セネガルにおける今年のラマダン明けの日付の決め方
今日、セネガル政府は次の日曜日25日にラマダンが終わり、翌26日がラマダン明けの祭り「Aid El Fitr イード・アル・フィトル」のお祭り通称Koritéコリテで祝日となると発表した。

ラマダン明けに限らず、イスラム歴は月の満ち欠けに依存しているので、ラマダンの開始も終わりも、犠牲祭の日も全て月の状態を確認したうえで決まる。

今年のラマダンは、セネガルでは5月27日に始まった。この時ももちろん裸眼で目視した時の新月が目印。
ラマダン前日の月

そしてラマダンの終わりも細い三日月の所謂イスラムの新月が目印なのだが、少し面白い記事を見つけた。

http://homeviewsenegal.com/index.php/2017/06/22/korite-2017-ce-sera-le/


セネガルには、ASPA(Assoiation Sénégalaise pour la Promotion de l’Astronomie)という天文学者の集まりがある。そのASPAによると、太陽と地球の間に月が現れる時、つまり月と太陽の黄経が等しくなる時のことだが、今年は6月24日(土)の午前2時31分52秒だという。この瞬間が月が地球を一周し終わる時で、ここからまた新たな一周が始まる。だから、この翌日である25日(日)がラマダン明けの祭りになるのかと思いきや、さらに一日待たなければならないらしい。というのも、「裸眼の目視」で新月(三日月)を確認する必要があるから。

天文学者によると、24日(土)の月は照らされる面積が0.88%のため、セネガルを含むアフリカ、ヨーロッパ、アジアでは裸眼で確認することは難しいという。コーランでは裸眼での確認を課してはいない。しかし、多くのイスラム圏では裸眼での目視を絶対としている。そのため、セネガル政府も天文学者の意見を重視して、万一日曜日に曇りで見えないとしても晴れていれば必ず見えるはずと判断して、祝日を前もって決めている。天文学者によると、25日(日)には照らされる面積が4.42%になり、裸眼での目視が可能だという。この時、月齢1.17日になっているらしい(←この月齢が意味するところがよくわからないのだが)。

こんな詳細な説明、初めて読んだ。

ちなみに、各国で決定の仕方は様々で、例えばトルコでは新月の高さが5°、太陽との角度が8°になる時で決まり、エジプトでは新月が日没後少なくとも5分後に沈んだら新たな月が始まるらしい。

イスラム暦、奥が深くて今日深い。

以前書いた犠牲祭の日付の決め方の記事
タバスキ(犠牲祭)の日付の決め方


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# by iihanashi-africa | 2017-06-23 08:49 | セネガル | Trackback | Comments(0)
ファタラ保護区のライオンウォーク
少し前の話だがガンビアの国境に近いファタラ保護区(Réserve de Fathala)へ行ってきた。

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約6000ヘクタールに広がり、そのうち2000ヘクタールが囲われており、動物が保護されている。オーナーは南アフリカ人で、彼らにより人工的に設置された保護区のため、多くの動物は国外やセネガル国内の他の保護区(ニョコロコバ保護区)から連れてこられている。2003年にオープンした当時はまだ動物が少なかったが、現在ではキリン8頭、サイ1頭、その他バッファロー、シマウマ、アンテロープ、ジャイアントイランド、イボイノシシ、サルが多数見られる。アンテロープはかなり増えていて、昨年300頭確認したそうだ。ゾウも連れてきたいと考えているそうだが、セネガル政府が象牙目当ての密猟を警戒し、許可を出さないらし。

そして、この保護区の一番の売りが「ライオンウォーク」である。ヨーロッパの動物園で子育てを放棄したライオンの子どもを引き取り、生後3か月でファタラ保護区へ連れてこられた。その頃からしつけされ、人間と一緒におとなしく歩くことができるようになっている。

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ダカールからファタラ保護区までは約4時間半。途中のカオラックで昼食をとることにし、Le Braceroというレストランに立ち寄った。


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そこで食べた牛肉の串焼き。
これがこの旅で食べた食事の中で最もおいしかった。コストパフォーマンスが素晴らしい。


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ファタラに到着。
保護区内にホテルがある。これがとても素敵なホテル。
http://www.fathala.com/



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部屋はテントなのだが、中に入るとテントとは思えない設備。


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夜中は外でイボイノシシが草をかじっている音が聞こえ、朝は鳥のさえずりで起きた。まさに保護区内にいることを感じられるホテル。


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保護区到着直後の夕方にサファリへ。


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保護区内にこのような網がかけられているのを見かける。これはハエ取りの網だそう。この辺りは雨期になるとアフリカ睡眠病を媒介するツェツェバエが多く発生し、動物が被害を受けるため、事前にこのような処置をしているとのこと。



サファリでは唯一サイだけが見られなかったのだが、ガイドさんが19時頃にホテルの前にやってくるかもしれないというので、夕食をとりながら待っていると。きた!!!すぐそこに。
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翌朝8時にライオンウォークへ。
こうして、ライオンの後ろを歩く。皆、棒を持たされるのだが、小さい時から棒を持った人に服従するよう育てられていたため、我々も持たされた。ただ、棒を落として拾おうとかがむと危険なので、落とした場合は自分で拾わないようにと脅された。


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「ふぅ、観光客相手は疲れるぜ」という顔。
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もうやる気ないライオン。ライオンの威厳なし。でもかわいい。こんなに疲れた~という態度を見せていたのに、私たちとの「人間ウォーク」という仕事を終えた後、やっと終わった~と嬉しそうに駆け回っていた笑。
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全体的に少しお高めだけど、ご関心のある方はぜひ。


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# by iihanashi-africa | 2017-06-10 10:18 | セネガル | Trackback | Comments(0)
初代大統領サンゴール博物館
先日、セネガルの初代大統領レオポール・セダール・サンゴール博物館(Musée Léopold Sédar Senghor)へ行ってきた。

あまり知られていないのだが、サンゴール元大統領が大統領の座を退いた翌年の1981年から亡くなるまでの間、セネガルでの家(フランスにも家があるため行き来していた)として使われていた場所が、現在サンゴール博物館となっている。2001年にサンゴール元大統領が逝去されてすぐ、ワッド大統領の時期に政府が家を買い上げたのだが、何もされずに放っておかれ、現在のサール大統領に代わってから博物館に修繕することが決まった。そして、2014年11月30日に除幕式が行われている。

この博物館、ダカールのコルニッシュ・ウエストと呼ばれる海岸沿いの大通りに面したところに位置し、曲がり角には大きな看板も掲げられているのだが、これが意外と気付かない。私も頻繁に通っているところだったのに、博物館を探し出してからやっと目に付くようになった。

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これは博物館入口の小さな看板。
月曜から土曜の、10時~12時、15時~17時が開館時間。


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大人:2000fcfa(約400円)
学生:1000fcfa
子ども:500fcfa。



サンゴール元大統領は、この家を『Les dents de la mer(海の牙)』と呼んでいた。尖峰のような壁がスティーブン・スピルバーグ監督のジョーズの歯を思い浮かべるからだ。映画ジョーズは仏語タイトルで「Les dents de la mer」という。壁はセネガルには珍しく土壁で、マリのトンブクトゥやジェンネの建築様式を模している。裏庭には丸いプールもある。

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庭のバオバブ。


博物館の中は撮影禁止なので写真がないのだが、サンゴール元大統領の執務室、来訪者の待合室、応接室、寝室、居間などが、当時のままの様子で残っている。しかし、何より興味深かったのは、3人の息子の写真とそのストーリーを聞けたこと。そして23歳の若さで亡くなったフィリップの写真が家中に飾られていて、サンゴール夫妻の悲しみが半世紀たった今も伝わってきたことだ。

このサイトに2階のプライベート執務室の写真が掲載されている。
http://www.au-senegal.com/la-maison-de-senghor-est-devenue-musee,10713.html?lang=fr



サンゴール大統領は、1946年にガイアナ出身の女性と結婚し、2人の息子をもうけている。しかし、その後離婚し、1956年にノルマンディー出身のフランス人Colette Hubertと結婚している。この女性と生涯を共にすることになる。Coletteとの間にもフィリップという息子をもうけるが、1981年に交通事故で23歳という若さで亡くなってしまう。そして、その2年後には、一人目の女性との間の次男も35歳の若さで失うという不幸に見舞われた。

博物館になっているこの家は、フィリップも事故で亡くなるまでのわずかな時間を過ごしてあり、彼の寝室も当時のまますべて残されている。

サンゴール元大統領は、1993年以降心臓にペースメーカーをつけており、飛行機に乗ることができなくなった。93年までは、セネガルで3か月、フランスで残りの時間を過ごすというような生活を過ごしていたが、93年以降はパリでしばらく過ごし、その後亡くなるまで奥様の故郷ノルマンディーで過ごされている。現在も奥様はノルマンディーでご健在で、2014年の博物館除幕式に招待されたが、やはり90代で病気がちのため、セネガルに来られるのは諦めたそう。


この博物館は、ガイドがいる。というより、ガイド付きでないと勝手に家の中を見学できない。そのため、私たちも博物館に到着してから、前のグループの見学が終わるまで入口の外で待たされた。しかし、このガイドの説明が素晴らしい。サンゴール大統領の何から何まで知っており、質問しても何の迷いもなくすぐに答えが返ってくる。どんな方なのかと思いきや、もともと憲兵隊で、1973年から大統領の警護をしていた方だった。大統領の海外訪問の際も同行し、合計16か国へ行っている。亡くなったフィリップも小さいころから知っており、亡くなられた際は、奥様からフィリップの大事な形見をもらったそう。サンゴール元大統領がフランスに滞在されているときは、この方が鍵を預かっていた。


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博物館から大通りを渡った海岸沿いに、このような椅子に座った男性の銅像が立っている。これは博物館の修繕を行った建築会社Eiffage社が、詩人Amadou Lamine Sallと彫刻家El Hadji Mboupの協力を得て、2015年に建てたものである。もちろんサンゴール元大統領の銅像。


実は、元大統領が自分の家を眺めているかのように設置されている。
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とても興味深い博物館なので、サンゴール元大統領に関心があり仏語が分かる方は、ぜひ一度訪問を。


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# by iihanashi-africa | 2017-06-07 08:29 | セネガル | Trackback | Comments(0)
ニジェール料理一覧を更新しました
これまでに3回のニジェール出張をし、首都ニアメ市内だけの移動にもかかわらず、かなりのローカル料理を食した。

以前書いた記事にさらに新たな料理を加えて更新したので、どうぞ。
ニジェール料理一覧


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# by iihanashi-africa | 2017-06-02 07:00 | ニジェール | Trackback | Comments(0)
ボコハラムに対するニジェール側の砦、ディファ市
ニジェールの東端のナイジェリアとチャドの国境付近にDiffa(ディファ)という街がある。ニジェールにおいて最初にボコハラムBoko Haramの攻撃を受けた街である。ニジェールの首都ニアメから1360kmも離れており、一方でナイジェリアは目と鼻の先のため、ナイジェリアの通貨ナイラが流通している。ニジェールの通貨FCFA(セーファーフラン)で支払おうとすると断られるそうだ。

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2015年2月、ニジェール政府はDiffaに非常事態宣言を出し、2016年11月に延長された。現在に至るまで度重なる衝突は続いており、多くの住民は街を離れ、国内避難民となっている。

さらに西のチャド湖に近いBossoという街は、既にゴーストタウンと化しているようだ。



2015年1月、ボコハラムによる最初のDiffa攻撃の1か月前、Diffa市役所の責任者が、多くの若者がボコハラムにリクルートされていると警告した。毎月30万fcfaの給与を提案され、安易にボコハラムに入ってしまう若者が多いということだった。ただし、最近は改心して再度社会に戻るために、ボコハラムから脱出してニジェール政府に保護を求める人員もいるそう。彼らの社会復帰支援センターも設置されている。

**************

数か月前、ニアメで働く農業省の方がDiffaに出張を命じられ行ってきたらしい。その方によると、Diffaの街に近づくと検問が増え、出張命令書と身分証明書を確認され、無線で「○時○分、○色の車種○○が、○名を乗せて、○○に向かうために、検問を通過」と次の検問に連絡する。毎回毎回犯罪者かのような尋問を受け、同じニジェール国内だというのに非常に居心地が悪かったという。

上記の通り、2015年1月から戒厳令が敷かれておおり、もちろん18時以降は誰一人として街を歩くものはいない。日中でもバイク移動は禁止。バイクはボコハラムの移動手段とみなされており、バイクで走っているとボコハラムでなくても構わず射殺される可能性がある。

Niger's Diffa province bans motorbikes after attacks
http://www.aljazeera.com/video/news/2017/04/nigers-diffa-province-bans-motorbikes-attacks-170417043535905.html

ミレット(ヒエ)、ソルガム(モロコシ)、トウモロコシの栽培は禁止。これらは人間の背丈以上にまで成長するため、ボコハラムが隠れることが出来てしまう。住民は穀物栽培が出来ず、ササゲ豆や落花生を栽培するのみ。

住民にとっては本当に生活がなくなった。

もちろんこの辺りにはジャーナリストも入らないだろうし、ほとんど報道されないが、一般住民の生活が相当脅かされている様子を感じ取れた。


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# by iihanashi-africa | 2017-05-30 07:44 | ニジェール | Trackback | Comments(0)
ラマダン前日の月
今日から西アフリカではラマダンが始まった。

私はブルキナファソに出張中だったのだが、夕方に会ったブルキナファソ人の元同僚に「今日の月」の写真を見せてもらった。ほら、ラマダン前の月になっているでしょうと。
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イスラム暦の9月がラマダン(断食)の月である。
イスラム暦では毎月1日が新月。といっても、イスラム暦での新月とは太陽と同じ方向にあって見えない月のことではない。私たちが思う所謂新月を過ぎ、再び夕方西の空に見え出す細い月のことを指すため、新月からは1、2日ほど遅れることになる。だから細い三日月の新月はイスラム教の国にとっては重要で、国旗に三日月を使う国も多い。

これは昨日のセネガルの月らしい。このような月が見えた翌日から次の新月までラマダンが続く。
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https://www.senegaldirect.com/lune-apercue-plusieurs-localites-ramadan-debute-samedi/より


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# by iihanashi-africa | 2017-05-28 08:34 | セネガル | Trackback | Comments(0)
セネガル産米と中国産プラスチック米
3日前からニジェール出張に来ている。

セネガルからニジェールに向かう直行便はないため、ブルキナファソ経由となる。トランジット後の搭乗券はブルキナファソに着いてから渡されるということだったので、到着後に空港職員に先導されてチェックインカウンター連れていかれた。ニアメ行き便に乗り換える乗客は私を含め20名ほどおり、既に搭乗券が準備されていたため、1人ずつ名前を呼ばれて搭乗券が渡されたが、なぜか最後まで私の名前が呼ばれない。一人残されたので、「すいません、私もニアメに行くのですが...」と言うと、「あ~、これがあなたの搭乗券ね」と渡されたのがこれ。美しい手書きの搭乗券。美しい走り書き。自分で書いたのに、私の名前が読めなかったらしい。

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ブルキナファソからニジェール行きの飛行機で隣に座っていた方と、セネガルのコメについて話をしてかなり盛り上がり、飛行時間45分があっという間だった。

隣の方は、ニジェールに事務所を構える国連組織の一つで働いているセネガル人男性だった。セネガル人はコメがないと生きていけない国民なので、もちろん首都ニアメでもコメを購入するそうだが、ニジェール産のコメは固いという。固いというのが乾燥のしすぎなのか品種なのかよく分からないが、ニジェール産のコメはセネガル料理には合わず、時々休暇でセネガルに戻る際にセネガル産のコメを持って帰ってくるらしい。前回は陸路で3日間かけてニアメからダカールまで移動し、帰路は自分は飛行機で帰り、運転手がコメを沢山積んだ車を運転して陸路で戻ってきたという。セネガルからニジェールまで陸路で移動するには、マリとブルキナファソを横断するのだが、唯一マリでは検問で警官から賄賂を要求されるらしい。「陸路はマリで賄賂を要求される以外は、道路の状態もいいし問題ないよ」とさらっと言い流していたが、私はその言葉に引っかかった。マダガスカルでもクーデタ後の経済悪化の時期に賄賂を要求する警官が増えたが、マリも同じような状況なのではないのかと。

さて、本題のコメに戻ると、隣のセネガル人男性の家族は3~4年前からセネガル産のコメを食べ始めたという。それまでは輸入米ばかりを食べていたが、近年セネガルの精米技術が向上し、質の良いコメが流通し始めたため、セネガル産米を食べるようになったらしい。

私がセネガルに10年前にいた頃は、セネガル産米は首都ダカールではほとんど販売されていなかった。当時稲作の調査をしていた専門家によると、モーリタニア国境のセネガル川沿いの灌漑区では稲作が行われていたものの、砕米も完全米も全て混ざっており、収穫後の技術がマーケットニーズに追いついていなかったらしい。しかし、10年たった今、どのスーパーでもセネガル産米を見かけるようになった。

先月4月に開催された農業フェア(FIARA:Foire internationale de l'agriculture et des ressources animales)に行った時に、セネガル産米のブランドが多いことにとても驚いた。

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それに加えて、ここ最近、「中国産のプラスチック米」が流通しているという噂がSNS上で話題となり、新聞にも取り上げられ、農業省にも問い合わせが殺到したのだが、この噂が功を奏したのか、周囲でセネガル産米を食べる人が多くなったと、飛行機で隣だったセネガル人は話す。

プラスチック米の真相はよく分からないが、ナイジェリアでは昨年末にプラスチック製の偽米102袋を押収したという事実があるようだ。
http://www.afpbb.com/articles/-/3112154

よく分からない噂がローカル米の消費を増やしたと聞くと、関係者の策略かとも想像してしまうが、いずれにせよ、セネガル産米の消費が増えることは政府の目指すことろでもあり、いい傾向かもしれない。


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# by iihanashi-africa | 2017-05-24 23:24 | セネガル | Trackback | Comments(0)
ゲジャワイ市の開発スピード
セネガルにIntermondesというローカルNGOがある。

現在も代表を務めるMamadou Ndiaye氏がENDA Grafから独立して、ENDA Intermondesを設立し、さらにENDAから独立してIntermondesに改名した。

http://www.intermondes.org/

私は2006年に5か月間、ENDA Intermondesでインターンをしていたのだが、この時に代表のMamadou氏から学んだことは、今とても大きかったと感じている。開発支援において受益者との対話能力にたけた方で、今まであまり多くを語らなかった村人も、Mamadouと話すと本音が出てくる。セネガル人の知り合い中で最も尊敬する方の一人である。

Intermondesの建物は、ダカール市に隣接するゲジャワイ(Guediawaye)市に位置する。2006年初めにベルギーの民間企業連合体からの支援で建設されたIntermondesの建物には、インターン生が宿泊できる部屋があるのだが、私は最初の宿泊者となった。当時、日没後は絶対に歩いてはならないと言われ、街中からタクシーで戻る際も必ず建物の前まで送ってもらうようにと言われるほど、この辺りの治安は悪かった。タクシーで帰る途中に、目の前で女性のカバンが引ったくられたのを見たこともある。同時ゲジャワイに住んでいると言ったら、「すごいところに住んでいますね。大丈夫ですか?」と言われる場所だった。

先日、11年ぶりにIntermondesを訪ねてみたのだが、周囲が見違えるほどに開発されておりびっくり。

11年前は、高い建物と言えばIntermondesしかなく、目の前は更地だった。

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当時の建物。


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Intermondesの前の更地。


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海側の更地。


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もちろん前の道路は舗装されていなかった。


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それが、11年たった今、前の更地はこのような住宅地へと変容した。ダカール市内の住宅地と遜色ない美しさである。これがゲジャワイと言って信じる方は多くないかもしれない。


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この更地は未だ開発途中。


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今やIntermondesの建物も周囲の建物に埋もれて目立たなくなった。


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そして前の道路も綺麗に舗装された。




私のセネガル人の友人が、この近くに住んでいるのだが、2008年に225平方メートルの土地を3200万fcfa(約640万円)で購入している。しかし、9年たった今、この土地を売却するとしたら5000万fcfa(約1000万円)は下らないという。

この高騰がずっと続くとは思えず、そのうちバブルがはじけるのだとは思うが、ダカールは郊外に向かって開発が進んでおり、先見の明がある人たちはかなり儲かっているようだ。


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# by iihanashi-africa | 2017-05-22 05:56 | セネガル | Trackback | Comments(0)
波に逆らって海に向かい諦めるブタ
ガーナに6日間の出張に行ってきた。

初めてのガーナ。
モロッコ、カメルーン、チャド、ブルキナファソ、タンザニア、セネガル、マダガスカル、ケニア、コートジボワール、ニジェールに続き11か国目。16年前からアフリカに関わっているにしては少ないのかもしれない。

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ガーナには非常に良い印象を持って帰ってきた。
空港にバスが迎えに来ていない事件から始まり、ホテルの部屋でお湯が出ない、接続が悪くてクレジットカードが使えないなど、ハプニングはあったものの、全てのハプニングに真摯に対応してくれ、何より驚いたのはしっかりと謝ること。この短い出張では分からないことも多いだろうが、傲慢な人々には全く会わなかった。

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さて、ある海の見えるレストランでランチをとっていた時、海辺に横たわる丸太のようなものに気が付いた。よーく見てみるとブタ。
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その後、立ち上がって海に入っていく素振りを見せる。ブタって泳げるんだっけ?
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そして諦めて戻り、
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砂浜を鼻で掘って何かを探していた。
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なんかとても和む光景だったので、写真に収めてみた。


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# by iihanashi-africa | 2017-05-16 06:41 | ガーナ | Trackback | Comments(2)
葦の使い道
先月、サンルイのジュッジ鳥類国立公園に向かう途中、路上で葦を乾燥させて販売している場所があった。セネガルだけでなくアフリカ各地で見られるが、ローカル出荷場を見たのは初めてだったので、写真に収めてみた。

これは川沿いの葦。
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ここで乾燥して束にする。
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路上で販売している。いくらなんだろう。
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葦で作ったござ。
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葦で作った家。
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生活必需品である。


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# by iihanashi-africa | 2017-05-08 06:58 | セネガル | Trackback | Comments(0)
上も後ろも満員バス
サンルイからダカールへ戻る幹線道路で、こういうバスを追い越した。
このような光景はたまーに見かけるが、車の上の荷台にここまで人が乗るのはなかなか見ない。それも車の上に立って乗るなど。。。それも時速100kmの車が追い越すのを横目に見ながら。このまま数時間かけてダカールへ向かうのだろうか。

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# by iihanashi-africa | 2017-05-05 06:25 | セネガル | Trackback | Comments(0)
ジュッジ鳥類国立公園
サンルイから60kmのところのセネガル側沿いに、ジュッジ鳥類国立公園(Djoudj National Bird Sanctuary、Parc national des oiseaux du Djoudj)がある。幹線道路から公園事務所までもしばらく未舗装道路を進むため、1時間半はかかる。サンルイ街中のSyndicat d’initiativeの観光オフィスで、公園までの移動から公園入園料やボート乗船料金など全て込みでアレンジしてくれる。

面積は16000ha。世界3位の面積を誇る鳥類国立公園だそう。下の画像の赤線で囲われたところが公園の敷地。セネガル川の支流や小さな湖に野鳥が集まるのだが、本流と異なり流れが緩やかで、生息しやすいところなのかもしれない。多い時は300種類以上、3百万羽の野鳥が集まるらしい。公園自体は1971年に設置され、1981年にUNESCOの世界遺産に登録された。
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    http://www.au-senegal.com/parc-du-djoudjより

この国立公園、雨期の6月~10月は閉鎖するらしい。雨期だからということもあるが、雨期は野鳥がいなくなるらしい。ジュッジ国立公園の野鳥は80%が渡り鳥のため、12月に戻ってきて4月か5月には旅立つ。特に2月~3月が最も多くの野鳥を見られる時期とのこと。

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国立公園入口のオフィス。
ホテルにもなっており、プールもあって快適そうではあったかも。ただ、サンルイからそれほど離れていないため、宿泊客はそんなに多くなさそうな雰囲気。


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オフィスからまた車でボート乗り場まで移動する。


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セネガル川の支流とはいえ、かなり広い。


乗り場に到着して早速出会ったのが、イボイノシシ
公園内には数多く生息しており、ボートからも多くのイボイノシシを見た。


鷲。正式名称も聞いたのだが、忘れてしまった。
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サギの仲間かな。
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ペリカンは大群で見られる。
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ペリカンは皆が同じ動きをする。しめし合わせたかのように一緒に魚を捕る。


何百羽も群れになって移動する様は圧巻。


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奥の方にペリカンが交尾する場所を設けており、その周囲にはまだ若いペリカンが集まっている。灰色のペリカンはまだ若いペリカンたち。


ガイドさんがOiseau Serpent「ヘビ鳥」と呼んでいた鳥。水面を移動するときに首が蛇のように見えるためにこう呼ぶらしい。
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ワニも数匹見かけた。水に隠れて目と鼻だけ水面に出すワニが見えるだろうか。
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この鳥もサギの仲間かな。
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オオトカゲも発見!
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ガンビアガモの大群。
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嘴がしゃもじのような平たい形をしているヘラサギ


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セネガル川周辺は稲作の灌漑区が広がっている。病気よりも害虫よりも何よりも鳥害が酷いらしい。苦し紛れにこうして鳥除けのためにビニールを掲げる。それでもなかなか防げない。


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# by iihanashi-africa | 2017-05-02 09:48 | セネガル | Trackback | Comments(0)
サンルイ国際ジャズフェスティバル25周年
サンルイの国際ジャズフェスティバルは今年で25周年を迎えた。

http://www.saintlouisjazz.org/

毎年かなり名の知れたミュージシャンが参加するそうなのだが、私はそんなに詳しくないのでラインナップを見てもよく分からない。今年唯一知っていたのが、コンゴ民主共和国出身のロクア・カンザLokua Kanza。ロクア・カンザのCDは最近のもの以外は多分ほとんど持っているのかもしれないくらい一時期ハマって聞いていた。Lokua Kanzaが2日目に来るくらいなので、他の日の方々もそうそうたるメンバーなのだろうと、Lokua Kanzaを基準に考えていた。残念ながらKokua Kanzaが出演する日はサンルイへ行けないため、週末に会わせてフェスティバルへ行ってみることにした。

まずホテルを探すことから始めたのだが、これが見つからない。ようやくサンルイの街外れのホテルに部屋を見つけたのだが、前日になっていきなり、2泊のうち1泊がキャンセルになってしまったと連絡があった。昨年ジャズフェスティバルに行った方も、ホテルに到着したら予約がキャンセルされていたらしく、やっぱりこの時期は予約が混み合い、こういうことがよくあるようだ。最終的に予約をキャンセルしたホテルに別のホテルを探してもらい、なんとか事は収まったのだが、しっかり予約できていても安心できないことはよく分かった。

昨年のジャズフェスティバルは、安全対策が議論になり、一時期中止になるかどうかという話にもなったようだ。それもあってか、今回サンルイの街と会場に着いてから分かったのだが、これでもかというほどに軍と警察と一般警備会社の方々が警備していた。といっても、もちろん油断はできないし、会場警備の一部は音楽に聞き入っていたのだが笑。

ジャズフェスティバルは、これまで滞在した国でも開催されていた。ブルキナファソでも毎年ジャズフェスティバルがあり、ジャズ大国マダガスカルでは大きなフェスティバルが開催されていた。やはりどこにもコアなファンがいるようだ。
アフリカで3本の指に入るジャズ大国マダガスカル
JAZZ in TRAIN


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ジャズフェスティバルは、VIP席、A席、B席とあり、後ろに行くにしたがって安くなる。滅多に来ない機会なので、前の席のチケットを購入。



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Alune Wade
セネガル人ベーシスト。

セネガル軍オーケストラに属していた父の指導で、6歳の頃からベースやピアノ、ギターを習っていた。セネガル人ミュージシャンのイスマエル・ロを師と仰ぐ。





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Nancy Murillo
コロンビア出身のサルサシンガー

サルサの女性シンガーは本当に格好いいのだが、この方も体が小さいのにエネルギッシュでパワフルで、ステージに上がってきた時からオーラがあった。





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Stanley Clarke
アメリカ出身のベーシスト

わざわざこう書く必要もないほどに名声を上げている方だが、私は存じ上げず。。。いやー、やはり観客を楽しませようと意識しながら最も見せるステージをされる方で、最も興奮したステージかも。








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この期間、数多くのスポンサーが様々な協力をしているが、その一つミネラルウォーターのKIRENEはラベルがジャズフェスティバルバージョンになっていた。


街全体がお祭りモードで街を探索するだけでも楽しい。


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# by iihanashi-africa | 2017-05-01 09:12 | セネガル | Trackback | Comments(0)
レブ族の守り神Ndeuk Daourの宿るマドレーヌ諸島
ダカールは半島になっており、その周辺に4つの島がある。最も有名なゴレ島、ンゴール島、ヨフ島、そしてこのマドレーヌ島。その内、ヨフ島とマドレーヌ島は昔から無人島で、今まで人が住んだことがない。

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マドレーヌ諸島は二つの島からなり、大きい方の島をマドレーヌ島(Ile de la Madeleine:かつてはサルパン島と呼ばれていた)、小さい島をルーニュ島(Iles Lougnes)と呼ぶ。マドレーヌ島は面積17haで全長600m。ルーニュ島は更に小さな島からなり合計面積6ha。ルーニュ島は岩山なので、島に降りるのは難しい。周囲の海も含めて約45haが海洋国立公園に指定されている。

現在まで様々な鳥類、海洋生物、植生が保護されきたのは、これまで人間による侵食がなかったという理由が大きい。なぜこれまで無人島で居続けられたのか。それは、ゴレ島とは異なりマドレーヌ島の周囲が高波になることが多く、船の着岸が難しかったことが一つの理由ではあるが、最大の理由はダカールに多いレブ族の守り神Ndeuk Daourが、人間が島に居住することを反対していたからだと言われている。フランスの植民地時代に一度島に建物を建設しようとし、現在でもその跡が残っているが、建設しようとすると毎回不幸に見舞われ、最終的に完成しなかったらしい。

といっても、今から千年あるいは2千年前には人間が住んでいたという説もある。調理のくずや土器のようなものも発見されてもいるようだ。

マドレーヌ島は無人島だが、朝9時半~16時半まで船が出ており、島を探索したり、泳いだりすることができる。ピクニックもできないことはないが、日陰がないので少し暑いかも。私たちは午前中2時間だけ滞在して帰ってくることにした。

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コルニッシュ・ウエスト通りにこういう入口がある。毎日通勤で通っているのに全く気が付かなかった。


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道路からは見えないが、階段を下りると結構しっかりとした建物がある。オランダの支援で建てられたらしい。
ここで、乗船料金一人5000fcfa(約1000円)とグループ毎にガイド料金5000fcfaを支払う。


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こういう船が待っている。この一隻が一日中往復するようだ。


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マドレーヌ島の全貌。


マドレーヌ島に近づくと、大きな難破船が見えてくる。2013年に難破したスペインの船らしい。嵐の日の高波に襲われてしまったようだが、幸いなことに死者は出なかったとのこと。島の沖合にはロシアの船も沈んでいるらしく、この破片がマドレーヌ島の浜辺に打ち上げられている。
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ルーニュ島の岩山。
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ガイドさんが、「あの先にライオンが2頭寝ています」と指さしたのが、この岩山。おっ、ほんとだ。
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これはお気に入りの一枚。
マドレーヌ諸島は、このような不思議な岩から出来上がっている。かつては火山があり、噴火直後にすぐに冷却されたマグマはこのような形を作るらしい。細長い筒状の岩を沢山重ねて断面を切った感じ。
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島の入り江に到着。


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ここからガイドが島を案内してくれる。
まず植民地時代にフランスが建てようとした未完成の建物。


島の上から見たダカールの街。
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綺麗な入り江だが、さすがにここでは泳げない。


とっても面白い形をしたバオバブがあった。Baobab nain(背の低いバオバブ)と呼ばれている。マドレーヌ島は風が強いためか、木が6m以上には成長しないらしい。どのバオバブも横に広がっている。こんなバオバブはかつて見たことがなかったなあ。
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最後は帰りの船が到着するまで、この美しい入り江で泳ぐことにした。が、砂浜ではないため歩きにくく、それも苔で覆われた岩のため、滑りやすくてとても危険。さらに、入り江とはいえ、少し進むともう足が全くつかなくなるほどに深い。ちゃんとシュノーケルセットをもってこないと、深いところを泳ぐのが怖い私はこの先に進めないと思った。でも、水は本当に透き通っていて美しい。
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今回、一つだけ残念だったことと言えば、Phaeton a rouge(ネッタイチョウ)と呼ばれるマドレーヌ島のシンボルとなっている鳥を見られなかったこと。尾が長く特徴的で、セネガルやカーボベルデあたりでしか見られないらしい。この鳥は頻繁にみられるのかなあ。



こんな魅力的な島だとは思っておらず、意外にも楽しく過ごせた。今度はシュノーケルセット持参だな。


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# by iihanashi-africa | 2017-04-28 08:54 | セネガル | Trackback | Comments(0)
Ousmane Gueyeというセネガル人彫刻家
先日、セネガル人彫刻家のOusmane Gueye(ウスマン・ゲイ)氏に会ってきた。

私の日本人の友人の古くからの知り合いで、フランス、イギリス、アメリカ、日本などで活躍されている方だが、70歳に近くなり故郷に貢献したいという意思から、最近は大半をセネガルで過ごすようになっている。

私はウスマン・ゲイ氏を存じ上げず、お会いする前にネットで調べたら、これが実はとても有名で、高く評価されている方だということを知った。



1956年にセネガルで生まれた。6歳の頃から、週に1回の小学校の美術の授業で、いつも粘土でオブジェを作っていたらしい。当時、フランスとアフリカの航空会社が主催する大会があり、砂のオブジェで優勝している。その大会で3回にわたり優勝し、優勝者は、当時のレオポルド・セダール・サンゴール大統領に謁見することができた。これが彼の出発点。

その後「黒人アートフェスティバル(Festival des Arts Nègres)」という大会があり、最年少の10歳で優勝している。これらを通して、サンゴール大統領が彼の才能を認めたことが、のちにパリの国立芸術高等学校へ留学する奨学金を得られたことにつながったらしい。

パリでの勉強の後、イギリスのHenry Moore財団へ入り彫刻技術を磨き、さらにEcole Boulle(パリのアート・クラフト学院)でデザインの勉強もした。これらの学校では、アフリカ人が非常に少なく、Ousmane Gueye氏がほぼ唯一のアフリカ人でもあったため、講師でもあった偉大な彫刻家から可愛がられていたようだ。

さらに、ローマのアート学院でも勉強し、イタリアのCarraraで大理石彫刻への造詣を深めることになる。ミケランジェロやドナテロ、ロダンなどもここの大理石を使って彫刻をしていた。

そして、1980年代後半に、資生堂の後援で来日し、銀座のギャラリーで展示会を開き、その後日本各地で個展を開いたそう。日本のカルチャーや庭園にも造詣が深く、また箱根の森をこよなく愛していることが話していてよく分かった。92年にはニューヨークへ移り住んだが、その後も日本とアメリカを往復しながら個展を開いていた。

彼の彫刻はとても高く評価されており、バスティーユの一部の彫刻修繕にもかかわったらしい。

今後は、セネガルの若いアーティスト支援、そしてセネガルの芸術に関する教育、芸術文化の発展などに注力していきたいそう。壮大なプロジェクトを達成してほしいなあ。

ウスマン・ゲイさんのサイト
http://ousmane-gueye.com/index.html

彼の家の前。ダカールの下町にいきなり鮮やかなオブジェが現れる。
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彼の作品。アフリカ人で、こんなに素敵な大理石の彫刻を作る方に出会ったことがなかった。デザインも技術も本当に素晴らしい。
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# by iihanashi-africa | 2017-04-24 19:17 | Trackback | Comments(0)
キンキリバを煎じて飲む
セネガルだけではなく、ブルキナファソにもあったのだが、キンキリバ(キンケリバ)という葉っぱのお茶がある。学名はCombretum micranthum。セネガルでは朝食の時に飲む方が多いが、夕食後に飲む方もいるようだ。

https://en.wikipedia.org/wiki/Combretum_micranthum

乾燥したキンキリバの葉はこうして売っている。
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えっ?どれ?と思われた方。あるいは真ん中にある黄色のビニール袋に入っているものと思われた方。ビニールの中身もキンキリバの葉だが、両端に立てかけられている棒状に巻かれたものもキンキリバである。
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まずは葉をしっかりと洗って砂埃や汚れを落とす。


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そしてお湯で煎じて飲む。ウーロン茶あるいは麦茶のような色をしている。


セネガルでは、大量の砂糖を加えて甘くして飲むのだが、私は砂糖を加えなくても飲めたかも。ただ、一緒にいた男性陣は苦みがきつくて苦手だという方もいた。一緒にいた運転手によると高血圧に効くらしい。


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# by iihanashi-africa | 2017-04-22 06:14 | セネガル | Trackback | Comments(0)