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青い丘の王宮
青い丘の王宮_c0116370_3322189.jpgアンタナナリヴから21キロのところにAmbohimanga(アンブヒマンガ)という村があります。マダガスカル語で「青い丘」という意味。16世紀、マダガスカルの大部分を制圧したメリナ王国の首都だった村です。1700年に設立され、前回の記事にも書いたメリナ王国のAndrianampoinimerina王が1794年にアンタナナリヴに遷都するまで中心地として栄えた村です。2000年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。


日曜日に、友人と行ってきました。

Andrianampoinimerina王の時代、アンタナナリヴとその周辺の12の丘を神聖な丘とし、各丘の頂上に宮殿を立て12人の妻を各丘に住まわせました。この12の丘の中で、当時最も神聖だったのが、王が住んでいたアンブヒマンガ。ここに王と共に住んでいた妻が第一夫人というか最も地位の高い妻だったようです。

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村に着いて最初に現れるのが石造りの大きな門。王宮の入り口です。


青い丘の王宮_c0116370_3204524.jpg裏には直径4メートルはある円盤型の石があります。門を封鎖するためのもの。何人がかりで動かすのだろう。

この村には富裕層の別荘が沢山ありますが、最近は門の前に番地等を書いた小さな円盤型の石を置く人が多いようです。


青い丘の王宮_c0116370_3212937.jpg王宮へ向かう階段。ここで入場料を支払います。外国人7千アリアリ。一緒に行ったマダガスカル人は200アリアリでした。どこもかしこも入場料にこれほどの値段差があるわけではないと思いますが。。。


青い丘の王宮_c0116370_3222967.jpg菩提樹のようなあるいはゴムノキのような木が敷地内に何本も植えられていました。ガイドさんはFicus(イチジク)と呼んでいましたが、あの食べられるイチジクの木とは異なります。この木は王を象徴する木なんだそう。手前のFicusの木の根元は、12個の石に囲まれています。つまり、王が12人の妻に囲まれているのです。手前の石畳は儀式を行う場所。


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塀の手前のficusがそびえる場所は、王が演説等を行うところ。神聖な場所なので地面ですが靴を脱いで入らなければなりません。
王宮を囲む塀は卵の白身を使って白く塗られたそう。


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このficusの幹には犠牲になった牛の頭が貼り付けられています。厄除けにもなるらしい。


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青い丘の王宮_c0116370_3251354.jpgこれがAndrianampoinimerina王が7年間暮らしていた王宮。マダガスカル語でRova(ルヴァ)。遠くから写真を撮らなかったので全体が見えませんが、悪しからず。でも見ての通りとても小さな王宮です。王宮という言葉を使ったら語弊があるかも。5、6メートル四方の一部屋の中に、王と女王のベッドと土間があります。王がこの広さの部屋で生活していたなら、庶民の暮らしはどうだったのか不思議です。


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王の墓。


青い丘の王宮_c0116370_3282764.jpgAndrianampoinimerina王の死後、息子のRadama1世が即位しますが、即位後18年で若くして亡くなります。そして彼の後を継いだのが、妻のRanavalona1世。キリスト教徒弾圧や外国人排除で知られる女王です。彼女の時代には首都はアンタナナリヴに遷されていましたが、このアンブヒマンガを別荘地として整備しました。これが彼女の別荘。イギリスのヴィクトリア女王から多くの豪華調度品をもらっており、隣のAndrianampoinimerina王の王宮とは大違いです。


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     王宮の裏から見える景色。天気がよかったので、タナの街も遠くによく見えました。

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青い丘の王宮_c0116370_430444.gif
by iihanashi-africa | 2009-04-28 04:41 | マダガスカル | Trackback | Comments(2)
Commented by 駿洋 at 2009-04-30 20:15 x
懐かしい風景です。
アンボヒマンガの近郊でオートバイ(モトクロスのようなもの)のコンペがよく開催されており、私も度々走っていたのですが、現在もやっていますか?仏人やマダガスカル人も多くエントリーし盛り上がっていましたが。
Commented by iihanashi-africa at 2009-05-08 05:23
オートバイのコンペですか。聞いたことないですが、是非見てみたいものです。私がこちらに来てから新聞に掲載されているのを見たことがないので、まだ行われていないのかな。今年の開催は無理かな?
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