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祖母の自叙伝2:教員時代~青年学校時代
(前回の記事祖母の自叙伝1:誕生~蚕業学校の続き)


堀之内小学校切差分校教員時代
蚕業学校卒業後、同校で2年間裁縫を習得し、昭和12年、堀之内小学校の切差(きっさつ)分校の2名の教員の一人が出征したため、当時堀之内小学校に勤めていた奥山先生に声をかけてもらい、代用教員として切差分校の1、2、3年生を教えることとなった。もう一人の男性教員が4、5、6年を担当した。この先生は年配の方だったため徴兵されなかった。1人の教師が3学年を担当していたため、常に2クラスは自習だった。祖母は、師範学校を出ていないため教員の資格はなく、最初はオルガンも弾けず放課後に居残って練習した。

当時教員が不足しており、その頃代用教員のポストは沢山あったようだ。平成18年堀之内小学校廃校の際の記念誌に、それを物語る箇所がある。明治6年の創立以来の教員リストが掲載されているのだが、昭和16年~20年までぽっかり抜けている。その前後には毎年7から8名の教員の名前があるのだが、この間だけは教員が1名しかいなかったように見える。それだけ正式採用の教員が少なく、代用教員が多かったのだと想像できる。

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昭和17年 堀之内小学校切差分校


祖母は先生をする傍ら、夜は華道を習っていた。一人で夜道を歩くのは怖かったため、同じく代用教員だった池田先生と一緒に通っていた。この辺りの祖母の記憶は薄く、正確な時期が分からない。ただ、点と点を無理やり結ぶと、かなり長い間華道を習っていたことになる。昭和18年に満州へ行くことになり、少し早く華道の資格をくれたらしい。

青年学校先生時代
2年間の終わり頃には少しずつ仕事が入るようになり、裁縫を教える機会があった。2年間の裁縫習得の後、江曽原の現在のナチ子記念館の場所にあった青年学校(男性は軍事教練、女性は勉強)で裁縫を教えて欲しいと声をかけられた。そしてまもなく裁縫の先生として雇用された。しかし、暖かい時期は農作業や養蚕が忙しく登校できない生徒が多かったため、裁縫は冬にのみ開講する季節授業であった。その他の時期は青年団の実習(近所の農家の田植えの手伝い、等)に同行していた。青年団とは言うものの男性より女性の方が多く、青年団の女性から募集した挺身隊が、溝の口の軍事品(飛行機の部品等)製造工場へ派遣された際には、祖母が引率し、数ヶ月程共に仕事をした。

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青年団

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青年団


この頃、昭和18年。徐々に戦争が激しくなってきた。

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祖母の自叙伝ではないが、この頃の様子をうかがわせる文章。

「百年のあゆみ」抜粋
「日本は、昭和6年、満州事変で国際連盟を脱退し、昭和12年の日華事変後は、教育の面でも次第に戦時色が濃厚となり、昭和16年末に太平洋戦争となってからは、急速に戦時教育が強調されました。昭和14年には青年学校の義務制が実施され、昭和16年には小学校令を改めて「国民学校」とし、堀之内国民学校となり皇国民錬成の目的に添った教育内容になりました。昭和18年には教育の「戦時非常設置要領」が策定され、昭和19年には「決選非常措置要綱」に基づく教育の非常措置が決定。昭和20年5月には「戦時教育令」が公布されて、平常の教育活動はほとんど停止の状態となりました。

[・・・]

戦争が一層激しくなりますと、勤労も学習の一部であるとして勤労動員がしきりに行われ、桑の皮の繊維などを学習そっちのけで集めて出荷するなど、物資の欠乏が日一日と進行していきました。また、この頃の学校日誌には、毎日のように出征兵士の見送り、英霊の出迎え、村葬への参列、必勝祈願のための神社参拝などの記事があふれています。このように児童達は十分な学習も出来ず、ノートや鉛筆も思うように手に入らず、教科書も上級生のお古を使うといった具合でした。

昭和19年度以降、戦局が悪化すると、中学校以上の生徒には学習を捨てて、(いや捨てさせられて)工場や戦場へと学徒動員が容赦なく行われ、小学校児童は空襲に備えての避難訓練や、都会の児童達は学童疎開させられ、親と子は無理矢理に離されて、田舎で集団生活をするという事態にまでなりました。

こうして、昭和20年8月15日の戦争終結まで、いたいけな学童までをも巻き込んだ、軍部独裁の教育がすすめられました。」

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昭和18年 義勇軍に出発する若者の壮行会


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大日本国防婦人会


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(続く)


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by iihanashi-africa | 2012-05-07 08:16 | 日本 | Trackback | Comments(0)
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