プノンペンの混みあう電線事情
プノンペンの街角の写真を撮っていた時、んっ!!!!、なんだこれは?と気になったこと。
c0116370_053724.jpg


混みあう電線たち。
c0116370_06482.jpg


c0116370_061991.jpg


これに電気が通っていると思うと少し怖い。
どの電線がどこに向かっているのかわかるのだろうか。
c0116370_063337.jpg


この絡まる電線に驚いていたら、ベトナムに旅行したことある友人がベトナムの方がひどかったと話していた。ホーチミンは絡まる電線が名物らしい。


にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-09-20 00:07 | カンボジア | Trackback | Comments(0)
カンボジア旅行最終日:メコン川の向こう側
カンボジア旅行前の気分を高めるために
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕1/2
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕2/2
カンボジア旅行3日目:都城アンコール・トム
カンボジア旅行4日目:アンコール・ワットの魅力
カンボジア旅行5日目前半:繁栄の水利都市アンコールをささえる寺院
カンボジア旅行5日目後半:東のアンコール、ベン・メリア
カンボジア旅行6日目:水上家屋と8時間の船旅
カンボジア旅行7日目:様々な顔を持つバッタンバン
カンボジア旅行8日目:映画「キリング・フィールド」

最終日9日目

プノンペンは観光するような場所が少ないため、何日も滞在しても行くところがないと言われていたが、そんなことはない。滞在すればするだけプノンペンの本当の姿が見えてきて興味深いのだと思う。

カンボジア最終日。どこに行こうかとプノンペン在住の友人に相談したところ、川の向こうに行ってみたらどう?と教えてくれた。最初はプノンペン市内をサイクリングしようと話していたのだが、サイクリングするならメコン川の向こう側に行った方がいいとのこと。後で分かったのだが、プノンペン市内は自転車には優しくない造りになっており、大通りは横切るのも精一杯で、サイクリングにはあまり向いていない。

そこで、自転車をレンタルして、メコン川をフェリーで渡り、サイクリングすることにした。

c0116370_23292986.jpg


街中で自転車を2ドルで借り、川沿いへ向かう。
そして、フェリーでメコン川を横切り、カンダール側へ向かう。


c0116370_23342740.jpg


2階建てのフェリーで、1階は自動車やバイク、自転車がぎっしりと並べられている。


c0116370_2333184.jpg


2階は売店もあり、ゆったりとメコン川を眺められる。



c0116370_2335287.jpg



プノンペンからたった15分程度で対岸へ到着するのだが、あの大都市から一変。とてものどかな風景が続く。舗装道路は幹線道路のみ。サイクリングをするにはとても気持ちがいい。メコン川の左岸と右岸でこんなにも風景が異なるとは驚きである。

c0116370_23355356.jpg



c0116370_2336128.jpg



途中、大きなバレーボール練習場があった。
c0116370_23363758.jpg


c0116370_23365188.jpg


c0116370_2337545.jpg実は、旅行中に農村でもバレーボールコートを見かけた。こういう光景はアフリカでは見たことがない。そういえば、タイはバレーボール人気が高いというのを聞いたことがある。昔見た「アタック・ナンバーハーフ」というタイのオカマのバレーボールチーム映画を思い出す。日本代表チームもタイでは大人気らしい。隣国カンボジアもバレーボールは人気らしい。一説には最も人気のスポーツのようだ。



c0116370_23374836.jpg

さて、カンダール側に渡って約5km北上すると、Prek Bongkong村のSMango Houseというリゾートハウスに辿り着く。ゆったりとできるスペースや綺麗なプールもあり、隠れ家的でとてもくつろぐ。
http://www.smangohouse.com/index.html




c0116370_23384552.jpg


メコン川沿いで風がありとても心地よい。


c0116370_23423543.jpg


c0116370_2339262.jpg


やっぱり最後のお昼はパパイヤサラダ。


帰りの道端で蓮の実を販売している女性を見かけた。旅行中に全国各地の道路脇で販売されていたので、全国的に食べられるのだろう。どうやって食べるのか分からなかった私たちは購入しなかったのだが、生でも食べられることを後から知った。
c0116370_23411334.jpg


c0116370_23412430.jpg


c0116370_23414110.jpg


これは塩漬けかな?


c0116370_2342581.jpg


行きのフェリーとは違うルートで帰ることにした。


メコン川に流れ込むトンレサップ川。
c0116370_23425796.jpg


c0116370_23432450.jpg


日本のODAで建設されたカンボジア日本友好橋を自転車で渡り、プノンペンへ戻る。


c0116370_23435272.jpg
夜中の飛行機に乗る前に、カンボジアの胡椒、カンポット・ペッパーを使ったチョコレートを購入して帰国。同僚からはあまり評判は高くなかったのだが、私自身はかなり好きな組み合わせだった。ミルクチョコレートよりブラックチョコレートのほうが、カンポット・ペッパーのスパイシーな味が活かされていてお勧め。


思い出深い旅行だった。
友人に感謝。


c0116370_23442425.jpg
帰国便は大韓航空。
以前インチョン空港で食べた冷麺が忘れられず、あの冷麺の美味しさを超える冷麺に出会っていないため、どうしても今回は食べたかった。何年も美味しい韓国冷麺に出会わず、思い出の味が美化されすぎているのかとも思ったのだが、やはり間違っていなかった。
インチョン空港の冷麺は本当に美味しいことを再確認した。



旅行記はこれで終わりだが、もう少しだけおまけ記事をアップしようと思う。

にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-09-19 23:45 | カンボジア | Trackback | Comments(0)
カンボジア旅行8日目:映画「キリング・フィールド」
カンボジア旅行前の気分を高めるために
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕1/2
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕2/2
カンボジア旅行3日目:都城アンコール・トム
カンボジア旅行4日目:アンコール・ワットの魅力
カンボジア旅行5日目前半:繁栄の水利都市アンコールをささえる寺院
カンボジア旅行5日目後半:東のアンコール、ベン・メリア
カンボジア旅行6日目:水上家屋と8時間の船旅
カンボジア旅行7日目:様々な顔を持つバッタンバン

8日目

この旅で、プノンペンからシェムリアップまで国内線、シェムリアップからバッタンバンまで船、そしてバッタンバンからプノンペンまではバスで移動することにした。カンボジアはホテルで全て手配できるのでありがたい。

c0116370_115632.jpg

バスの金額を見ると、Big Busが7ドル、Mini Busが12ドル。Mini BusはBig Busの倍ってどういういうこと?と聞くと、Mini BusはVIP Busでシートも余裕があり絶対こっちのほうがいいという。それにBig Busは多くのバス停があるので、プノンペン到着も遅くなるらしい。ということで、Mini Busに決定。時間があるので、朝10時発。


バスの写真を撮り忘れたが、ミニバンのような車で確かにシートが社長椅子のようにふかふかで長時間座っていても、それほど疲れない。

そしてこのバス、タイから国境の街ポイペトを通ってプノンペンまで向かう。始発の出発時刻は何時だったのだろう。とにかく、バッタンバンは10時過ぎに出発

c0116370_116724.jpg


途中、プルサトという町で食事休憩。
スープを頼んだら、この後お腹が痛くなって、ちょっと大変だった。


*******************************

プノンペンには午後5時頃に到着。つまり7時間の旅だったということか。結構長かった。特にプノンペンに入ってからの渋滞で1時間くらいをロスしたのではないだろうか。

c0116370_1221210.jpg
夜は、プノンペンに住む友達に進められて映画館へ行った。映画『The Killing Fields』を常に上映している映画館とのこと。友人と私もこの映画を見たことがなかったので行ってみたのだが、もう衝撃的すぎてその日の夜まで虐殺シーンが頭を離れなかった。


『キリング・フィールド』は1984年のイギリス映画。ニューヨーク・タイムズ記者としてカンボジア内戦を取材し、後にピューリッツァー賞を受賞したシドニー・ジャンバーグの体験に基づく実話を映画化したもの(wikiより)。現地の新聞記者であり通訳であるカンボジア人のディス・プランはジャンバーグと共にカンボジア内戦を取材するが、クメール・ルージュの虐殺が横行するようになると、シャンバーグがプランを亡命させようとする。しかし、最終的に失敗する。その後、プランはクメール・ルージュの集団農場へ移送され、周囲の人々が次々に殺されていく様子を見て、自身は脱走を図る。最後シャンバーグとの再会まで涙と鳥肌が止まらない。

この映画の興味深いのは、当時のアメリカ軍の様子が分かること。旅行2日目に訪れたトゥールスレン博物館で、「アメリカがカンボジアに投下した爆弾の量は第二次世界大戦でアメリカが日本に投下した総量の1.5倍」という情報はあったが、実際のやり取りが生々しく再現されている。本当に一見の価値あり。




c0116370_1212428.jpg

私たちが行った映画館はFlicksという。とても雰囲気がよいと聞いていったが、なんとこうして好きな格好で見られる。快適だった。今、売りに出されている映画館らしいが、この素敵な映画のコレクションはこのままにしてほしいと思う。
http://www.theflicks.asia/welcome/home/



最終日9日目に続く。

にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-09-18 01:23 | カンボジア | Trackback | Comments(0)
カンボジア旅行7日目:様々な顔を持つバッタンバン
カンボジア旅行前の気分を高めるために
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕1/2
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕2/2
カンボジア旅行3日目:都城アンコール・トム
カンボジア旅行4日目:アンコール・ワットの魅力
カンボジア旅行5日目前半:繁栄の水利都市アンコールをささえる寺院
カンボジア旅行5日目後半:東のアンコール、ベン・メリア
カンボジア旅行6日目:水上家屋と8時間の船旅

7日目

バッタンバンはカンボジアで2番目に大きな街。とはいえ、特に観光地ではなく、カンボジアらしい都市を訪れたいのであればここがいい。この周辺はポルポト派が最後まで抵抗した地域だったらしい。ホテルやレストランでも英語を話す人は少なく、時間がゆっくりと流れる感じがする。

私の周囲の方々は、バッタンバンといえば稲作プロジェクトを思い浮かべる。なので、バッタンバンに行くというと、「プロジェクトサイトでも見に行くの?」という反応が帰ってくる。今回は観光なので目的はそこではないが、バッタンバンは一歩外にでれば水田が広がり、本当に国内有数の稲作地帯だということが分かる。

c0116370_2251161.jpg

バッタンバンという名前は、ある武将の名前に由来する。それがこの像。ター・ドンボーンと呼ばれ、コメを美味しくする不思議な棒を持っている。王位継承争いの時に、その棒を敵対する相手に投げつけなくしてしまった。それ以来、この地がバッドンボーン(バッ=なくす、ドンボーン=棒)と呼ばれるようになったらしい。(地球の歩き方より)


***************************

バンブー・トレイン

竹でできたお座敷のような形状のトロッコ。クメール語では「ノーリー」と呼ぶらしい。かつては生活物資運搬用のトロッコだったが、廃線となり、今では観光用の乗り物になっている。終点の村まで片道約7kmを15分で駆け抜けて、これを往復する。時速28km。結構なスピードである。


c0116370_2251488.jpg


小型エンジンを取り付けてある。
座席にあたる部分にはござが敷かれてあり、クッションもあり、座り心地は悪くない。



c0116370_2321751.jpg



c0116370_22565990.jpg

単線のため、戻ってくるトロッコと鉢合わせをする。その時は、通常乗っている人数が少ない方が降りて、相手を通してあげなければならない。取り外しは簡単。台車を手で持ち上げて外し、車輪を線路から外せばよいだけ。






c0116370_231912.jpg


ここが折り返し地点の村。


c0116370_231454.jpg


その村で子供たちに作ってもらった指輪。



****************************

カンボジアワイン

c0116370_2342355.jpg

カンボジアで唯一のワイナリーがバッタンバンの近くにある。チャン・タイ・チョン ワイナリー(Chan Thay Chhoeung)


c0116370_236231.jpg


ここは試飲できる場所のため、もう少し広いブドウ畑が100km先のTrengという町にあるらしい。


c0116370_2362017.jpg
バナンワイン(Prasat Phnom Banon)を試飲できる。
バノンブランデーやバノングレープジュースもある。
ワインは、不思議な酸味と渋味があったかなあ。ちょっとピクルスの匂いがしたかも。そういえば、カンボジアのコーヒーも同じような酸味があった。そして、なぜかココアの味がした。


c0116370_237214.jpg

ちなみに、ここのオーナーが刺繍をしていた。こういう刺繍は、もしかしたらカンボジアで今流行っているのかもしれないが、アンコール遺跡の警備員の女性や家の前でハンモックに座って休んでいる女性、そしてバスの中で出会ったアメリカ人まで同じような刺繍をしていた。


****************************

ワット・バナン

c0116370_238487.jpg



10世紀頃にヤショーバルマン一世によって建立されたヒンドゥー教の寺院。とても急な階段350段を上る。


c0116370_23111311.jpg


頂上にこのような塔が5つ建っている。
ここは周囲を見渡せるので、内戦時代は軍の陣地になっていたらしい。



c0116370_23153674.jpg



****************************

ワット・プノン・サンポー

c0116370_23162370.jpg

ここは行く価値あり。水田の中にポツンと山があって、その頂上にワット・プノン・サンポーと呼ばれる寺院がある。通常は800段の階段を上って頂上まで行くのだが、350段を上って降りたばかりの私たちにはかなり酷だったので、バイクで頂上まで乗せていってくれるサービスを利用して少し楽をした。


c0116370_2316496.jpg



修行の地にある寺院。


c0116370_23171288.jpg


こうしてお祈りに来る方が後を絶たない。


c0116370_23173985.jpg


寺院の近くには「キリング・ケイブ」と呼ばれる洞窟が3つあるが、これはその一つ。ここでは、妊娠女性や子供が虐殺されていた。


c0116370_2319533.jpg


c0116370_23202122.jpg


ここももう一つの洞窟。今は涅槃仏が安置されており、常に寺男と呼ばれる方が管理している。



c0116370_23222243.jpg



c0116370_23224235.jpg



****************************

ライスペーパーの村

バッタンバンから北にトゥクトゥクで30分ほどのところに、ライスペーパーを作っている方がいる。とても伝統的な作り方だが、この辺りのローカル市場では有名な方のようだ。作業は午前中に行われるようで、私たちが訪問した夕方は作業を終えていたが、説明だけはしてくれた。

c0116370_23234157.jpg


c0116370_2324390.jpg



このコメ粉の液体を、


水をc0116370_23243293.jpg


沸騰させた鍋にかけた布にシート状に薄くのばす。
それに蓋をしてしばらく蒸すとシートになるので、


c0116370_23251661.jpg



それをこの竹の棒にかけて祖熱をとる。


c0116370_23261629.jpg



その後、竹網にのせて乾かす。



c0116370_23265045.jpg



こうして袋詰めして販売する。




明日は、バスでプノンペンへ戻る。


8日目に続く。


にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-09-17 23:27 | カンボジア | Trackback | Comments(0)
カンボジア旅行6日目:水上家屋と8時間の船旅
カンボジア旅行前の気分を高めるために
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕1/2
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕2/2
カンボジア旅行3日目:都城アンコール・トム
カンボジア旅行4日目:アンコール・ワットの魅力
カンボジア旅行5日目前半:繁栄の水利都市アンコールをささえる寺院
カンボジア旅行5日目後半:東のアンコール、ベン・メリア

6日目

この日は、シェムリアップからバッタンバンまで船で移動する。

c0116370_2141616.jpg


旅行前、友人から来た旅程案にシェムリアップからバッタンバンへのボート移動というのがあった。ボート移動なんて面白そう!と二つ返事でOKしたのだが、私のガイドブックにはボート移動などこれっぽっちも書いてない。しかし、友人の同僚のお墨付きということだった。

カンボジアの中央に位置するトンレサップ湖は漁師の水上家屋や水上高床式家屋が並んでおり、ボートクルーズが有名。クルーズでは水上家屋の村まで行き、水上レストランなどもあるらしいが、人々が観光客ずれしているという。そのため、観光客のためのクルーズではなく、シェムリアップからトンレサップ湖を通ってサンカー川を上ってバッタンバンまで行くルートで、全てが見られるということだった。この辺の情報はLonely Planetにはかなわない。さすが。

シェムリアップからバッタンバンまでの船移動は、雨期の醍醐味。乾期だと水位が低くなり川底の水草に引っかかることもあり、スピードを出せないという。乾期に乗った人によると、時々引っかかって動けなくなり、船を下ろされて少し待つこともあったらしい。

ボートのチケットはホテルで購入可能。
いくらだったかな。確か20ドルくらいだったか。

朝7時にボートが出るため、6時45分にホテルにバスが迎えに来ると言われ、早起きして朝食も急いで食べて待っていたのだが、結局迎えに来たのは7時15分。あれ?ボートは7時に出るのでは?と疑問に思っていたのだが、とりあえずバスに乗る。

c0116370_2147374.jpg


船着場に近くなると、このような高床式の家が多くなる。これは確か地方行政の建物だった。


c0116370_21482125.jpg

船着場。
結局出発は1時間遅れの8時発
でも船に乗ってみて納得。全員外国人で、カンボジア人は一人もいなかった。


ここからは景色をどうぞ。

c0116370_2149299.jpg


c0116370_21494738.jpg



c0116370_21501449.jpg

水上小学校。
トンレサップ湖の漁師さんたちはベトナム人が多いそう。この小学校も、カンボジア&ベトナム小学校と書いてあった。


c0116370_21505468.jpg


水上教会。


c0116370_21524491.jpg


c0116370_21531090.jpg



c0116370_2154271.jpg


トンレサップ湖からサンカー川に入る。


c0116370_21545528.jpg


c0116370_2155627.jpg


c0116370_21555120.jpg


c0116370_22181485.jpg











c0116370_2251266.jpg


途中で、水上家屋から小さなボートが近くに来たと思ったら、乗客が一人増えた。こうして乗られた方が途中3名いた。


c0116370_226424.jpg


昼食は途中の水上ローカルレストランでとる。
水上家屋には見えないかな。


c0116370_226534.jpg


皆さん漁の仕掛けをかけに行く。



c0116370_229412.jpg


c0116370_2291430.jpg



徐々に上流に向かうと、水上家屋からこのような高床式家屋に移っていく。
c0116370_2293883.jpg






c0116370_22114960.jpg


バッタンバンに近くなると川辺にも稲作地が広がってくる。


c0116370_22122091.jpg


川沿いにコメの脱穀施設があり、船で脱穀米を運んでいた。


c0116370_22134480.jpg


c0116370_2214165.jpg
バッタンバンに到着。
15時45分
つまり、7時間45分の旅
最後は少し疲れたかな。
ちょうど小説も持っていっていたので、気晴らしになってよかった。




c0116370_22144792.jpg
夜はプラホック
体表的なカンボジア料理。生の魚を塩漬けにしてペースト状にしてバナナの葉で包んだもの。様々な生野菜につけて食べるのだが、それでも塩辛くてほんの一部しか食べられなかった。日本でいう味噌や醤油のポジションらしいので、少ししか食べられないのは当たり前か。


c0116370_2217557.jpg

それにプラスして、ちょっとモダンなチキンロックラック。ベトナムにもあるが、ケチャップやライム果汁、黒コショウのソースとマリネされている。



明日は、バッタンバン周辺を観光予定。これが意外にも見るところが多くて穴場である。

7日目に続く。


にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-09-13 22:19 | カンボジア | Trackback | Comments(0)
カンボジア旅行5日目後半:東のアンコール、ベン・メリア
カンボジア旅行前の気分を高めるために
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕1/2
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕2/2
カンボジア旅行3日目:都城アンコール・トム
カンボジア旅行4日目:アンコール・ワットの魅力
カンボジア旅行5日目前半:繁栄の水利都市アンコールをささえる寺院

5日目 午後

私が今回カンボジアを訪れた8月末~9月上旬は、雨期の真っ最中。カンボジアは観光シーズンではない。そのことは来る前から知っていたが、今やアンコール遺跡周辺もインフラが整備されており、雨期だから通行できないというような道もなく、それに、雨が降るのも夕方以降という話を聞いていたので、オフシーズンでも全く気にしていなかった。

そしてカンボジアに来てから、むしろこの時期にきてよかったと思った。

事前情報同様、雨は夕方以降で、それも1時間程度のスコールなので観光に支障はなく、何よりも観光客が少ない。アンコール・ワットでは観光客が多いと思ったが、乾期はこの3倍もの観光客が押し寄せるそうだ。ホテルも満室ではなかったので、選択肢も多かったし。

唯一、雨期に旅行することのデメリットは、サンライズやサンセットを見られないこと。雨期は毎日曇りがちだし、夕方は雨が降るので、アンコール・ワットのバックに日の出を見られることは、まずない。これを重要視する人は、乾期に旅行すべきかもしれない。

さて、雨の多いカンボジアのイメージだが、意外にも年間降雨量は1400mm程度らしい。

洪水対策のためにこのような高床にしているのではなく、むしろ湿気対策なのだろうか。

c0116370_0212593.jpg

c0116370_0215041.jpg

c0116370_022146.jpg

c0116370_0221366.jpg


*********************************

ベン・メリア

シェムリアップの街から東へ1時間ほどのところに、ベン・メリアという大きな寺院がある。現在も修復が施されないまま森の中にひっそりと眠る寺院である。規模は小さいが、アンコール・ワットと類似点が多く「東のアンコール」と呼ばれているそう。

私の持っていたガイドブックに「時間がある場合は少し遠出してベン・メリアを訪れるべきと」書かれていて、友人に提案したら、友人が持っていたガイドブックには「インディアナ・ジョーンズの世界のよう」と書いてあったらしく、彼女も行ってみたいと言ってくれた。行ってみて初めて、そのたとえが理解できる。

c0116370_0233898.jpg


c0116370_0235493.jpg


c0116370_0241578.jpg


c0116370_0243146.jpg


c0116370_024504.jpg


c0116370_025518.jpg


c0116370_0252629.jpg


c0116370_025435.jpg


c0116370_0255639.jpg


c0116370_0261445.jpg


c0116370_026273.jpg



c0116370_0264254.jpg
これは、ベン・メリアの入口に掲げられていたCMAC(Cambodian Mine Action Center:カンボジア地雷対策センター)の看板。
カンボジアは各地に地雷が埋められているが、この寺院周辺の150万m2では438個の地雷と809個の不発弾が除去されたと記述されている。そして、2003年1月から始まった地雷除去は現在も進行中であると。



カンボジア旅行で唯一の心残りは、地雷博物館に行けなかったこと。シェムリアップの北部にある。地雷除去のボランティアをされているアキー・ラー氏の熱意で政府の支援なく運営されている博物館だそう。

父の友人に雨宮清さんという方がいる。株式会社日建の創設者であり代表取締役であるが、国際協力の世界でとても有名な方で、対人地雷除去機を開発し、カンボジアをはじめ、アフガニスタン、ニカラグア、アンゴラで使われている。雨宮さん自身、1994年にカンボジアを訪れ、地雷によって体の一部を失った方々の話を聞いたのが、この道に足を踏み入れたきっかけである。開発にも非常にご苦労され、自らの命の危機にも会いながらも、活動を続けられ、カンボジア政府からも表彰されている。私と同じ、山梨県山梨市出身の方で、両親からも話を聞いていたこともあり、カンボジアという国はあまりよく知らなくても、カンボジアの地雷だけはいつも身近な問題だった。

今度カンボジアに行く機会があれば、ぜひとも博物館に行ってみたい。


c0116370_0275133.jpg


ちょっと小腹がすいたので食べたパイナップル。
カンボジアではこうやって切るようだ。



明日は、シェムリアップからバッタンバンまで船で移動する。

6日目に続く。


にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-09-11 00:29 | カンボジア | Trackback | Comments(0)
カンボジア旅行5日目前半:繁栄の水利都市アンコールをささえる寺院
カンボジア旅行前の気分を高めるために
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕1/2
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕2/2
カンボジア旅行3日目:都城アンコール・トム
カンボジア旅行4日目:アンコール・ワットの魅力

5日目 午前

c0116370_2253423.jpg

4日間毎日東南アジアの味を食していると、やはりこういう食事がとりたくなる。今日はパイナップルパンケーキ。バッタンバンのホテルもそうだが、どこも朝食の質が高かった。私は朝食をしっかりとるので、非常に重要なポイント。


**************************

プノン・クーレン

アンコールが王朝最盛期の都として栄えた背景には、巧みに設計された水路と貯水池からなる治水灌漑システムの存在があった。そのおかげで、乾季には貴重な雨水を蓄え、雨期には余分な水を分散させることが出来たと言われている。

アンコールのなかでも特に神聖とされている聖地がクーレン丘陵にある。プオック川とシェムリアップ川の源流がある場所だ。雨期に、クーレン丘陵から流れ出る大量の水を制御し、利用することで、アンコールとその支配者たちは繁栄を遂げた。9世紀初期に王朝の基礎を築いたジャヤヴァルマン2世の時代からずっと、王国の発展は豊かなコメの収穫に支えられてきた。(National Geographicより)

クーレン丘陵は、高さ4400mほどの砂岩でできた連山で、ライチの木が多いことから「ライチの山(プノン・クーレン)」と呼ばれるらしい。

c0116370_22561624.jpg


ここがクーレン丘陵の麓の入口。
ここから山道を登る。


c0116370_225709.jpg


クーレン丘陵周辺。


c0116370_230721.jpgプノン・クーレンでは、川底に無数のリンガが見られる。リンガとは、ヒンドゥー教の創造と破壊の神であるシヴァ神の象徴で、男性器の形をしている。
何故川の中に神像を造ったのか。
リンガの上を流れた水は聖なる水となると言われており、川底に無数のリンガを作れば、よりパワーのある水になると考えられたそう。そして、神々のパワーが水を介してより多くの人々のもとに行き渡るようにという思いがあったとされている。


c0116370_22574528.jpg


大きな四角の岩が分かるだろうか。
通常、リンガは四角い台座のような形をしたヨニ(女性器の象徴)の上に置かれている。


c0116370_2302667.jpg


訪れた時は雨期の真っ最中だったため、少し水が濁っていて見えにくい像もあったが、浅いところはこうしてリンガが大量にあることが分かる。


c0116370_2305354.jpgプノン・クーレンでは、このような黒い木を見かけた。お香のようなかなり強い香りがし、何かと問い合わせると、木自体がこのような香りを持っており、水につけて部屋に置いておくととてもよい香りがするらしい。そして、売り手の話だと永久に匂いが消えないと。
結局なんだかよく分からず、帰国してからネット検索もしてみたが、未だに何か分からず。。。知っている方がいたら教えてください。


c0116370_2311573.jpg


クーレン山の中は本当に山道。


c0116370_232083.jpg
クーレン丘陵の頂上には、プリア・アントンと呼ばれる涅槃仏のある寺院がある。私にとっては、シェムリアップ滞在中に訪れた場所の中でも特に印象的だった場所の一つである。遺跡ではなく、現在もカンボジアの人々がお参りする寺院のため、皆さんが様々な思いを持って遠いこの地を訪問しているのが分かり、自分自身も身が清まる思いがする。


c0116370_2325838.jpg


まずここでお祈りをする。


c0116370_2332724.jpg


リンガの彫られた石台で手を洗って清める。


c0116370_2334851.jpg



このような大きな岩の上に寺院が建てられている。


c0116370_2359100.jpg


その中に大きな涅槃仏がある。
16世紀にアンチャン一世が造らせたものだそう。


c0116370_2353771.jpg


この辺りは奇岩が多く、それぞれの岩に仏像が置かれている。


c0116370_2361913.jpg

実は寺院の外で、線香やろうそくと共に、こうして500カンボジアリラのお札の束が売られている。最初はお土産用の偽物のお札かと思ったのだが、中に入って分かった。


c0116370_2363994.jpg


なるほど、こうして新しいお札をお参りで使うようだ。


c0116370_2371870.jpg

この寺院だけではないが、様々なところでお札を使った占いをしている。
まずは束になったお札を頭にのせ、なにやら束に突き刺す。


c0116370_2375427.jpg


その突き刺したところの札を読んで、それに合わせてお祈りをする。


c0116370_2383268.jpg


その際に蓮の花の浮かんだ水をお清めに使う。


c0116370_23101835.jpg


c0116370_2394748.jpg



この日のお昼は、バナナとサツマイモの揚げ物を買って水辺に座ってピクニック気分。


プノン・クーレンの川には2段の滝がある。上流部に小滝、そのすぐ下流部分に大滝があるのだが、小滝の上の平坦な水場は身分の高い人専用、その先に約20mの落差の大滝があり、滝つぼの浅瀬は兵士の水浴び場だったらしい。現在は、地元の方々の絶好の水遊び場となっている。

これだけはしゃいでいる姿は、見ている方も楽しませてくれる。

c0116370_23115587.jpg


c0116370_23121490.jpg


c0116370_23124348.jpg


c0116370_23133060.jpg


こうして川辺に海の家ならぬ川の家のようなお休み処がある。大勢でランチをしていたり、こうしてハンモックでお昼寝したり。


c0116370_2314321.jpg


ハンモックについては、各家庭に最低2~3個はありそうな勢い。
これは別途記事を書くことにする。



午後は東のアンコール、ベン・メリアへ。



にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-09-10 23:15 | カンボジア | Trackback | Comments(0)
カンボジア旅行4日目:アンコール・ワットの魅力
カンボジア旅行前の気分を高めるために
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕1/2
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕2/2
カンボジア旅行3日目:都城アンコール・トム

4日目

この日は朝からマイクで大声で叫ぶ女性の声で起きた。叫び声が始まる前には大きな音で音楽も流れていた。朝6時半。ベッドの上で自分に聞こえないと言い聞かせて寝続けたが、それも無理だということが分かり7時頃に起床。朝食をとるべく下に降りて、ホテルのレセプションで「あの声は何?」と聞くと、「小学校だ」という。おそらく何かのイベントがあってマイクで話しているのだろうと。

c0116370_2263826.jpg

シェムリアップのホテルの朝食。
実は、これがカンボジアで食べた食事で一番美味しかった。
クイティウという麺料理。ベトナムのフォーのカンボジア版。コクがあってとても美味しかった。


c0116370_2272823.jpg起き上がりこぼし
なんでこの写真を撮ったかというと、旅行前に読んだ小説『夢は荒れ地を』で「カンボジア人は起き上がりこぼしが好き」という情報を得ていたから。こうして道路脇で売っているのをみて、あっほんとだ!と感動してしまった。
元ポルポト派ナンバー2のヌオン・チアのお気に入りも「起き上がりこぼし」だったそう。何度倒しても起き上がる。励みになる。倒れたままだったら何も変わらないという意図が伝わるのだそう。


この日に訪れた寺院をマップに落としてみた。アンコール・ワット⇒プリア・カン⇒ニャック・ポアン⇒タ・ソム⇒東メボン⇒プレ・ループ。

c0116370_2283870.jpg


**************************

アンコール・ワット

アンコール・ワットは世界最大の宗教建築。ヒンドゥー教のヴィシュヌ神に捧げるため、約40年かけて建立されたが、15世紀以降は仏教寺院として使われてきた。アンコール王朝衰退後、多くの寺院はジャングルに覆われて荒廃したが、アンコール・ワットの尖塔と美しい彫刻が施された回廊は保存されてきた。本当にどこへ行っても荒廃した寺院ばかりだったが、その中でここまで壮麗に残っているのはすごい。

今から10年前、母がアンコール・ワットを訪れた時は、未舗装の道なき道を進んだ森の奥にいきなりアンコール・ワットが現れて感動したらしい。しかし、10年経った今、アンコール・ワットまでの道は綺麗に舗装され、苦労もせず簡単に辿り着いてしまうので、嘗ての感動ほどではないかもしれない。

c0116370_2292445.jpg



正面の西門からさらに荘厳な内部が見える。


ここからはお気に入りの写真をどうぞ。

c0116370_2295010.jpg


c0116370_22102785.jpg


c0116370_2211026.jpg


アンコール・ワットは、完成当時、表面の砂岩は朱色に塗られ、さらに第一回廊の浮彫の表面には金箔がほどこされていたらしい。これは、朱色の名残。



c0116370_22114541.jpg


c0116370_2212458.jpg


c0116370_22141940.jpg


中央の第三回廊に上る階段はかなりの急な角度。


c0116370_2214448.jpg


c0116370_2215454.jpg


c0116370_22152360.jpg


c0116370_22155158.jpg


c0116370_22161248.jpg


c0116370_22162644.jpg


c0116370_22164560.jpg


子供たちが芋虫?とイナゴのようなバッタ?を買いに来ていた。


***************************

アンコール遺跡大回りコース

c0116370_2217787.jpg


c0116370_22172969.jpg


c0116370_22182295.jpg


c0116370_22185493.jpg


c0116370_2219938.jpg


c0116370_22195412.jpg


c0116370_22201974.jpg


c0116370_2220363.jpg




c0116370_2221395.jpg


夕食はカンボジアバーベキュー。



明日は、シェムリアップの郊外へ行ってみることにする。


5日目に続く。


にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-09-07 22:22 | セネガル | Trackback | Comments(0)
カンボジア旅行3日目:都城アンコール・トム
カンボジア旅行前の気分を高めるために
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕1/2
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕2/2

3日目


c0116370_0565414.jpgこの日は、プノンペンからアンコール遺跡巡りの出発点となるシェムリアップまで飛行機で移動。当初はバスでの移動を予定していたが、7~8時間かかり1日がかりの移動となってしまうため、時間を有効活用するために飛行機にした。90ドルで飛行時間45分。結局午後も遺跡を見られたし、やっぱり飛行機にしてよかった。


c0116370_0575623.jpg旅行前にカンボジアに住む友人からUSドルだけでほとんど事足りると言われていたが、少し不安になり、空港で50ドルだけカンボジアリラに換金した。ただし、後になってこの換金を後悔する。物価が安いカンボジアで50ドル分のリラを使うのは結構大変で、もちろん1ドル=4000リラで計算して支払えばよいのだが、意外と損をする。本当に必要なのは、1ドル以下の買い物のときと、観光客が来ないような町や村に行ったときだけ。私たち観光客の移動範囲は一部を除き全てドルで支払えた。それに、こうしてお釣りも1ドル以下はリラで受け取るため、わざわざ空港で換金せずともよかった。それにしてもドルとリラを混ぜて返してるれるのも不思議である。


c0116370_059331.jpgプノンペンからシェムリアップに向かう飛行機は、カンボジアの中心部にあるトンレサップ湖の上を通るが、その周辺には広範囲に水田が広がっているのが見える。2015年、カンボジアのコメ生産量は900万トンを上回り、世界10位以内に入ってきた。もちろん日本よりも多い。シェムリアップの後に、バッタンバンという街に向かったのだが、そこの水田も圧巻である。


c0116370_0595425.jpg

シェムリアップ空港は美しい。
カンボジアの寺院のような屋根は、観光客の心をくすぐる。やっぱりカンボジア一の観光地である。


c0116370_104327.jpg空港までの道路も、素晴らしく整備されている。トゥクトゥクやバイクと通常の車両の車線が分かれているのはプノンペンでは見なかった。
成田からソウルに向かう飛行機で隣に座っていた方がカンボジアを旅行したことがある方だったが、その方はバンコク経由でシェムリアップに入り、アンコール遺跡を巡って、シェムリアップから出発したそう。プノンペンと同じくらい国際便が飛んでおり、プノンペンには寄らずアンコール遺跡だけ旅行する人もいるのだと思う。やはり世界遺産という箔がつくと観光客の集客率が格段に違うのかも。


c0116370_112646.jpg


そして、シェムリアップの街には、大型ホテルが並んでいる。途中で、宮殿のようなホテルを建設中だったが、なんでも1500室もの客室があるらしい。


c0116370_11505.jpg


シェムリアップの街中。


c0116370_12896.jpg


Golden Villaホテルに到着。
おもてなしが素敵だった。


c0116370_123196.jpg


午後はアンコール遺跡の小回りコースへ行くことにし、まずは腹ごしらえ。
なんという料理か忘れてしまったが、ココナッツとトムヤムの混ざった味のスープ。


c0116370_125463.jpg


ここでアンコール・パスを購入。1日券、3日券、7日券と3種類あるが、私たちは3日券を購入。


*************************************

アンコール遺跡

アンコール・ワットを初めとしたいくつもの寺院が建立されたのは1100年代半ばこと。その半世紀後、アンコール王朝は絶頂期を迎えた。歴代の王たちは600年の間、アンコールを中心にヒンドゥー教芸術の最高傑作を彫り込んだ数々の寺院を築いた。王朝最盛期に信仰の対象は仏教に移ったが、ヒンドゥー教の神々が排斥されたわけではない。宗教が融合した像も見られる。

アンコール王朝が没落し、かつての都が森林に覆われた現在も、アンコールの遺跡群は人々の信仰のよりどころとなっている。


この日は、地図の赤く記した寺院遺跡を訪問。プラサット・クラヴァン⇒スラ・スラン⇒バンテアイ・クディ⇒タ・プローム⇒タ・ケウ⇒トマノン⇒勝利の門⇒バイヨン⇒パプーオン⇒像のテラス⇒ライ王のテラス。アンコール・ワットは明日に残した。
c0116370_141122.jpg



多くの寺院を訪れて写真がありすぎるので、この日に撮った気に入った写真を厳選。

c0116370_144392.jpg


c0116370_152370.jpg


c0116370_153644.jpg


c0116370_16062.jpg


c0116370_161433.jpg


c0116370_16337.jpg



c0116370_17922.jpg


バンテアイ・クディの中でお祈りをしていた方々。様々な寺院でこのような様子が見られた。


c0116370_173388.jpg


ミサンガをつけてもらっている。


*************************************


c0116370_18053.jpg


夜はシェムリアップの街へ。


c0116370_182685.jpg


カンボジアでは空芯菜の炒め物が必ずある。私も好きなのでカンボジアにいる間に何回か食べたが、しっかりニンニクが入っており朝起きた時が大変。


c0116370_184419.jpg


観光客が多いパブストリート。
やっぱり観光の街だと感じる。



4日目に続く。



にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-09-06 01:13 | カンボジア | Trackback | Comments(0)
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕2/2
カンボジア旅行前の気分を高めるために
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕1/2

2日目 午後

キリング・フィールド

プノンペンから15kmのキリング・フィールドは「チュンエク大量虐殺センター」とも呼ぶ。前回の記事にも記述した通り、343の処刑所(キリング・フィールド)の一つである。ここも音声ガイドがあり、とても丁寧な説明がある。

c0116370_0553622.jpg


入口からは、犠牲者の遺骨が保存されている慰霊塔が正面に見える。


c0116370_0561579.jpg慰霊塔のすぐ横に大きなタマリンドの木があるが、嘗てはここに写真のような小屋があり、トゥールスレンからトラックで運ばれてきた人々が押し込められていたらしい。当初は週に2~3回だったのが、ポルポト政権最後の頃は毎日のようにトラックがやってきた。


c0116370_056429.jpg


殺戮には、化学薬品が使われることもあった。土壌から化学薬品の反応があり、その一部がこうして囲われている。


c0116370_057475.jpg


遺骨が発見された場所の一部を囲ってあり、お祈りの場所となっている。


c0116370_0572483.jpg
カンボジアの方々に限らず、上座仏教の国ではミサンガのお守りを手首に巻いているのを見かけるが、こうして捧げることもあるようだ。


c0116370_10235.jpg
亡くなった方々の衣類。
実は、センター内を歩いていると、まだ拾われていない衣類がや遺骨が土から顔を出しているのを見かける。まだ全ての遺骨は拾い切れておらず、雨で表層土壌が流れて一部が見えると、センターの関係者が拾い、追悼するのだそう。


c0116370_111160.jpg


キリング・ツリーと呼ばれる木。
その名の通りここで特に子供たちが処刑された。


c0116370_113885.jpg


この地はもともと中国人の墓地だったため、墓碑も残されている。


c0116370_12314.jpg


最初に正面から見た慰霊碑だが、中に入ることもできる。


c0116370_122437.jpg

中には無数の遺骨が保存されており、頭部の遺骨の傷からどのように殺害されたかが分かるようになっている。想像もしたくないが、何万人もの人々を処刑した刑執行者はどのような思いだったのだろうか。洗脳されているとここまでしてしまうのだろうか。あるいは執行しないと自分も殺されてしまうという恐怖だったのか。



この時、国際社会はカンボジアをどのように見ていたのだろう

当初からポルポト派を支援していた中国は別として、日本はいち早くポルポト政権を認めた国だった。1976年のこと。1979年にベトナム軍がプノンペンを陥落し、親ベトナムの政権が確立すると、これを認めないアメリカなどの働きかけで、ポルポト派が国連の代表権を得ている。当時はこれだけの虐殺があったことを把握できていなかったのだろうか。

ポルポト派は徹底した秘密主義を貫いた。その秘密主義が結局仲間すら信頼できない状況を生み出し、最終的に内部分裂を引き起こすことになるのだが、「最高指導者ポルポトとは一体、誰でどういう経歴を持つのか、国内ではいったいどういう政策が実行され、何が行われているのか。西側メディアの取材にはほとんど応じず、ポルポト派の実態は西側には伝わらなかった。」
~『人はなぜ殺したのか』より~

1999年、当時のアメリカのクリントン大統領の提唱で、国連の専門家グループが国際法廷の設置を勧告。しかし、カンボジア政府と国連の交渉は難航し、そのうちアメリカも手を引き、日本が引き継ぐことになった。2003年にやっと合意し、5人のポルポト派元幹部が裁かれることになった。元ポルポト派ナンバー2のヌオン・チア、元外交担当副首相のイエン・サリ(2013年に死去)、元国家幹部幹事長のキュー・サムファン、イエン・サリの妻でクメール・ルージュ指導員だったイエン・チリト(2015年に死去、姉はポルポトの最初の妻)、そして、トゥールスレンセンター長だったドッツィ同志
c0116370_110279.jpg


ポルポトは、1998年に仲間だったタ・モク元参謀総長に人民裁判にかけられて終身刑を宣告され、軟禁されたまま亡くなっている。

c0116370_1102049.jpg


最も早く刑が確定したトゥールスレンのセンター長だったドッツィ同志。


裁判では、直接的あるいは間接的に悲劇に加担した欧米、日本、中国の責任は問われない。「元幹部を法廷で裁くことで「正義が実現された」として歴史のページを無理やり閉じようとしている。私にはそう見えた。歴史を3年8カ月だけ切り取り、その範囲の中だけで断罪する裁判がもたらす正義とは何なのだろうか。約1億8千ドルを費やすそのような裁判の歴史的意義はどこにあるのだろう。」~『人はなぜ殺したのか』より~


*************************

早くもカンボジア到着2日目にして、学ぶことの多い日となった。

c0116370_11188.jpg


キリング・フィールドまでは、郊外の穏やかな風景を見られるので、トゥクトゥクで行くのがいい。


c0116370_1113532.jpg


夜は、少しオシャレなクメール料理店へ。


c0116370_112125.jpg


そしてプノンペンのナイトマーケットに立ち寄った。


c0116370_1123191.jpg


去年の台湾旅行を思い出す。
台湾もこういう屋台を回るのが楽しかった。


c0116370_1124729.jpg食事の屋台はそれほど多くないため選択肢は少ないが、味は美味しい。でも、全体的に濃い味だと旅行を通して感じた。なんだろう、ご飯と混ぜ合わせて味を調整して食べるからだろうか。


c0116370_1131315.jpg結構掘り出し物がある。




3日目に続く。


にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-09-05 01:14 | カンボジア | Trackback | Comments(0)
カンボジア旅行2日目:クメール・ルージュの爪痕1/2
2日目 午前

カンボジア旅行でプノンペン、シェムリアップ、バッタンバンを旅行すると決めてから、その話を別の友人にしたら、「プノンペンとバッタンバンて見るところあるの?」と聞かれた。まだガイドブックやトリップ・アドバイザーから得る知識しかなかった私は、なるほどプノンペンとバッタンバンは何もないのかと思ったものだが、旅行してから、やはりどちらも訪れる価値は十分にあると感じた。バッタンバンは別途記述するとして、プノンペンはトゥールスレン虐殺博物館とキリング・フィールドを訪れるだけでも、来た価値がある。

トゥールスレン虐殺博物館


c0116370_7483377.jpg

朝、友人宅からトゥクトゥクでトゥールスレン博物館へ移動。


トゥールスレン(別称S-21)は、人々がクメール・ルージュに拷問を受けた約300ヶ所にわたる収容所網の極秘センターだった。ここでは、12,000~20,000人の人々が収容された。この収容所からの生存者で確認されたのは、わずか12名と言われている。

そしてここで言葉では言い表せないほどの厳しい尋問と拷問を受け、その後15kmほど離れたチュンエク村の「キリング・フィールドKilling field」に連行され、処刑され、埋められた。

クメール・ルージュポルポト派という言葉は知っていても、カンボジアを旅行しなったらここまで深く理解することはなかった。

博物館に到着すると、音声ガイドを手渡される。音声ガイドがオプションではなく、全員に手渡されるのはとても良いと思った。全員がヘッドホンをつけてガイドを聞きながらとても静かに見学しており、落ち着いた気持ちで見学できる。

c0116370_7525380.jpg博物館を入るとすぐに14基のお墓がある。
ポルポト派がプノンペンを制圧した1975年4月17日から3年8カ月の間に多くの方々が収容され、虐殺されたが、1979年1月7日、ベトナム軍がプノンペンを制圧してポルポト派を地方へ追いやってからこの収容所が発見された。その時に発見された14名の遺体が、トゥールスレン最後の犠牲者として葬られている。


c0116370_7554155.jpg

ここはもともと学校だった。こうしてみたら廃校に見える。
しかし中に入ると一変、鉄のベッドと繋がれた鎖の留め具、排泄物の入れ物が当時の様子で置かれている。


c0116370_75652.jpg


学校を囲う塀はこうして頑丈な有刺鉄線で覆われている。


c0116370_7563583.jpg収容者に対して10の尋問規則というのがあった。「私の質問には必ずすぐに答えること」、「事実を隠してはならず、不満を言ってもならない」、「拷問を受けても叫んではならない」、「私の命令がない限り何もしてはならない」、「規則を守らなければ拷問を行う」など。
気になるのは、「私の質問」、「私の命令」など一人称で記述されていること。この「私」というのは、トゥールスレンのセンター長だったドッツィ同志であることが後々分かる。


c0116370_7573128.jpg

二つ目の校舎B棟は、独房だったようだ。一部は同時のまま残されている。そして1階は当時の貴重な写真が見られる。手前にある学校の遊具は、残念ながら拷問の道具として使われた。


中には、ポルポト派リーダーたちの写真が置かれている。カンボジア語で「組織」を意味する「オンカー」は、ポルポト政権下では革命組織や最高幹部を意味していた。全てはオンカーの下にあり、オンカーの命に従わなければ死を意味していたという。そして、彼らはニックネームで呼びあっており、本名を知らないものもいたという。もちろんポルポトも本名ではない。彼の本名はサロト・サルというらしい。

ただし、ポルポトを含む最高幹部たちは、プノンペンの進学校であるシワソット高等中学に進学し、のちに奨学金でフランスに留学した仲間たちのため、本名は分かっていたと思われる。フランスでは、数人のカンボジア留学生が反フランス活動について議論し、その後ポルポト政権で外交担当副首相となるイエン・サリを中心に秘密組織セルクル・マルクシストが創設された。のちにポルポト本人も1976年の毛沢東の葬儀で、ポルポト政権がマルクス・レーニン主義のイデオロギーに基づいていることを認めている。

実はこの過激なポルポト派は、1975年4月17日にプノンペンに入城した際、一瞬だけ人々に歓迎されたらしい。その当時の写真が博物館に飾られている。

それは何故か。

1970年にロン・ノル将軍は、シアヌーク国王政権をクーデターで倒し、クメール共和国の樹立を宣言した。ロン・ノル政権はアメリカの支援を受けていたこともあり、ベトナム戦争中の北ベトナムからの攻撃を受ける。遡ってシアヌーク国王時代も、アメリカは南ベトナム解放戦線(ベトコン)にカンボジア国内の通行を許していたことに憤慨して、カンボジア南部や都市部を爆撃し、数百万単位での避難民を出している。この時アメリカがカンボジアに投下した爆弾の量は第二次世界大戦でアメリカが日本に投下した総量の1.5倍にのぼるそうだ。アメリカの支援を受けたロン・ノルがクーデターで政権を勝ち取ってからは、反米や政府批判を唱える者は次々に暗殺されていった。そのため、知識人たちはシアヌーク国王と手を結んだポルポト派に流れていったと言われている。

他方、ポルポト派もカンボジア南部に解放区を打ち立て、ベトナムとは一線を置いて政府に対するゲリラ戦を繰り広げていた。こうして国内の騒乱とベトナム戦争の影響から国が疲弊していた時、1975年4月17日、ポルポト派がプノンペンに入城した。人々は「やっと戦いが終わった」、「平和がやってきた」と歓喜したらしい。

しかし、その翌日から農村への強制移住国民の「再教育」が始まった。

c0116370_932135.jpg

これが都市から農村部への強制移住のルート。


ポルポト派は農業と農民を基本とした独立国を目指していた。
農民が国のエネルギーであるとして、全ての人の財産・身分をはく奪し、全員が郊外の農村に移住させられた。知識人は、純粋な国家を建設するためには害にしかならないとポルポト派は考えた。再教育するという監視下で、多くがスパイ容疑をかけられ、処刑されている。

c0116370_874958.jpg

そして、この建物には、処刑された一部の方々の写真が飾られている。どこのだれだか分からず、収容番号だけ持たされている。男性、女性、子供、そして外国人の写真がぎっしりと並べられている。


c0116370_881187.jpg
音声ガイドでは、亡くなった方々の家族の肉声が流れてきて、彼らの気持ちに沿って写真を見ることができる。一人だけ帰国した父の行方が分からず、のちにこの博物館を訪れて端から端まで父の写真がないか探した女性の言葉に胸を痛めた。


c0116370_885739.jpg


独房もこうして残されている。


c0116370_892095.jpg


独房に一人で入れられることもあれば、数人で入れられることもあったそうだ。


確認できているだけで、カンボジア国内に167の収容所、343の処刑場所があり、そして現在77のジェノサイド記念碑が建てられている。

博物館の展示は、終わりになるにつれて、目を覆いたくなるような残虐な写真が掛けられてある。音声ガイドでも、具合の悪い方は一旦外に出てお休みください、といった案内が流れる。それでも、説明を全て聞く意義は十分にある。この博物館にはほんと来てよかった。

クメール・ルージュの話を纏めたら長くなってしまった。。。

2日目は2回に分けることにする。

c0116370_8102838.jpg


博物館の近くのTJカフェで、マンゴーサラダとフルーツスムージーを食し、午後はキリング・フィールドへ向かう。



にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-09-04 08:12 | カンボジア | Trackback | Comments(0)
カンボジア旅行前の気分を高めるために
ソウル経由でカンボジアにやってきた。
カンボジアは日本からの直行便がないということを初めて知った(ただ、なんと最終日の9月3日に空港にいったらANAが飛んでいた。はて?と思って調べたら、なんと2016年9月1日、つまり2日前からANAが直行便を始めたらしい)。そして日本人もビザがいるということを。東南アジアでもそんな国があるということを。

今年5月下旬頃、ルクセンブルグ人の友人から「カンボジアに旅行に行こうと思うのだけど、一緒に行かない?」とメールが来た。同じ時期にブルキナファソで働いていたオランダ人の友人がプノンペンで働いており、プノンペンでは彼女の家にも泊まれるとのこと。

カンボジアか~。

東南アジアは10年以上前にタイに旅行したきりだし、行ってみたいなあ。

友人の休暇の時期はかなりフレキシブルみたいなので、私に合わせてもらえるようだし、少し考えて、「よし、行こう!」と決めた。

そしてサクッと航空券だけとって、あとは彼女に任せきり。
私がガイドブックを読み始めたのは8月に入ってからだった。

ガイドブックもいろいろあるが、日本のガイドブックでカンボジアというとアンコール遺跡周辺のことしか書いてないものがほとんど。やっぱり最後は全国をほぼほぼ網羅している「地球の歩き方」に戻ってくる。それに、地球の歩き方のカンボジア編は、アンコール遺跡の歴史から建築の見方まで専門家によって詳しく記述されており、旅行ガイドブックとは思えない詳しさである。

そしてそれに加え、最近は旅行前の気分を高めるために旅行先が舞台になっている小説を読むことにしている。今回は、これらを読んだ。

c0116370_1573918.jpg


まず、「夢は荒れ地を」を読み、地雷と売春とクメール・ルージュの傷跡とカンボジアの地理と人々の考え方に触れ、その後「人はなぜ人を殺したのか」で、ポル・ポト派の生の声を読んで、彼らの思想を理解した。

この2冊は読んでも楽しい気分にはならず、カンボジアの闇を深掘りするだけなのだが、やはり本を読むと一層関心が高まることには変わりない。

そうそう、ちなみに成田では久しぶりに飛行機の渋滞にはまり、離陸までにかなり時間がかかった。
c0116370_1115923.jpg


カンボジアの発展状況は、東南アジアの中ではまだ遅れをとっているかもしれないが、アフリカばかり行っている私にとって、飛行機から見た首都の広がりはやはりすごさを感じる。在留邦人は2500人いるらしい。やっぱり違う。

さて、これから、プノンペン、シェムリアップ、バッタンバンの10日間の旅が始まる。


にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-08-28 01:58 | カンボジア | Trackback(1) | Comments(0)
ニジェール選手、自国史上2個目のメダル
リオ・オリンピックが終わった。

今年は珍しくオリンピック期間に日本にいたので、日本人選手の活躍を思う存分に感動を持ってみることができた。

でも個人的には多くの競技の世界各国のすごい記録を見たい。注目すべきはボルト選手やフェルプス選手だけではない。他にもものすごい記録が出ている種目があるのだが、日本では報道されない。だからと言って、海外にいたら全世界の活躍選手が見られるわけではない。

前回のロンドン・オリンピックの際はブルキナファソにいて、ケーブルテレビでオリンピックを見ていた。ただ、アフリカのフランス語圏のケーブルテレビは、やはりフランス系のチャンネルが多いので、フランス人選手が活躍するスポーツの中継が多い。柔道はまだよいが、テコンドーやらフェンシングやら乗馬やら。柔道も結局フランス人選手の試合しか流さないので、日本人選手を見ることもなく、フランス人選手が出ていなければ決勝の試合も見ることもできない。

こうしてみると、オリンピックは本当に国としての戦いを煽っているように見える。

私がこれまでにいたアフリカ諸国ではオリンピックが大々的に取り上げられることはなかった。やはりまだまだ先進国の祭典である。サッカーのワールドカップの方が、世界平和の推進という意味では貢献しているかな。でも女性が男性と同じ場で同じように活躍できるスポーツの祭典ではあるか。

当時の記事
ブルキナファソのオリンピック選手


ちなみに、リオ・オリンピックでメダルを取ったサブ・サハラ・アフリカの国は、常連国のケニア、南アフリカ、エチオピア以外に、コートジボワール、ブルンジ、ニジェール、ナイジェリアも目立たないながらも獲得している。ナイジェリアはサッカーだから知っている人も多いが、ニジェールのテコンドー選手が自国に史上2個目のメダルをもたらしたことを知っている人は少ないだろう。



さて、私は個人的に陸上のトラック競技が好きで、特に10000mと5000mを見るのが好きである。自分自身が5km~10km弱のジョギングをすることが多いから、凄さがよく分かるのかもしれない。今回は、イギリス人のモハメド・ファラー選手(もともとソマリア出身)の2大会連続2冠と、女子10000mのエチオピア人アヤナ選手の走りに目を奪われた。

ファラー選手の10000m
http://www.gorin.jp/video/5082494933001.html

最後の100mに注目して見てもらいたい。
感動したら、是非前回の世界陸上5000m、10000mの動画も探してほしい。10km走っても最後の100mを13秒で走る強さを持っている。すごい。

実は、もう一人、この種目で5位に入ったアメリカのラップ選手は、ファラー選手の練習相手で、ファラー選手を初め、ケニア、エチオピア勢に唯一ついていける白人選手で、これまたスタミナに感動してしまう。マラソンでも銅メダルをとり、今後も注目選手だ。

アヤナ選手の10000m
http://www.gorin.jp/games/ATTR/ATW100.html

8kmを過ぎたあたりから独走。そして驚異的な世界新記録。


やはり自分にはない才能と並々ならぬ努力を垣間見るのはいいものだ。


にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-08-23 00:31 | 日本 | Trackback | Comments(0)
日傘を差す男性
先月の出張中、セネガルで日傘を差す男性を何人も見た。

最近日本でも日傘率が増え、私もそろそろ買おうかと悩んでいる頃、セネガルの男性も日差しを遮りたいらしい。

唯一写真におさめられたのが、ノト市場でニンジンを売っていたこの男性。

c0116370_23383890.jpg



実はダカール市内でも日傘を差す男性を何人も目撃している。
ピンクがかった可愛らしい傘をさしていた方もいた。

以前日傘を差す男性たちの写真を掲載したことがあった気がして探してみたら、写真家小松義夫さんの写真を掲載していた。この写真はトーゴ。NGO緑のサヘルの2009年のカレンダーの一枚。

c0116370_2339974.jpg




にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-08-12 23:41 | セネガル | Trackback | Comments(0)
セネガルの高速道路
2006年にセネガルに滞在していた時、高速道路の完成図が載った大型ポスターが街中に掲げられており、こんな高速道路が本当に出来るのかと半信半疑で眺めた記憶がある。

しかし、本当にできた。
c0116370_1271088.jpg


c0116370_1272496.jpg


当時行ったピキン地区も高速道路の脇に健在。
c0116370_1274880.jpg



2006年当時は、ダカール市内から郊外のゲジャワイまで移動するのに、恐ろしいほどの渋滞があった。今も渋滞はあるものの、かつてに比べたら整然としている。以前は、片側2車線の道路が、渋滞時にはなぜが6車線になり、前後左右囲われて身動きできない状態になる。バイクすらすり抜けられない状態。そして雨が降った時には、1ミリも動かなくなる。

その道を経験した者にとって、この高速道路は夢のようだ。
西アフリカ初の料金所付の高速道路だ。
c0116370_1285067.jpg


c0116370_129456.jpg



これまで、ダカール=ティエス間はいままでどれくらいかかっていただろうか。ダカールの人口増加や経済発展により車の数は増えて、交通渋滞は相変わらずだが、それでも整然とした交通渋滞となったと思う。


ダカール=ジャムニャージョDiamniadio間の高速道路の建設は、フランス系のEiffageグループのEiffage SenegalとEiffage TPが受注し、2013年8月に開通した。全長34km。

c0116370_130721.png



そして、2014年2月、Eiffage SenegalとEiffage TPは、ジャムニャージョから新たに建設中のブレーズ・ディアーニュ国際空港(l’Aéroport International Blaise Diagne (AIBD))を繋ぐ16.5kmの高速道路延長工事を受注し、現在工事中である。


ちなみに、ブレーズ・ディアーニュ国際空港AIBDは、ジャムニャージョから更に13km南東に入ったディアスDiassという街に建設中の空港である。現在ダカール市内にあるレオポルド・セダール・千ゴール国際空港(Aéroport international Léopold Sédar Senghor de Dakar (AILSS))は、西アフリカの中心都市にしては非常に小さい空港で、既にキャパオーバーとのこと。新国際空港AIBDはハブ空港の役割を果たすことが期待されている。2007年4月から建設が開始されており、最近はセネガル政府と建設会社サウジ・ビン・ラディングループとの支払いに係る対立が原因で数カ月工事が中断していたが、やっと再開し、トルコ系のSumma-Limakグループが今年12月の完成に向けて工事を進めている。観光・運輸大臣は、2017年2月には最初の飛行機が飛び立つ予定と話しているが、本当に間に合うだろうか。

新国際空港AIBDイメージ図
c0116370_1312874.jpg



高速道路の話に戻ると、ティエスからセネガルのイスラム聖地トゥバToubaを結ぶ115kmの高速道路の建設も今年始まった。中国が832億円を有償支援し、中国企業China Road and Bridge Corporation (Crbc)が受注している。今後4年以内には完成見込み。

c0116370_1325140.png


近年、西アフリカは高速道路の建設ラッシュ。国内だけでなく、西アフリカ域内の高速道路建設も進んでいる。ブルキナファソのワガドゥグとコートジボワールのアビジャンを結ぶ高速道路、セネガルのダカールとコートジボワールのアビジャンを結ぶ高速道路、全ての都市の距離が近くなるのも、そう遠くはない。


にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-08-03 01:32 | セネガル | Trackback | Comments(0)
セネガルの地方都市の町並み
セネガル出張前に、アフリカにおける農業支援について一般の方々を対象にお話しする機会が2回あった。一つは大学生、もう一つは横浜市民の方々。

最初に大学生向けにお話しした時は、背景を説明しながらもいきなり農業支援の話をした。みなさん、途上国支援の知識や貧困についての一般知識はあったため、十分に話についてこれているように見えた。質問もとても鋭く、さすが大学生だなと思ったほど。ただ、質問の中で、「貧困という言葉は聞いているのですが、実際アフリカの貧困の方々はどのような生活をしているのですか?」という質問があった。なるほど、勉強はしているけれどイメージが湧かないのか。

私もおそらくアフリカで仕事をする前はこういうふわっとしたイメージしか持っていなかったはずだが、もうその感覚を忘れてしまっていた。

そこで、横浜でお話しする時は、農業支援の話をする前に、アフリカで農業がどのように営まれているのか、アフリカの農村の方々がどのような一日を送っているのか、ある一家族の生活を写真で疑似体験しながら紹介した。

そのプレゼンを作成する際に感じたのだが、私は普段大量に写真を撮っているはずなのに、農村の一般の生活を撮った写真がとても少ない。何気ない村の様子、町の様子を撮った写真がない。既に見慣れすぎていてなんの新鮮味も感じない日常風景が、こういうプレゼンを作るときに重要になってくることを今回実感した。

なので、早速、セネガルの地方都市の写真を撮ってみた。

写真は、ティエス州チワワン県ダルフドス市Darou Khoudoss の町並み。県都ではないため「都市」というのは大げさかもしれない。「村」よりは大きく「街」より小さいくらいの大きさかな?
c0116370_7434044.jpg


c0116370_7435865.jpg


c0116370_7442281.jpg


この写真はダルフドス市の市役所の入口。
c0116370_7444569.jpg


c0116370_745797.jpg


c0116370_7452313.jpg



これはダルフドス市から5kmくらい離れた村の風景。
c0116370_745396.jpg



これは別の市のある農家さんのお宅の写真。
c0116370_746124.jpg


c0116370_7461977.jpg



ちなみに、ダカールの写真もどうぞ。
c0116370_7465377.jpg


c0116370_7471345.jpg


c0116370_7475810.jpg


c0116370_7481261.jpg



今後もこういう地方都市の写真は撮りためておこう!!

にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村
[PR]
# by iihanashi-africa | 2016-07-26 07:39 | セネガル | Trackback | Comments(0)