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高知旅行⑤:高知ファイティングドッグスのブルキナファソ出身ラシィナ選手
高知に旅行することを決めてから、あっ!!!!!そうだ、ラシィナくんが高知にいるんだったと思い立ち、会いに行くことを決めた。

以前も2回ほどラシィナくんの記事を書いたのでご紹介。
ブルキナファソ初のプロ野球選手誕生
ブルキナといえば「野球」

高知旅行⑤:高知ファイティングドッグスのブルキナファソ出身ラシィナ選手_c0116370_143150.jpg高知ファイティングドッグスと言えば、最近ノンフィクション小説「牛を飼う球団」を出版した。早速購入して読み始めたら、一晩で読んでしまった。知っている人が登場人物として出てくると、とても気持ちが入る。そして感動する。これを読むと球団オーナーの思いと人柄がここまでの球団に育った理由だと思えるようになる。そしてこういう方の周りには思いを共有できる熱い仲間が集まってくるのだと。


1) ラシィナくんの練習を見に行こうと決める

さて、ラシィナくんの話に戻ると、私自身はラシィナくんが2回目に日本へ出発する前の壮行試合「ブルキナファソ対日本(@ワガドゥグ)」で会ったのが最初で最後。特に個人的に親しい訳ではない。でも、とにかく今現在彼が日本人の中で活躍している姿が見られればと思い、まずは球団のホームページ(http://www.fighting-dogs.jp/)で試合のスケジュールを確認した。すると、私たちの旅行期間3日間のうち、5月27日は徳島28日は愛媛とアウェーでの試合。唯一29日だけはホームでの試合だったが、ナイターということで私の飛行機の時間に間に合わないため見られない。それでも練習だけでも見たいと思い球団に連絡してみたら、突然の電話にもかかわらずとても親切に対応していただき、練習が始まる時間を教えてくれた。ただ、この日は室内練習で見学は出来ないため、練習が始まる前の12時半頃に球場に来てくれたらラシィナくんに会えるだろうとのこと。なんとかその時間に間に合うように向かった。

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2) ラシィナくんへのお土産を考える

高知に行く前、ラシィナくんに会いに行こう!と決めてから、何かお土産を持っていこうと考えた。何かブルキナファソを思い出せるもので高知では入手し難いもので思いついたのがブルキナファソの食材(後から聞いたのだが、ラシィナくんはもう日本食に馴染んでいるらしい)。といっても、東京でも入手できるものは限られている。私が唯一思いついたのはフトゥというヤム芋やバナナを餅のようについて、様々な味のソースをつけて食べる料理(ブルキナ料理一覧)。もともとブルキナファソの料理ではなく、ガーナやコートジなど海岸沿いの芋やバナナが収穫できる地域の料理ではあるが、ブルキナファソでも広く食べられている。そのフトゥの粉なら上野で購入できる。

しかし、ネット注文すると数日かかり、お店は19時で閉まってしまう。仕事が忙しかったので、19時までにお店に行くのは難しく、ネット注文だと旅行までに間に合わない。さて、どうしようかと考えた時に、ふと、レストランを経営するブルキナファソ人の友人を思い出した。あの人だったら食材を持っているに違いない! 早速電話したら、「もちろん持っているから取りに来たらあげるよ」と。そして、仕事の後、夜遅くに取りに行ってなんとかフトゥの粉を受け取った。その時友人が、「それどうするの?」と聞くので、かくかくしかじかで高知にいるブルキナファソ人にお土産で持っていくのだと話すと、「それなら、ベンガを持っていくべきだ」という。ベンガとはササゲを煮込んだ豆料理。「フトゥは一般家庭ではあまり食べられていないから、知っている人もそんなに多くないと思うよ」と。なんと、、、少なくとも首都ワガドゥグの人々にとっては十分に浸透していると思っていたけれど、そうではないのか。。。

そして、友人のアドバイスを得て、フトゥの粉とベンガ用の豆を持っていった。

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3) ラシィナくんに会えた


高知球場に到着し、しばらくしてからラシィナくんが出てきた。私は一方的に知っていたのだが、ラシィナくんにとって私はほぼ初対面。もともと控えめな選手で、更に初対面の私たちを前に少し緊張した面持ちだったが、なんとか少しずつ打ち解けていった。そして、お土産に持ってきたフトゥとベンガを渡すと、ぼそっと「あっ、ベンガ」と反応してくれた。実は球場に行く前に、ブルキナファソの元野球協力隊員で高知ファイティングドッグスで働いていた方に連絡をとったら「先日、丁度ラシィナとベンガ食べたいね、と話していたところです」と教えてくれた。さすが、ブルキナファソ人はブルキナファソ人のことをよく分かっている。

高知旅行⑤:高知ファイティングドッグスのブルキナファソ出身ラシィナ選手_c0116370_1152615.jpg最後に、ラシィナくんと撮影。
2年前に会った時はまだ体も小さかったが、現在は胸板もとても厚くなり、重い球に負けない体が出来上がってきている。そして、日本語もペラペラでびっくりした。2年間でここまで話せるようになるとは。


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4) ラシィナ選手の初ホームランボールの感動秘話

ラシィナくんに会った後に、球団関係者から、前日にラシィナくんが公式戦での初ホームランを打った話を聞いた。

ラシィナくんは、来日当初から地元メディアで取り上げられており、また彼自身も素直で控えめで、でも陰で努力するところが、日本人に愛されるのかもしれないが、ラシィナくんファンが多いという。通常なら球団からメディアへ話題を売り込むことが多い中、ラシィナくんについては今どうなっていますか?とメディアから連絡がくる。

球団の方に、高知ではどこに泊まっていたのかと聞かれ、梼原と答えると、「梼原なら愛媛の試合を見にこれたのに」と教えてもらった。なんと、、、梼原から愛媛の球場は車で1時間らしい。高知市に行くよりもずっと近い。アウェーで見に行けないと思っていた愛媛の試合に行けたとは。土地勘がないとこういう機会を逃してしまう。更に、梼原にもラシィナくんの熱狂的なファンがいるので、その人たちの車に乗せてもらえたかも、と。すごいな、ラシィナくん。

その愛媛の試合で、ラシィナくんが初ホームランを打った。
通常ホームランボールは、ボールをとった観客がもらえることになっている。この日、ラシィナくんのボールをとったのは愛媛のチームのファンの方。その方が、「このボールは是非ともラシィナくんに渡してください」とわざわざ返しにきてくれたという。この話を聞いたときは目に涙が滲んだ。こんなに愛されているなんて。。。

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5) 「ブルキナファソ野球を応援する会」創設者との出会い


高知球場で、もう一人、偶然の出会いがあった。

ブルキナファソの初代野球隊員の出合さん
帰国した彼は、出身地の北海道富良野市で、パン屋を経営しているが、傍らで『ブルキナファソ野球を応援する会』を立ち上げて、もはやどちらが本業か分からないくらい精力的に活動されている。お話は伺っていたが、実際にこうしてお会いしてお話しするのは初めてだった。

彼のすごさは以前の記事でも書いたので、こちらをどうぞ。
ブルキナといえば「野球」

今回実際にお会いして、普段はあまり多くを語らないのに、野球のことになると熱い思いが込み上げてきて話が止まらない。そして、思いだけでなくそれを実現する行動力がほんと脱帽である。

今般、ブルキナファソから始まった野球の支援の輪を更に広げて、西アフリカ全体から有望な野球少年たちを招待して試合を行う企画がある。北海道でも高知でも休暇を取って足を運ぼうと思っていたのに、なんと私は7月に出張が入っており、ばっちり重なってしまっている。

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グッズも販売している。
https://bbburkina.thebase.in/

関心のある皆さま、是非足を運んで応援してあげてください。

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6) ブルキナファソに野球隊員を派遣するきっかけとなった女性との出会い

実は、話はこれで終わらず、今回出合さんにあったことで、もう一人の女性とも繋がった。

以前から、ブルキナファソの野球の話を周囲にすると、そもそもなぜブルキナファソに野球の協力隊員が送られるようになったの?と聞かれることがあり、確かになぜだろう??と不思議に思っていた。ブルキナファソで、野球なんてほんの一部の人しかしらないし、協力隊員を送るほどの野球人口がいるというわけでもない。しかし、このような中で野球連盟の熱い思いをくみ取り、是非協力隊派遣を!と尽力した女性がいた。この方も協力隊員だった。

ブルキナファソに携帯通信会社Celtelという会社があった。アメリカ系の会社であり、社員たちに野球を学ぶ機会を与えていた。そこの社員だったN’DIAYE Ibrahim氏が、初めてマリで野球を習ったとき、こんな面白いスポーツがあったのかと思い、帰国後に野球を教えるようになった。道具などはCeltel社が与えてくれたものがあったが、民間会社が本腰を入れて野球を教えてくれるというところまではいかなかった。しかし、野球を広めたいという思いが強かったN’DIAYE氏は週末になると野球を教えていた。

当時その近くに何人かの協力隊員が住んでいた。彼らも週末に一緒に練習に参加するようになり、隊員としての活動とは別にボランティアで野球を教え始めた。そして、JICAの「世界の笑顔のために」プログラムで、野球の道具を送ってもらい、そこから更なる交流が始まった。その間に、野球連盟も発足し、数年かけてスポーツ省に登録された。

その後、協力隊員も入れ替わり、徐々に首都ワガドゥグに配属となる隊員の数が少なくなったために、練習に合流できる日本人も少なくなっていった。その時に保健省に配属されていた協力隊員で練習に参加していた女性が、野球隊員を是非とも送ってほしいとJICA事務所の担当者を説得し、今度はその担当者が当時のJICA事務所長を説得して野球の練習を見に行ってもらい、隊員派遣の要請取り付けにこぎつけたそう。

遡れば、この方の尽力なしに、出合さんがブルキナファソに来ることはなかった。

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今となってはこの女性だけでなく、以前から野球の練習に付き合っていた隊員全員がラシィナくんや出合さんの活動を応援しており、その絆は強いことがよく分かる。

私がブルキナファソにいた時には、既に3代目の隊員さんが活躍されており下地はすでに出来上がっていたが、それでもこのストーリーの一旦を近くから見ることができているのは幸せだと思う。


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by iihanashi-africa | 2016-06-13 01:28 | 日本 | Trackback | Comments(4)
Commented by kjys1575 at 2016-06-16 15:48
少し前この球団のこと新聞で(聖教)見ましたが、いつかこのブログで紹介されていた選手だと分かりました。アフリカの事など
楽しく拝見しています。
Commented by iihanashi-africa at 2016-06-19 17:51
コメントありがとうございます!最近旅行の話題ばかりでしたが、またアフリカのiihanashiをアップしていきますね。
Commented by ぶち姐 at 2016-06-28 08:28 x
ラシーナくん、日本でがんばっていらっしゃるんですね・・・。それに比べ私はだめだめだぁーー。
いつも楽しく拝読しています。

また情報発信、よろしくお願いします。
Commented by iihanashi-africa at 2016-07-03 00:10
ぶち姐さん、こんにちは。最近のラシィナくんの活躍はほんと目を見張るものがあります。前回お会いしたときは、もうそろそろ「くん」付けをするのを憚れるほどに成長していましたよ!
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