶えていてくれたと感心しっぱなしで、次回ブルキナファソに出張するときは、SUZUKIのくだりの進展を考えておかねばと思ったのである。






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by iihanashi-africa | 2017-10-23 01:48 | セネガル | Trackback | Comments(0)
セネガル最大のカポックの木
パンヤノキと呼ばれる木がある。
学名Ceiba pentandra、英語でKapokカポック、フランス語でFromagerと呼ばれる。アフリカや中南部アメリカが原産だが、現在はインドネシアやタイでかなり栽培されているようだ。

Wikipediaによると、「カポックの実から採れる繊維は、糸に加工するには不向きで、燃えやすいという難点がある一方で、撥水性に優れ軽量である。枕などの詰め物やソフトボールの芯として使われている他、第二次世界大戦頃までは救命胴衣や救難用の浮き輪にも利用されていた。今でも、競艇業界や海上自衛隊では救命胴衣のことをカポックと呼んでいる」そうである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%9D%E3%83%83%E3%82%AF

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私が初めてカポックの木を見たのはマダガスカル。それ以前にも見たことはあったのかもしれないが、たぶんその存在を知らずに通り過ぎていたかも。

上記の通り、カポックの木はフランス語でFromagerと呼ぶ。マダガスカルでカポックを見たときは、「カポック」と教えられたため、Fromagerという呼び名を知らなかった。セネガルに来てから、あるガイドにToubacoutaの近くのMissirahという村に、セネガル一大きいFromagerがあると聞き、セネガル一大きい「チーズ工場」とはどんなもんかと見に行ったことがある。フランス語でFromage(フロマージュ)はチーズ。Fromagerはチーズ製造業者を意味する。この時は、ほんとにMissira村に到着するまでチーズ工場を見に行くつもりだった(笑)。
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到着してから、村の人々にFromagerはどこかと聞くと指さして教えてくれ、辿り着いたのがここ。大きな木だった。ここに着いてもなお、木の向こう側にチーズ工場があると思っていた。
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そして「あの木の横にFromagerのガイドがいるよ」と聞き、なんかよく意味がわからず色々質問するうちに、やっとカポックの木のことをFromagerと呼ぶことが判明。なぜFromagerと呼ぶのかは未だ不明。もちろんチーズの味がする訳ではない。木が柔らかくチーズのように切れるからという説もあるようだが、本当のところはよく分からない。

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Missirah村のカポックは本当に大きい。よく見る大きさのカポックの木の根元は、こんな感じで地を割るように根が生えている。

それに比べ、Missirah村のカポックは巨大である。近くから見ると、いで立ちといい形といい、とても神秘的な感じがする。
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枝も大きなのこぎりの歯のように四角く薄っぺらい。こんなカポックの木は見たことなかった。


このカポックの木は、研究者によると樹齢約900年だという。Missirahが村として出来上がる以前に、Ansoumana Ndourという人がこのカポックの木を植えたと言い伝えられており、現在に至るまで、その子孫によって守られている。多くの神話や伝説があり、村人から聖なる木として崇められている。

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若いカポックの木は幹が鋭いとげで覆われている。

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よく見ると、とげがなくなっている部分があるのだが、実は、この辺りでは子どもが生まれると、カポックのとげをネックレスにして子どもにつけ魔除けとするらしい。このとげは、木が大きくなるにつれてなくなっていく。これがまた不思議である。



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by iihanashi-africa | 2017-10-21 03:10 | セネガル | Trackback | Comments(0)
アフリカンルネッサンスモニュメント
2010年、私はマダガスカルにいた。定期購読していたJeune Afriqueというアフリカ情報誌の表紙が、この年の4月3日にセネガルで除幕されたモニュメントだった。まさかこんな大きなモニュメントがセネガルにできるとは想像もしなかったため、最初は合成写真かと思ったほどだった。

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高さ52メートルの銅像。高さはニューヨークの自由の女神の1.5倍あるらしい。上半身裸の男性が左手に子どもを抱え、右手で女性を支え、子どもが指さす方向に向かって今にも飛び立とうとする雰囲気を醸し出している。奴隷や植民地という暗闇から這い上がって光の方向に向かって進むアフリカをイメージして建設されたそうだ。子どもが指している方向は北西。まさにニューヨークの自由の女神がある方向である。

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モニュメントは当初、ルーマニア人彫刻家のVirgil Magherusan氏により構想され、その後、セネガル人建築家Pierre Goudiaby Atepa氏が引き継いた。とても社会主義を連想させるモニュメントだが、それもそのはず、北朝鮮政府のプロパガンダ銅像を建設しているMansudae Overseas Projects(万寿台創作社)が手掛けたものなのだ。

Mansudae社は、1959年にピョンヤンに設立された社員4千人の会社。北朝鮮の様々な銅像を建設してきた。金正恩や金正日の巨大な銅像を手掛けたのもMansudae社である。なぜ北朝鮮の建設会社がセネガルの銅像を建設するに至ったのか?理由はいたってシンプルで、低コストだったからである。すでにアフリカの18か国で似たような銅像を建設している。
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出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mansudae-Monument-Bow-2014.jpg

モニュメント建設は2006年に、当時の大統領Abdoulaye Wadeが始めた。そして2010年、セネガル独立50周年の年に除幕式が行われた。アフリカ19か国の大統領が出席する盛大な除幕式だった。建設費の合計は2700万USドル。すべて現金で支払われたそうだ。

完成後、ワッド大統領はモニュメントの観光収入の3分の1を知的財産権として自分が受け取ることを主張し、多くの国民から反発を受けた。その後、憲法改正、汚職、選挙での不正など、様々な疑惑がかけられ、2012年の大統領選挙でも敗退した。

建設時に様々な議論があり、国民の納得のもとに建てられたモニュメントではないが、今となっては観光地の一つになっている。

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モニュメントの入口。
入口を入るとまず奴隷解放や人種差別で戦った世界の英雄たちの展示がある。フランス語と英語でガイドがつく。

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2階にはセネガルの様々な民族の特徴を表すオブジェがある。作者もセネガルでは有名らしいが、名前を忘れてしまった。。

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そして3階には、会議室がある。
この建物の中に入って一番驚いたのが、この会議室。建設当時は実際にここで会議をすることもあったらしい。

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そして、エレベーターで15階へ向かう。

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到着するのは男性の頭の部分。男性の頭にハチマキを巻いたように一周しているのが展望台の窓。

展望台からはダカール市内が見渡せる。
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で、ふと見下ろすと女性の顔が。
上から見る女性の顔って斬新。ちゃんと頭の上に避雷針もついている。
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このモニュメント、エレベーターの他に階段もあるそうだが、普段はこうして閉められている。

夜も綺麗にライトアップされる。





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by iihanashi-africa | 2017-10-19 05:46 | セネガル | Trackback | Comments(0)
Cine Droit Libre Dakar 4:セネガルにおける薬物依存
Cine Droit Libre Dakar 3 :カメルーン北部のボコハラム対策と位置付けた警察の横行

日本にはダルクDARC(Drug Addiction Rehabilitation Center)という薬物依存症回復施設がある。日本で最初に開設された、民間薬物依存症リハビリテーションセンターである。私の両親は、山梨ダルクを2008年の設立当初から支援しており、その関係で何度かセミナーに参加し、私自身もそのたびに多くを学んできた。依存症に対する考え方がセミナーに参加するたびに変化していったのが自分でも分かるくらいポジティブに影響を受けている。

先日、セネガルにもダルクのような依存症回復施設があることをこのドキュメンタリー映画を通して初めて知った。22分の短いドキュメンタリーだが、セネガルにおける薬物依存の現状をしっかりと表現した興味深い映像である。

『Harm Reduction:The Senegalese Experience』

Osiwa
22分、2016年





2014年12月、CEPIAD(Centre de prise en charge intégrée des addictions de Dakar)
というセンターが首都ダカールのファン病院の中に開設された。西アフリカで初めて設置された薬物依存症回復センターである。

日本同様、セネガルでも薬物依存は犯罪として刑罰が下る。しかし、欧米諸国ではドラッグコート(薬物専門裁判所)が設けられ、刑務所「犯罪→矯正」ではなく、薬物依存プログラム「病気→治療」にシフトした対応が施される。依存症というのは病気である。薬物依存でもアルコール依存でもクーラー依存でも依存度が高くなればそれは依存症という病なのである。しかし、頭では理解しているつもりでも、残念ながらいまだ日本では精神論が根強い。(一部は山梨ダルクの代表の記事より)

セネガルの話に戻ると、依然として薬物使用は犯罪と捉えられてはいるものの、一方で2014年から、より前向きなイニシアティブもスタートした。CEPIADの開設である。2011年の調査で、ダカールだけで1300人の薬物使用者がいることが分かり、まずは彼らの元へ出向いて信頼関係を構築するところから始めている。CEPIADが開設したからといって、彼らの方から来ることはまずないからである。当初は、自分たちを逮捕しに来たのではと警戒する人が多かったそうだ。地道な活動を続けて、2016年3月現在で、128人の依存症患者を受け入れている

施設では主にダカールに住む薬物依存者が依存症に適した医療・社会サポートや、社会復帰のためのサポートを受けられる。先生が一人ずつ依存症患者の話を聞く。2時間患者さんは自由に話ができ、普通の医者のような診察はない。グループサポートセッションもある。患者さんが自由に話せるミーティングだ。センターの庭には野菜畑や養鶏所もあり、アートセラピーセッションとして絵画やバティック布の作成方法を習うこともできる。セネガルでは仕事に就けない若者が多く、社会復帰のためには職業訓練も並行して行わなければ効果的ではないようだ。

セネガルでは、注射器をみんなで使いまわしたりするため、薬物依存症患者のHIVや肝炎の感染率は平均よりも高いという。センターは薬物を購入することを強制的に止めることはできない。しかし、一緒に話をし、リスクを減らしていく方法を考え、彼ら自身が自分や仲間を守ることができるように導いていくとスタッフは話す。

映画の中で、こういう印象的な言葉があった。

男性患者:「この10年間で初めて家族と食事をとることができたよ」
女性患者:「バティック布の仕事が好きで毎日欠かさず来るようになりました。依存症になる以前よりも働いています」
男性患者の母親:「以前の息子は、私のクローゼットの服を盗んで売っては薬物を買っていました。攻撃的になったり一日中ベッドで寝転がっていることもありました。息子は私から全てを奪い、友達もいなくなってしまいました。当時は、神に、息子が治らないならもう連れて行ってくれとお願いしたほどでした。でもCEPIADに通い始め少しお金を稼げるようになってからは、毎日朝早くでかけ、稼いだお金を家に持って帰ってくるようになったのです」

このテーマも、セネガル国内でもう少し注目されるといいなあ。


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by iihanashi-africa | 2017-10-03 08:12 | セネガル | Trackback | Comments(0)
Officeワードでウォロフ語が校正される
今日の発見。

ワードでフランス語の資料を読んでいた時のこと。

突如、ワードの上の方に、この文書には校正の対象ではない言語の文字が含まれているので、校正ツールを入手してくださいというようなメッセージが出てきた。

ん??私、最近パソコンを新調したけれど、先日フランス語の校正ツールはダウンロードしたばかり。あれ、ちゃんとダウンロードできていなかったかな?と思いながら、もう一度よくよく文章を見ると、「この文章には、校正の対象ではないウォロフ語の文字が含まれています」と書かれていた。

    !!!!
!!!!ウォロフ語!!!!
    !!!!


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え、まさか、ウォロフ語がワードで校正されるの?と驚きを隠せないまま、ワードの下を見たら、言語がウォロフ語で認識されていた!

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私自身、ウォロフ語は挨拶程度しかできないので言語パックはダウンロードするつもりはないものの、ウォロフ語があるなら他のアフリカの言語もあるのではと興味津々でOfficeの言語アクセサリパックのサイトを開くと、あった~~~~~~!!!すごい!!!


私が分かる限りで、アフリカで使われている言語がこんなにも校正されるようになった!

ヨルバ語(ナイジェリア、ベナン、トーゴ)
ウォロフ語(セネガル、ガンビア、モーリタニア)
スワヒリ語(ケニア、タンザニア、ウガンダ)
イボ語(ナイジェリア)
ハウサ語(ニジェール、ナイジェリア)
アムハラ語(エチオピア)

2013版は対応していないが、2016版のOfficeから導入されたみたい。
いやあ、すごい。恐るべし、言語ツールの進化。


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by iihanashi-africa | 2017-09-28 06:40 | セネガル | Trackback | Comments(0)
Cine Droit Libre Dakar 2 : ヨーロッパに向かう移民の道中の厳しさを描いた映画
先日書いたCine Droit Libreという映画祭で何本か映画を見たので、シリーズで書いていこうと思う。


『Migrants – Retour d’enfer(移民、地獄からの生還)』

監督:Patrick Fandio
102分、コートジボワール

一時期よりは少し数は減少してきてはいるものの、今日もいまだにヨーロッパというエルドラドを目指して移住を試みる若者は多い。

2014年時点で、世界各国に124万人のコートジボワール移民がいる。国の人口の5.4%である。そのうち60%はフランス、8%がイタリア、8%がイギリスに住んでいる。2017年1月~2月にかけて、イタリアに着いたコートジボワール人の不法移民は800人を超えるという。

コートジボワール政府はこの状況を危惧し、このドキュメンタリー映画の作成を支援することにした。Ministère de l’intégration africaine et des ivoiriens de l’extérieur(より統一した西アフリカを目指し、海外のコートジボワール人が自国に貢献できるような環境を作るためのコートジボワールの省)は、若者が不法移民になるために死と隣り合わせの過酷な道を通ってイタリアに向かうことをなんとか妨げるべく、その啓発活動の映像の作成を決めたのだ。これまでは、ヨーロッパの監督が撮影・編集した映像しかなく、コートジボワール人の監督の視点から撮ってほしいという依頼だったようだ。

映画は、不法に入国しようとして叶わずにコートジボワールに戻ってきた若者の声から始まる。ある若者は「ヨーロッパに住む友人たちが、大きな車を乗り回し、大きな家に住んでいる写真をSNSにアップしているのを見ると、自分も行ってみたくなった」と話す。そしてヨーロッパで路上生活をする若者は、「SNSに格好いい写真を載せている人もいるけど、多くはヨーロッパにいながらみじめな生活をしているのを見られたくないからたまたま撮れたいい写真を載せている」と話していた。

映画では、リビアにいる不法移民仲介業者と接触し、どのようにニジェールに行くべきか、ニジェールに着いたら何をすべきか、いくら必要かなど、会話が流れている。すべて詐欺まがいである。そして、今やカダフィがおらず無秩序状態のリビアの砂漠をトラックで通過する危険を衝撃的な映像とともに見せている。Youtubeで映画を発見した。全て見られるようなので、フランス語が分かる方は是非どうぞ。




上映後の質疑応答で、アフリカの問題はヨーロッパの問題でもあると意見した方がいた。それに対して監督はこう話す。「確かにそういう意見もあるだろう。しかし、私たちアフリカ人は、ヨーロッパに責任を押し付けるのではなく、まずは自分たちの問題として考えなければならない」

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by iihanashi-africa | 2017-09-26 15:59 | セネガル | Trackback | Comments(0)