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エメ・セゼール逝去
4月16日、詩人、劇作家、政治家であるエメ・セゼール氏が94歳で亡くなりました。

かつてのフランスの植民地、現在のフランス海外県であるカリブ海のマルティニーク島出身で、1945年から2001年までの55年間、マルティニーク島首府であるフォール・ド・フランスの市長を務めた方です。植民地主義を批判し、マルティニークを始めとするアンティル諸島のフランス領土の海外県化を推進、またセネガル人のレオポルド・センゴール(セネガル初代大統領で2001年に逝去。)と共に、ネグリチュード(黒人性)というコンセプトを確立しました。

高校生の頃から飛びぬけて成績優秀で、退屈な授業の最中はギリシャの悲劇を真似して悲劇の1幕を書いていたと言います。1931年に政府奨学金留学生としてパリのルイ・ル・グラン高校に入学し、初日に生涯の友センゴールと出会います。セゼールは高校でアフリカ人学生、黒人系アメリカ人学生、アンティル諸島の学生など多様な黒人学生と出会い、自分のマルティニーク人というアイデンティティーの中にアフリカ的要素を見出していき、黒人であることとは如何なることかを考えるようになります。

彼自身こう言っています。「Pour comprendre la Martinique, les Antilles, il fallait commencer par l’Afrique.(マルティニーク、アンティル諸島を理解するには、アフリカを理解することから始めなければならなかった。)」

1935年に高等師範学校に合格し、「帰郷ノート」を執筆し始めます。その後マルティニークに戻り結婚し高校で哲学の教師を務め、1945年、フランス共産党から立候補し、フォール・ド・フランス市長に当選します。

エメ・セゼールに会った人は口を揃えて、小さい体に驚くほどの強さと影響力がみなぎっていると彼を描写するそうです。幼少期から止まることなく走り続けた革命家。市長や国会議員という顔を持つ間も、心の奥底では権力を嘲っていたとセゼールの友人は話しています。だからこそ政治的オーラがあったのだろうと。

あるインタビューで、「どうやって、生涯にわたり政治と詩を結びつけることが出来たのですか?」という質問に対し、「私の漠然とした詩の中にこそ自分自身を発見し見出すことが出来るからかもしれない。」と言っています。

昨日、マルティニーク島で、内務大臣時代に暴動を起こした若者を「社会のくず」呼ばわりしたことでセゼールに面会を拒否されたことのあるサルコジ現フランス大統領も出席して国葬が行なわれました。

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by iihanashi-africa | 2008-04-22 06:20 | フランス | Trackback | Comments(0)
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