カテゴリ:オーストリア&チェコ( 10 )
Wien&Praha最終日: シェーンブルン宮殿
7月26日(旅行7日目)

明日27日は朝早く空港に向かうため、この日が観光最終日。
シェーンブルン宮殿ウィーン市街を観光することにした。

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これまでほぼ毎食肉料理でちょっと飽きてきていたので、前日にスーパーでサラダを買っておいて、ホテルの部屋で朝食。アパートメントタイプのホテルだったので、食器も全て貸してくれた。



シェーンブルン宮殿

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言わずもがなオーストリアで最も重要な遺産の一つ。
17世紀初頭、皇帝レオポルト1世が建設を命じたが、財政難で当初の計画から縮小され、さらに皇帝の急逝で建設は中断された。その後18世紀に未完成の宮殿を引き継いだマリア・テレジアが大改革を行い、現在の豪華絢爛な姿になった。

シェーンブルン宮殿は庭園が美しい。
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シェーンブルン宮殿で驚いたことの一つ。

なんと中国の修学旅行生に2組も遭遇。多分1組は小学生、もう1組は中学生か高校生。今回は、オーストリアでもチェコでも、日本人よりも中国人と韓国人に会う確率のほうが高かった。中国人はまだ団体旅行客が多いが、韓国人は若い方が友達同士で旅行をしている。10年前とは大違い。


昼食は、私が行ってみたかったレストランPalatschinkenpfandlパラチンケンプファンドルパラチンケンはクレープの一種で、ここはその専門店。
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ペーター教会

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シュテファン寺院の近くにペーター教会というバロック様式の教会がある。ここで月曜から金曜まで15時に無料のオルガンコンサートがあると聞き行ってみた。
所謂宗教音楽でとても心地よく寝てしまった。。。




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暑い夏はやっぱりアイス。
高く積まれているのはアイスのコーン。



カプツィーナー教会(皇帝納骨所)

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ウィーン観光で意外に興味深かったのがここ、カプツィーナー教会。ハプスブルク家の墓所ともいえる。教会の地下に、ハプスブルク家の12人の歴代皇帝を含む146体の棺が安置されている。棺一つ一つに精巧な装飾が施されているが、ドクロの装飾が多く、とても異様な空間。


ひと際巨大で豪華なこの棺には、マリア・テレジアとその夫フランツ1世が眠っている。マリア・テレジアという方はハプスブルク家に何人もいたようで、最初に見た別のマリア・テレジアさんの棺を写真にとってしまったが、さすがに他の棺と同じ大きさで並べて置かれるわけないか。この中にマリア・テレジアが眠っていると思うと、なかなか傍を離れられず、じっと眺めていたくなる。
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c0116370_0152172.jpg出口近くの簡素な棺。最も新しい棺は、2011年に亡くなられたオットー・フォン・ハプスブルク氏のもの。オーストリア・ハンガリー帝国最後の皇帝カール1世の長男で、カール1世が1916年に皇帝に即位したことにより、皇太子となった。しかし、帝国は1918年に第1次世界大戦の敗戦に伴って崩壊し、家族とともにスイスなどで亡命生活を送った。その後、ドイツに身を置き、20年間欧州議会議員を務めた方。

そしてその隣に、もう一つ棺を置けるスペースがある。もう一人、1918年以前にオーストリア大公あるいは大公女として生まれた方がいるに違いない。誰だろう。

ちなみにハプスブルク家の古い慣習で、ここに埋葬されている人々の心臓の多くはアウグスティーナ教会に、内臓はシュテファン寺院に納められているとのこと。


ユダヤ博物館

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第2次世界大戦中にナチスの犠牲となった約6万5千人のオーストリアのユダヤ人のための記念館。ユダヤ人迫害の歴史を知るというよりは、迫害されたユダヤ人がこれまでどのような活動を行ってきたのかを紹介する博物館。ユダヤ教への理解やユダヤのユーモアや文学などを知るための場所かな。



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最後の夕食は、ワイン蔵を利用したレストランAugustinerkellerアウグスティーナケラーへ。これまでビールばかりだったので、オーストリアワインを2本注文。ちょっとほろ酔い。





今回は久しぶりのヨーロッパ旅行で、全く知らない街をガイドブック一つで歩き回る旅も久しぶりだったので、とても楽しかった。また行こう!今度はどこへ?

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by iihanashi-africa | 2013-08-20 00:20 | オーストリア&チェコ | Trackback | Comments(0)
Wien&Praha6日目: メルクとヴァッハウ渓谷
7月25日(旅行6日目)

今日は、チェスキー・クルムロフからウィーンへ車で移動。
その途中にメルクヴァッハウ渓谷に立ち寄った。

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チェコとオーストリアの国境。

道路の色が違うのが分かるかな。国境を越えた瞬間、道路の質が変わり、田園風景もどことなく洗練された印象を受けた。



メルク修道院

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11世紀、バーベンベルク家のレオポルト1世がベネディクト派の修道院をここに建設した。18世紀のハプスブルク家の時代にバロック様式に改築された。

詳細な説明のあるブログを発見。
http://tabisuru-c.com/travel/austria_201105/20110527-4.htm


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10万冊以上の書物が保管されている図書館。


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メルク修道院の礼拝堂。



ヴァッハウ渓谷

ドナウ川流域で最も美しいと言われるヴァッハウ渓谷。この地域の岸部には、いくつもの古城や修道院が建ち、ワイン用のブドウ畑が広がっている。日本で渓谷というと高い山に挟まれた深い谷に急流のイメージだが、ここは丘陵地の合間を川幅の広いドナウ川が緩やかに流れる。

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こんな大きな遊覧船が通る。


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段々のブドウ畑。
この辺りはなんといってもワインが有名。


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ブドウと共に有名なのがアプリコット
この辺りの町を歩くと、アプリコットのジャムやリキュールが並んでいる。
自家製のリキュールを味見させてもらった。
とっても美味だし、そんな笑顔で対応してくれるともっと美味しくなる。


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ヴァッハウ渓谷で最もロマンティックな街といわれるデルンシュタイン


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デルンシュタインの丘の上には、リチャード王ゆかりのケーリンガー城跡がある。第3回十字軍遠征からの帰途、彼はオーストリアのレオポルド公の怒りにふれ、1192~93年にかけて幽閉された。
しかし、辿り着くまで30分以上坂を上らなければならず、時間がなかったので今回は残念ながら上らなかった。



そこから更に1時間半かけてウィーンに到着。

夕食は巨大シュニッツェルで有名なFiglmullerで。
行進曲で有名なラデツキー将軍がミラノから持ち帰ったカツレツのシュニッツェル。オーストリアでは味わうべき一品。それと一緒にタフェルシュピッツも注文。ブイヨンで煮込んだ牛肉にリンゴムースや西洋わさびをつけて食べる。
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7月と8月のウィーンはコンサートやオペラのオフシーズンなので寂しいのだが、その代わりに夏の間中、フィルムコンサート・フェスティバルを開催している。

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市庁舎の前にこんな大画面が設置される。


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日が暮れて映画が始まるのは9時半。言い換えれば9時半にならないと日が暮れない。慣れていないと結構疲れる。私たちは9時頃会場入りするとなんと既に満員。やっとの思いで座る場所をゲット。


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この日はこの人のフィルム。
三大テノールの一人パヴァロッティ



7日目&最終日8日目に続く。


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by iihanashi-africa | 2013-08-19 20:12 | オーストリア&チェコ | Trackback | Comments(0)
おまけ写真:かわいらしい一面 in チェコ
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怪盗おじいさん?
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by iihanashi-africa | 2013-08-18 22:07 | オーストリア&チェコ | Trackback | Comments(0)
おまけ写真:白と黒のチェコ
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by iihanashi-africa | 2013-08-18 21:54 | オーストリア&チェコ | Trackback | Comments(0)
おまけ写真:チェコ
プラハ

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フルボカー城

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チェスキー・クルムロフ

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by iihanashi-africa | 2013-08-18 21:02 | オーストリア&チェコ | Trackback | Comments(0)
Wien&Praha5日目: フルボカー城とチェスキー・クルムロフ
7月24日(旅行5日目)

プラハから南下し、オーストリアとの国境に近い地域は南ボヘミアと呼ばれる。そこにフルボカー城という豪華絢爛な城と世界一美しい街という形容されるチェスキー・クルムロフがある。本日はここへ出発。

これらのお城を語る上で重要なのが複数の貴族。特にロジュンベルク家シュヴァルツェンベルク家は非常に興味深い足跡を残してきた。

フルボカー城

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フルボカー城は、13世紀にボヘミア王国の国境を守る領主の拠点として建設され、オタカル2世の死後、ヴィートコヴィッツ家の手に渡った。その後、魚の養殖やビール醸造等の事業を始めたペルンシュタイン家マロヴェッツ家へと引き継がれたが、ビーラー・ホラの戦いの後、マロヴェッツ家の財産は全て没収され、かつて栄華を誇ったフルボカー城は、錠前も扉も破壊され、略奪された城としてほとんど価値のない存在となり果てた。

17世紀にシュヴァルツェンベルク家のヨハン・アドルフ1世が購入し、その息子たちが相続して徐々に外観や内装が豪華になっていった。フルボカー城が現在の姿になったのは、ヨハン・アドルフ2世の時代で、イギリスのウィンザー城をモデルにロマン主義様式へと改築された。改築を最初に思い立ったのはアドルフ2世だったが、後年になって城の応接スペースや図書館、禁煙サロンの改築や武器庫の新設等、様々な豪華装飾を加えたのはエレオノーラ公妃だった。

アドルフ・シュヴァルツェンベルクが最後の城主になったのは1938年のことだったが、ナチスドイツ政府の野心に反対し続けており、第二次大戦が始まると国外に逃亡し、終戦後の1947年にチェコスロヴァキア政府により全財産を没収された。シュヴァルツェンベルク家の人々はナチスドイツ支配に抵抗し、チェコスロヴァキア市民を名乗り続けており、財産没収や追放を受ける対象ではなかった。しかし、1947年にこのためだけにシュヴァルツェンベルク法が制定され、政府が引き継ぐことになった。

その末裔であるカレル・シュヴァルツェンベルクは、現在チェコ共和国外務大臣。


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内部は撮影禁止だったのだが、購入したガイドブックの写真をどうぞ。

金銀きらびやかな装飾が好きなロシア人の団体さんが多かった。


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フルボカー城は一年中住居として使われていたわけではなく、狩猟シーズンの秋に集まることが多かった。1回の狩猟は6~7日続き、シカ・イノシシ200頭、ノウサギ2000匹などを仕留めていた。シカについては、こうして壁に角を掲げていたが、飾る場所がなくなってきたために、外にも飾るようにした。


c0116370_18201071.jpg城の入口正面扉の取っ手。これはシュヴァルツェンベルク家の紋章トルコ人の頭部をカラスがつついているのだ

当初は青と白のストライプのシンプルな紋章(左下)だったが、16世紀後半の対トルコ戦争への資金支援を行い戦地にも赴いた当時の当主が、トルコ人の死体をカラスがつついているのを見て、それを紋章に入れることにした。なんと悪趣味。最終的に右の紋章に落ち着いたが、右下には相変わらずトルコ人とカラスの絵が描かれている。


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チェスキー・クルムロフ

チェスキー・クルムロフは街自体が世界遺産になっている。とても小さく端から端まで歩いて10分くらい。こじんまりとしていてかわいらしく、おとぎの国のよう。

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チェスキー・クルムロフは観光産業で成り立っている街だが、16世紀は魚、特に鱒をドイツやオーストリアに輸出して生計を立てていたらしい。現在でも鱒料理は有名。

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ということで、私たちもレストラン「POD RADNICI」で鱒料理を注文。

肉料理にそろそろ飽きてきたころにこの味は嬉しい。調理法も日本人の口にあっており、旅行中に食べた最も美味しい料理だったかも。


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チェスキー・クルムロフの地ビール、Eggenbergエッゲンベルグ。街には醸造所もある。やっぱり黒ビールうまし。


余談だがバドワイザーというブランドはチェコがオリジナルだったことをご存じだろうか。私も知らなかった。チェスキー・クルムロフの近くにCeske Budejovice(チェスケー・ブディヨヴィツェ)という街があるのだが、ここは13世紀にオタカル2世がビール醸造の特権を与えてから現在まで醸造が盛んである。16世紀に入って、そのビールにBudejovicka Budvarという標章が付けられ、当時はハプスブルク家支配下でドイツ語が使われていたため、それがドイツ語読みで「ブドヴァイゼル」と呼ばれた。そして19世紀後半にアメリカの醸造家が「ブドヴァイゼル」のビール酵母を持ち帰ってビール醸造を始め、「バドワイザー」と名付けた。「ブドヴァイゼル」の英語読み。

「バドワイザー」標章については裁判も行われたようだが、結局アメリカバドワイザーの勝訴となったそう。


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チェスキー・クルムロフは、もともと12世紀末に現れるヴィートコフ家の城で、14世紀にその一族のクルムロフ家が断絶してからは、チェコ最大の貴族ロジュンベルク家に引き継がれた。その後17世紀にハプスブルク家の手に渡るまで、ロジュンベルク家が住み続けた。

1602年にハプスブルク家に手に渡った城だが、非常に遠く管理が大変だったため、1622年にエッゲンベルク家の手に渡った。上記の地ビールの名前はこの貴族に由来している。そして18世紀にエッゲンベルク家が断絶し、2世代前に婚姻関係のあったドイツ系貴族シュヴァルツェンベルク家に、城が引き継がれることになる。シュヴァルツェンベルク家は第二次大戦後の1947年までこの地におり、終戦後はチェコスロヴァキアの政策でドイツ人が全員ドイツに戻り、所有していた城館等も没収され、チェスキー・クルムロフの街自体が荒廃していった。これはあまり知られていない事実。

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チェスキー・クルムロフ城もだまし絵が描かれている。こんな高いところにどうやって描いたのだろう。


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ロジュンベルク家の15世紀の当主がロジュンベルク家はローマのオルシーニ貴族に起源をもつと考え、オルシーニがラテン語でクマを意味することから、それ以来城内でクマが飼われている。



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今夜のホテルはペンションROZMARYNA。
とっても家庭的で快適。


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歩き疲れていた母と叔母に足裏マッサージ。


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そして、夜はレストラン・バー「99」で、やっぱり黒ビール。



6目に続く。


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by iihanashi-africa | 2013-08-18 18:41 | オーストリア&チェコ | Trackback | Comments(0)
Wien&Praha4日目: プラハ城~マリオネット
7月23日(旅行4日目)

この日は午前中をプラハ城見学に費やすことに決め、ホテルからトラムでプラハ城に向かう。しかし!私の持っていたトラム路線図が正確でなく、更にプラハのトラムは終点まで行くと路線番号が変わり別の路線に切り替わったりするため複雑で、迷ってしまった。

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まずはこの方に路線を聞いて、


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そしてまた別の方に聞いて、


やっと到着。


プラハ城

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フラッチャニの小高い丘にそびえる城。かつてボヘミア国王や神聖ローマ帝国の居城であり、現在はチェコ共和国大統領府のある場所。


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前日にプラハ市内を歩いた時も威風堂々とした城だと思ったが、中に入って聖ヴィート大聖堂を直に見ると、その迫力に圧倒される。写真でその迫力を伝えられないのが残念。

この教会は930年に建設されているが、14世紀にカレル4世の命でロマネスク様式からゴシック様式へと改築が始まり、完成までに600年もかかっている。


大聖堂は奥行き124m、幅60m、塔の高さは96mもある。
世界にはもっと大きな教会があるのだろうが、この教会は門をくぐったとたんに目の前に立ちはだかるので驚きはひとしお。
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この教会はゴシックなのでバロックのように豪華絢爛ではないが、その分華やかなステンドグラスがとても引き立っている。
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これはアルフォンス・ミュシャがデザインしたステンドグラス。他のデザインと全く異なりアールヌーヴォー調。でもゴシックの教会と美しく融合している。やっぱりミュシャらしい。


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黄金小路。
おとぎ話のようなかわいらしい家が並ぶ。錬金術師たちが住んでいたので黄金小路と呼ぶようになった。ちなみに、手前の青い家は、作家フランツ・カフカが仕事場としていた家。


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2階には中世の武具が展示されているのだが、その中に子供用の鎧を発見。こんな子供でも戦場に連れて行かれたのね、と憐れんだのだが、実はこれ、成人してから戦争に行くために子供の頃から鎧の重さに慣れていたのだそう。


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プラハ城は広いので、じっくり見学していたらもう正午。

きゃー大変、正午には正面入口の衛兵の交代式があるんだった!と急いで入口へ向かうが、時遅し。交代して任務を終えた衛兵が整列して歩いているところだけは見ることが出来た。


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王宮敷地内のレストランで昼食。
プラハの街を眺めながら、昼間からビール。

こういう時にしか出来ない贅沢。



聖ミクラーシュ教会

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プラハには、聖ミクラーシュ教会が2つ存在する。
前日に教会コンサートを見に行ったところと、プラハ城に近いこの教会。やはり同じく豪華絢爛なバロック様式。
モーツァルトはこの教会でオルガンを演奏したことがあり、モーツァルトが死去した時は、世界に先駆けて追悼ミサが行われたそう。



カレル橋

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モルダウ川にかかるプラハ最古の石橋。



フランツ・カフカ博物館

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生前には一部にしか評価されていなかったが、現在は実存主義の先駆者と言われる作家カフカ。不条理で非現実的な作品を作り上げるまでに至った彼の人生、特に厳格な父親との関係が見えてくる。



展望台

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プラハ城の西側にペトシーン公園という緑の小高い丘がある。ケーブルカーで頂上まで上ると、


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パリのエッフェル塔を模して建てられた展望台がある。ここからの景色は本当に素晴らしい。とりわけ、ここからのプラハ城とカレル橋は素敵。


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国立マリオネット劇場

チェコは古くから人形劇が盛んな国。長年に渡ってドイツやオーストリアの支配下にあり、自分たちの言語を禁じられていた中で、唯一母国語の使用を認められていたのが人形劇だった。だから、人形劇と言っても単なる娯楽ではなく文化でもある。国を挙げてマリオネット文化を保護育成している。

私の叔母が人形劇を見たいというので、プラハにいくつもある劇場の中で最も歴史の長い国立マリオネット劇場で、代表的な演目の「ドン・ジョヴァンニ」を見ることにした。

これまで面白い人形劇というものを見たことがなかったため、大人が楽しめるのか不安だったが、なんのなんの独特のユーモアとコミカルな動きでとても面白かった。オペラの歌は全てチェコ語だが、「ドン・ジョヴァンニ」は比較的シンプルな話のため、最初に内容を把握しておけば、想像を働かせながら十分に楽しめる。これはとてもお勧め。




5日目に続く。


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by iihanashi-africa | 2013-08-10 23:15 | オーストリア&チェコ | Trackback | Comments(0)
Wien&Praha3日目:ウィーンからプラハへ
7月21日(旅行3日目)

ウィーンからプラハまで約350㎞を電車移動。
350㎞といえば東京=名古屋くらいの距離。それがなんと電車で5時間もかかる。その理由が乗ってみると分かる。停車駅が多く、また速度が異様に遅い。車での移動とほとんど変わらないかもしれない。私たちは8時半にウィーンを出発して13時半にプラハに着いた。

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途中お昼を挟んだので、食堂車でパスタとカレーを注文。ちょっと食べなれた味を欲していたので。


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プラハ到着後、まずはホテルへ。
Hotel Opera。
外観が薄いピンクで少々ラブホテルっぽいけれど、部屋は快適。


火薬塔

パステルカラーが基調のプラハの街を歩くと、突如真っ黒な塔が出現した。15世紀に建設された当時は旧市街を守る城門の一つであったが、17世紀には火薬倉庫として利用されていたため、火薬塔と呼ばれる。
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火薬塔からの景色。
プラハの街は本当に絵になる。
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市民会館

旅行ガイドブックでは「市民会館」のおすすめ度が高く、何故「市民会館」が?と不思議に思ったが、実はここは比較的新しい建築物にも関わらず、歴史的に非常に重要な場所だった。

市民会館の建設が行われたのは1905年から1912年にかけてで、チェコがオーストリア=ハンガリー二重帝国に属していたころのことである。当時のプラハは、この複数の民族にまたがるハプスブルク王朝支配下というドイツ語文化との混沌の中にあったため、自分たちのアイデンティティの自覚を目指し、チェコ文化を象徴する壮大な建築物を計画したのだ。

落成から6年後の1918年10月28日、チェコスロヴァキア共和国として独立宣言がなされたのもこの市民会館である。そして、1989年にベルリンの壁崩壊を受け、無血革命で共産党独裁が倒れ、ヴァーツラフを中心とする民主党との協定が締結されたのもここであった。

しかし、第二次大戦中はドイツ軍に使用されたため建物内は荒らされ、その後もしばらく修復が行われず、1994年になってやっと大々的な修復工事が始まった。

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スメタナ・ホール
作曲家ベドジフ・スメタナにちなんでこの名前がついており、プラハ交響楽団の本拠地でもある。プラハの春国際音楽祭の恒例となっている5月12日のオープニング・コンサートもここで行われる。


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市長ホール。
それほど大きなホールではないが、壁から天井にかけての絵画は全てアルフォンス・ミュシャが描いたもの。


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このステンドグラスもミュシャのデザイン。
ミュシャっぽい。


ちなみに、チェコ人の元テニスプレーヤー、イワン・レンドルはミュシャの息子の親友で、更に世界一のミュシャコレクターとのこと。そのコレクションが市民会館にある。実はミュシャ美術館よりもコレクション数は多いらしい。


ヤクバ教会

市民会館のガイドツアーで出会った日本人親子がプラハ滞在5日目と聞き、おすすめのスポットを尋ねると、旧市街広場の近くにヤクバ教会という素敵な教会があり、ガイドブックには載っていないけれど一見の価値ありとのことで行ってみた。

入った瞬間、「おおおおお~~~」と声を上げたほど豪華で壮麗。金色の使用率が高く派手。そして、淡いピンクの大理石がかしこに使われており、典型的なバロック建築。チェコにはゴシック様式とバロック様式が混在する教会が多い。ここの日曜日のミサのパイプオルガンの演奏が素晴らしいらしい。
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プラハの街は複数色のパステルカラー。
とてもかわいらしい。
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旧市街広場。



天文時計

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天文時計は旧市庁舎塔の下にある。二つの文字盤が並んでおり、上が地球を中心に回る太陽と月とその天体の動きを示しており、1年をかけて一周するもので、下は黄道12宮と農村における四季の作業を描いた歴で、1日に一目盛り動く。


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毎正時になると、上の文字盤のすぐ上にある左右の小さな扉からキリストの12使徒が順々に現れる。そして最後に旧市庁舎塔の上からトランペットが奏でられる。

もう少し大きな仕掛けが動くかと思いきや、窓から人形が現れるだけで終わるので「え、これで終わり?」と拍子抜けしてしまった。。。


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旧市庁舎の壁に描かれたスグラフィット装飾(だまし絵)
木炭で黒く色付けした漆喰を塗り、その上に石灰などで作られた白い塗料を塗り、乾いたらその白い塗料を削って装飾する。遠くから見ると凹凸があるように見えるというが、さすがに技術は現代の方が発展しており目が肥えてしまっているのか、今の私たちの目からは凹凸は分からない。


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夜はSTAROMACEKというチェコ料理レストランに立ち寄り、


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黒ビールを片手に、ローストポークのクネドリーキジューレック(左のパンの器に入ったスープ)を食す。

そういえば、初日から肉ばっかりだなあ。


聖ミクラーシュ教会

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どこかで教会コンサートに行きたいねと話していた時に、聖ミクラーシュ教会でコンチェルトがあることを発見し、早速チケットを購入。
やはり、教会の響きはコンサート会場とは異なり美しい。ソプラノの声が引き立った。


実は後で聞いた話だが、チェコは無宗教者が60%を占めるらしい。チェコは、40年以上続いた旧ソ連の元での共産主義時代に宗教の信仰を禁止されており、その影響だと思われる。共産主義の元祖マルクスは、信仰は理性を麻痺させるアヘンのようなものと言っていた。

そのため、チェコの教会は信者が少なく、教会維持が大変とのこと。だからこうしてコンサートやその他イベントを催して資金集めをしている。


こういう背景を知ると大変興味が湧く。



4日目に続く。


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by iihanashi-africa | 2013-08-08 23:11 | オーストリア&チェコ | Trackback | Comments(0)
Wien&Praha2日目:王宮~オペラ座~美術史博物館
7月20日(旅行2日目)

この日は、ウィーン中心部を観光。

ホテルから王宮まで歩く途中、アルベルティ―ナの美術館に上る階段にうっとり。モネの水蓮を模したのだろう。
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ホーフブルク王宮

ハプスブルグ家が13世紀後半から600年以上にわたって住居としてきた王宮。増改築が繰り返されて複数の棟があり、後で知ったのだが大統領公邸もあるらしい。ミヒャエル広場からの王宮正面入口。
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王宮内には、宮廷銀器・食卓調度保管室がある。ハプスブルク王朝時代に、宮廷家の日常生活に用いられた豪華な食器が並べられている。伊万里コレクションやグラン・フェルメイユ、初期のマイセンは美しい。磁器好きの母は、一枚一枚感心しながら眺めていた。
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写真の上は、全長30mにも及ぶ金のセンターピース。
下は、金銀の食器。

当時、銀器調度品は、古くなると溶かして新しいものに作り替えられたり、銀貨になったり、戦争の犠牲で武器になったため、こうして当時のまま残っているのは珍しいとのこと。



王宮内にあるシシィ博物館や公邸の部屋もいい。特にシシィ博物館では、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベート皇后の生涯を身近に感じることができる。オーディオガイドの説明は長いけれど、全て聞くとシシィの愛称で知られるエリザベートが、なぜ宮殿の厳格さに耐えられず、人前に出ることを嫌がり、皇后としての職務を嫌い、美の追求や旅行をして現実逃避していたのかがよく分かる。

エリザベートは、当時のヨーロッパ宮廷一美しいと言われており、身長172cmで体重50kg、ウエスト50cmという驚異の体型だったという。髪も床に届くほどに長く厚く美しく、毎日髪の手入れに2時間はかけていたとのこと。でも、これも一種の逃避だったかもしれない。

エリザベートは、晩年に息子ルドルフ皇太子が自殺するという悲劇にあって以降、生涯喪服を着続けた。そして、1898年に旅先のジュネーブで暗殺されている。夫のフランツ・ヨーゼフ1世には心底愛されていたにもかかわらず、自身は夫の近くではなく、ウィーンから離れることで癒しを感じていた。その二人の気持ちの擦れ違いも感じ取ることが出来る。



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こちらは奥にある新王宮。


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庭園のカール大公騎馬像の前で。


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市内には、観光客用の馬車がかしこに見られる。風情があり素敵!と思っていたら・・・


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その傍らでは、動物愛護団体が「馬車反対」あるいは「馬の酷使反対」の運動を行っていた。プラハでも馬車があるが、プラハに比べウィーンの馬たちは労働条件と労働時間が良くないらしい。プラハでは、寒い日には働かせず、しっかりと休日を与え、1日の労働時間にも制限があるが、ウィーンでは年がら年中働かせているとのこと。



国立オペラ座

パリ、ミラノと並ぶヨーロッパ三大オペラ劇場のひとつで、1896年に、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』でこけら落としが行われた。
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コンサートの時期ではないので、内部の見学ガイドツアーに参加。舞台裏も見られる。舞台裏は客席側と同じだけの広さがある。


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年に1回開催されるオペラ座の舞踏会の時は、客席が全て取り払われ、舞台と同じ高さにフロアが架設されて広いダンスホールとなる、と写真を見せて説明してくれた日本語ペラペラのオーストリア人ガイドさん。


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舞踏会の際、左右のボックス席チケットは約300万円らしい。


c0116370_1323648.jpgオペラ座の運営費は、年間約100億円。満席でも赤字で、年に1回唯一黒字に転ずるのが、上記の舞踏会の時。通常のコンサートのチケット収入は、全収入の3分の1にも満たない。赤字の半分は政府からの補助金で賄っているが、オペラ座を健全に運営するには民間スポンサーの存在が重要となってくる。

トヨタのレクサスは、2000年から特別スポンサーとなり、現在オペラ座の各所にレクサスのロゴが見られる。



美術史博物館

各地ハプスブルク家の領土を中心に生み出された400年間にわたる美術コレクションを中心とする美術館で、1891年、一般公開されている。
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名画については、日本語のオーディオガイドがある。


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入口のテセウスグループ。


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この美術館で最も有名な絵画の一つ、ブリューゲルの「バベルの塔」。


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ここはカフェが素敵。
美しい円天井の下でコーヒーを飲むのもいい。


国会議事堂

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フンデルトヴァッサーハウス

オーストリアの画家で建築家のフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーが建築した公共住宅。従来の建築理論と相容れない常識外れのもので、建築家とは意見が対立し、計画はいっこうに進まなかったが、ようやく賛同する建築家が現れた6年後の1983年に建設が始まった。カラフルで廊下や壁が波打っている。
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建設当時はこんな感じだったらしい。
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3日目に続く。

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by iihanashi-africa | 2013-08-05 01:45 | オーストリア&チェコ | Trackback | Comments(0)
Wien&Praha1日目:シュテファン寺院~クラシックコンサート
8日間のオーストリア・チェコ旅行に行ってきた。

3か月前に母から「旅行に行きたいんだけど」と言われ、「いいよ、どこに行く?」と聞くと「プラハ」との返事。すっかり国内旅行かと思ったので、「えっ、海外?」と驚いたが、テレビで見た旅行番組でプラハを特集しており、行ってみたくなったんだそう。

私も皆目知らない土地なので、日本から来る方に地球の歩き方を買ってきてもらい、一から勉強。2ヶ月前から旅程を組み始め、ホテルを探し、電車のチケットを予約し、最初は面倒だったホテル探しも徐々に楽しくなってきた。

日本からはプラハまで直行便がないことが分かり、途中でウィーン発着に変更し、オーストリア・チェコ旅行をすることにした。久しぶりのヨーロッパ旅行なので、指折り数えて旅行を楽しみにしていた。

7月19日(旅行1日目)

私はパリ経由でウィーンへ。母と叔母は日本から直接ウィーンへ。
丁度1時間差で到着する便があったので、到着ゲートで待ち合わせ、無事合流。私の方が先に到着するはずが、母と叔母の便が1時間も早く着き、先に待っていた。

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私がスーツケース2個を抱えての旅行だったため、ホテルまではタクシー移動。乗ってからメーターを探していたら、運転手さんがここだよ!と指差したのがバックミラー。赤字でメーターが写っているのが分かるかな?


シュテファン寺院

ウィーンのシンボルとも言えるシュテファン寺院。空港からホテルへ向かった時も、ビルの合間からシュテファン寺院の137mの塔が見え、あぁウィーンに来たと感じた。12世紀にロマネスク様式で建設され、14~16世紀にかけて現在のゴシック様式に改築された教会。モザイク屋根に趣がある。
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今、外壁は清掃中。長年の汚れが黒く溜まっており、それはそれで歴史を感じるが、綺麗に取り除かれ、再びかつての白い教会に生まれ変わる。
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中に入ると溜息が出るほどに美しい。107m先の祭壇が遥か遠くに感じる。


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シュテファン寺院の北塔。南塔も上れるのだが、北塔のからの方がモザイク屋根が良く見える。


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市内も360℃見渡せる。


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北塔には、プンメリンという巨大な鐘がつられている。1683年にトルコ軍が敗退した際に残していった大砲などの武器を溶かし鋳造したが、第二次大戦中に火事にあった時に地上に落ちて壊れ、再度鋳造し直した。20tonあるらしい。


ザッハー Café Sacher

c0116370_121141.jpgウィーンのカフェはケーキが充実している。中でもザッハートルテは有名。同じく老舗のウィーン王室ご用達のケーキ店「デーメル」のザッハートルテも有名だが、商標使用と販売の差し止めを求めてザッハーが裁判を起こしている。7年に及ぶ裁判の結果、ザッハーにもデーメルにも双方にザッハートルテの販売を認める判決が下った。ただし、「オリジナル」ザッハートルテの標示はザッハーのみに認められている。


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でも、その世界一のチョコレートケーキとも称されるザッハートルテは、私にとってはいまいち。チーズケーキもう~~ん。叔母の作ったケーキの方が断然美味しい。デーメルの方は美味しいのかなあ。。。


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実は、上の写真は私たちが注文したザッハートルテではない。ここまで食べてしまってから、「あ~~~、写真撮るの忘れた!」と嘆いていたら、丁度隣の席の方がザッハートルテを注文していたので、「すいません、ケーキの写真を撮らせてください・・・」とお願いして撮ったもの。お隣さんも笑ってた。


コンツェルトハウス

7月と8月は、オペラやクラッシックコンサートはシーズンオフ。唯一演奏を行っていたのは、ウィーン・モーツァルト・オーケストラ。演奏家が豪華な衣装をまとっていて、エンターテイメント性も高い。もちろん演奏も素晴らしい。

出来れば、ニューイヤーコンサートが行われる楽友協会の黄金のホールで演奏を聴きたかったが、この日はコンツェルトハウスでのコンサートだった。

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コンツェルトハウスは、フランツ=ヨーゼフ皇帝の時代1913年に完成し、1998~2000年に抜本的に改修され、現在はウィーン交響楽団の本拠地となっている。


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とても素敵なホールだったけれど、椅子がちょっと硬かったかな。


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こんな衣装をまとっている。


アンコールはもちろん定番曲の「ラデツキー行進曲」と「美しき青きドナウ」。動画は後者。





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Mercure Secession Hotel。今回は3人ということもあり、広い部屋というのが第1条件だった。ここは50m2でとても快適。



2日目に続く。

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by iihanashi-africa | 2013-08-01 01:37 | オーストリア&チェコ | Trackback | Comments(0)